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「日本考古学事典」の内容より

読者のかたがたへ(本文より)

 新しい日本考古学の事典をお届けします。

 この事典を手にして「なぜ?」と思われるところがあるかもしれません。そのひとつは人の行為をあらわす動詞形の項目でしょう。そのような項目をなぜ設定したのか。例をあげましょう。「食べる」です。

人が「食べる」行為に関連する項目には、「食料」からはじまって、それを入手する「狩猟」や「農業」あるいは「稲作」、入手するための「弓矢」や「落し穴」、「鋤」や「鍬」あるいは「石庖丁」など、さらに食料を貯蔵する「穴倉」、入手した食料を加工する「石皿」や「磨石」、「鍋」や「釜」など、そして食べるための「食器」や「箸」「匙」の類、すべてを挙げきることはできません。これらの考古資料を起点にして「煮炊き」や「蒸す」行為を明らかにし、それを経由して人が「食べる」段階に到着します。このように人の行為の全体像を明らかにすることが考古学研究の出発点だ、と私たち編集委員は考えたのです。今回とりあげることができたのは多くはありませんが、この事典編集の主意の一部はこの動詞形の項目の採用にあらわすことができた、と思っています。

 このようなかたちで考古学研究の成果を伝えるには、調査と研究の現状をありのままに伝えることが必要です。現状は過去の成果を展望するなかで浮かび上がってきます。執筆者のかたがたに研究史的な視点からの記述も重視するようにお願いした理由はここにあります。過去は現在の起点であり、現在は未来の日本考古学を展開する足がかりになる、と考えたのです。

 日本の歴史は、いうまでもなく、アジアの、そして世界の歴史と分かちがたくつながっています。さらにまた、考古学の研究法の基盤には他の地域の考古学の研究成果との対比があります。直接関係が深かった近隣地域はもちろん、その他の地域の調査研究成果との対比は、日本の歴史の特質と普遍性を明確にするでしょう。日本考古学から離れた記述は避けるとして、外国の考古学とのつながりと対比の追究は欠かせない、と考えました。

 考古学の研究は、文献史学や民族学あるいは人類学や民俗学など、多くの近接する諸分野の研究と密接に関連しています。それらの成果の総合が過去の人間活動の解明作業全体を形成するものとなるでしょう。しかし、それぞれ研究課題の設定には違いがあります。一例をあげれば「首長」です。文献史学でも民族学でもそのことばで表現したものの実態の把握が研究課題になります。考古学ではそれを考古資料によってどのように論じているのか。その種の項目設定もこの事典のひとつの特徴になったのではないでしょうか。

 考古学に固有の特徴的な学術用語を解説するのもこの種の事典には欠かせない役割です。採用する用語の選択では、かつて考古学用語の類義語彙集〈ルビでシソーラス〉の編集を試みたときに明治以来の考古学書からコンピューターで収集していた用語集を参考にしました。それを検討する作業を数度くり返し、項目として採用する用語を決めていきました。事典として大項目主義か、中項目か、あるいは小項目を基本とするか、その種の議論はありませんでした。また、土器の様式・型式名や人名あるいは遺跡名などは項目として採用しない方針をとりました。それらは、膨大であるだけでなく、年ごとに増加し、評価は変化するし、そのための事典類も別にあるからです。

 一般に事典はことばの意味を調べるために引くことが多いでしょう。もちろんこの事典も引いてください。しかし、加えてこの事典は読んでいただくことを望んでいます。引くだけでなく、読む事典であってほしいのです。そのために通常の索引とは違って「この事典を読むために」を作成し、巻末に添付しました。

 この『日本考古学事典』編集に着手して十数年、さまざまの事情もあって、刊行が今日まで遅延し、早くに原稿をいただいた執筆者のかたがたにはご迷惑をかけしました。その間、三省堂出版局の欄木寿男さんと最後に編集を担当された増田正司さんの努力も大きく、とくに最初のころ編集委員の議論に積極的に加わっていただいた今井克樹さんのことが忘れられません。挿図を作成していただいた安芸早穂子さんもあわせて、関係者のかたがたにお礼申し上げます。

 多くのかたがたのご協力を得てこの事典を編集、刊行しました。しかし、さまざまの試みがなお完成途上にあることを痛感しております。読者のかたがたのご意見とご批判をお待ちしております。

2002年 3月