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「THE COMPLETE BIBLE HANDBOOK聖書百科全書」について

テサロニケの信徒への2通の手紙

 パウロと同労者シラスとはマケドニア州のテサロニケで宣教し,最初の教会を設立した。パウロはそこを去って数か月して,第一書(Iテサロニケ書)を書いた。テサロニケでの働きを回顧し,彼らの信仰がその後も強められたことを喜び,再び訪ねたいとの希望が述べられる。イエスの再臨以前に死ぬキリスト者はどうなるのかという問いにも答えている。

 第二書(IIテサロニケ書)はその数週間後に書かれたと思われる。キリストの再臨に備えて聖なる生活をするように勧め,再臨の前に起こることについて警告を与える。これら2通の手紙はキリスト教の文書の中でもおそらく最も古いものであり,成立しつつあったキリスト者共同体の,若々しく喜びに満ちた信仰の姿を今日に伝える貴重な文書である。

テサロニケの信徒への手紙一(Iテサロニケ書)

 使徒17:1-9によると,パウロはフィリピからエグナシア街道を通ってテサロニケ(現在のギリシアのサロニカ[テッサロニキ])へ行った(396〜397頁)。そこに数週間滞在してユダヤ教の会堂でキリストの福音を説いた。パウロの教えを信じるユダヤ人が出たが,反対するユダヤ人もあり,群衆を扇動して騒ぎを起こしたので,逃げなければならなかった。この記録は?Tテサロニケ書の記述ともほぼ符合する。テサロニケの教会について「あなた方はひどい苦しみの中で,聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ」(1:6)たと書かれ,会員の大多数が異教から改宗した人々,「偶像から離れて神に立ち帰り,生けるまことの神に仕えるようになった」(1:9)人々であると書かれる。パウロはテサロニケで充分活動できずに追い出された。何度か再訪を試みたが,そのつど「サタンに妨げられた」(2:18)と言う。パウロは代わりにテモテをアテネから派遣して,テサロニケのキリスト者たちが新しい信仰をどう前進させているかを知ろうとした。テモテが戻りコリントでパウロに合流した時,テサロニケの教会がパウロの去った後も,単に持ちこたえただけでなく,より盛んになったと報告した。この良い知らせを聞いて喜びに満たされて書いたのがこの手紙である。

 ?Tテサロニケ書は内容の大半が良い行動への激励である。パウロは教会に性的不道徳を避けること,調和し生き生きしたキリスト者共同体をつくるように励ます。また当時のテサロニケ教会を悩ましていた一つの問題も取り上げる。それは仲間のキリスト者の死をどう受け止めるかということであった。パウロの説明は,復活のキリストが再び戻って来られるという教えに基づいている。死んだキリスト者はキリストが戻って来られる時,イエスと同じように復活するのだという事実によって慰めを得るようにパウロは教える。生きている者も死んだ者も「いつまでも主と共にいる」(4:17)のである。パウロは,キリストの再臨は,期待をしていない者には前触れなしに起こる突然の出来事であるが,キリスト者はそれを準備して待ち,身を慎んでいるようにと勧告する。

テサロニケの信徒への手紙二(IIテサロニケ書)

 学者の中にはパウロが著者であることを疑う者もいる。内容は第一書に近いが,1:5-12は罰を強調し,2:1-12では第一書でその必要がないとして書くのをやめた黙示録的詮索に詳しく立ち入っている。しかし,パウロは第一書に書いたことが期待した効果を持たなかったので,第二書のように書いたのだろう。そうだとすれば第二書は第一書の数か月後,テサロニケのキリスト者の間に「主の日は既に来てしまった」(2:2)という誤解が生じたので,それを訂正するために書かれたことになる。主の日は,「不法の者」(おそらく反キリストのこと,445頁)が現れ,自分が神であると主張して神をし,キリスト者をだまそうとする,そういうことが起こるまでは来ない,とパウロは言う。キリストは再臨するとキリスト者に報い,信じない者を罰し,自分を神とする者を滅ぼす。「その時が来ると,不法の者が現れますが,主イエスは彼を御自分の口から吐く息で殺し,来られる時の御姿の輝かしい光で滅ぼしてしまわれます」(2:8)。テサロニケのキリスト者は召命にふさわしく生き,信仰を守り,聖なる生活をするように勧告される。キリストが今すぐにも再臨すると考えて働くことをやめてしまった人々は,パウロを見倣うように,そして自分で働いてパンを得るように勧告される。

 パウロはこれら2通以外の手紙では,これほど明瞭かつ具体的にキリストの再臨への希望を語っていない。キリストが世界の救い主および審判者として栄光のうちに再臨されるという教えは,初代キリスト教の信仰の中心的部分であった。これら2通の手紙は初代キリスト者が,再臨の信仰は生と死に対する態度をどう変えるのかという問題と初めから取り組んでいたことを示す。