聖書百科全書

品切れ
定価
8,470円
(本体 7,700円+税10%)
判型
B5変判
ページ数
544ページ
ISBN
4-385-15354-X

英国DORLING KINDERSLEY社『THE COMPLETE BIBLE HANDBOOK』の翻訳出版。

ジョン・ボウカー 編著/荒井 献(ささぐ)、池田 裕、井谷嘉男 監訳

  • 英国DORLING KINDERSLEY社『THE COMPLETE BIBLE HANDBOOK』の翻訳出版。
  • 見開き1テーマで構成。祭り、家族、結婚、死など身近な題材も含め、聖書を読んだことのない人でも楽しめる219テーマ。
  • 最新の聖書研究・聖書考古学の成果に基づき、テキスト・物語・人物・社会背景など、入門者にも専門家にも役立つ解説。「聖書の現在」がわかる。
  • 「旧約聖書(ヘブライ語聖書)」・「新約聖書」のすべての文書(外典も含め)について見開き単位で解説(聖書の順)。
  • 図版(地図・写真・イラスト・年表)600点以上。
  • オールカラー。
  • 巻末に聖書に関連する人名・地名・用語・文献目録などの資料。

特長

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さらに詳しい内容をご紹介

「聖書百科全書」の内容より

はじめに

 聖書はなぜ重要なのか。即答すれば単純であるが,今日の世界の人口の約4分の3が聖書を神の言葉と信じている,という点に注目しよう。聖書は,より正確に言えば,少なくとも神の言葉の「一つ」としてこれほど多くの人々に受け入れられているのである。ユダヤ教徒やキリスト教徒(キリスト者)にとってそれは当然のことであろう。しかしイスラム教徒(ムスリム),バハイ教徒,ヒンズー教徒,シーク教徒を含む多くの人々も聖書が神から出たものであることを疑わない。確かにイスラム教徒はユダヤ教徒やキリスト教徒が神の言葉を人間の言葉によって汚してしまったと考えるが,それでもなお,聖書が元を正せば神から来たものだと信じている。それゆえ聖書が人類の歴史の長きにわたって,世界の多くの場所で,人間の生の営みの中心に置かれてきたのは不思議ではない。「あなたの御言葉は,わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯」(詩編119:105)という聖句は数えきれないほど多くの人々にとって真実であった。聖書は希望を持つ人には励ましとなり,悲しみに沈む人には慰めとなった。聖書は多くの人々を隣人への奉仕に向かわせ,人々のうちに互いを受け入れ合う広い心を培った。また戸惑う人々に指針を与え,神への直通回線となっている。

文学,芸術と聖書 危険な書物 神の言葉と神の民 聖書の順序 霊感 テクストと伝承 聖書の権威 聖書の意味 聖書を祈る

文学,芸術と聖書

 聖書からとられた言語・表現も多くあり,文学や音楽,絵画の題材を聖書が提供してきた。聖書ほどの影響力を持った書物はない。過去の多くの作家たちは聖書をよく知っており,聖書は共通語のようなものとして使われた。これまでに出版された書物や詩集など,特に宗教とは何の関係もないように見えるものの中にも,聖書の知識なしには充分に理解できないものもある。文章作法そのものでさえも聖書の影響を受けた。聖書の諸文書の著者たちは,「歴史の父」と呼ばれるギリシアのへロドトス(前5世紀頃)よりもはるか以前に,諸々の出来事は相互に関連を持ち,ひと連なりの物語をかたちづくることを知っていた。時間とは相互に関連を持たない出来事の羅列ではなく意味を持つ物語であることを理解し,こうして彼らは歴史を発明したのである。彼らはまた,エデンの園のアダムやエバと同じく,神から隠れようとしても無駄であると悟った(創世3:8-9)。「誰かが隠れ場に身を隠したなら/わたしは彼を見つけられないと言うのかと/主は言われる」(エレミヤ23:24)。だから,最も偉大かつ信仰深い英雄たちについてさえも,その徳だけでなく汚点をも記録した。こうすることによって彼らは美術や文学が真実を描くものとなるための確かな素地を与えたのである。小説だけでなく,テレビのメロドラマやスキャンダルをあばこうとする現代の人物伝でさえ,聖書を母体として生まれてきたと言っていい。美術についても同じである。本書に用いられる図版だけをとって見ても,世界中の画家が聖書からいかに深く永続的な刺激と挑戦を受けてきたか明らかである。遠い過去の有様を描いた図像の多くは,もはや失われているが,そのためむしろ人間の想像力は解放されてきた。 「はじめに」の先頭へ戻る

危険な書物

 このように聖書は,神を信じない人にとっても重要な書物である。この本が入門書として提供される理由もそこにある。私たちは聖書を理解する必要がある。その理由は聖書が私たちの住む世界の形成に大きな影響を与えてきたからだけではなく,とりわけ聖書がきわめて危険な書物でもあるからである。聖書を根拠としてキリスト者は2千年近くにわたってユダヤ人を殺害してきた。ユダヤ人も約束の地を獲得しようとして他の人々を殺害してきた。この言い方はもちろん限定を要する。「ある」キリスト者たち,「ある」ユダヤ人たちと言い換えなければならない。それにしても,聖書を根拠として魔女たちが焚刑に処せられ,同性愛者たちが死刑にされ,子どもたちは鞭打たれ,アフリカの人たちが奴隷として移住させられ,女性は法律上子どもとして扱われ,動物は人間の所有物とされ,「平和の君」の名において戦争が正当化されてきた。トマス=ペイン(1737~1809年)は言う。「聖書の半分以上を占める猥雑な物語,みだらな背徳の物語,残忍悪逆な処刑の情景,執拗な復讐心について読むと,聖書は神の言葉と呼ぶより悪魔の言葉と呼んだ方が適切である。聖書は邪悪の歴史であり,人類を腐敗させ野獣化させてきた」(『理性の時代』,1794年)。もっとも,これらの醜悪な態度や行為の一つ一つが聖書を根拠に断罪され,またある場合には聖書そのものの中で断罪されてきたのも事実である。こうしてみると,聖書は影響力の強い書物であり,異なった理解が可能なだけではなく全く反対の使い方をされる可能性のある書物である。そうだとすると,聖書はどのような意味で神の言葉であると言えるのであろうか。 「はじめに」の先頭へ戻る

神の言葉と神の民

 聖書は神が口述筆記させた書物で,何事についても一切の誤りを含まないという意味で神の言葉なのであろうか。つまり,術語を用いて言えば,聖書は「無謬・不謬」であろうか。ともかく,聖書には事実についての誤りがあると誰もが認めるのであるから,これらの用語は聖書にはいかなる誤りもないという意味ではありえない。もっとも,誤りについてはそれなりの説明が可能であろう(誤りの例やそれについての説明は,巻末文献52を参照)。科学や歴史も含めてすべての問題に,聖書は無謬であり不謬であると強力に主張したチャールス=ホッジ(1797~1878年)でさえ,誤りがあることを認めている。「懐疑主義者は事実についての誤りを捜し出してくるが,全体から見ればとるに足りない。分別ある人はパルテノンの構造の所々に砂岩の粒を見つけても,それが全体として大理石でできていることを否定しない。聖書のような書物についても,ある箇所では2万4千人が殺されたと書き,別の所では2万3千人が殺されたと書いてあるからといって,その霊感を否定するのは理にかなったことではない(Systematic Theology, 1871, vol.I, p.163)。しかし私たちがしてはならないことは,砂岩の粒の部分にペンキを塗って,大理石のように見せかけることである。むしろこうした砂岩の粒こそ,決定的に重要で啓発的な真実を私たちに語りかけるのであり,聖書は,ある時代の人間の制約された知識にもかかわらず成立したのでも,歴史の発展過程に反して成立したのでもなく,むしろそうした制約や過程を活用する中から成立した,ということを明かしてくれる。つまり,神は歴史や人間をとりまく環境を回避せず,むしろ一つの民が成長し成熟するのを手助けするためにそれらを用いたのである。神は人間が理解し適応できるように,それらの名と性質を教え,こうして人間はそれらが忠実で役立つものであることを知ったのである。  これを親子関係にたとえてみよう。親であれば誰でも聖書がどのようにして成立したかわかるはずだ。親は子どもたちの成長を望んで,年齢や理解力の発達段階に応じた手助けをする。賢明な親は,3歳の子が物理学の教科書を書いたり,サッカーのボールを蹴ったりしなければ将来モノにならないなどと考えたり,それを強制したりはしない。むしろ子どもと一緒にボールを転がして遊んだり,「空はどうして上にあるの」とか「どうしてお湯は沸くの」,「どうして良い子じゃないとダメなの」というような問いに答え(ようとす)ることから始めるに違いない。親は子どもの好奇心を引き出し,生きることの喜びを体験させ,悪を行ったり他人を傷つけたりすることを喜ばない心を育てようとする。そのために親は,成長の過程のあらゆる段階で子どもがするすべての努力を喜び見守る。子どもが詩を書いたり,歌を歌ったりする努力がどのように稚拙なものであっても芽を摘むことはしない。家庭のビデオや録音テープは偉大な芸術作品ではないが,親にとってはかけがえのない貴重な記録であり,消してしまおうとは思わない。  聖書はこれによく似たプロセスを経て成立したものである。千年以上の時間をかけてでき上がった聖書は,単一の書物ではなく,賛美(歌)や歴史(書),詩歌,法(律),祈りなど,一つの民が受け継いできた神に関する文書を集めたものである。イスラエルの子ら,ヤコブの子孫たちは神の理解においても,いかに生きるべきかという生の理解においても成長した。彼らが理解したことを書いたり言ったりして説明しようとした初期の試みは,その後の段階から見ればはるかに幼稚なものであったにもかかわらず,破棄され消去されることはなかった。神と共に生き,また一つの民として共に生きる人々が,「親」として彼らを保護する神の本性についてより深く理解し,より賢明な理解に達した結果,早い時期に書かれたものと後に書かれたものとの間に矛盾が生じることがあっても,早い段階のものも尊重され大切に保存された。このような理由で,聖書では神を母として,また父として表象することがきわめて重要なのである。「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。/母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。/たとえ,女たちが忘れようとも/わたしがあなたを忘れることは決してない」(イザヤ49:15)。  このように,聖書は時代や環境と何の関係もないかの如く世に射ち込まれた魔法の銃弾のようなものではない。聖書は一つの民の記録である。この民は神と自分自身について学び成長をするという神との長きにわたる関係に招き入れられた。この関係は後に「契約」(60~61頁参照)と呼ばれるようになり,キリスト者は聖書を旧い契約と新しい契約と呼ぶ。長く続いたその関係の記録の中で,後代の「契約の民」は初期の伝承を大きく超えていったが,契約についての古い表現も保存された。神は世の親が子を導くように民を導いたが,それは過ちを犯さないための保護ではなかった。ジョン=ゴルディンゲイは『聖書のモデル』(文献333)で聖霊の働きについて書いている。「聖霊は人間性の特異性を回避しようとせず,むしろ利用しようとする。神が人の言葉を通して働かれるからといって,人が完全である必要はなく,人間の言葉が生硬さや文法的破格から洗練されて均整美の模範のようになる必要もない。神は人間的には欠けの多い器を通してさえ語りうる備えを持たれ,彼らの奇抜ささえ害となるよりは利益となると信じるおおらかさを備えておられる。神の恵みとはそうしたものである」(Models for Scripture, 243頁)。 「はじめに」の先頭へ戻る

聖書の順序

 次の2点が重要である。第一に聖書は破綻のない進歩の記録ではない。イスラエルの子ら,契約の子らは,世のどの子らとも同じく道を踏み外し,過ちや悪事に堕ちていく。彼らの非凡さと言えば,それらの堕落の道を,幻や真理に至る輝かしい道行きと同様に注意深く記録したことである。彼らは平坦な道を歩いたのではない。険しい道を歩みながら彼らは学んだのである。第二に聖書は歴史の年代順に書かれているのではない。聖書で最初に書かれた言葉が創世記1章1節であったわけではない。新約聖書の中で最初に書かれた部分もマタイによる福音書ではない。聖書を読む時には,それぞれの文書がどのような時代のどのような状況の中で成立したのかの概要を理解するのが賢明である。[聖書の]編集者たちは何世代にもわたり父祖から受け継いだ言葉を転じて自身の時代の状況への批判にむけ,この結果,聖書の多くの部分が長い年月にわたって編集された。こうした営みこそ彼らに特異なものであった。彼らは過去の言葉が歴史的意味しか持たないとは考えなかった。彼らは過去の言葉を通して神は今彼らに語りかけていると考えたのである。既にホセア(11:1-4,12:1-2)やミカ(6:3-5),エレミヤ(4:23-28)などの預言者が,多くの詩編記者と同様に,現在の世界を理解するために過去を利用している。新約聖書においては,イエスも各文書の記者たちも現在に対して権威ある言葉として(ヘブライの)聖書を引用している。 「はじめに」の先頭へ戻る

霊感

 「砂岩の粒」の部分があるということは,聖書は部分的にしか霊感を受けていないということを意味するだろうか。あるいはより強く霊感を受けた部分と霊感の弱い部分があるということだろうか。そのようなことではない。聖書のすべての部分が,等しく「親」としての神の保護のもとにでき上がったものであり,すべての部分が珍重される。聖書はそこに書かれている言葉が初めどのように語られたか,あるいは書かれたか,また保存されたかについて,ほとんど語らない。?Uテモテ3:16では,聖書について「テオプネウストス」というギリシア語が用いられている。これは直訳すれば「神の息が吹き込まれた」という意味である。「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ,人を教え,戒め,誤りを正し,義に導く訓練をするうえに有益です」これは「神の霊感を受けた一つ一つの文書は,…有益です」と訳すこともできる。預言者たちは,神によって息を吹き込まれたという描写が最もよく当てはまる代表的な人々(時に女性もいた)である。彼らは神に「捕えられ」代弁者とされた。最も有名なのはエレミヤの場合で,彼は自分のうちに神の言葉が手のつけようのないほどに燃え盛る火のようになったという。「主の名を口にすまい/もうその名によって語るまい,と思っても/主の言葉は,わたしの心の中/骨の中に閉じ込められて/火のように燃え上がります。/押さえつけておこうとして/わたしは疲れ果てました。/わたしの負けです」(エレミヤ20:9。詩編39:3-4参照)。預言がこのように神によって直接に霊感を受けて(吹き込まれて)なされるものという理解は?Uペトロ1:21にも言い表される。「預言は,決して人間の意志に基づいて語られたのではなく,[男女の]人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです」(「…聖霊に導かれて神の聖徒たちが語った」とする写本もある)。  聖書が神の息を吹き込まれた書物である,とは以上のようなことである。ラテン語の「インスピロ」は「私は息を吹き込む」を意味し,英語の「インスピレーション」はこの語からつくられた。しかしユダヤ教徒やキリスト者は預言者の書だけでなく,聖書のすべての文書が霊感を受けていると信じる。ユダヤ教徒は伝統的にヘブライ語聖書を三つの部分,五書,預言者,諸書(22~23頁参照)に分け,霊感の度合いに区別を設けてきた。トーラーはまさに神の言葉そのものである。預言者[の書]は預言者を媒介にした神の言葉である。諸書は聖霊のより直接的でない霊感によって書かれたものである。キリスト者は聖書全体が均等に霊感を受けたものであると信じる。J. W. バーゴン(1813~1888年)は「聖書の一つ一つの文書,一つ一つの章,一つ一つの節,一つ一つの言葉,一つ一つの音節,一つ一つの文字が至高者の口から直接に出てきた」(Seven Sermons, 1851, 69頁)と言う。 「はじめに」の先頭へ戻る

テクストと伝承

 このような主張は大変誤解されやすい。聖書は歴史から遊離したものではなく,歴史の中に浸っていることを思い返そう。聖書のテクスト(「聖書のすべての文字」)にしても,もともとは何者が語りまた書いたのか私たちにはわからない。書かれたテクストは長い年月をかけて伝えられ,多くの異文異読があるからである。確かにテクストはその本質からして変化しにくい。イザヤ書の写本がクムランの洞窟で発見された(290頁参照)が,それは約千年後にマソラ学者たち(資料編参照)によって確定されたテクストと驚くほど似ていた。それでも重要な異文があり,私たちには元のテクストがどうなっていたのかを知ることができない。異文は,時には写字生の誤記により発生し,時にはテクストそのものやその教えを明瞭にしようとして,意図的に変更したことによっても発生する(文献268,275,807を参照)。また時には,例えばエレミヤ書のテクスト原文をめぐって(206頁参照),あるいは使徒言行録の西方テクストをめぐって,大きな相違が生じる。一つの水源(著者自筆の原稿)から多くの異なる流れが分岐し,いくつかの系統のもとに分かれ多くの異文を含む写本ができ上がる。もしすべての文字が神の口から直接に出たものだとすると,どの異文が神の口から出たものなのだろうか。  ユダヤ教徒もキリスト者も,聖書にどの文書を入れるかを定めるのに,長い年月を必要とした。またその決定にあたっては,どの文書が霊感を持つかの判断にはよらず,むしろ各々の共同体においてどの文書が神に由来する権威を持つべきかという判断によった。こうしたことを考えると,先に述べた意味で霊感をとらえることは難しくなる。(189頁,474~475頁参照)。 「はじめに」の先頭へ戻る

聖書の権威

 神が聖書の「著者」であると考える場合に,手掛りとなるのは「権威」という言葉である。著者(author)と権威(authority)とは,それぞれラテン語のauctor,auctoritasに由来し,互いに密接な関係がある。ルーイスとショート編のラテン語辞典によるauctorの定義は一見わかりにくいが,実際には非常に有益であることがわかる。auctorとは「ものを創り出す人,また自分が最初に創出するか否かを問わず,ものの増加または増勢をはかる人,あるいは自分の努力によってものに永遠性ないし持続性を与える人」のことである。これは聖書全体から理解される「創造」の最上の定義である。  これから権威(auctoritas)の定義も出てくる。それは基本的には創造者・著者(auctor),つまり何かを創り出す人,発明する人に関連する。そして意見,忠告,励ましなども意味する。それは重度すなわち重要さを意味し,力を意味する。これは我々が権威について持つ感覚と同じである。何かを創り出す力は,その創り出したものを監督後見する権利,「生みだし保持する(authoring)」責任を意味する。  神は万物の創造者で著者(auctor,author)である。神は何ものによっても創られず,存在するすべての創造者であり,この創造のわざのすべての瞬間・すべての場面において存在を支え続ける。神なしには私たちはここにいない。民が成長して成熟の域に到達することを願いながらも,民が迷った時でさえ強制的な力を用いず,(前述したように)親のように育み,信仰の協力を得て神は言葉を呼び起こし,今日聖書として存在する言葉を創り出したのである。神はこれらの言葉を書き,語り,編集し,保存した人々の生命の源泉であることによって,これらの言葉の源泉なのである。イスラエルの子らは物語の素地となりうる多くの経験(王制,祭司制,預言活動,時には戦争やそれ以上の困難さえも)を受け継ぎ,長い試練の時を経て神への信頼に生きたがゆえに,彼らが触れたすべてのものを驚くほど違った何物かへと変質させていったのである。(具体的例については,文献122の31~96頁を参照)。  神に従う共同体の中で生きた人々の生活を通して,神は真の源泉であり,換言すれば,彼らが書き,保存した言葉の著者なのである。神はこの意味でこれらの言葉の著者(author)であり,だからこそこれらの言葉が権威(authority)を持つのである。これらの言葉は神の創造者・著者としての働きが人間の生活の中で今も継続するための手段である。それゆえ,これらの言葉によって常に新しい違った物語,聖性と愛の物語が語られるのである。神はこれらの言葉によって,個人としても共同体としてもこの世にあって神の物語であろうと努める私たちの生の絶えざる物語の著者であり,あるいは控えめに言っても共著者の一人である。こうした意味でこそ聖書は神の言葉なのである。私たちが聖書を読むのは,魔女を焼き殺したり,人を奴隷にしたり,女性を従属させたり,同性愛者を断罪したり,ユダヤ人を殺害したりする認可を聖書に求めようとするからではない。これらの行為や態度はすべて,聖書の中から一つのテクストだけを抜き出してそれぞれの事態に適用することによって,そして聖性と愛を創造しようとする神のより大きな目的を無視することによって正当化されてきた。聖書がそのような聖性と愛の創造に結びつかず,逆に共同体と共同体の間の憎悪と暴力や破壊を生み出すなら,聖書は悪用されているだけである。はるかによい別の読み方がある。私たちは神の諸々の言葉に接する中で大文字の「神の言(the Word of God)」に出会うために聖書を読む。そして神を礼拝し世に仕える聖なる民とされるために聖書を読むのである。 「はじめに」の先頭へ戻る

聖書の意味

 このような方法で聖書を読む時には,別の人の理解を参考にしながら読み,聖書解釈を個人的意見にしないのが賢明である。本書を利用するのも一つの方法だろう。自分の理解は不完全であることを自覚して,常に謙虚な態度で読まなければならない。聖書が何を意味するのか,その完全な理解,最終的な理解に到達することは不可能である。奇妙に聞こえるかもしれないが,つまりこういうことである。聖書はヘブライ語とアラム語とギリシア語で書かれ,どの文や語句をとっても複数の異なった訳が可能であり,そのいずれもが正当であり,正確である。例えばキリスト教史においてきわめて重要な役割を果たしたローマ5:12をとろう。「このようなわけで,一人の人によって罪が世に入り,罪によって死が入り込んだように,死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです」。この「からです」はギリシア語で「eph ho-」である。簡単そうに見える。しかしJ.A.フィッツマイヤーはこの2語のギリシア語には11通りの訳の可能性があると書いている(『ローマ書註解』)。どれをとるかでこの節の意味も変わってくる。翻訳は解釈である。「テクストの意味」なるものがあって,それを探し当てるというのではない。「著者が意図した意味」さえもない。これはテクストの問題や翻訳上の問題があるからだけでなく,テクストの意味は著者が意図したものに限られるわけではないからである。著者は,特に詩人の場合は,意図したこととは別のことを書く場合がある。さらに,私たち読者が著者の意図した以上の意味を読み取ることも多い。  こうした理由をすべて考慮に入れると,私たちの前にある聖書のテクストは一つの機会を提供するだけである。それは,今ここで特殊な状況下に生きる私たちに対して,一つの言葉の持つ意味を神が開示する機会となる。私たちは解釈のいろいろな可能性の中で,絶対に違うということのできるものもある(例えば,上記eph ho-を,すべての人が罪を犯す「ためです」と訳すのは間違っている)。しかし一つ一つの言葉や文が何を意味するかを最終的,決定的に知ることはできない。 「はじめに」の先頭へ戻る

聖書を祈る

 聖書は好奇心から読むこともできるし,面白い物語として読むことも,単なる娯楽として読むこともできる。しかし多くの人は聖書を神の言葉として読み,祈りの出発点として読む。聖書をそのように読むことによって,理解にどのような違いが生じてくるだろうか。聖書はいわば「実用書」である。それは料理の本に似ている。読むだけで済ませることもできる。しかし説明通りに料理を作って,でき上がったものを食べるのでは全く違う。聖書は遠い過去の人々と語り交渉を持った神についての書物であるかに見える。だが聖書は,神の語りかけや交渉を現在に生きる人々にまで及ぼすための手段である。例えば聖書には,詩編やイエスが弟子たちに教えた祈り(333頁参照)は無論のこと,多くの祈りが記録されており,私たちはそれらを自分の祈りとすることができる。それどころか聖書は私たちが今,神と出会う場所となり,神が私たちの生き方を変化させるために訪れる場所ともなる。それによって生き方が変えられる。聖書には終わりがあるが,神にはない。第二ヴァチカン公会議の文書「ヴェルブム・デイ」(神の言葉)は,神は聖書において私たちと「憐れみ深い愛をもって」出会い,「語り合いを始め給う」と述べる(6:21)。  しかしどのように始めたらよいのか。それは,昔の人々が神殿の中で神と共にありたいと強く願ったように,今目の前にある聖句を通して神と共にいたいと,強く願い,憧れを持つことである(詩編84編)。聖句を一つ選び(選び方については文献710,またはその巻末の聖書日課表を参照),それを神との対話を始める手掛かりとしてみよう。一つの聖句を読むと,怒りや幸福や恐れ,希望や信頼などの感情が私たちのうちに生じる。時間をかけてその聖句を読み,その聖句が何を私たちに語りかけてくるか,我々のうちから何を引き出そうとしているかを聞き取るようにする。その言葉に感激して,その言葉を歌ったり,踊ったりしたくなるかもしれない。詩を書いたり絵を描いたりしたくなるかもしれない。ただその聖句を暗唱し,心のうちに納めるだけかもしれない。想像を通してそこに展開する物語のうちに入りこみ,神と出会おうとするかもしれない。私たちがその場にいるものと想像してみよう。当時の場面でなく,現在の私たち自身の世界でよい。傍観者の一人としてではなく当事者の一人になってみよう。その上で私たちに何が語りかけられているのかを聞き取ろう。神が語ろうとしていることを聞き取るには時間がかかるかもしれない(聖書に登場する人物にしてもそうであった)。何度もテクストに戻り読み直し,見ることと聞くことに加えて,味や感触,においなどの感覚も動員してみよう。その時に神は昔から人々に語りかけてこられたように,今や,私たちの生活の中で語りかけているのである。  聖書に書いてあることは物語ばかりではない。その他の箇所からも一つの聖句をゆっくりと何回も,できれば声に出して読んでみよう。そうするうちに同じ一つの文,一つの句,一つの単語が際立ち,頭から離れなくなるだろう。その文や単語に留まり繰り返し読んでみよう。そして,怒りや喜び,あるいはその他の感情の中にあっても,あるがままの自分で神に応え,神がその言葉を通して何を語っておられるのかを聞き取ろうとしてみよう。あるいは単に神の前に静まり,その言葉を通して神を待ち望むのもよい。その言葉,聖句を心に留めて一日を過ごせば,神はずっと共におられるだろう。「あなたの御言葉は,わたしの道の光,/わたしの歩みを照らす灯」(詩編119:105)とある通りになるであろう。  こうしたことを統御する何かがあるのだろうか。語りかけているのが確かに神であると,ただ独り言を言っているのではないと,なぜ言えるのだろうか。それを保証し,支配するものが存在するからである。つまり,それは聖書そのものである。もしそもそも聖書の言葉を通して人々が神を見いだし,また神に見いだされるという経験がこれまでになかったなら,聖書をかたちづくる誠実で洞察に満ちた言葉,怒り,励まし,探し求め,希望を与える言葉など存在しえなかったはずである。こうした言葉をまとめた書物は,全体として,聖書を除いては世界のいかなる場所にも,いかなる宗教にも,いかなる文学にも求められない。聖書を全く類例のない書物にしているのは神であり,最も控えめに言っても人々が神に対して持つ信仰である。この信仰を共有すれば,事実は明らかになるだろう。宗教改革者カルヴァン(1509~1564年)はこう言っている。「聖書によって神を救い主として知る知識に至るためには,聖霊の内的な説得に,聖書の確かさが基礎づけられさえすれば十分なのである」(『キリスト教綱要』,1.8.13)。神に出会うか否かを決定するのは,このことである。もし聖書を祈っても,神および隣人との聖なる関係,愛の関係に導かれないとするならば,我々は心をより広く開き,注意力を研ぎ澄まして祈らなければならない。また自分一人で生きているのではないことを覚えよう。聖書は共同体の中で,典礼の中で,シナゴグ(会堂)や教会での礼拝の中で読まれ,祈られる。聖書に記された遠い過去の,往々にして奇妙に思える世界の言葉が,私たちの今日の生活に入りこみ,それによって生活が明日に向かって少しでもよりよく変わっていくことを願ってやまない。 「はじめに」の先頭へ戻る


ノアと大洪水

 創世6-9章には2種類のノアと洪水の物語が巧みにつなぎ合わされている。ノアの時代に人口が増加し,悪や非行も増加した。神は不道徳があまりに蔓延したため人間を造ったことを悔い,地上から生き物を一掃することにした。ノアだけは神の特別の扱いを受けた。神は彼に箱舟を造り,妻と子どもたち,それにすべての清い鳥と動物の七つがいずつ(清くない動物は一つがいずつ)を収容するように命じた。洪水が起こり,40日続いた。水が引き始めるとノアは烏と鳩を偵察に飛ばした。初め烏と鳩は降りる所を見つけることができずに戻って来た。その後鳩がオリーブの枝をくわえて戻って来た。ノアは箱舟から降りるとすぐに祭壇を築き,神に犠牲を献げた。神はその香りを喜び「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。…地の続く限り,種蒔きも刈り入れも/寒さも暑さも,夏も冬も/昼も夜も,やむことはない」と言った。そして神はノアと契約を結んだ。虹が契約のしるしとして用いられた。それまで人々は野菜しか食べなかった。これ以後,彼らは肉を食べることも許された。ただし血を含んだ肉を食べることは禁じられた。物語は,ノアがぶどうを発見し,それから作った飲料を飲んで失態を演じることも語る。ノアは飲み慣れないものを飲んで酔いつぶれテントの中で寝てしまう。ハムはそれを見つけてセムとヤフェトに知らせた。ハムは父親の裸を見たことで呪われる。他の2人は後ろ向きにテントに入り裸を見ないように気をつけた。その結果,ハムの子孫つまりカナン人は,セムとヤフェトの子孫に奴隷として仕えることになった。ここに二つの原因譚が語られている。ぶどう酒作りの起源およびそれに伴う遊牧生活から農耕定住生活への移行と,後代になって存在した諸民族間の上下関係の起源についてである。  ノアはレメクの子であり,レメクはアダムの9代目の子孫(セトを通して)である。ノアはアダムの死後に生まれた最初の子である。大地に対する呪いはアダムが生きているかぎり続いた(創世3:17)から,呪いが解けて最初に生まれた子である。ユダヤ教の伝承でもキリスト教の伝承でも,ノアは第一の始祖(アダム)の子孫が滅ぼされた後の人類の第二の始祖と見なす。ノアは950歳になって死んだ。彼は非常な高齢まで生きた「洪水前」世代の最後の人物であった。

ノア契約

 聖書全体を通して,神とノアの契約は神による世界修復と癒しの業の最初のものである。神は人間を創造したことを悔いた(創世6:6)が,今やノアとその子孫たちを祝福する。また彼らがある条件を満たすなら,さらなる祝福を与える約束を結ぶ。神はノアとの間に結んだ契約のしるしとして虹をかけた(創世9:1-17)。この契約は後にイスラエル民族だけでなく,万民を対象とするものと解釈されることになる。10章でノアの子どもたち(セム,ハム,ヤフェト)がすべての民族の始祖となるからである。したがってノアは「第二のアダム」と見なされることもある。この契約,万民を対象とする契約は後のユダヤ教,キリスト教においてノア契約と呼ばれる。それには七つの戒めを含むと考えられた。これらの戒めは写本によって数え方が異なる。それは創世記のこの箇所だけでなく聖書の他の箇所で,異邦人(非ユダヤ人)に対しても正義を守って生きるよう命じる記述も含むからである。一般には次の7項目が挙げられる。司法制度の確立,偶像礼拝の禁止,冒の禁止,殺人の禁止,姦淫および近親相姦の禁止(これらは一つに数えられ,しばしば性的不道徳一般の意に解される),盗みの禁止,そして生きた動物からそぎ取った肉を食べることの禁止である。これらの戒めを守っている異邦人は既に神との契約のうちに入れられており,「来るべき世界」(オラム-ハバー)に入るためにユダヤ教に改宗する必要はない。ユダヤ教徒は613か条の戒め,およびトーラーの禁止令を守る特別の召命を受けている。それは,彼ら自身のためでも彼ら自身の利益のためでもなく(義なる異邦人も同じ地位にあるのだから),世界全体の利益のためである。それは世界全体に,神の導きのもとに生きること,トーラーに従って生きることがどのようなものであるかを示すためである。キリスト教の成立の最初の段階で,トーラーに含まれる律法のどれだけが新しい契約に引き継がれるべきかという問題をめぐって大きな決断がなされた。使徒15:20に伝えられる決定は,ノア契約をめぐる考察の結果であろう。


祖先たち

 創世記は11章のバベルの塔の物語の後,イスラエルの歴代の祖先たちの物語をたどり,エジプトにおける奴隷状態の原因を語る。アブラムは神に呼び出されカナンの地に移る。この地は彼の子孫である偉大な国民の土地として約束される。アブラムは甥のロトと妻サライを伴って旅立った。彼と妻サライとの間に息子イサクが生まれる。イサクの息子ヤコブが相続権を獲得し,祝福を受け継ぐ(40~41頁)。最後にヤコブの息子たちがイスラエルの十二部族の始祖となる。アブラム,イサク,ヤコブの物語はまとめて「族長物語」と呼ばれる。  神はアブラムに,彼を偉大な国民の祖先にし,カナンの地を彼の子孫たちに与えると約束した(創世12:2-3)。この約束は創世17章でも,それ以後の世代が割礼を受けることを条件に再確認され、アブラムの名はアブラハムに変えられた。同様の約束はイサクにも(創世26:3-4・24),ヤコブにも(創世28:13-15)与えられる。これらの物語は明らかにイスラエルの民の存在が神の意志と計画の実現であることを示そうとしている。

物語の年代確定

 これらの物語は,シナイ山における契約締結以前のイスラエルと神との関係を描く。つまり祖先(族長)たちは,後のシナイ契約の条件として決められた教えのすべてに対して義務を負っているわけではなかった。しかしいわゆる「族長物語」にはごく大ざっぱながらその問題に関係する物語もいくつか含まれており,その中には互いによく似たものがある(創世12:10-20,20:1-18,26:7-11など参照)。これらの物語はおそらく既存の成文資料または口伝資料から構成されたと思われる(五書の構成については22~23頁を参照)。「族長物語」はイスラエルの民の存在だけでなく,イスラエル人とやはりアブラハムを始祖とする他の諸民族との関係も前提にしている。したがって物語の基本構造ができ上がるのは前1千年紀より前ではありえない。もちろん個々の物語のいくつか,あるいはその全部がそれ以前にでき上がったものであり,その当時の歴史を反映しているということは充分にありうる。

物語と歴史

 20世紀になって,祖先たちを古代近東の歴史の時代や事件と結びつけて,「族長時代」を確定しようする試みが盛んになされた。そのために祖先たちの名や習慣に類似するものを近東の歴史の中に求める方法が一般にとられた。そうした研究の結果,祖先たちは前19世紀頃から前15世紀頃にかけて生きたとされた。その頃「ヤコブ」という名が広く知られていた。また妻に子が生まれない場合,妻の女召使いに夫の子を産ませるという習慣があったことも,ヌジ(前15世紀頃のメソポタミア北部の都市)から出土したフリ人の文書から判明している。学者の中には「アモリ人」(その言語はヘブライ語に非常に近い)と呼ばれる遊牧民がシリアおよびパレスチナに大挙移動して来たとされる事件と「族長物語」とを結びつける者もいた。

現代の解釈

 今日多くの学者たちはより慎重になっている。厳密に調べると,祖先たちの名や習慣は単一の時代に限定されない。類例は前20世紀と同じくらい,前7世紀、前6世紀にも見つかる。アモリ人侵入仮説をとる学者は今日ほとんどいない。またヌジの並行例の多くも,かつて考えられたほどには祖先たちとの関係が密接でないことがわかってきた。しかし「族長物語」の個々の物語をとってみれば,明らかに古代近東の実際の歴史を背景にしたものであることが明らかである。ただし,どの時代であるかを特定することはできない。創世14章のように特定の名や事件が出てくる場合は,物語の背後に歴史的事件があったと考えられるが,ある重要な物語を語るためにいくつかの出来事が組み合わされ,編集し直されてでき上がったものだろうと理解される。

祖先たちと聖書

 「族長物語」が現在のかたちになったのは,おそらく王制導入(前10世紀)からバビロン捕囚(前6世紀)にかけての時代であろう。後代の契約と律法はまだなかっただけでなく,祖先たちは時にいかがわしい行動にも及んでいたにもかかわらず,物語の中で祖先たちが好意的にとらえられていることは注目に値する。例えばヤコブが父親をだまして,エサウに与えられるはずの祝福を盗むようなことをしている(創世27:18-29)。これらの物語は約束の地で神との新しい契約関係に入ったイスラエルにとって,過ぎ去った時代のことを語ると見なされていたのだろう。祖先たちは聖書において単なる「古代史」として登場するのではなく,後代のイスラエル国家の予型としても登場する。


新約聖書における奴隷制

 奴隷制はローマ帝国のかなめであった。地中海周辺諸都市の人口の3分の1は奴隷であった。他にかつて奴隷であった人々やその子孫もいた。ローマとイタリアではこの比率はもっと高く,おそらく人口の80~90%が奴隷であった。古代国家の経済は奴隷なしには動かなかった。本来は戦争で負けた側の人々が奴隷にされ,それによって人口に占める奴隷の比率が保たれていたが,1世紀頃になるとその比率はおもに奴隷の身に生まれた子供たちによって占められた。

奴隷の地位

 奴隷制は現代世界では忌避されているが,古代世界においては非道徳的,非人道的制度とは考えられていなかった。その点を理解しておくことが重要である。奴隷は単に経済階層の最下位に位置したにすぎず,その仕事はちょうど19世紀,20世紀の西欧の経済において移民労働者が担ったものに相当する。奴隷は必ずしも下層階級の出身ではなかったし,全く無力であったわけでもない。高い階層の人でも借金を返せない場合には最後の手段として奴隷になった。奴隷はあらゆる職業についていた。行政や商業の重要なポストから,ガレー船のオール漕ぎ,農園,道路工事,鉱山における労働まで,職種は多様であった。高度な教育を受けた奴隷もいて,このような奴隷にはたいてい子供の教育が委ねられた。また奴隷は慈悲深い主人による解放を期待できたし,その場合には多くの奴隷は30歳になる頃には解放された。奴隷は収入を得ることも,それをためて自由を買い取ることもできた。  しかし,奴隷と自由人との違いは教養ある人々(の精神)にとっては根本的な違いだった。奴隷とは「自分自身に所属するのではなく,他者に所属する」(アリストテレス)者,「拒否する権利を持たない」(セネカ)者と定義される。キケロはこの対照を力強い言葉で表現した。「奴隷制ほど醜悪なものはない。我々は栄光と自由のために生まれてきたのだから」と。パウロはローマ8:21で,キケロの言葉を反響させて,全被造物の切望する自由について語る。自由または解放(別掲記事参照)は奴隷誰しもの目標であった。解放されても,元の主人の庇護のもとに入ることが多かったので,暮らしは苦しくなるのが普通だったが,それでも彼らは自由を望んだ。

キリスト者の姿勢

 キリスト者も奴隷を所有した。ビクトリア時代の家庭に召使いがいたのと同じである。新約聖書,特にパウロの手紙では奴隷の存在は当然のことと見なされている。奴隷制そのものは原則論としても,キリスト教的にも反対すべきものとは考えられなかった。それをおかしいと思う人は,現在の西欧世界において,労働者は団結して政治的権力を行使できるという,古代社会では夢想だにされなかった制度があるにもかかわらず,労働市場の最底辺の上に自由市場が機能するという原則が広く受け入れられていることを思い出すべきである。  しかしさらに驚くべきことは,パウロの手紙では奴隷たちが教会の会員として直接に語りかけられている点である。パウロは明らかに彼らを教会の正式の会員として認めていた。奴隷たちは例えばコロサイ書(3:22-4:1)では彼らの主人たちと並んで厳しい勧告を受けている。これは当時としては異例のことである。そのような文脈では,主人だけが相手とされるのが普通であった。「奴隷も自由な身分の者もない」(ガラテヤ3:28,Iコリント12:13)という原則は口先だけのものではなかった。確かに違いを廃棄し,奴隷制を廃止するということではなかったが,神との関係および会員相互の関係においては奴隷と自由人との違いはもはや意味を持たないから,その違いの重要性を廃棄するということではあった。  パウロの意図は,社会制度の拘束の中でその制度を公正に運用し,苛酷さを愛によって緩和する点にあった。パウロはキリスト者である奴隷に,奴隷も自由な身分の者も共にキリストに所属し,それが最も重要なことなのだと語る(Iコリント7:21-22)。キリストの関係が第一で,他の関係は相対化される。フィレモンへの手紙でも,パウロは,感情を傷つけられた逃亡奴隷オネシモと傷ついて悩む主人フィレモンとを和解させようとして「もはや奴隷としてではなく,奴隷以上の者,つまり愛する兄弟として」(16節)受け入れるように勧告する。また「主イエスに対する」関係がすべてのことを決定し,奴隷は真心から主人に仕え,主人は奴隷を「正しく公平に」扱うべきであるとパウロは考えていた(コロサイ3:22-4:1)。  パウロが奴隷のイメージから叙述上の積極的な示唆を受けていることも忘れてはならない。パウロはキリスト者とキリストの関係を奴隷と主人の関係になぞらえた。福音は人間を罪への奴隷状態から解放した。人間は神への絶対的依存関係に置かれることによって,神の被造物としての可能性を充分に開花させることができる。この関係が奴隷のイメージによって力強く表現される。


テサロニケの信徒への2通の手紙

 パウロと同労者シラスとはマケドニア州のテサロニケで宣教し,最初の教会を設立した。パウロはそこを去って数か月して,第一書(Iテサロニケ書)を書いた。テサロニケでの働きを回顧し,彼らの信仰がその後も強められたことを喜び,再び訪ねたいとの希望が述べられる。イエスの再臨以前に死ぬキリスト者はどうなるのかという問いにも答えている。  第二書(IIテサロニケ書)はその数週間後に書かれたと思われる。キリストの再臨に備えて聖なる生活をするように勧め,再臨の前に起こることについて警告を与える。これら2通の手紙はキリスト教の文書の中でもおそらく最も古いものであり,成立しつつあったキリスト者共同体の,若々しく喜びに満ちた信仰の姿を今日に伝える貴重な文書である。

テサロニケの信徒への手紙一(Iテサロニケ書)

 使徒17:1-9によると,パウロはフィリピからエグナシア街道を通ってテサロニケ(現在のギリシアのサロニカ[テッサロニキ])へ行った(396~397頁)。そこに数週間滞在してユダヤ教の会堂でキリストの福音を説いた。パウロの教えを信じるユダヤ人が出たが,反対するユダヤ人もあり,群衆を扇動して騒ぎを起こしたので,逃げなければならなかった。この記録は?Tテサロニケ書の記述ともほぼ符合する。テサロニケの教会について「あなた方はひどい苦しみの中で,聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ」(1:6)たと書かれ,会員の大多数が異教から改宗した人々,「偶像から離れて神に立ち帰り,生けるまことの神に仕えるようになった」(1:9)人々であると書かれる。パウロはテサロニケで充分活動できずに追い出された。何度か再訪を試みたが,そのつど「サタンに妨げられた」(2:18)と言う。パウロは代わりにテモテをアテネから派遣して,テサロニケのキリスト者たちが新しい信仰をどう前進させているかを知ろうとした。テモテが戻りコリントでパウロに合流した時,テサロニケの教会がパウロの去った後も,単に持ちこたえただけでなく,より盛んになったと報告した。この良い知らせを聞いて喜びに満たされて書いたのがこの手紙である。  ?Tテサロニケ書は内容の大半が良い行動への激励である。パウロは教会に性的不道徳を避けること,調和し生き生きしたキリスト者共同体をつくるように励ます。また当時のテサロニケ教会を悩ましていた一つの問題も取り上げる。それは仲間のキリスト者の死をどう受け止めるかということであった。パウロの説明は,復活のキリストが再び戻って来られるという教えに基づいている。死んだキリスト者はキリストが戻って来られる時,イエスと同じように復活するのだという事実によって慰めを得るようにパウロは教える。生きている者も死んだ者も「いつまでも主と共にいる」(4:17)のである。パウロは,キリストの再臨は,期待をしていない者には前触れなしに起こる突然の出来事であるが,キリスト者はそれを準備して待ち,身を慎んでいるようにと勧告する。

テサロニケの信徒への手紙二(IIテサロニケ書)

 学者の中にはパウロが著者であることを疑う者もいる。内容は第一書に近いが,1:5-12は罰を強調し,2:1-12では第一書でその必要がないとして書くのをやめた黙示録的詮索に詳しく立ち入っている。しかし,パウロは第一書に書いたことが期待した効果を持たなかったので,第二書のように書いたのだろう。そうだとすれば第二書は第一書の数か月後,テサロニケのキリスト者の間に「主の日は既に来てしまった」(2:2)という誤解が生じたので,それを訂正するために書かれたことになる。主の日は,「不法の者」(おそらく反キリストのこと,445頁)が現れ,自分が神であると主張して神をし,キリスト者をだまそうとする,そういうことが起こるまでは来ない,とパウロは言う。キリストは再臨するとキリスト者に報い,信じない者を罰し,自分を神とする者を滅ぼす。「その時が来ると,不法の者が現れますが,主イエスは彼を御自分の口から吐く息で殺し,来られる時の御姿の輝かしい光で滅ぼしてしまわれます」(2:8)。テサロニケのキリスト者は召命にふさわしく生き,信仰を守り,聖なる生活をするように勧告される。キリストが今すぐにも再臨すると考えて働くことをやめてしまった人々は,パウロを見倣うように,そして自分で働いてパンを得るように勧告される。  パウロはこれら2通以外の手紙では,これほど明瞭かつ具体的にキリストの再臨への希望を語っていない。キリストが世界の救い主および審判者として栄光のうちに再臨されるという教えは,初代キリスト教の信仰の中心的部分であった。これら2通の手紙は初代キリスト者が,再臨の信仰は生と死に対する態度をどう変えるのかという問題と初めから取り組んでいたことを示す。


来るべき神の国

 イエスは死と共に終わったのではない。イエスは確かに十字架の上で死んだが,後に,生きていることが知られるに至った。イエスは過去に属するが,それ以上に現在および将来にも属している。イエスの教えにおいて,神の国とは,すぐ近くにあるもので,神の国は神が至上の位置を占める世界秩序,神との真の関係が確立される世界のことである。イエスの生と行為とは,実際の活動においても結果においても,神の国が何を意味するかを実証した。「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば,神の国はあなたたちのところに来ているのだ」(マタイ12:28。ルカ11:20)。神の最終的かつ破局的介入がいつ予想されるか,という思弁的な問いに抗して,「神の国はあなたがたの間に(内に)あるのだ」(ルカ17:21)とイエスは言う。

現在と将来

 神の国を説明するたとえ話(336~337頁参照)は,その時代の人々の生き方が神の国によってどう変革されるのかを指摘したものである。ローマ帝国と戦い暴力によって世界を変えようとするのではなく,神の国の変革力の中に生き働くべきだと教えた。イエスは弟子たちに「御国を来たらせ給え,御心をなさせ給え」と祈るよう教えた。ある意味では,彼らのこの祈り,そして彼ら以後の無数のキリスト者のこの祈りは既に答えられている。神の主権は確立され,聖霊の働きによって現実のものとされてきており,今もキリスト者の間で現実となっているからである。にもかかわらず,ある意味では,神の国はなおも将来に来るべきものである。少なくともその完全な姿においては。イエスは主である(346~347頁,412~413頁)とキリスト者がごく初期の頃から認めてきたのは,イエスが過去においても将来においても神の国の中心だからである。それにしても,この神の国の完成という事態を,聖書でイエスの「再臨」(字義通りには第二の到来)という用語で書き記すのは普通のことではない(ヘブライ9:28は違う言い方をする)。普通は神の国が完全な仕方で現れるのを「パルーシア」(ギリシア語で「現臨,来臨,再来,到来」の意)と言う。「主の」パルーシア(ヤコブ5:7-9)は神(の来臨)を意味しているのだろう。しかしイエスは初めから神と密接に結びつけられていたから,パルーシアと神の国の完成とは(神によりは)イエスに結びつけられることがはるかに多かった。

再臨

 イエスは神の国について教えただけでなく,イエス自身の存在において神の国を生きた,そして神の国が完全なかたちで到来することを明らかに期待していた。イエスの生と死において天上の神の国が既に到来した(マタイ11:5-6,12:28,マルコ1:15,ルカ4:16-30,7:22-23,11:20など)以上,将来神の国が地上に完成することは一層確実である。イエスのたとえ話の多くは帰来する主に言及する。例えば「十人のおとめ」(マタイ25:1-13),「タラントン」または「ムナ」(マタイ25:14-30,ルカ19:12-27)のたとえなどである。「強盗」のたとえ(マタイ24:43-44,ルカ12:39-40)では,人の子が予想のつかない仕方で到来することが強調される。しかし,将来の人の子の到来についての語録はダニエル書(216頁)と連結される。それゆえ,これらの語録は,イエスが死後に栄光と権威を立証されるという意味での神の国が開始されることを述べたものであって,最終的な神の国の開始としての「再臨」のことを述べたものではないであろう。イエスは十字架にかけられる直前の大祭司による取り調べの時に(354~355頁),ダニエル7:13のイメージを用いて,自分が栄光化された,それゆえ正しさと権威を立証された「人の子」として,「天の雲に囲まれて来る」と予告した(マルコ14:62,ルカ22:69)。イエスはまた最後の審判についても栄光と権威を立証された「人の子」に結びつけて語っている(例えばマタイ10:22,16:27,25:31-46,マルコ8:38,ルカ9:26)。  イエスは来るべき栄光化の証明をあてにしていたからこそ,それをエルサレム神殿の破壊の予告と連結したのである(マルコ13章,マタイ24章,ルカ21章)。イエスは神殿の破壊の予告を終わりの時のしるしであると見なし,他方,エルサレムの当局は神殿の破壊をイエス告発の要点においた。イエスは終わりの時がきわめて近いと信じていた(マルコ13:30,マタイ16:28,マルコ9:1,ルカ9:27も参照)が,その時が正確にいつであるかは知らないとも明言していた(だからいつも目を覚ましていなければならない,マルコ13:32-37)。他にも重要な教えが「ルカ黙示録」と呼ばれる部分(ルカ17:22-37)にある。「到来」は神殿の破壊と結びつけられているが,到来の目的は審判のためである。それは恐怖の日であり,「泣いたり歯ぎしりをしたり」する日となる。しかしそれは良き日でもある。救いの日だからである。神の国で祝宴を共にするという説話では,それが至福の時であることが強調される(マタイ8:11-12,26:29,マルコ14:25,ルカ13:28-29,22:15-18)。

初代教会の希望

 初代キリスト教共同体は,訪れの日または最後の審判の日が来るのを切望した。「兄弟たち,主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は,秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら,大地の尊い実りを待つのです。あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。兄弟たち,裁きを受けないようにするためには,互いに不平を言わぬことです。裁く方が戸口に立っておられます」(ヤコブ5:7-9,Iペトロ1:7,2:12,Iヨハネ2:28,4:17)。パウロも自分が生きているうちに神の国が来ると信じた(例えばIコリント15:50-52,Iテサロニケ2:19,3:13,4:13-17,5:23)。しかしIIコリント5:1にあるように,神の国が来る前に自分が死ぬ可能性があることも認めていた。主の日は泥棒のように突然に来る(Iテサロニケ5:2)。また妊婦に陣痛が必ず来るように,神の国も必ず来る(Iテサロニケ5:3)。IIテサロニケ1:5-2:12にあるような真に迫った黙示録的イメージはパウロの後期の手紙にはないが,主の帰来への期待が弱まることはなかった(例えばローマ13:11-14,フィリピ2:16,3:20)。しかし,アラム語の「マラナ・タ」(Iコリント16:22)およびそのギリシア語訳「エルクー・キュリエ・イエスー」(黙示22:20,412頁も参照)は「再臨」を求める祈り(主よ,来てください)として訳されることが多いが,文脈上は破門状または警告を強化するための宣言なのではないか。イエスの再来が遅れているように見えることは初代教会にとっていろいろと問題であった。それはIIペトロ書に明らかである。その著者は神の時間の単位は人間が用いる単位とは違うこと(3:8),神はぐずぐずしているのではなく,忍耐しているのだということ(3:9)を強調している。


目次

はじめに 6
本書について 12

旧約聖書/ヘブライ語聖書

目次  16
古代近東世界(地図)
五書  20

五書の構成/トーラー/創世記/アダムトエバ/ノアと大洪水/祖先たち/祖先たちの時代の宗教/アブラハムの生涯/イサクとヤコブの生涯/聖書に登場する天使/ヨセフの生涯/エジプトの日常生活/出エジプト記/モーセ物語/出エジプトのルート/契約の民/十戒/神の名前と属性/契約/レビ記/聖書における祭司/聖書における犠牲と儀礼/断食と祭/民数記/荒れ野/聖書の中の民間伝承/聖書における貨幣と度量衡単位/申命記/シェマ/五書における聖書的法/古代イスラエルにおける罪と罰/古代イスラエルにおける戦争と戦闘

歴史書  90

ヨシュア記/約束の地に入るエリコ/カナン人-文化と宗教/古代近東におけるイスラエルの十二部族/士師記/4人の士師の物語/イスラエル人の初期の宗教/ルツ記/古代イスラエルの女性/サムエル記上下/神殿と幕屋/サムエルの生涯/サウルの生涯/古代世界における王権/ダビデ王の生涯/エルサレム/列王記上下/ソロモン王の時代/ソロモンの神殿/イスラエルとユダの王たち/帝国と王たち/エリヤ物語/古代近東の神々と女神たち/アッシリア/ヨシヤ王/バビロン捕囚/バビロニア/歴代誌上下/捕囚の民の宗教/捕囚からの帰還/ペルシア/捕囚からの帰還後の宗教/エズラ記/ネヘミヤ記/古代イスラエルにおける教育/エステル記

知恵文学  168

聖書における智恵文学/ヨブ記/苦難/詩編/死後の生命/聖書における音楽/人間の本性/箴言/古代イスラエルにおける婚姻と家族/コヘレトの言葉/雅歌/聖書における性とセクシュアリティ

預言者  194

預言者の役割/預言者的行動/イザヤ書1-39章/イザヤ書40-55章/イザヤ書56-66章/エレミヤ書/エレミヤの告白/哀歌/エゼキエル書/エゼキエルの見た幻/ダニエル書/ホセア書/ヨエル書/世界における神の業/アモス書/預言者の教える倫理と行動/オバデヤ書/ヨナ書/普遍主義と特殊主義/ミカ書/聖書における時/ナホム書・ハバクク書/ゼファニヤ書/ハガイ書・ゼカリヤ書/マラキ書/アレクサンドロスの帝国/アレクサンドロス没後の時代/マカバイ一族

アポクリファ[旧約聖書続編]  252

アポクリファ-フィクション-/アポクリファ-知恵-/アポクリファ-歴史-/アポクリファ-黙示文書-/終末論/聖書の植物/聖書の鳥/聖書の動物

新約聖書

目次  272

地中海東部(地図)/エルサレム/総督たちと王たち/イエスの時代のユダヤ教/ユダヤ人の日常生活/新約聖書の時代の日常生活/神殿/新約聖書の時代のユダヤ教諸集団/死海文書/第一次ユダヤ戦争/マサダ

イエスの生涯  296

パレスチナ(地図)/福音書/共観福音書/福音書研究/マタイによる福音書/マルコによる福音書/ルカによる福音書/ヨハネによる福音書/イエスの家族の重要性/イエスの母マリア/受胎告知と聖誕/ベツレヘムとナザレ/新約聖書にみる教育/パプテスマのヨハネの働き/荒れ野の誘惑/弟子たちを招く/十ニ弟子/イエスの教え/山上の説教/たとえ話/イエスのたとえ話/ガラリヤ/奇跡/イエスの奇跡/メシアなるイエス/エルサレム入城/最後の晩餐/裏切りと裁判/イエスの裁判の記事/イエスの裁判/イエスの十字架/受難の史跡/埋葬の習慣/イエスの復活の記事

キリスト教の始まり  366

ローマ帝国(地図)/新約聖書の時代の貿易と交通網/ローマの社会の構造/新約聖書の時代の結婚と家庭/伝統的宗教と密儀宗教/聖書にみる魔術/使徒言行録/イエスの昇天の記事/ペンテコステの記事/ペトロの宣教/ヘブライオイとヘレニスタイ/サウロの回心の記事/アンティオキアでの教会の記録/エルサレム会議/パウロの宣教の記録/エフェソ/パウロの晩年の記録/ローマのキリスト教

書簡  404

聖書と書簡/パウロの教え/ローマの信徒への手紙/「イエスは主である」/コリントの信徒への手紙一/聖霊/聖礼典、洗礼(バプテスマ)と聖餐(主の晩餐)/コリントの信徒への手紙二/パウロの教えにみる贖い/ガラテヤの信徒への手紙/恵みより、信仰を通して義と認められる/エフェソの信徒への手紙/ユダヤ人と異邦人との一致/フィリピの信徒への手紙/家の教会/初代教会における女性教職/コロサイの信徒への手紙・フィレモンへの手紙/新約聖書における奴隷制/テサロニケの信徒への2通の手紙/来るべき神の国/テモテへの手紙・テトスへの手紙/牧会活動/ヘブライ人への手紙/新約聖書の時代の哲学諸派/ヤコブの手紙/ペトロの手紙一/新約聖書における迫害/ペトロの手紙ニ・ユダの手紙/キリスト教初期の偽典/ヨハネの手紙/キリスト教倫理/啓示の書-ヨハネの黙示録/黙示文書/天国と地獄/正典の成立

参考資料

人名編  478
地名編  493
用語編  507
参考文献  514 
索引  524

1998年 7月

ジョン・ボウカー
マーガレット・ボウカー