はじめに
新聞に掲載される書評の第一の役割は、現代社会に流通する多数の書籍を厳選し、内容と評価をいち早く伝えることにある。読者が時代の潮流を感じ取り、この本を読むべきかどうか考える材料を提示する。本書は1998年3月から2014年3月までの16年間に共同通信が全国の加盟新聞社に配信した約5,000編の書評から成り、執筆した評者は約1,600人に上る。また、書名、著者、訳者、出版社、評者、キーワードなどのデータを抽出して索引にまとめ、読者の便に供した。
新聞の読者層は幅広く、多岐にわたる興味や関心とともに日々を送っている。そのことを反映して、書評の対象となる本は文学、美術、歴史、科学、芸能、スポーツ、政治、経済、社会問題などあらゆるジャンルから選ばれる。評者も同様で、各分野の第一人者はもちろん、テーマを問わない読み巧者にも依頼する。書評の中では絶えず著者と評者の対話が繰り広げられ、読者の知的好奇心を刺激する。
2,500ページを超える本書「書評大全」は、20世紀末から21世紀初めにかけての書評から見る文化史事典でもある。どんな本が私たちの前に現れ、どう読まれたのか。私たちはこの時代に何を思考し、何によって感情を揺さぶられたのか。知性、感性がほとばしるさまを、膨大な文字で刻んだ約5,000編の書評は、言葉の力を信じる全ての読者に向けた記念碑であり、本の著者、書評の筆者が思考した軌跡を描くフィールドノートでもある。
読むことの冒険に挑む人たちに、「書評大全」という広大なフィールドを縦横に歩いてほしい。
共同通信は原則として毎週6冊分の書評を、年間を通じて配信している。文化部の記者とデスクが新刊書から選書し、1冊ずつ評者を決めて執筆を依頼する。専門家に書評委員を委嘱する新聞社もあるが、私たちはその方法をとっていない。理由は大きく言って二つある。一つは記者が読者の関心と社会情勢を踏まえて選書することを重視するからだ。また、選書から書評執筆依頼、編集、配信という一連の流れを機動的、迅速に進めるため、記者が全面的に関わる仕組みにしておくという理由もある。的確な原稿を速く配信することが通信社には求められており、書評も例外ではない。
共同通信は正式には「一般社団法人共同通信社」といい、全国の新聞社、放送局が加盟社、契約社となって運営される報道機関である。政治、経済、社会保障、地方自治、国際、事件事故、裁判、科学、スポーツ、文化などの記事を24時間配信する。書評は文化部学芸班が担当し、以下のような手順で進行する。
まず、学芸班に所属する記者たちが手分けして、おおむね1カ月以内に刊行された新刊書の中から書評候補を選ぶ。新刊書を手にするために書店は大切な現場の一つだ。知らない新刊書が出ていないか、棚はどう配列されているか。いわゆる「リアル書店」でなければ気付かないことは多い。学芸班の記者には書評以外に文芸、美術、論壇、出版の担務があり、それぞれの分野の最新動向を日々取材し、記事を書く仕事と並行してさまざまな新刊書をひたすら読む。
選書に当たっては、書評の配信先が日刊の一般紙であることを踏まえ、幅広い読者が関心を持てる本を選ぶよう心掛けている。特定分野に知悉した専門家にとっては取り上げるべき重要な本であっても、知識がないと読み進めることが難しい本は原則として対象から外れる。また、本体価格が1,000〜2,000円台の本が中心で、高額になると、やはり一般の読者に伝える対象にはしにくい。
次に、学芸班が週1回開く会議で、書評候補となった本の読みどころや社会的な注目度などを各記者がプレゼンテーションして、最終的に6冊に絞り込む。
プレゼンをした本が書評に選ばれた記者は、評者に書評執筆を依頼し、全体を統括するデスクとともに編集から配信までを担当する。書評の字数は時期によって多少の増減があるが、1編当たり800字程度。配信を受けた書評をいつ掲載するかは加盟新聞社の判断によるが、同じ週に配信する6編は、ジャンルや版元の重複がないよう調整する。
新聞社が多様な読書面を組めるよう、学芸班からは書評以外にたくさんの記事を配信している。例えば著者インタビュー、出版業界の話題、文庫の刊行情報、記者が書く新刊紹介など。後述するが、書評とインタビューが同じ本にならないようにするなど、ここでも重複を避ける。
本書に収録した書評は1998年3月26日から2014年3月27日の16年間に配信されたもので、評者から転載許諾を得た書評を配信日順に掲載した。同一日の掲載は順不同。基本的に同じ日に6編を配信している。
起点を1998年3月26日に設定したのは、共同通信が書評に評者名を明記して配信し始めたのがこの日だからである。誰がどういう評価をしているかを示し、読者にとってより魅力的な書評にすることが署名化の目的だった。署名のある書評が当たり前の現在から考えると違和感を抱く人もいるだろうが、新聞書評はかつて、多くの社が無署名だった。本書が署名化の日からスタートすることは、新聞史の一面を記録することになるだろう。
記録性の高さは本書の特徴の一つと言える。収録した書評本文は配信時のままとした。中には常識が異なっていることがあるかもしれないが、書評配信時の形で記録することには大きな意味がある。例えば、インターネットなど情報技術をめぐる認識は、1998年と2014年では相当な開きがあるが、当時の文章からは1998年の人たちがその問題をどう考えていたのかが伝わってくる。技術だけでなく、政治や経済、科学、芸術、教育などあらゆるテーマでこの16年間を比較することができる。過去と現在の差を測ることは、私たちの未来を見通すことにつながるはずだ。
以上の目的のため、本書収録の書評に加筆修正は施されていない。これは、配信時のままの転載を許諾してくださった評者の方たちの理解によるもので、あらためて感謝したい。
なお、共同通信が2009年6月に本文中の数字を漢数字から洋数字に変更したことや、2010年の常用漢字改定に伴う漢字表記の一部変更に関しても、配信時の本文を生かし、現時点からの表記統一はしていない。
本書の読み方、楽しみ方、活用の仕方は、もとより読者一人一人の自由だ。ただし、道案内として著者、評者、出版社などの書誌データおよび書評本文に記されたキーワードの索引を整えた。作成は三省堂出版局による。特定の書き手の変遷を確かめたり、キーワードごとに書評を分析したりと、膨大なテキストを自らの視点で編み直すことができる。この16年間の森羅万象を捉えた「書評から見る文化史」のデータベースとして、長く活用されることを期待したい。
もともと新聞書評は、掲載され読者に読まれた時点で、本来の役割を果たしたとも言える。本企画がなければ、おそらく過去の書評は縮刷版や切り抜きで保存され、あくまで過去の文献として個別に扱われていただろう。しかし本書のように1冊に集約されたことで、ばらばらに存在していた書評がこれから先、いつの時代の読者であっても、それぞれの積極的な読み方を導き出す素材になる。文献として新たな可能性を持つことになった。
「書評大全」の読者は、どこから入っても、どこから出てもいい。ページをあちらこちらと逍遥することもあるだろう。気がつけば同じ場所にとどまり、追憶をめぐらせているかもしれない。一方で膨大な書評の関係性を発見するアクティブな読み方もできる。
本書がカバーする1998年から2014年とは、奇しくもパソコン、インターネット、スマートフォンが私たちの暮らしに深く入り込み、「読む」こと、「書く」ことがかつてないほど急激に変わっていく時代でもあった。
20世紀末以降、日本の出版物の売り上げはほぼ一環して減少している。出版科学研究所によると、2014年の紙の書籍と雑誌を合わせた出版物の推定販売金額は、前年比4.5%減の1兆6065億円と、10年連続のマイナス。しかも過去最大の落ち込みとなった。書籍は8年連続のマイナスになり、ピークだった1996年の1兆931億円より3,000億円以上の減少となった。
市場の縮小は2014年の他のデータでも裏付けられている。書籍の推定販売部数は過去2番目の落ち込み。新刊点数を見ると7万6465点で前年比1.9%減だった。一部の人気作家らによるベストセラーと、そうでない本の二極化が進み、しかもベストセラーになる点数や発行部数は減っている。
紙の書籍と雑誌を合わせた出版物全体が過去最大の落ち込みとなったのは、情報技術の普及や消費税率が引き上げられた影響が大きい。特に雑誌は推定販売金額が17年連続のマイナスという深刻な状態にある。書籍にしても低落傾向を食い止める決め手は見つかっていない。
人々の時間は、ネット上にあふれる玉石混淆の情報やゲームなどのエンターテインメントに費やされるようになった。時間とお金を使って紙の本を読みたいと思わせるだけの魅力をどのように打ち出せるのか。本稿の本来の目的からは外れるが、出版社のみならず新聞社と通信社も同様の悩みを抱えており、若い世代が紙のメディアから離れていることに危機感は強い。
一方、電子出版の市場は2014年時点で拡大傾向にあり、出版科学研究所は「新しい需要を掘り起こして、紙の出版市場の減少を補完している」と分析する。このような時代を背景に本書が成立したことを記しておきたい。
減少傾向にあるとはいえ、今も新刊書はとても全体をつかみきれないほどの点数が出版されている。書評の対象がなくなる事態になるとは考えにくい。同時に、それ以前に刊行された本の品切れや絶版は避けられない。現在では入手困難な本の書評が本書の多くを占めている。その意味で、ある本がどのような主題を持っていたのかを記録することも、本書を刊行する意義の一つと言える。
新刊を世に問う著者と編集者の気持ちは、少しでも読者を得たいということだろう。だが、版を重ねて長く残る本は多くない。消えていった無数の言葉が本書によって何らかの形で後世に伝わるのではないか。
著者の思考を活字として世の中に送り出すメディアの主流が、紙から電子に移ることがあったとしても、その主張を書評という形で批評することは、出版状況の変化にかかわらず必要だ。もちろん、戦後70年を迎え、現代社会のあらゆる局面で過去と違う発想が求められる中、書評だけが不変であるはずがない。来るべき変化にふさわしい書評のあり方を絶えず考えることが必要だと認識している。
あらためて共同通信の書評の特徴を述べておきたい。通信社の基本は社会で起こる事象を的確かつ迅速に報じ、それぞれの事象の影響、意味、背景を分析して、将来への展望を示すことだ。通信社の新人記者は速報がいかに重要であるかを徹底して教えられる。実際、日々のニュースの現場では分秒を争う作業が繰り広げられている。事実を掘り下げる記事、読者を引きつけるフィーチャー記事を書くためにも、記者たちは昼夜を問わず駆け回っている。
それでは書評はどうか。配信に分秒を争うわけではない。しかし、硬軟織り交ぜて世の中にあまたある本の中から、世間の耳目を集める話題の新刊など新聞に掲載されるべきものを厳選し、内容と評価を伝えている。これは、事象を的確に報じ、意味や背景を分析して将来展望を示すという通信社の基本と一致する。新刊書という事象を通じて時代の特徴を読者に伝えるという意味において、書評はまぎれもなくニュースである。
さらに、新聞の紙面作りを意識して配信内容の重複を避ける方針がある。前述したように、記者が新刊について著者にインタビューをしたり、別企画で特定の新刊書を扱ったりしたときは、その本は書評に選ばないという考え方だ。ある年を代表する小説など注目を集めた本が本書に入っていないことがわずかながらある。大半が紙面上の重複を避けるため書評の対象にしなかったケースで、特に作家はインタビュー記事が多い。話題作であればなおさら著者の生の言葉を配信することが少なくない。幾つか例を挙げると「大河の一滴」(五木寛之、1998年)、「五体不満足」(乙武洋匡、1998年)、「沈まぬ太陽」(山崎豊子、1999年)、「博士の愛した数式」(小川洋子、2003年)、「夜のピクニック」(恩田陸、2004年)、「さようなら、私の本よ!」(大江健三郎、2005年)、「決壊」(平野啓一郎、2008年)、「『フクシマ』論」(開沼博、2011年)、「聞く力」(阿川佐和子、2012年)などは、書評ではなくインタビュー記事を配信している。新聞紙面の多様性を意識してのことだ。
書評であろうがなかろうが、本をめぐる記事は常に、読むという行為を前提にしている。記者は書斎で一人静かに本を読むのではない。雑多な社会の中で常にその本の位置を測りながら読み、著者や編集者、評論家などあらゆる人に会い、何がニュースになるのかを考え続ける。
本を読む。言葉を紡ぐ。読者に届ける。書評の集大成である本書は、読書という行為が開拓した「文化の広場」と言っていい。さまざまな知性と感性が行き交う広場に、書物を仲立ちにした分厚い連帯が生まれた。誰もが参加できる。本とともに生きる人間の記録をじっくり味わってほしい。
共同通信文化部が配信する書評の執筆を引き受けてくださった全ての評者の皆様にお礼を申し上げます。書評の対象となった本の著者、翻訳者、出版社の方々にも感謝いたします。全国の加盟新聞社、そして新聞を支える読者の皆様にも謝意を捧げます。
本企画の立案者である三省堂出版局の飛鳥勝幸部長には、転載許諾や索引作成をはじめとする膨大かつ煩雑な作業を、プロの熱意と冷静さで進めていただきました。ありがとうございました。
「書評大全」の著者、評者索引を見ていると、物故された方々のお名前が目に留まります。16年という歳月の長さを感じると同時に、人は文章を書くことによって、思考や感性を世の中に残していけるのだということを厳粛な気持ちでかみしめています。
1編の書評は1冊の本から始まる言葉のリレーです。著者、評者はもとより、書籍と新聞の編集、製作、流通に関わる人々、書店員、図書館員、そして読者一人一人の存在によって成り立っています。この思いを、本書を通じて多くの人たちと共有できれば幸いです。
共同通信文化部は書評というリレーの伴走者として、今日も選書と編集を続けています。