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「20世紀世界紛争事典 」について

自著自讃(「ぶっくれっと142号」より)

戦後10年、私が研究生活に入った当時、風潮としては平和主義が強く、当時の最大の主題は戦後世界の激動をどう位置づけるかにあった。アジア・アフリカの民族革命の解明がその中心となり、革命のエネルギーをどう解きあかすかに論点がおかれたのである。ベトナムの民族革命もその一つであった。しかし、国際社会は「冷戦」下にあって、国家・民族の対立・矛盾はイデオロギー対決の射程で解明されるスタイルがその本質であった。

 1960年代半ば、ベトナム戦争の追跡と解明にかかわり、あるいは六日間戦争(第三次中東戦争)の現場で検証する機会をもったことで、私は紛争の原点について考えさせられたものである。「人民の戦争」に対する「技術の戦争」という矛盾は、戦争の実態をゆがめてしまうものがあったし、ベトナム人民の戦争を支持するか、米国の大国関与を受け入れるかの踏み絵的判断が研究討議に先行して、ベトナム戦争の現場、南ベトナムに赴くことさえ、米国の行動を支持するとの判断で非難された。しかし、国際関係の構図は戦争の決断・遂行・結果に左右されるというのが実態であった。

 こうしたイデオロギーに左右されかねない紛争の分析は、データの計量分析を深めることで合理的判断の基礎を引き出しうるとの結論にいたった。計量分析によって判断の合理的材料を提供できるというのが1970年代にいたる学問取り組みの視点である。私自身、国家の発展段階のモデル化と内乱・騒擾などの関連についての相関データ分析を行うことで、政治の実態を解明した。あるいは、各国の結びつきをそれぞれの国家の力量(人口・面積・工業力・軍事力など)と各国家間の関係係数(貿易・人の往来の相関値)で描くことで、世界の地図や特定地域の協力を確認することができた。

 1982年11月、サンケイ新聞に「現代の紛争」という記事を、論説委員との協議で四回にわたって連載した折には、紛争の本質はなにか、軍事紛争が紛争のすべてか、経済摩擦・文化摩擦も紛争を規定する重要な要素ではないか、こういった広範な議論がなされたのである。戦後世界を規定づけていたイデオロギー対立の緩み、緊張緩和とかデタントという用語が当然のように使われる時代であったが、来るべき経済対立、文化対立への取り組みをどうすればよいか、がその主題であった。

 この議論を契機に私は紛争研究に本格的に取り組むことになった。紛争の内容分析にとどまらず、その構造をどのように解明し、比較分析をすればよいか。そのために、紛争のデータ化(内容解析)とともに、基本コード(紛争の規模や期間、対立の特質、対立の局面の変遷、当事者と関係者のかかわり、国際環境との接合性など)の数量化による計量データ分析を課題とした。幸い、1988年以降、現在まで文部省科学研究費をうることができ、データ化の技術開発もなされた。こうして紛争データの最初の比較分析がなされたのが1990年代の初めであり、『現代紛争論』が一九九五年に刊行された。その時点での紛争データは2225件であった。以後、データの補充と紛争コードの拡充(ほぼ100項目に達する)とともに紛争分析が続けられ、ここに11,000件のデータを所収した『20世紀世界紛争事典』を刊行できることになったのである。データの対象は1900年から1997年までであるので、機会をえて1999年までのデータを補充し、合わせて今回の書物には収めていない基本データを所載した文献の刊行を期待したい。

浦野起央