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「現代詩大事典」について

発刊のことば

精細かつ厖大な内容を満載

大岡 信(監修者)

『現代詩大事典』がいよいよ刊行されることになった。私は一九三一年生まれだが、このような精細な内容を盛った現代詩事典が、自分の生涯のいつの日にか発刊されることがありうる、というようなことは、夢にも想い見ることはできなかった。

現代詩なるものは、生まれはしたものの、どのような経過をたどって成熟してゆくものか、およそ見当もつかないものとして、私のような人間には考えられていたのである。

しかし、現代詩は着々と大きく育ってきた。それを作る人々の数も、論じる人の数もふえてきた。現代詩が実験性や冒険性の同義語であるように考えられていた、かつての揺籃期の様相はだいぶ様変わりして、現代詩の作り手たちも、何ひとつ風変わりな仕事にたずさわってなどいない、と思うことが、普通のことになった。

現在ここに『現代詩大事典』と銘うって刊行されるのは、時代でいえば、明治、大正、昭和という、政治的にも社会的にも大きな激動を経験した近代日本をすべて包含し、その昭和時代を受け継いで、今も伸展しつつある平成時代をも結集した大事典である。

私一個のささやかな思い出をたどると、私は中学三年生の時、八月一五日に敗戦の日を迎えた。その当時のことは不思議なくらい鮮明に記憶に甦る。そのころを思い返しながら、私はこんなことを書いたことがある。「ぼくにとって、詩のはじまりは、結局この日以後のことであったのだと思う。『何かが決定的に失われることが、この世界には必ずあるのだ』という認識の獲得の日であったのだ。」(「わが前史」)

そんな経験を経て、私は中学四年生になったとき、友人三人と一緒に、年長の友人のようだった二人の教師とともに「鬼の詞」と題するガリ版雑誌を発刊(八号まで)した。「焼跡の堀立小屋のような中学校の校舎で、日暮れにガリ版を刷った。リルケ、日本浪曼派、中村草田男、ドビュッシー、立原道造、そして子供っぽい天文学などがぼくらの中にロマンチックに変貌しながら住んでいた。」(第一詩集『記憶と現在』あとがき)

第一詩集のあとがきなどを引いたのは、日本の戦後のはじめのころ、詩を作る少年たちの周辺がどのような雰囲気だったかを、スナップ・ショット風に寸描しようと思ったからである。私たちは運よく空爆をまぬがれ、焼夷弾にも焼かれずに生き残ることができたので、現在にまで生存することができた。私に関して言えば、「鬼の詞」を一緒に作っていた他の仲間は全員とっくに鬼籍に入ってしまった。

私一個の貧しい経験をご披露したのは、第二次大戦の終わったころは、日本中どこでも、似たような少青年がいて、現代詩などという言葉は聞いたこともなく、こつこつと紙に字を書きしるし続けていた、ということを書いておきたいと思ったからである。

そんな経験を持つ私のような者にとっては、よくぞ私の生きているあいだに、このような精細かつ厖大な内容を満載した『現代詩大事典』が刊行されたものだと、嘆声とともに本書の誕生を祝福するばかりである。

2007年8月