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「戦後史大事典」について

刊行にあたって(この本について:抜粋)

【本書の特色】

戦後史大事典増補新版この本は、事典である。はじまりから終わりに向かってのひとつの流れとして読んでいただくよりも、何かひとつの項目を引いて、さらに、その関連項目を見るというように読んでほしい。まず細部の事実を記憶に呼び戻す手がかりとして、役立ててほしい。大都会が焼け野原であった時代に、どこで何が起こったか。占領軍の機関が東京中にあったころに、どこに、どういう機関があったか。そういう事実に戻ることは、いまとなってはむずかしいが、そのために役に立つ地図でありたい。

細かい事実が集まって傾向をつくる。その傾向について記述することは、筆者の価値判断に影響される。編者は、戦争中に日本政府のよりどころとした皇国史観、敗戦後の占領軍宣伝の東京裁判史観、おなじく戦後のソ連中心の世界史法則史観の三つの歴史観に揺さぶられた経験をくぐっており、その三者のかたくなさから自由でありたいと考えている。そのことは、史観のかたくなさそのものからの自由を保証しえないが、ひとつの史観へのかたくなな信奉が事実の細部を見る目を衰えさせる傾きについて自覚をもちたいと願っている。

鶴見俊輔

【増補新版について】

歴史を大づかみにとらえる力は、小きざみな試験を通して学校教育の課程を上ってゆく日本国民にとっては、戦後豊かになって学校が整備されてゆくにつれて衰えている。

明治国家が学校教育の計画を立てるにあたって、起案した人々は、そのときには計算に入れていなかったさまざまの力をそれ以前の歴史と文化から借りることができた。

この教育計画の対象とされた若い人々は、明治以前の日本文化のなかに育った人々であり、明治政府の主眼とした欧米先進諸国の学問を学ぶにしても、自分の育った文化との日々の比較においてそれを取り入れるという、稀有(けう)の教育環境に置かれた。

一つだけ例をあげれば、英文学者夏目漱石は、中国や日本の文学と、ヨーロッパ、特にイギリスの文学とはどうしてこれほど違うのか、という根本の問題を自分で立てて、生涯この問題から手を離すことがなかった。

一九四五年(昭和二〇)の日本国の敗戦は、それに比べられるほどの根源的な問題の立てかたを、日本人にうながしたとはいえない。しかし、敗戦にともなう米国による日本占領は、日本人にとって有史以来の新しい経験であった。このことが、これから百年と言わず、千年にわたる変化を日本文化にもたらすことは予測される。だが、敗戦と占領から百年もたっていない現在、その予測を立てることはむずかしい。今はただ、前回の『戦後史大事典』に比べて、新しく起こった出来事について、その及ぼす変化について思いをめぐらすことができるばかりである。

米国の日本に対する影響は、狭い意味での占領の終わりを越えて、深くなりつつある。それと同時に、見えにくいながら、日本国が国外から受ける影響も進行している。やがて日本の文化は、日本国外の朝鮮、中国、南洋諸島とのつながりにおいて記述され、理解されるようになるだろう。その萌芽は、強制労働賠償訴訟、従軍慰安婦問題、日本占領観の変遷、指紋押捺義務の全廃、プチ・ナショナリズムなどの項目に芽をみせている。技術の変化が日本文化を変えてゆく歴史も、インターネット、Eメールなどの諸項目にみえている。日本語は人間の言語の一つとしてとらえられ、日本の政治は人間の政治の一部分としてとらえられる。その方向への一歩、二歩として、この『戦後史大事典』はさらなる改訂への書きこみの、ノートブックである。

2005年5月

鶴見俊輔

【編者】

佐々木毅(政治学・政治思想史)

鶴見俊輔(思想・大衆文化)

富永健一(社会学)

中村政則(日本近現代史)

正村公宏(経済学)

村上陽一郎(科学史・科学思想史)