大辞林第二版
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《小社PR誌 「ぶっくれっと」 No.117より》

編者・松村 明インタビュー
  

一〇月二六日、『大辞林第二版』が刊行される。最新・最大・最高の一冊もの国語辞典として一九八八年に刊行され、圧倒的な支持を受けたミリオンセラーの改訂版である。収録項目数二三万三千語を誇り、初版の編集方針を練り上げ、徹底的に記述を見直して、より円熟味を増した辞書として登場する。

今回は、『大辞林』『大辞林第二版』の編者として三五年にわたり、編集全般の指揮・編集作業にご尽力くださっている松村 明先生と、辞書に造詣の深い文芸評論家の武藤康史氏との、『大辞林』誕生秘話、編集方針、思わずにやりのこぼれ話まで、あれやこれやの『大辞林』談義二時間。

さらに円熟味を増した『大辞林第二版』
―辞書の「改訂」とは

松村:一○月二六日に発売される『大辞林第二版』は、至るところで改訂されています。しかし、『大辞林』の編集方針は初版以来一貫しておりまして、全体の編集方針の中に一語一語を位置づけています。最近、辞書の改訂の際にはどうしても、「この言葉が変わったかどうか」というとらえ方が往々にしてされてしまいますが、そもそも、『大辞林』の主要な編集方針は、基本的には初版と変わっていないのです。もう一度、編集方針をおさらいしてみましょう。『大辞林』の根幹をなすのは、古代から現代までの言葉をできるだけ多く取り入れる、それから、一般国語項目のほかに百科語項目を収録するという考えです。

一冊の中になるべく多くの語を収録しようとしていますが、土俵の大きさはもう製本上の限界まで達しているようですね(『大辞林第二版』は二、九六〇ぺージ)。われわれは他の大型国語辞典と違って、できるだけ現代の国語生活を具体的にしっかりとらえていくということを土台とした一冊ものの大型辞典として『大辞林』を位置づけ、その方針に沿ってことばを取り上げ、記述していこうと考えました。

その方法としては、古くから使われている言葉でも、現代的な用法・意味にウェイトを置いて収録し、記述していくことが挙げられます。国語項目については、古くから現代に続いている言葉は、まず現代語の意味をきちんと押さえて、現代では使わないような古い意味はその後に記述するというような現代語義優先の記述方法をとっています。そこは他の辞書のような語義記述のしかたとは違うということですね。

『大辞林』初版を出したところ、幸いひろく世の中に認められて、いろいろな方に使っていただけることになりました。出版してみるといろいろ意見が寄せられますね。われわれも、『大辞林』初版を編集している当時は最善をつくしましたが、十分に処理しきれなかったところも当然残っています。今回の改訂では、その点をしっかり処理していくということと、初版以降、新しく取り上げる必要が出てきた語彙はできるだけ取り上げるということを方針にしました。ですから、初版と第二版とでは、基本的な方針に違いはないのです。

むしろ、大きく変えなければならなかったのは百科語彙の扱い方です。『大辞林』初版が発行されてから今日までの九年間、世の中の動きは非常に激しかったですね。従来の記述をどんどん直さなければならなくなっています。例えば、ソ連邦が崩壊するなど世界的な枠組みの変化がありました。『大辞林第二版』ではもっともっと現代の新しい動きを取り入れて現代人の要求に応えようとしています。

語釈にさらに「磨き」をかける

松村:『大辞林』初版と『大辞林第二版』とはどう変わったかということをもう少し細かく見てみますと、一つは、百科語をさらに充実させたことです。もう一つは、明治以後新しく入った日本語で、外国語の翻訳などで入ったことばがありますが、例えば、どの時代に入ってきたかなど、最新の研究成果を取り入れるという方針があります。「自由」ということばは、もちろん初版から収録されていますが、百科語としての側面に着目した場合、原語の訳語としての日本語がどのように展開されているかという記述をふくらませ、冷戦終結に代表される最近の思想状況に適った改訂を行いました。

国語語彙について言えば、まず現代語の意味をきちんと押さえて、その上で古い時代の使い方・意味を記述しています。

その代表的なものとして「うつくしい」があります。初版では①②③④⑤と語釈を順番に挙げています。①と②が現代語の用法で、③から⑤までが、今では使われなくなった語義なのです。初版でも現代的な意味と古典的な意味が区別して理解できるようになつていますが、さらにわかりやすくしたのが『大辞林第二版』の記述方法です。まず、語義番号1 の①で、現代的な意味を①、②と示し、語義番号2 の①②③④と、現代では使われなくなった古典的な意味を示しています。今回の手直しで、『大辞林』の編集方針をよりはっきりと示すことができました。『大辞林』では、現代語の場合と、古語の記述の場合で、語義の記述の態度に違いがあります。すなわち現代語の場合では、いちばん一般的に使われている語義をまず載せ、特殊な語義や狭い範囲で使われている語義をその後に載せていく。その後、特殊なもの、やや古くなった語義を配列しています。古語の語義の記述は、原義から転義へ、,歴史的事実をしっかり押さえるというやりかたをしています。初版では、古語も同一の面に並べてしまいましたが、まず「語義番号1」、「語義番号2」と大きな枠組みをはっきりさせ、古語は古いものから順番に記述しています。

「さびしい」と「さみしい」は、語形と用法の変遷をしっかり押さえようとしました。初版編集当時、「さみしい」ということばは、江戸時代の用法までは明らかになっていたのですが、それ以前にはどこまでさかのばれるのかがはっきりしませんでした。ですから、『大辞林』初版の記述としては、「江戸時代以降の近世からのことばである」としたわけです。その後研究が進み、もっと古い用例が発見されて、中世末期から現れていたということがわかりました。歴史的に裏付けがとれましたので、『大辞林第二版』では直してあります。『大辞林』は、現代語中心の辞書といっても、古語についても歴史的な記述を非常に重視しています。「語源・語誌」欄を初版よりも充実させたのもその一つの現れです。

新項目「ら抜き言葉」
―ことばの新現象についても意欲的に分析・記述

松村:「ら抜き言葉」については、このような新しい項目(前頁図)を立てました。若い執筆者陣からはもっと実例を項目立てしたいという要望が強かったのですが、むしろこれは私が抑制する側に回りました。「ら抜き言葉」という項目を新しく立て、歴史的な経緯を含めて相当細かく書きました。「ら抜き言葉」が辞書の項目として出てくるのは、はじめてですね。

このようなものをどう扱うのかが辞書の基本的な性格になるのです。私どもの辞書は、ただ、新しいものを追う、というだけの立場ではありませんから、新しいことばには理解は示しますが、本当に一般的になったと認められるものを中心に収録していくということになります。このあたりは、実に悩むところです。

武藤:『大辞林』初版が出たときに、作家などの批評で「見れる」という見出しは載せるな、というものがあったと思いますが、どうお考えになりますか。

松村:それは、意見としてはよくわかりますね。辞書づくりの一つの態度であって、『広辞苑』も載せていません。『大辞林』もそうしようかと思っていたのですが、若い執筆者の人たちが――若い人と言っても、今はもう、五〇、六〇になっているような人たちですけれども(笑)、当時はもっと若かったわけですが――「いや、これだけ一般的になってきて、自分も使っていますよ」と言う。それもそうだ、それなら、ごく絞ったかたちで載せることにして、「見れる」「来れる」など三つ四つを初版で掲載しました。そして、『大辞林第二版』では、「ら抜き言葉」という新しい項目を立てて代表させることにしたのです。

ここで実際の作業の模様をお見せしましょう。(と、袋の中から原稿類を出す)これは私の原稿チェックの控えです。『大辞林第二版』の編集にあたってこのように手を加えたのです。「ああ、そう、どう、こう」について、これだけ書き加えました(図)。このようにして初版の原稿にどんどん手を加えています。

例えば、このような「たら」という原稿が送られてくるのですが、これではダメだということで、こちら(上)は私が書き直した原稿です。

「語形」を重視した『大辞林第二版』

松村:『大辞林第二版』の国語語彙に関する項目として典型的なところは、口頭語です。現代語中心と初版から言っておりましたけれど、辞書で取り上げる現代語は、どうしても書かれた言葉中心にならざるを得ません。特にいま、日本語教育が盛んです。そこでは日常の話し言葉中心の教育が行われているでしょう。思い切ってこの際、『大辞林第二版』は口頭語や、話し言葉をもっと多く収録することにして、言葉を切らずにある程度まとまった語形として取り上げてみました。

武藤:実際に使われる語形をそのまま見出しにかかげるということですね。

松村:いままでの辞書では取り上げなかったような語形でも今回は取り上げているものがあります。それがいいかどうかは意見の分かれるところですが、『大辞林第二版』ではかなり取り上げてみました。新しいものをできるだけ取り入れたいという編集部の意向もあり、思い切って実行しましたが、かなり辞書の記述としては突っ込んだかたちになったと思います。

武藤:そうですね。

松村:話し言葉で使われるような基本的な言葉をかなり多く取り上げたという特長があります。百科語については、新しいものをどんどん取り入れたのですが、百科語にしても、ことば関係の術語にしても、もう少しいろいろ工夫したほうがいいのではないかと考えて、いろいろ取り入れてあります。ことば関係の術語になりますと、人によって使い方がずいふん違うこともあり、できるだけ一般的になっているものを中心に、ここまでは必要だ、ここからは必要ではないというように整理しました。

大辞林疾風怒涛の時代

松村:『大辞林』の仕事を始めたころ、編集室は、最初は東大赤門前にあったのですが、二、三年して、すぐ近くの元富士警察署の前のパン屋の二階に移りました。その頃東大紛争があって、私のいた東大の国語国文学科でも大学院を中心に紛争に参加する学生がいて、学内を占拠したため、私どもも一年半くらい自分の研究室に入れませんでした。編集室を研究室がわりに学生や院生が出たり入ったりしたんですよ。その頃、編集の仕事で来ていた方と、事務をお願いしていた女性とのロマンスもありました。今も幸福な家庭を作られています。それはいいんですけれどもね、編集室に遊びに来た学生がその足でデモに行ったりするので、仕事場の前にヘルメットやゲバ棒などを置かれてしまうんですよね(笑)。こりゃいかん、いくら何でもそういう場所にされてしまっては困るということで、そこを閉鎖して、お茶の水の順天堂に近い所に移りました。

そして紛争も終わり、さあ、落ちついて仕事ができるかな、と思ったら今度は三省堂が倒産してしまったんです(笑)。ですから、この仕事場も完全に閉鎖です。それから、神保町の、木造時代の三省堂書店の屋上にあった建物の一部屋に入りました。そこは『大辞林』専用ではなくて、独和辞典の編集も行われていて、国松孝二さん(東京大学名誉教授・ドイツ語)が独和辞典の原稿整理のためにしょっちゅう来ていましたよ。そして、やっと水道橋にできた社屋に移ったのです。それも間もなく手狭になったというので、隣のビルにまた移りました。そして現在に至るということで、『大辞林』の編集室にもずいぶん変遷がありました。

武藤:初版の際に、現代語としての意味を先に挙げてから、過去に遡っていくという記述方法をとられました。当時からするとこのようなこころみは冒険だったのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

松村:当初から、冒険だとか無謀だとかそのようなことは全く考えませんでした。そもそも、『大辞林』という名前もついていなかった頃です。この仕事を始めた一九六〇年当時、『広辞林』に代わる辞書を作りたいということで作業が始まりました。それ以前に『広辞林』の改訂作業のために三省堂から仕事をしてくれないかという依頼が私にあったのですが、その頃、私はお茶の水女子大から東大に移ったばかりで忙しく、お断りしたのです。すると何ヵ月かしてから、広辞林とは別に、新しい一冊の大きな国語辞典の編集をお願いしたい。これは編集に七〜八年を見込む、ということで依頼されました。これなら日程的に大丈夫だろう、やってみましょうか、ということで引き受けたのです。これが私と『大辞林』との関わりの最初です。

引き受けた以上は、国語辞典としての新しい意味付けを持ったものでなければならないと考えました。私ども執筆者・編纂者の立場としては、売れる、売れないは別にしてね(笑)。例えば、英語の辞書を見ていても、オックスフォードの辞典などのほかに、ウエブスターやランダムハウスなど、新しい、アメリカ英語を中心とした辞典がいろいろ出ていますね。日本でも現代語中心のの記述で貫いた辞書があっていいのではないかと考えて、その方針でやったらどうか、と言ったらみんな賛成してくれましてね。この方針を私がずっと進めてきたということなんです。

武藤:ということは、「大辞林」の編纂を始められた当初から、この方針が決まっていたということですね。

松村:そうです。ところが、今までにそのような辞書がなかったものですから、このように記述してください、と原稿のサンプルを作り、それを見本にして執筆者の方々に依頼しましたが、モデルになる辞書が今までにありませんでしたから、最初はいくらお願いしても、うまくいきませんでしたね。

武藤:当時から「日本で初めてのことをやっているんだ」という気持ちがおありでしたか。

松村:それはそうですけれど、しかし、それほど大それたことをやっているとは思いませんでした。だって、ある意味で、国語辞典としては当然のひとつのかたちと言えるわけですから。

武藤:当時出ていた『広辞苑』をにらんだ編集方針ということもあったのでしょうか。

松村:もちろん、『広辞苑』と違うかたちの辞書を作ろうとしていたという意識はありました。例えば、現代語と古語との語義とがはっきりわかるようにと、古語には「古」という表示をしてみようと考えた時期もありました。しかし、この案は他の辞書で採用するものが出たのでやめてしまいました。私ども辞書の編纂者は、そのあたりは一般の人と考えが違っていて、出すならば、少しでも辞書史の上で、何らかの意味で新しいものを出す必要がある、と考えてやっています。別に危険、とか冒険、ということは考えないのですが。それはある意味では当然でしょ?(笑)。評論家の方、作家の方は、書く以上は新しい何かを出さなければならない、ということと同じことです、辞書はたくさん出ています。一般の人は、辞書はどれでも同じだと思っているかも知れませんが、私どもはそのようには考えません。ちっとも同じではないですよね。それぞれの編者が、みないろいろと苦心をしています。出す以上は、その辞書のオリジナリティ、意味付けをみなさん考えているのではないでしょうか。

「用例」は人なり
―ことばの新現象についても意欲的に分析・記述

編集部:『大辞林』は辞書の世界をどう変えたのでしょうか。

松村:変えたなんてそんな大それたことはありません。ただ、少なくとも『大辞林』のありかたも、一つの辞書の行きかたとしてある、という認識は広まってきているのではありませんでしょうか。

既存の大型国語辞典は、「歴史的な辞典」という面でのマイナスの面も、ものによってはあるのではないでしょうか。例えば、近世以降の語については弱いところがあるものもあるのではないでしょうか。歴史的辞典とうたうのであれば、そのあたりをきちんと改訂していく必要もあるでしょう。

武藤:そうですね。記述が古代語からいきなり現代語に飛ぶというようなところがありますね。

松村:ですから、『大辞林』が出たことによる影響力はやはりあったでしょうね。『大辞林第二版』刊行で一冊本の辞書として、これから影響力を与えて行くことがあるでしょう。しかし、同時にこちらもこちらなりに編集方針をしっかり守っていかないと、よそがああだからこうしよう、という考え方になってしまいがちです。そうならないようにしたいと思っていますが。

武藤:ほかに新しい方針としてお考えになっていたことは何があるでしょうか。

松村:それは、初版の序文にほとんど書いてあります。実を言うと、あれは最初評判がよくありませんでした。序文というものはそもそも大所高所から書くものであって、技術的なことは書くものではない、と人に言われたのですが、私は押し通してしまったんですけれども(笑)。結果的には、あれが面白いと言って下さる人もおりましたが。

国語辞典は、語義記述と語義解説、すなわち、言葉の使い方と意味を言葉で説明するものです。しかし、ことばでいくら書きこんでも、説明が十分にできるとはなかなか言えません。それを、このことばはこういう形で使われるのだ、という実際の使われ方を用例として収録し、説明と用例を一体のものとして、相互に補う関係とするのが「大辞林」の基本的な考えなのですが、それを実現するのにはなかなか苦労しました。

初版で一番苦労したのは、用例に的確なものを得るということですね。ある人は具体的に長々と書くわけです。例えば、「教授会で……」とか、どうしても自分の生活に引きつけてしまいます。執筆者に大学の先生が多いですからね。それから、あの頃はよく飲み屋で若い人と飲んでいたものですから、用例に飲み屋がよく出てきましたね。これには困らされました。

何と言っても一番気を使ったのは、年齢層から言えば封建的な体制を引きずった執筆陣ですから、原稿の段階では女性を差別するような用例が非常に多かったということです。ずいぶんこれには気を使って、直しました。差別意識もどんどんと変わってきたでしょう。何しろ初版を作っている頃は、戦後とはいえまだまだ男性中心の世の中でしたからね。

「作例主義」で[どう使うか」を示す

松村:現代語についても、現代文学の中から用例を収録するという辞書もありますが、出典まで記述していると長くなってしまいますし、むしろ現代の、私たちが使っている言葉については作例で、具体的に使い方を示すという方法をとっています。

武藤:それでも、漱石や鴎外の例は出ていますね。

松村:現在、比較的使われなくなっているようなことばについては、用例として出ています。今使われていないことばについては無理に作例によって使われ方を示すことはありません。われわれは現代語の範囲を少し広めにとっています。現代語について、今、この時点のことば、という狭い定義をわれわれはしていません。たとえば相当な年配の方は、今日からすれば古いことばを、自分の言葉として使っている方もいらっしゃいますからね。かつてはそれも作例によって示そうとしていたので大変でした。最初は明治時代に使われていたような言葉も作例していた時期があります(笑)。

武藤:すごいですね。

松村:しかし、これは難しかったです(笑)。明治を中心にして、大正時代くらいまで、作例で無理なものは引用にしよう、ということになりました。昭和のものも若干ありますが。作例にするか、出典付きの用例にするか、出典つきの用例にすることにしても、どのようなところから引いてくるか、ということは辞書を作る際の悩みの種なのです。

辞書づくりはドラマ

松村:辞書づくりは本当に波瀾万丈ですね。完成するまでにたくさんの人が出入りして、いろいろな間題もありましたが、しかし、何と言っても「用例は人なり」というのを非常に感じましたね(笑)。もちろん、辞書になった段階では一般化した、きちんとした記述にできるだけしていますが、原稿の段階では、本当に、人によってさまざまです。熱心な人の原稿ほど、その人の生活なり、その人の考え方なりがはっきり出てしまいますね。なかなか面白いですよ。「文は人なり」と言いますが、文を書くときはもう少し、いろいろ整えたりしますね。それでも人となりは自ずから出るのですよ。しかし、それが用例になると、生活そのものが出てしまいますからね(笑)。だから、捨ててしまった用例の原稿をとっておいたとしたら、なかなか面白かったと思います。

本当に、この辞書を長くやっておりまして、いろいろ勉強になりました(笑)。でも、出来上がってしまうとむなしいものですね(爆笑)。いや、『大辞林』は、結局は辞書というかたちにはなりましたから、かたちとしては残るわけです。これからも私も生きている限りは手を入れていきたいと思っています。ですからまだ、幸せなのですが、活字に残らないまま終わった辞書づくりもずいふん多かったですからね。むしろ辞書づくりというものは、かたちにならないで終わってしまう場合のほうが多いのではないでしょうか。

執筆者や編集者のみなさんはよくやって下さいました。これは本当にありがたいと思います。みんなが力を合わせてくれたから。よく持ちこたえてくれました。とにかくね、辞書づくりは、一つの大きなドラマですよ。