文字サイズ変更
「三省堂類語新辞典」について

刊行にあたって

中村 明『三省堂類語新辞典』編集主幹 早稲田大学教授

中村明先生
撮影=岩橋 昇

ことばがなかったら、夏目漱石の小説も小津安二郎の映画も存在せず、モーツァルトやセザンヌを語ることもできない。いとしい相手に思いを伝え、献立を考えるにも、患者が体の不調を訴え、医者が指示を下すにも、表情や手ぶりでは心もとない。ことばは人生に潤いをあたえ、命をも救う。むろん、万能ではない。落日の海の色、林を渡る風の音、ワインの味や香り、あるいは憤り、ためらい、晴れがましさ、そういう感覚や感情を描くのは苦手だ。が、思考活動を自在にする。日本語は日本人の生活を支え、この国の文化を築いてきた。

日本語も万全とはいかず、ことばの意味はたいてい一つとは限らない。「井伏鱒二の本」「再婚した弁護士の妻」など何種類かの意味にとれる。「奥さん生まれたらしいね」「うちの娘は男の子」で話が通じ、「飲んだら乗るな 乗るなら飲むな」という交通標語が目的をはたすのは、聞き手や読み手が常識を働かせ、ことばの奥にある話し手や書き手の意図をくみとろうとするからだ。コミュニケーションは発信者と受信者との共同作業なのである。たがいを思いやる人のやさしさが、世の中をなめらかに動かす。

この本はそういう円滑なコミュニケーションを支える日本語をみがくことを最終目標に、日常の生活場面で具体的に役立つ、血の通った、楽しい類語辞典をめざした。日本語を分類するのではなく、とりまく【自然】【人間】【文化】の環境のもと、ともに生きている〔土地〕〔動物〕〔人体〕〔活動〕〔学芸〕〔産物・製品〕〔抽象〕〔認定・形容〕…といったジャンル、暮らしに密着した《天候》《樹木》《病気》《親族》《職業》《感情》《家庭》《行為》《経済》《交通》《芸術・芸能》《住》《時》《位置》《たしからしさ》《つながり》…といった領域の各分野ごとに必要なことばを採集するという方向で語彙選定をおこなった。

ことばを引いて意味を知る国語辞典とは逆に、意味からことばを探しだすところに類語辞典の本領がある。国語辞典では単語単位にすべての意味を記述するが、類語辞典は意味が中心だから、「円」は《学問》と《単位》、「かね」は《化合物》と《経済》に、それぞれの語群で現れる。同一分野でも意味が違えば別の語群に出る。「天気」は空模様の意では「天候」の次に現れ、晴れの意では「晴天」「好天」の次に出る。観点が違っても同様で、「秋刀魚」や「鱧」は《魚類》と《食》とに現れ、後者では調理法に言及する。

ことばが浮かばないと国語辞典は引けない。こういう意味をどう表現するか、そんなときが類語辞典の最初の出番だ。異性に心ひかれる気持ちであれば、【人間】の部の〔感性〕というジャンルの〈好〉という領域を引くと、「熱愛・思慕・鍾愛…」「熱を上げる・惚れ込む・恋い焦がれる・ぽうっとなる・憎からず思う…」「慕わしい・恋しい・愛しい…」「ふわふわ・くにゃくにゃ…」といった語群が意味と用例つきで並んでいる。すぐに思いつく「雨」や「小雨」から「涙雨・微雨・細雨・煙雨・小糠雨…」といった語群を引いて最適の語を選ぶときが第二の出番だ。それに備え、めざす語群にすぐにたどりつく便利な五十音順索引を考案した。

表現面に役立つよう、そのほかさまざまな工夫を重ねた。ことばの慣用的な結びつきを重視して用例を豊富に掲げた(「雨」に八例、「時間」に七例、「緩い」に七例)のも、適宜 古風・文章・会話・俗語 といった位相や季語を示したのも、「風」の近くに「起こる・立つ・出る・吹き募る・吹き渡る…」という動詞や「そよそよ・ビュービュー」といったオノマトぺを配したのも、「その気になる」「本腰を入れる」「如何ともしがたい」「事志と違う」「時を移さず」「一癖も二癖もある」「目にも留まらぬ」「応接に暇が無い」といった連語・慣用句などの長い単位をとりあげたのも、その一例である。

意味分析の専門家の書き下ろしたコラム[類語のニュアンス]は、「ほこり・ちり・ごみ・くず」「照る・光る・輝く」「怖い・恐ろしい」といった紛らわしいことばの微妙なニュアンスの差を解説してあり、これは表現と理解の両面に役立つだろう。

以上の実用性とともに、肩こりのほぐれる楽しい辞典にすることにも力を注いだ。類語辞典の伝統を破って、図解の有効な項目に多数のイラストを挿入したのはその試みだ。各ページの欄外に、「智恵子は東京にが無いといふ、ほんとのが見たいといふ。」「ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ」といった項目関連の名言名句をちりばめたのも、言語文化論の専門の立場から、日本語に映る日本人の姿を描いた三つの扉エッセイを掲げたのも同様だ。巻末の[カラー歳時記]は、日本人の暮らしに深くかかわる花・鳥・風物・行事を写真とイラストでたどり、美しい日本の四季をめぐる楽しい旅である。

「違法・非合法・不法・無法」ということばの意味を区別する知識がまず必要だ。「文士」という語には時代の空気と凛然とした響きを感じ、「ものかき」という語には生計を支えるために書くといった自虐的なにおいがあるという。「作家」「文筆家」「著述家」それぞれにみな違う。そういう語感を嗅ぎ分けるセンスもほしい。どの葉を見ても「緑」で間に合わせる人もあれば、「鶯茶・老い緑・鶸色・萌黄色・抹茶色・苔色・山葵色・木賊色…」と形容し分ける人もいる。それは表現の細かさの問題ではない。感じ方の繊細さが違うのだ。理解し表現する語彙が増すにつれ、考え方や感じ方の幅が広がる。教養とは遊び心であり、この世を心ゆたかに生きるための知恵である。味わい深く生きたいと、テラスや公園のベンチで、あるいは芝生や畳に寝ころんで、好きなページを開く。思い思いに楽しんでいるうちに、やがて風がページをめくるかもしれない。 ことばがなかったら、夏目漱石の小説も小津安二郎の映画も存在せず、モーツァルトやセザンヌを語ることもできない。いとしい相手に思いを伝え、献立を考えるにも、患者が体の不調を訴え、医者が指示を下すにも、表情や手ぶりでは心もとない。ことばは人生に潤いをあたえ、命をも救う。むろん、万能ではない。落日の海の色、林を渡る風の音、ワインの味や香り、あるいは憤り、ためらい、晴れがましさ、そういう感覚や感情を描くのは苦手だ。が、思考活動を自在にする。日本語は日本人の生活を支え、この国の文化を築いてきた。

日本語も万全とはいかず、ことばの意味はたいてい一つとは限らない。「井伏 二の本」「再婚した弁護士の妻」など何種類かの意味にとれる。「奥さん生まれたらしいね」「うちの娘は男の子」で話が通じ、「飲んだら乗るな 乗るなら飲むな」という交通標語が目的をはたすのは、聞き手や読み手が常識を働かせ、ことばの奥にある話し手や書き手の意図をくみとろうとするからだ。コミュニケーションは発信者と受信者との共同作業なのである。たがいを思いやる人のやさしさが、世の中をなめらかに動かす。

この本はそういう円滑なコミュニケーションを支える日本語をみがくことを最終目標に、日常の生活場面で具体的に役立つ、血の通った、楽しい類語辞典をめざした。日本語を分類するのではなく、とりまく【自然】【人間】【文化】の環境のもと、ともに生きている〔土地〕〔動物〕〔人体〕〔活動〕〔学芸〕〔産物・製品〕〔抽象〕〔認定・形容〕…といったジャンル、暮らしに密着した《天候》《樹木》《病気》《親族》《職業》《感情》《家庭》《行為》《経済》《交通》《芸術・芸能》《住》《時》《位置》《たしからしさ》《つながり》…といった領域の各分野ごとに必要なことばを採集するという方向で語彙選定をおこなった。