三浦しをん(みうらしをん)
作家。1976年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。 2000年、長篇小説『格闘する者に〇』(草思社)でデビュー。小説に『光』(集英社)、『仏果を得ず』(双葉社)、エッセイに『ふむふむ─おしえて、お仕事!─』(新潮社)、『本屋さんで待ちあわせ』(大和書房)など著書多数。小説もエッセイもともに人気をほこ る。 駅伝をテーマにした小説『風が強く吹いている』(新潮社)は漫画化、映画化、舞台化などされている。『まほろ駅前多田便利軒』(文藝春秋)で直木賞を受賞 、のちに漫画化、映画化もされている。『舟を編む』(光文社)は2012年に本屋大賞を受賞し、映画化された(2013年4月公開)。

聞き手●三省堂出版局長瀧本多加志、中学校国語教科書編集部/場所●東京・三省堂本社/取材日●2013年2月13 日

みんなで読むということ

さきほど読書感想文のお話の時に「国語の授業って、読んですぐに感想を聞かれていたな」「そんなにすぐに言語化できるのかな?」というお話がありましたが、言語化できる、アウトプットできるようになるというのは、どれくらいの時間が必要なものなのでしょうか?

すぐには言語化できないと言いましたけど、そのままにして、言語化しないままボンヤリしていると、忘れてしまうという弊害もあるんですよね。文章化するというのは、読んだ時の自分の思いや考えを記憶として定着させるという意味もあって、しかも、無理矢理にでも言語化しようと試みることは、その時に何を思ったのかを考えるきっかけにもなるから、直後に感想を書かせるというのも悪くはないんだろうなっていう思いもあります。そうでもしないと記憶が流れ去ってしまうということはありますから。
ただ、言語化のコツをつかむのには、それなりの時間と訓練が必要ですよね。中学生ぐらいで自分の気持ちとか考えたこと、感じたことを、はじめから明確に頭の中で言語化できる人は少数派なんじゃないかという気がします。少なくとも私が中学生の時は、モヤモヤを感じてはいたし、考えてはいたけど、明確に言語にして誰かに伝えることはできなかったなと思います。大人になってもあまりうまくできないけれど。中学生といえばお年頃ですし、自分の感情や意見を友達に言うのは恥ずかしいという気持ちがあったと思う。ですから、それを恥ずかしがらずにできるように「おかしいとか間違いだとか言わずに、自由に書いたり話し合ったりしましょう」みたいな感じにうながしてくれる先生であれば、教科書の作品がいい刺激になって、みんなで話が盛り上がるようになるし、言葉で表してみよう、言葉にして人に伝えてみようという気持ちが育ってくるように思います。言葉をうまく伝えられるようになるのって、一生かかっても無理というぐらい難しい。伝えたり、うまく感じとったりすることって、本当に難しい。でも、授業の中で作品を読んで、それぞれがどう思ったのか、無理強いではなくうまく言語化をうながすような場ができれば、それはとてもいいことですよね。そういう経験を子どもの頃にするのは大事なことだと思います。

それが負の思い出にならないことが大事ですね。

そういうふうにもっていっちゃだめですよね。それは先生の問題だし、クラスの雰囲気も関係してくるでしょうね。そういう先生は少数派だと思いますが、どの世界にもやる気のない人はいないわけではない。みんなの興味とか好奇心とかをかきたてるのがへたな先生もいるでしょう。その場合、授業で感想を言ったり書いたりするのは、生徒にとっては苦痛ですよね。生徒がこうだと思うって言ったのに、「はあ? 何言ってんの」みたいに聞く耳をもたないような先生だと、生徒は自分の考えや感情なんて絶対に言おうとしなくなります。こればっかりは、残念ながらみんながいい先生にあたるとは限らないし、難しいですよね。