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辞書出版における媒体転換の問題(2)

2007年 10月 5日 金曜日 筆者: yama

インターネットや電子媒体で使われる辞事典の普及によって、紙の辞書の危機が言われるようになっています。この状況を、「媒体(メディア)」の問題からとらえ、それへの取り組みの一環としての「三省堂デュアル・ディクショナリー」の紹介、さらには、今後の「辞書」のあり方への提言を含めて考察した当社瀧本の文章を2回にわたって掲載いたします。

(本稿は、2007年2~3月に、紀伊國屋書店が提供する 学術・専門書 の総合情報サービス Kinokuniya e-Alert に2回にわたって掲載された記事を転載したものです。)

辞書出版における媒体転換の問題(2)

2007年3月
三省堂辞書出版部次長
瀧本多加志

第2回目次

禁断の果実

紙媒体の辞書マーケットが縮小し、辞書出版総体が苦境に立たされていると言うと、「でも、ロイヤリティ収入が入るでしょ」と指摘されることがよくある。

ここでいうロイヤリティ収入とは、IC型電子辞書へのコンテンツ提供料や、ポータルサイトのウェブ辞書へのASPサービス提供料など、デジタル媒体辞書に対して出版社が自社の辞書コンテンツを提供し、その対価として出版社が得る収入のことである。確かに、ロイヤリティ収入は得られる。それどころか、主要な辞書では、一書名で年に十数億の金額が辞書の版元に流れるようになっている。紙媒体辞書の売上減少を埋めるには不足する額ながら、このロイヤリティ収入を計算することなしには、辞書出版社の経営が成り立たないほどの大きな取り引きに成長している。

短期的レンジにおける経営施策からは、このロイヤリティ収入を少しでも高めることが要請される。そのために、すべての辞書ジャンルにおいて、自社の紙媒体辞書をトップ商品に押し上げることが求められる。紙媒体でのデファクト・スタンダードの地位を得ることが、デジタル媒体におけるデファクト・スタンダードに直結する傾向があるからだ。

ここには既に、デジタル媒体のために紙媒体のトップを目指すという、ある倒錯した論理が入り込む隙間が生じている。出版社は、少なくともこの論理の範疇においては、受注業者として振る舞うことを余儀なくされる。受注業者である以上、製品の内容決定に関与することも、価格を決めることもできない。また、コストの低減が常に発注元から要請される。そして、そこに、辞書出版社間の競争が導入される。そのため、より多くの受注を得るためには、辞書コンテンツの単価を切り下げる必要が生じる。

この流れは、現実の経営問題として、媒体転換期の辞書出版社を更に苦境に追い込む。この世界は再販制の「圏外」であり、再販制が守ってきたといわれている多様性も失われがちである。しかし、それよりも、ここでいちばん重要なのは、辞書出版産業が構造的変容をきたしていることではないだろうか。つまり、出版とはいいつつ、出版社がメディアの産出者の地位からずり落ち、コンテンツ供給者に変貌しつつあることである。

その観点からすれば、ロイヤリティ収入というものは、出版社にとっての「禁断の果実」であったといえるかもしれない。

つまり、もし仮に、ロイヤリティ収入の確保が辞書出版事業全体の延命や維持につながると考える経営施策があるとすれば、それは、媒体転換期を最も浅い瀬で渡ることにほかならないからである。メディアから剥離されたコンテンツを、しかも安売りしてでもデジタル媒体のシェアを高めようという競争ばかりしていたのでは、辞書出版の底が抜ける日を我から引き寄せているようなものである。

それで良いのか。それが最終的にユーザー(読者)のためになるのか。このような姿勢は、出版社にとって、媒体転換という危機の段階をひとつ深くし、媒体喪失へと導きかねないのではないだろうか。問題は、メディア(媒体)とコンテンツとの関係を、どう考えるかである。

メディアとコンテンツは分離できるのか

かつて、「ワンソース、マルチメディア」というフレーズが、ある種の希望の言葉として、まるで呪文のように唱えられた時期があった。もしかすると、今でもこの呪文は命脈を保っているのかもしれないが、それはともかく、メディアとコンテンツが分離できるという考え方は、まさにこの呪文と符号する。つまり、どんなメディアにも対応する無色透明なコンテンツが存在し、それが多様なメディアにそのまま乗るという、共通の前提が両者にあるからだ。

しかし、それは本当だろうか。そういうことが実際にあり得るのだろうか。このように反問すると、コンテンツがメディアを離れて売買されている以上、それは既に実現されてしまっている、という反論が直ちに返ってきそうである。

確かに、コンテンツは売買の対象になり、それが禁断であるかどうかは別として、ロイヤリティ収入という果実を出版社にもたらしている。しかし、このことをもって、「ワンソース、マルチメディア」ないし「メディアとコンテンツの分離」が実現された根拠とするのは、論理のすりかえとしか思われない。確かに、売買はされているが、それは出版社と他産業のメーカーとの間の話であって、コンテンツのみを買ってくれる読者やユーザーはいないからである。

たとえば、映画とテレビの関係を考えてみたい。テレビで映画が放送される場合、しばしば横長のワイド画面を両端で断ち切り、しかもテレビの放送時間の都合に合わせて独自の短縮編集版が作られ、それが放映されてきた。劇場上映との間の画質差を問題にするまでもなく、ここでは、メディアに合わせてコンテンツが作り変えられている。これを、「ワンソース、マルチメディア」と美称する者は、ほとんどいないはずである。

逆に言えば、本来は映画というメディアと一体のものとして制作された映像コンテンツを、異なるメディアであるテレビで放映するための工夫が、ここにはある。その工夫が、コンテンツや作品の劣化を招いているからといって、工夫自体を見逃してはならないと思われる。

同じことが、デジタル媒体辞書でも生じている。媒体が変わることによって、良くなる部分と悪くなる部分の両方があるにせよ、必ずメディアに合わせてコンテンツは作り直されているのである。それがどんなに微細な部分であれ、メディアが変わった以上、コンテンツは変容せずにはいられない。そもそも、メディアなしにコンテンツはあらわれることができず、したがってメディアを伴わないコンテンツは誰にも使うことはできないのである。コンテンツだけを買ってくれる読者やユーザーがいないのは、当然と言わねばならない。

一方、「映像にせよ音楽にせよ辞書にせよ、最も大切なものは容れ物の姿ではなく中身だ」という考え方がある。とりわけ、「作品」を作る側には、情熱もあればプライドもあり、なおさらそのような自負が生まれる。これは、もちろん大事なことで、このような意識なしには、どんなに素晴らしい容れ物を用意しても、本当の意味で利用者(ユーザー)に対する責任は果たせない。

しかし、この論理にも見落としがある。大切な中身、素晴らしい内容を読者に届けるためには、中身と容れ物を同時に作るしかないという点である。

出版社は何を売ってきたのか

かつて経験したことのない媒体転換期において、出版社は深い内省を迫られている。そもそも、私たちは何を売ってきたのか。自問自答は、このように、版元のありようを根本から問う形をとらざるを得ない。

これまでの論述からも明らかなように、この問いの答えはコンテンツではない。私たちが作りかつ売ってきたのは、有用有益なことがらを、その内容に合わせて、精緻な組版・印刷・製本でもって形にした書籍という名の「紙の束」、すなわちメディア(媒体)そのものであった。

当たり前のことを当たり前に確認するところからしか、おそらく私たちは媒体転換に正対することはできない。出版はメディア産業であるという事実。「コンテンツ産業」と、ひと括りにされることもあるが、メディアから分離されたコンテンツは、使うことも、エンドユーザーに買ってもらうこともできないという事実。これら自明であるかのような事柄を、はじめて遭遇する事件として受け止め、その上で媒体転換に向き合う必要がある。

以上のような文脈からいえば、ロイヤリティ収入というものは、禁断の果実というより、「反」出版的利益と考えねばならないだろう。媒体の制作は他産業にまかせ、ロイヤリティ収入だけを見つめる視線があるとすれば、それは、媒体の放棄であり、出版産業の本質を踏み外す身振りにつながりかねない。「媒体喪失」の危機とは、この事態を指すのである。

顧みるに、出版産業総体において、みずからの産業の本質を産業構造論的な観点から検証する作業は、他産業に比べあまり行われてこなかったのではないかと思われる。逆に言えば、この産業は、そのような検証など必要としない、ある意味で成熟し安定したモデルに基づき運営されてきたといえるかもしれない。

しかし、今や、そのような観点なしには、全工程を見渡した上での良き辞書作りは不可能となっている。そして、それは、ひとり版元だけの問題ではなく、また、辞書という特定書籍だけの問題でもなく、印刷、流通(販売会社や書店)をも巻き込んだ、広義「出版界」の問題に発展しつつあると思われる。

媒体転換の先例である映画産業の場合を振り返っても、大手映画製作会社が倒産したり、撮影所システムが崩壊したりしただけではなく、60年代を通じて各社の系列映画館は激減し、流通のシステムそのものが根底から揺さぶられたのである。これは今や、遠い異国の話でも、いにしえの物語でもなく、広義「出版界」におけるきわめてアクチュアルな問題である。

では、「媒体喪失」を回避し、出版の本質に立ち戻るためには、何が必要なのか。

再び「デュアル・ディクショナリー」の試みに戻って

出版の本質というものがあるとすれば、コンテンツとそれを容れる媒体を、一体のものとして、共に高度な水準で制作するということだろう。

このシンプルな原則を踏まえれば、デジタル媒体においても、メディアとコンテンツを遊離させず、両者をもろとも創出する必要があるのではないだろうか。そうでなければ、出版社としておこなう電子「出版」とは呼べないのではないか。また、エンドユーザーに対する責任を十全に果たすこともできないのではないか。

少なくとも私たちはそのように考え、その自覚を、「メディアを握り返す」あるいは「媒体喪失から媒体創出へ」というスローガンで表現してきた。そして、そこから、「デュアル・ディクショナリー」というコンセプトが生まれたのである。

「デュアル」というからには、二つのことを同時になし遂げなければならない。ひとつは、組版・印刷・製本を含めた紙媒体制作を徹底して極めること。もうひとつは、出版社と他産業との間に横たわる仕事の境界画定を侵犯してでも、デジタル媒体の制作に打って出ることである。

この一見背反する両者を同時に、イノベーションの先端付近でなし遂げることはできないのか。それが、この試みの要諦であった。別の言い方をすれば、「ワンソース、マルチメディア」という安易な幻想を一度棄て去り、「ワンソース、マルチメディア」とは似て非なる発想と方法によって、二つのメディアをもろとも産出する試みであった。

そのために、まず私たちがおこなったのは、編集部および印刷組版部門とのチームを再組織し、一貫したワークフローを設計することであった。

幸い、同一グループ企業である三省堂印刷の支援と協力が得られたこともあり、マスターデータをXML形式で保持する「XMLワークフロー」を構築することができた。XMLとは、辞書の複雑きわまりない「意味と構造」を正確に記述できるデータ形式である。このワークフローには、辞書出版部のデータプロセッシング部門が全面的に関わり、全体の進行統括およびデータの整備や変換にあたった。このワークフローは、ほぼ完全に内製化されたものであり、その意味でも、出版社が二つの媒体を同時に創出したと確言できる。

私たちは、デジタル媒体辞書として、ウェブ辞書を選択した。それは、インターネットというメディアの将来性ならびに発展性と、出版社がみずからの力で創出・運営できるデジタル媒体であるという点を、総合評価しての選択であった。

「XMLワークフロー」の過程で特筆すべきことは二つある。ひとつは、外部の専門プログラマーではなく、三省堂印刷の組版技術者みずからが、XSLTというプログラミング言語を駆使し、XMLマスターデータを変換、CTS組版ソフトでの自動組版を実現したこと。もうひとつは、辞書出版部データプロセッシング部門に属する辞書編集者が、XMLの定義書にあたるDTDと、XMLマスターデータをウェブ辞書に変換するXSLTおよびCSS(ウェブ辞書のレイアウトを決定するスタイルシート)をみずから設計・執筆したことである。

この事実は、印刷・出版が合同して先進的ワークフローを推進した証であると同時に、出版社がみずからの力で、これまで蓄積してきた紙媒体辞書の編集技術を踏まえた地点で、デジタル媒体辞書を創出したことの象徴ともなっている。これまで何度も強調したように、デジタル媒体においてもメディアとコンテンツを分離せず、両者を最上の形で統合し制作する責任を果たすためには、紙媒体辞書における組版技術や編集技術を、どれだけ活かせるかが重要なポイントになる。そのことが、デジタル媒体辞書のクオリティを高め、エンドユーザーにより良い製品を届けることにもつながるからだ。

今後、私たちが更に新たな取り組みをする際にも、印刷組版の技術をデジタル媒体にどう転用してゆくのかという課題は、常に追究されねばならないだろう。

これまで、専門分化を続けることで発展してきた広義「出版界」ではあるが、媒体転換という大きな出来事を前に、いったん分化した専門性を再統合・再配置する必要に迫られている側面がある。いわゆるプリプレスは、その最たる対象である。これは、デジタル媒体においてもメディアを手放さないためには、回避できない道ではないだろうか。ここでも、私たちは、出版の原初的な姿を再確認することを求められているのかもしれない。

おわりに

辞書出版は、確かに現在、総体として大きな転換期を迎えている。しかし、今のところまだ、その底は抜けてはいない。産業として成り立つことと、産出される辞書の水準を高め続けること。この二つの実現のためにも、出版社がデジタル媒体辞書にどう向き合うかが問われている。

同時に、個別出版社の努力だけではなく、広義「出版界」として、この問題にどう取り組むのかという議論が、もっとなされてもよい。産業としての動揺を体験している時期には、競争原理だけではなく、自社の利益を守るためには業界の利益を守るほかないという観点も、併せて導入する必要があるだろう。媒体を問わず、読者・ユーザーに優れた辞書を提供し続けるために何をなすべきか。この課題を持ち続ける限り、業界全体の利益や活性化を論じ合っても、個々の出版社や業界のエゴイズムに陥ることはないと思われる。キーワードのひとつは、おそらく「公開」になるだろう。

そのような大きな問題の前では、私たちが実現した「デュアル・ディクショナリー」は、ささやかな試みと言わねばならないだろう。また、ビジネスモデルの確立に向けて、今後克服すべき課題も自覚している。私たち自身、この試みが、媒体転換期における「最終回答」とは、もちろん考えていない。しかし、メディア産業の本旨に立ち返り、媒体転換に正面から挑もうとした姿勢は、将来に必ずつながるし、つなげてゆけると考えている。

今後、他の辞書出版社が、私たちのモデルへの対案として、デジタル媒体を含めた新しい辞書メディアを提案することもあるだろう。私たちは、むしろそれを心底から望んでいる。そのような切磋琢磨や多様な創意の発現こそが、出版界全体として「メディアを握り返す」大きなうねりを作り出すに違いないと信じるからである。

しかし、ほかの誰よりも先に、まず私たち自身が、私たちの試みを超えてゆかねばならない。

(終わり)

>> 第1回

第1回目次

* 本記事は、紀伊國屋書店が提供する 学術・専門書 の総合情報サービス Kinokuniya e-Alert に、2007年2~3月に2回にわたって掲載された記事を転載したものです。転載をこころよく許可していただいた Kinokuniya e-Alert事務局に感謝申し上げます。

* 職制名などは当時のままですので、現在は変更になっている場合があります。

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2007年 10月 5日