社会言語学者の雑記帳

1-2 最高のフィールドワーカーの条件2

2008年1月23日

実はフィールドワークで苦しんでいるのは我々ばかりではなく、他のグループでも背が低くもなく、不幸にして女性でもない人々、特に英語もまだまだ未熟な外国人は、都市の荒野を駆けめぐっては辛酸を嘗めていたのでした。そんなある日のこと、突然担当教授が授業で一人一人に紙を渡してくれました。

「うーむ、君らの中にはかなり苦労をしている者もいるようだから(モットハヤクニキガツケヨ…)、私がいいことを思いついた。使えるときにはこれを見せて、ま、なんとかやってみなさい」

「?」

それは「日々是思いつき」を地で行く担当教授が書いたお手製の証明書で、それぞれに我々の名前と、この者は私の大学院の授業の学生でなんら怪しい者ではない、という文面が書いてありました。さすがは教授の思いつき、これもそれなりに威力がありました。日本のフィールドワークでも、最初の人を探すのに教育委員会から紹介していただく場合がありますが、アメリカ社会における「大学教授」は、かなり社会的信用のある職種なので、効果があったのでしょう。うさんくさそうな顔でドアを閉めようとするその刹那、「あ、大学の授業なんです、証明書もあります!」と早口で言うが早いかぱっと差し出して、何とか家に招じ入れてもらったこともあります。

家に通されたら、手際よく録音機材をセットし、マイクやレコーダのテストをすることで、相手の信頼を得ることもできます。また、自己紹介がてら、自分が日本から来たのだと言うことも、相手の興味を引き、プチ信用を得ることが出来ました(もっとも、一度我が同胞にアンチな方に出くわし、イスをぶん投げられそうになったこともあったのでした(TДT))

そしていよいよスイッチオン!となったら、ともかく相手の話したいことを探り出し、それをとことん話してもらうことに専念します。不思議なもので、相手の言うことをマジメに聞いていると、どんな話でもそれなりに興味が持てるようになるものです。元軍人の昔話、大都市郊外の白人ばかりの町で時に孤立するアフリカ系アメリカ人の苦労話、プロのホルン奏者の語る言語論など、話者もトピックも方言もさまざまでした。でも、なんとかめいっぱい話してもらおうと必死になってついて行くと、相手もどんどん話してくれるものです。「必死の形相で採るくだけた会話」というのも変なのですが、ともかく一生懸命聞く人が目の前にいれば、男だろうが外国人だろうが、人はどんどん話すものなのですね。こうした努力を積み重ねた結果、私もやっといくつかインタビューが取れるようになりました。めでたしめでたし\(^O^)/

結論。件の「最高のフィールドワーカーの条件」というのは、あくまで外見限定な話であり、他の面でいくらでもカバーが効くものなのです。インタビューやフィールドワークというものは、人と人とが出会う場なので、嫌でもフィールドワーカーの地が出てしまいます。それだけに読んだ論文の量とか詰め込んだ言語学の知識より、どれほど興味を持って人の話が聞けるか、また人が話したくなるような顔をして聞けるか、が問われてしまうのですね。これが、性別や背の高さに優らずとも劣らない、重要な要件なのでした。

そう言えば、実はやはり巨漢(ただし水平方向に…(^^ゞ)でありながら、次々と名インタビューをモノにし、未だに授業でその功績(というか伝説)が語り継がれる人もいます。現在は文法理論で世界的に名の知られるようになったこの人こそ、上述の「背の低い元気な女性の一般化」に対する生ける反例と申せましょう。そもそもその「日々是思いつき教授」も、かなり濃ゆ~い外見の標準的身長を持った男性だったのですしw

というわけで、みなさん、フィールドワークしてみませんか?

筆者プロフィール

松田 謙次郎 ( まつだ・けんじろう)

神戸松蔭女子学院大学文学部英語英米文学科、大学院英語学専攻教授。Ph.D.
専攻は社会言語学・変異理論。「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」と称して、自然談話データによる日本語諸方言の言語変化・変異現象研究や、国会会議録をコーパスとして使った研究などを専門とする。
『日本のフィールド言語学――新たな学の創造にむけた富山からの提言』(共著、桂書房、2006)、『応用社会言語学を学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2001)、『生きたことばをつかまえる――言語変異の観察と分析』(共訳、松柏社、2000)、『国会会議録を使った日本語研究』(編、ひつじ書房、2008)などの業績がある。
URL://sils.shoin.ac.jp/%7Ekenjiro/

編集部から

次回は「で、フィールドワークってなに?」「フィールドワークしたものをどうするの??」ってところを、体験談もまじえてご紹介。