クラウン独和辞典 ―編集こぼれ話―

4 耳の文化と目の文化 (1)-リスニング能力-

筆者:
2008年4月7日

欧米人は初対面の相手でも、すぐに名前を覚えてくれる。それが日本人の名前のような聞き慣れない発音であってもあまり苦にはならないようである。そして、以後は挨拶の言葉などに必ずと言ってよいほど相手の名前を添えるが、これが親しみをもってくれているようでたいへん感じがよい。それに対して、私に限らず日本人一般に言えることだと思うのだが、相手の、とくに外国人の名前、とりわけこれまで耳にしたことのない名前を聞きとるのがどうも苦手であり、紙に書いてもらったり、綴りを言ってもらうなど、とりあえず文字に書きとめておかないとおぼつかない。

これは名前に限らず、単語などの表現一般に当てはまるようである。なぜなのだろうか。欧米人は耳がよく、日本人は耳が悪いといったような生理的な差があるわけではないであろう。これには文化的な違いの一端が表れているように思われる。

欧米の言語は表音文字であるアルファベットで書かれる。つまり、基本的に欧米語のテクストは音声言語を再現したものである。日本語も表音文字である仮名を使ってそうすることができる。日本語には同音異義語が多いから仮名だけで書かれた文章は読みにくいとも言えるが、耳で聞いた時には別に支障がないのだから、それでも構わないはずだ。しかし、ふつう私たちは文法的な語尾や語などは仮名で表し、名詞、動詞、形容詞などの意味を担っている語幹部分は表意文字である漢字を使っている。つまり、私たち日本人は文章を書いたり読んだりする場合、欧米人のようにいったん音声に戻して理解しているのではなく、視覚的に漢字から直に意味をとってテクストを理解するのを優先しているのだ。漢字の読み方、発音がわからなくとも気に掛けないこともしばしばである。私たち日本人はこのような表記上の習慣によって日常的に音声を疎かにしているのだが、このことが耳からの音声の聞きとりを苦手としている原因のひとつと考えるのである。

筆者プロフィール

『クラウン独和辞典第4版』編修委員 新田 春夫 ( にった・はるお)

武蔵大学教授
専門は言語学、ドイツ語学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員

編集部から

『クラウン独和辞典』が刊行されました。

日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

(第4版刊行時に連載されたコラムです。現在は、第5版が発売されています。)