三省堂国語辞典のすすめ

その30 笑ってるけど、にやけてないよ。

筆者:
2008年8月27日
【携帯小説も『三国』の資料】
【携帯小説も『三国』の資料】

携帯小説が大人気なのだそうです。だれでも手軽に読める一方で、ストーリーが陳腐、文章もまずいと、悪評も聞こえてきます。私はどうかというと、携帯小説はどれも一級品ぞろいだと思います。もっとも、新しい日本語の資料として、という意味ですが……。

「あ~!! 超お腹減ったしっ♪♪」というせりふで始まる美嘉『恋空』も、注目すべきことばに満ちています。そのひとつを紹介しましょう。

〈「何一人で笑ってんだよ!?」/教室に戻ってにやけていると、/前の席のヤマトがその様子を見かねて振り向いた。〉(前編・337)

友人らの希望する卒業後の進路が自分と同じなので、ヒロインは自然に笑いが込み上げてくるというのです。その場面で「にやける」という動詞を使っています。

【にやけた男?】
【にやけた男?】

「にやける」を主な辞書で引いてみると、「男がなよなよして、女のようなようすを見せる」というふうに書いてあります。男色の対象の少年「若気(にやけ)」から来たとも言います。「にやけた若者」といえば、おしゃれだが、でれでれして頼りない男ということで、『恋空』で使われているような「にやにやする」という意味は、本来ありませんでした。「にやにや」の「にや」と同音なので、いつしかまぎれたのでしょう。

『三省堂国語辞典』では、すでに初版(1960年)で「にやにやする」の意味をとらえており、〈〔男が〕変にしゃれたり(にやにやしたり)して男らしくないようすをする。〉と記しています。今日でも、ほとんどの辞書には「にやにやする」の意味は書かれていませんから、『三国』初版の語釈はきわめて先駆的だったと言えます。もっとも、上記では「男が」と限定されていますが、今日の用例を見ると、特に性別には関係ありません。そこで、第六版では、次のようにブランチ(意味区分)を分けました。

〈1 〔男が〕変にしゃれたりして男らしくない ようすをする。「にやけ(た)男」 2 〔あやまって〕にやにやする。「にやけづら」〉

【『三国』だけが気づいた】
『三国』だけが気づいた】

最近、大東文化大学の中道知子氏のゼミが、現代の「にやける」がどのように理解されているかについて研究発表を行いました(第33回語彙・辞書研究会 2008.6.14)。主要な国語辞書の「にやける」の語義が現状と合わないなかで、唯一、『三国』だけが新しい語義を記している点が評価されました。私たちとしては冥利に尽きることでした。

筆者プロフィール

飯間 浩明 ( いいま・ひろあき)

早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。

URL:ことばをめぐるひとりごと(//www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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編集部から

生活にぴったり寄りそう現代語辞典として定評のある『三省堂国語辞典 第六版』が発売され(※現在は第七版が発売中)、各方面のメディアで取り上げていただいております。その魅力をもっとお伝えしたい、そういう思いから、編集委員の飯間先生に「『三省堂国語辞典』のすすめ」というテーマで書いていただいております。