今週のことわざ

(ろう)を得(え)て蜀(しょく)を望(のぞ)

2008年9月15日

出典

後漢書(ごかんじょ)・岑彭(しんぽう)

意味

一つのものに満足しないで、さらにより以上のものを求め望むこと。欲にはきりがないこと。満足を知らないことをいう。「隴(ろう)」は、隴西(ろうせい)で、今の甘粛(かんしゅく)省にある。「蜀(しょく)」は、今の四川(しせん)省。

原文

両城若下、便可兵南撃蜀虜。人苦足。既平隴、復望蜀。毎一発一レ兵、頭鬚為白。〔両城若(も)し下らば、便(すなわ)ち兵を将(ひき)いて南のかた蜀虜(しょくりょ)を撃つべし。人、足るを知らざるに苦しむ。既に隴(ろう)を平らげ、復(ま)た蜀を望む。一たび兵を発する毎(ごと)に、頭鬚(とうしゅ)(ため)に白し、と。〕

訳文

(後漢(ごかん)の光武帝(こうぶてい)は、建武(けんぶ)十年《三四》に全国を統一したが、その間もっとも頑強に抵抗したのは、隴(ろう)の隗囂(かいごう)と蜀(しょく)の公孫述(こうそんじゅつ)であった。建武八年、岑彭(しんぽう)は帝に従って、隗囂を攻めた。公孫述は兵を出して隗囂を助けた。帝はこれを攻撃したが、自分は一たん洛陽(らくよう)に引き揚げることにし、そのとき岑彭に次のような手紙を送った。)「二つの都市(=隗囂の西城(せいじょう)と、公孫述の上邽(じょうけい))がもし落城したら、ただちに兵を率いて南へ進み蜀の賊どもを討て。人間というものは満足するということを知らないから困る。わたしは隴を平定したうえに、さらに蜀の地を望むのである。ただ戦をするたびに、髪の毛が白くなる。」(その後、隗囂は死んでその子は漢に降(くだ)り、公孫述も蜀の成都(せいと)で滅んだ。岑彭は公孫述のために暗殺されたが、光武帝はついに蜀をも平定して、全土を統一した。)

解説

この句は曹操(そうそう)(=魏(ぎ)の武帝(ぶてい))の語としてもよく知られる。『晋書(しんじょ)』宣帝紀(せんていき)に、西晋(せいしん)の宣帝すなわち司馬懿(しばい)は益州(えきしゅう)(=蜀(しょく))を狙(ねら)うべきだと曹操に進言した。それに対して曹操は、「人というものは満足しないことに苦しむものだ。もう隴右(ろうゆう)(=隴)を手に入れているのに、このうえ蜀を手に入れようとするのか。」と言って遂(つい)にその進言に従わなかった。この曹操の語は、光武帝(こうぶてい)の言葉を借りていると推定されるが、その意味するところは光武帝の場合と異なっている。光武帝が積極的にその欲を満たすことを実現したのに対して、曹操は、人間の無限の欲望を戒めたのである。いずれにしても「望蜀(ぼうしょく)」という言葉は、すでに日本語の中でも定着していて、「高望み」という語や、「いっそうの期待」という意味と同じに使われている。必ずしも、悪い意味にのみ、用いられているわけではない。

類句

◆望蜀(ぼうしょく)

筆者プロフィール

三省堂辞書編集部