三省堂国語辞典のすすめ

その44 術式、終わり──なつかしいせりふだね。

筆者:
2008年12月3日
【どの術式で手術する?】
【どの術式で手術する?】

『三省堂国語辞典 第六版』に「術式(じゅつしき)」という項目が載りました。〈手術するときの、きまった方式〉のことです。大きな辞書を含めて、このことばを載せている辞書を知りませんが、医療に関する文章ではよくお目にかかります。

このことばは、ある世代の人にとっては、とりわけ身近なはずです。というのも、手塚治虫の名作まんが「ブラック・ジャック」に頻出することばだからです。ご存じのとおり、この作品は、無免許の天才外科医が主人公で、手術の場面がよく出てきます。少年チャンピオン・コミックス版から、主人公のせりふを拾ってみます。

〈術式終わり……/ピノコ……/どこへ いく? ここにいろ!〉(第2巻〔1974.8〕p.163)

〈術式すべて おわり!/しょくんに 感謝する……〉(第8巻〔1976.6〕p.171)

このように、手術後の場面で、「術式終わり」の形で使われる例が目立ちます。「手術のプロセスは終わり」ということでしょう。私が見たところでは、コミックスの1巻~24巻(著者の生前に出た巻)の範囲で、「術式終わり」は少なくとも5回出てきます。

【手塚作品からも用例を】
【手塚作品からも用例を】

『三省堂国語辞典』の編集委員会の時、編集部のOさんから、「術式」の用例として「術式終わり」を添える案が出されました。私はそれを聞いて、Oさんが「ブラック・ジャック」の愛読者だったことを確信しました。ただ、残念ながら、この用例は採用されませんでした。「術式」が〈手術するときの、きまった方式〉である以上は、「術式終わり=手術の方式が終わり」という言い方は意味をなさないと考えられたからです。手塚さんが、どうしてこのような使い方をしていたのか、それは分かりません。ともあれ、ほかの用例を探そう、ということになりました。

「術式」の用例には不自由しません。週刊誌などの実例はすでに10例以上たまっていました。でも、上記のような行きがかりから、ここは「ブラック・ジャック」の中から適例を探したいと、私は思いました。ページを繰っていくと、ぴったりの例がありました。

〈ヘフナー鉗子/縫合して!/ここまでは 従来の術式でよいが ここからが よく 見ていたまえ〉(第24巻〔1984.2〕p.36)

この例をもとに、「従来の術式」という用例が入りました。だれも気づくはずのないことですが、この用例は、手塚治虫へのひそかなオマージュ(賛辞)のつもりなのです。

【絵は見せられません】
【絵は見せられません】

筆者プロフィール

飯間 浩明 ( いいま・ひろあき)

早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。

URL:ことばをめぐるひとりごと(//www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】

編集部から

生活にぴったり寄りそう現代語辞典として定評のある『三省堂国語辞典 第六版』が発売され(※現在は第七版が発売中)、各方面のメディアで取り上げていただいております。その魅力をもっとお伝えしたい、そういう思いから、編集委員の飯間先生に「『三省堂国語辞典』のすすめ」というテーマで書いていただいております。