日本語社会 のぞきキャラくり

第16回 釣り込まれと反発

筆者:
2008年12月7日

いつもおっとりと大阪弁をしゃべっていた丹生夫人が、今日は東京弁を早口でまくし立て、見守る幸子に「何だか人柄が急に悪くなったようだ」と感じさせてしまう。なぜ今日の丹生夫人はうかうかと東京弁をしゃべって『東京人』キャラを発動させ、自分の印象を悪化させてしまったのか?――これが前回の問題であった。

この問題の答の一部は、前回の文章に出ている。

もともと丹生夫人が東京弁がうまいのは、東京人とのつき合いが多いからであり、今日、丹生夫人がことさらに東京弁で通しているのも、一緒に会話している相良という「何から何までパリパリの東京流の奥さん」につき合っていると思えるふしがあるのである。このように、私たちは会話相手のことばにつられ、引きずられるということがある。

実際、そういう幸子自身だって、後日、再び東京弁をまくし立てる丹生夫人と話していて、「いくらか東京弁に釣(つ)り込まれ」てしゃべるという場面がある(『細雪』下巻, 1947-8)。そもそも幸子という人は、洪水騒ぎの折とはいえ、隣りに住んでいるシュトルツ夫人というドイツ人に「(あなたの娘さんの学校は無事だと聞いた。)あなた安心ですね」とか「(あなたの妹さんの安否がわからないそうだが)あなたの心配、わたし分かります。わたし、あなたに同情します」とかカタコト日本語で言われて、その都度「ありがとございます」とカタコト日本語で答えてしまうぐらい、釣り込まれやすい人なのである(『細雪』中巻、1947)。

もっとも、相良夫人を交えた問題の会話では、幸子は東京弁に釣り込まれていない。むしろ「こう云う夫人の前へ出ると、何となく気が引けて、――と云うよりは、何か東京弁と云うものが浅ましいように感じられて来て、故意に使うのを差控えたくなり、却(かえ)って土地の言葉を出すようにした。」とある。

このような、相手と違った方向に行こうとする動きを、磁石のN極どうし、あるいはS極どうしが離れ合い、反発し合う様子にたとえて「反発」と呼んでおく。「反発」は、磁石のN極とS極が引き合うように相手と同じ方向に行こうとする「釣り込まれ」とは対照的ではあるが、私たちの日常のコミュニケーションには「釣り込まれ」同様、よく観察される。第8回で述べた、「相手が『姉御』キャラで来るなら、まあいいや。私もふだんは『姉御』キャラだけど、ここは『妹』キャラでいくか」というような『キャラ』かぶりを避けようとする動きも、「反発」の一つと言える。

では、幸子が釣り込まれることがあるとはいえ、反発することもある東京弁に、なぜ丹生夫人は(少なくとも描かれているかぎりでは)反発することなく、やすやすと釣り込まれるのだろうか?(さらに次回につづく)

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。