日本語社会 のぞきキャラくり

第17回 ニンニク部屋の内と外

筆者:
2008年12月14日

強烈な『東京人』キャラの相良夫人に、幸子がかえって反発して『大阪人』キャラになる一方、丹生夫人はやすやすとつり込まれて『東京人』キャラになる。なぜか?

それは、幸子が東京弁があまり上手くなく、丹生夫人が東京弁が上手いからである。逆に、幸子は反発するから東京弁が上手くない、丹生夫人はつり込まれるから東京弁が上手いと言うこともできる。どちらが原因でどちらが結果と決まっているわけではない。

ニンニクのたとえを使って説明しよう。ニンニクのたっぷり入った料理を皆で食べたとする。皆で食べているので、誰もちっともくさくはない。くさいというのは、その部屋へ外から入ってきた人が感じることである。

東京弁はニンニクである。東京弁の文化圏とはこのニンニクを皆で食べている部屋、ニンニク部屋である。この部屋の中にいる人どうしは、お互いにまったくニンニクのくささを感じない。

相良夫人はニンニク部屋のまっただ中にいる。だからニンニクの匂いを感じない。ふつうにしゃべり、ふつうに行動しているだけである。だがその「ふつう」が、ニンニク部屋の外にいる幸子にはくさくてたまらない。キザったらしくていやらしいというイメージが離れない。

大阪っ子でありながら、女学校を東京で過ごした丹生夫人も、東京暮らしの当初はそのくささに辟易したかもしれない。しかしいまや彼女は半ばニンニク部屋の住人であり、そのくささはほとんど感じない。「ふつう」である。だからこそニンニク部屋に躊躇なく出入りできる。だからニンニク弁、いや東京弁は上手くなる。

東京弁と同様、大阪弁もニンニクである。実は相良夫人は、友達の丹生夫人に「関西人らしい奥さんを一度見せて」と頼んで、幸子に会いに来ているのである。相良夫人の目には、幸子こそニンニク部屋の住人と映っている。「大阪に行ったら皆、ホントに大阪弁でしゃべってるのよ」「漫才してるのかと思った」といった東京人の「大阪体験談」は現在でも珍しくないが、半世紀以上も前の関西文化圏の幸子の物言い、立ち居振る舞い、さぞくさかったであろう。

ここで述べていることはすべての方言に当てはまることであり、また、すべての言語に当てはまることでもある。

英語、中国語、フランス語、みなくさい。くさくないのは日本語だけである。だが、外国暮らしに慣れた頃、現地でふと目にし、耳にする日本人観光客のやることなすこと、その日本くささといったらない。

或ることばを習うとは、そのことばのくさみの世界に入ることである。つり込まれてくささに慣れ、鈍化し、「ふつう」になれるかどうかが、ことばの習得のカギとも言える。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。