漢字の現在:「餅」の材料
2008年 12月 25日 木曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第28回 「「餅」の材料」
師走の、大晦日に向かって募る焦燥感、それを越えて遂に新年になり何もかもが「おめでたい」といえる悠然とした時を過ごす。年末の高揚を過ごし、正月に炬燵に入って美しく詰めたお節や雑煮(第10回、第13回)を食べる。子供のころ、年末年始は至福の時候だった。
その雑煮には決まって「餅」が入る。東日本では四角い切り餅、西日本では丸餅、細かく見れば四国などで中に餡(あんこ)を入れる所があるなど、その様子は、雑煮の出汁と同じく各地でさまざまだが、「粘り強くなるように」などと言って縁起物としても賞味されている。もち米で作られたそれを、引っ張り伸ばしては頬張るときの幸せは、日本中で共有されている感覚なのであろう。
餅は、私たちを遠い昔話にタイムスリップさせてくれる。それは幼い日に絵本などで見た、祖先の鼠と暮らすような時代の記憶なのであろうか。日本の冬、とりわけ正月の食卓を飾る隠れた主役が餅であるのかもしれない。
さて、今年は、中国や日本で、「食」に対する疑念が高まった年であった。工業用の糊になるはずの事故米を食品などに転用した事件もあった。私も中国で土産用にと買い込んだスナック菓子が、帰国後に名指しでメラミン入りと報道されるという災禍に遭った。
それはともかく、中国に「楽天小熊餅」という菓子がある(字体はここでは日本式にしてある)。これは、日本の「ロッテコアラのマーチ」に対する中国名だ。ある学生がそれを知って言う、「あれはモチだったのか」。なるほど、「らくてんこぐまもち」と音読してしまえば、響きが日本名と何となく似てはいるが、その食感はむしろサクサク、パサパサとしていて、モチとはだいぶ異なっている。
中国の伝統的な菓子には「月餅」(yue4bing ユエビン)という、1つ食べるだけでもお腹が一杯になるようなものがある。中秋節(旧暦8月15日)によく食べられるあの菓子の周りの部分は、もち米でできてはいない。粟、トウモロコシなどもあるが、たいていは小麦粉製だ。
日本では、主にもち米を蒸して搗いたものを「餅(もち)」と称している(注1)。一方、中国では、同じ漢字の「餅」(bing3 ビン 簡体字、繁体字は字体が異なる)は、通常、小麦粉を焼いたり蒸したりして作った食品であり、北方でよく食される。「饅頭」(第21回)と同じように、この漢字の指すものは、元は小麦粉でできた「むぎもち」であった。その形状から、「餅」は転じて円盤状のもの全般を指すようにもなる。
中国語で「餅干」がビスケットのことであるほか、「焼餅」「餡餅」も、日本人が思い浮かべる食品とは全く異なる。日本では「餅(餅屋)は餅屋」などというが、中国では「餅屋」がベーカリー、洋菓子屋、パン屋のことで、さらに広東語では「餅店」がケーキ屋を指す。
もち米でできたモチは、中国では、春節つまり旧正月などに食される(注2)。今でも北方より江南以南でよく食されるそれには、「年糕」(nian2gao1 ニエンガオ)など別の漢字の名が与えられており、「餅」でそれを指すことはない。この「年糕」は、「年年高」と発音が通じることから吉祥の意味があると言われるそうだ。
韓国ではどうだろう。「餅」(byeong ピョン)は、漢字語となって熟語の中で使われているが、ご多分に漏れずハングルで表記されるようになってきた。
「餅湯」(byeong tang ピョンタン)という正月の食物に入っているのは、長い餅を薄く切ったものであるが、うるち米で作られることが多いようだ。また、それには「tteok kuk トックク」という固有語のほうがよく使われている。
また、半月形でカラフルな伝統食品である「松餅」(song byeongソンビョン)は、「song pyeon」(ソンピョン)とも呼ばれ、「松片」とも書かれる。この「pyeon」は漢語に似ているが朝鮮語の固有語のようで、「
」という形声式の造字(朝鮮の国字)が使われたことがあった。これは、うるち米やもち米を蒸したものであり、引っ張ると少し伸びるのだそうだ。秋夕(中秋節・仲秋節)の日に食べることから、日本の十五夜(旧暦8月15日)の中秋の名月(明月)に供える月見団子と関連がありそうだ。団子粉はうるち米と、やはりもち米とからなる。さらに、中国の月餅とも関わりがあるのであろう。そして、韓国では、「煎餅」(jeon byeong チョンビョン)といえば、小麦粉ともち米などを煮たものや、日本の煎餅(せんべい)と同じものを指すのだそうだ。
日本と韓国とで、どちらが先に、もち米を利用した食品に「餅」の漢字をあてがったのだろう。さらに、ベトナムでも、「餅」(ビン)は漢越語にはなっていないが、もち米でできた「bánh バイン」という、よく伸びる餅が食されている。それもやはり、変化する前の字音を持つ「餅」と、かつては書かれたものだ。ほかに「
」や「
」という新たな形声式のチュノムによっても表記されていた。その食べ方自体は、中に塩辛い青い豆を入れるなど、日韓とはかなり異った独自のものである。
漢字圏において、「餅」がどのように伝播し、変わってきたのか、想像は日本の餅の如くに膨らんでくる。年明けの次回は、違う角度から「餅」を眺めてみたい。
注1 ただし、日本でも「煎餅(せんべい)」には、もち米で作られるもののほか、うるち米、小麦粉などを材料とするものがあるなど、例外はある。
2 台湾での「
」(「麻
」とも。二字目は「糍」も当てる)という新たな漢字(地域文字)、シンガポールの華僑(福建語)の間での「麻芝」という漢字などは、日本語の中の和語(やまとことば)の「もち」に対する音訳ではなかろうか。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「「口」の形」でした。
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2008年 12月 25日







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