日本語社会 のぞきキャラくり

第23回 私の初「ほぅ」体験

筆者:
2009年1月25日

前回とりあげた『しろばんば』にならって、私の初「ほぅ」体験を語ってみよう。

といっても、自分が生まれて初めて「ほぅ」と言った状況のことなど、よく覚えていない。ここでは、「ほぅ」ということばに生まれて初めて注意を向けた体験を述べる。

 

むか~し、むかしのことである。

東京のK幼稚園で、私たち年長組は「皆で『かるた』を作りましょう」という課題を与えられた。

「あ」を担当する者は、「あり」なり「あかとんぼ」なり、「あ」で始まることばを考え、その絵を画用紙に描く。「い」を担当する者、「う」を担当する者、「え」を担当する者……と続けて、「わ」あたりまで本当に行ったかどうかは覚えていないが、私は「ほ」を担当することになった。

「ほ」で始まることば、何にしよう。

「ほし」はどうか? ダメダメ。星印を書いて金色に塗るなんて、そんな安易な図柄では私の腕が泣くというものだ。

では、「ほたる」は? これも却下。虫は大嫌いだ。

さんざん悩んだ末にたどり着いたのが「ほぅ」。感心した時につぶやく、あの「ほぅ」である。

では、「ほぅ」の絵はどう描けばいいのか。

バーで男が酒を飲んでいる。

そこへ美しい女が「社長の自殺、裏があるのよ」みたいなことをささやいてくる。

男の目が細く光る。「ほぅ。くわしく聞こうか」

これが、私の考えた情景である。

もちろん、このような複雑な情景が幼稚園児に描けるはずがない。

私の「ほ」の絵はメチャメチャになった。

 

感心した時に、「ふーん」と言うこと、「へぇ」と言うことは、子供でもやる。だが、「はぁ」と言うこと、そして「ほぅ」と言うことは、子供はやらない。

子供が「はぁ」や「ほぅ」ということばを知らないわけではない。自分が観ているテレビの中で、大人が「はぁ」と言ったり「ほぅ」と言ったりすれば、大人が何かに感心しているということは子供でもわかる。だが、子供は自分では「はぁ」「ほぅ」とは言わない。

子供にとって「はぁ」「ほぅ」が「ふーん」「へぇ」より発音しづらいわけではない。ままごとで『大人』役があたると、「ほぅ、今日はごちそうだね」なんて平気で言う。そのくせ、ままごとが終わると言わない。

子供が「はぁ」や「ほぅ」と言わないのは、自分の柄でない、つまり自分のキャラのことばでないと知っているから言わないのである。

私はなぜバーの描画に立ち向かうことになったのか。これも同じことである。「ほぅ」は『子供』のことばではなく、『大人』のことばだと私は知っていた。だから、私は『大人』を描くしかなかったのである。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。