日本語社会 のぞきキャラくり

第24回 『お嬢様』考

筆者:
2009年2月1日

前2回(⇒前回前々回)で触れた井上靖の『しろばんば』には、主人公の洪作のほかにも、さまざまな子供たちがあざやかに描かれている。

その中で何と言っても忘れられないのは蘭子である。蘭子は『お嬢様』キャラの見本のような少女である。

そもそも、「おだまり!」「おやめ!」のように、動詞(いまの例なら「だまる」「やめる」)の連用形(「だまり」「やめ」)の前に接頭辞「お」を付けた形の発言で他人に命令するのは、『マダム』キャラの得意技である。『しろばんば』では、洪作のきつい母親・七重が、洪作の体を洗ってやる場面でこの技を連発するが、なんと蘭子も、洪作よりも年下の年令でありながら、

「うしろ向きになってお歩き」

「お黙り! お前さん、何言ってるんだ。何も判りもせんくせして」

などと、この技をやってのけている。これが『お嬢様』でなくて何であろう。さすがに「お前さん」以下の発言部分は大人の物言いを聞きつけて借りたという印象がぬぐえないが、それでもたとえば、アニメ『サザエさん』のタラちゃんが「要するに」ということばを覚えて事あるごとに「要するに」と言ってまわる、といった子供らしい事例よりははるかに、ことばが自分のものになっている。

蘭子が繰り出す技はこれだけではない。「さ」と言って人を促す技は、これもやはり『大人』の技で、『しろばんば』でも使い手といえば、老婆、祖父、父、母、叔母、先生、……という具合に大人ばかりである。ところが、蘭子は子供であるにもかかわらず、

「さ、早く言いなさい」

「さ、蘭子ちゃん、海へ行くわよ。みんないらっしゃいよ」

などと言っている。

もちろん、自分のことを「蘭子ちゃん」と言ってしまうところは『子供』である。洪作に負けまいと、腕まくりをして海に向かって石を投げるところ、カステラを天井に投げつけたりするところも『子供』である。

だが、蘭子の大人びた物言いの技は、「あーら、いらっしゃい」の「あーら」や「あら、跳び込めるの?」のような、下降調イントネーション「あ(ー)ら」での驚き、「そう、それは知らなかったわ」のような「そう」での了解、「そんなら跳び込んでごらんなさい」のような「~してごらんなさい」での命令など多彩であり、なかなか板についている。

蘭子のように、『子供』がうっすら残るとはいえ、『大人』特に『マダム』キャラが或る程度「地」になっているもの。『お嬢様』キャラとは、つまるところこのようなものではないだろうか。

 

だが、いま『お嬢様』キャラとして述べたものは、実は『お嬢様』キャラの1タイプでしかない。『お嬢様』キャラには別のタイプもある。(次回に続く)

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。