漢字の現在

第36回 韓国には「×」がない?

筆者:
2009年4月16日

韓国では、試験などの採点に用いられる記号としては、「○」「△」「/」が一般的に多いそうだ。「△」の代わりに部分点の点数のみを書くこともあり、「△」や「/」の横に点数を並べて記す先生もいるという。このような数字と併記するたぐいの方法は、日本でも見受けられる。不正解には「/」の代わりに、日本と同じく「×」を使う先生もいるという。


ただし、一部の辞書に載っている、丸を指す「トングラミ(ピョ) donggeurami(pyo)(まる標:印)」、バツ(罰)を指す「カウイ(ピョ)・カセ(ピョ) gaui(pyo)・gasae(pyo)(はさみ標:印)」などの名称は、ふつう使われず、試験の解答についても、「合っている」「合っていない」などと動詞などを用いて句で言い表すとのこと。「△」は「semo」(セモ)と、三角を意味する固有語で呼ぶが、「/」は鋏の形でもないので上記のものはもちろんだが、「スラッシュ」と言うこともまずないのだそうだ。

それは、漢字の書き取りが余りないから、というわけでもなさそうで、それらの記号をどう読むのか、留学生の方から聞いてもらったところ、韓国の若い人たちは、やはり誰も読み方・呼び方を知らなかったという。決まった表現として「OX(オーエックス)を付ける」とは言うそうで、「エックス」は英語圏や、日本の東北地方(前回参照)などと一致するが、やはり「当たったものが多い」などの表現を使うとのことだ。「テストで思いの外たくさん丸をもらった」、「僕はバツばっかりだったよ」といった日本での通常の文は、韓国語には直訳ができないようだ。

これは、興味深い。韓国では「○」という形は、ハングルを通して文字の要素として馴染み深く、「△」も古文でハングルの子音の要素として学ぶ。日本人は、句点としては「。」、半濁点としては「゜」など、中国系の記号として小さな「○」を採り入れているほか、一部では「このコーデで○」、「こういう男は×」というように文字列に代行する働きも生じている。

正解・不正解を示し、また点数を出すための手段にすぎない「○」や「×」を、日本では「まるじるし」、「ばつじるし」などと名づけたわけだが、「しるし」を付けず、単に「まる」「ばつ」と呼ぶことも多い。それは、拍数が長めだからということもあるが、それらを「しるし」という存在にとどめず、それ以上の位置付けを与えようとする認識の現れではなかろうか。名称、さらに語として読み方までを付与し、表意性のある図形として対象化し、愛着、時に「×」への恨みさえも抱いているのかもしれない。もしかしたら、若年層にある日本人が手紙や携帯で、独特な記号や絵文字を異様なまでに好むことを解くカギが、そうしたところに隠れている可能性がある。

自分の手で懸命に書いた漢字に対して、採点者が細部まで字形を観察し、独自の規範意識によって「×」を付けることがあるという。そのたぐいの話はしばしば聞くが、そういえば、国語辞典の見出し表記にも、常用漢字の表外字には「×」が小さく付けられているものがある。せめて、誰が見ても不条理と思う冷たい「×」だけは、解答用紙の上から消えてなくなってくれることを願う。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』
『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究により、2007年度金田一京助博士記念賞に輝いた笹原宏之先生から、「漢字の現在」について写真などをまじえてご紹介いただきます。