2009年 4月 のアーカイブ

社会言語学者の雑記帳3-2

2009年 4月 10日 金曜日 筆者: 松田 謙次郎

社会言語学者になるまで(2)

 ある日のこと、午前中のフィールドワークから帰ってきた私は、現地の習慣に従ってホテルですやすやと昼寝をしておりました。と、目が覚めて見ると、天井に何か巨大なものが。それは、

 ク モ

キャ━━━━(゜∀゜)━━━━!!。私はクモが大嫌いで、こうして文字で書いていても見るのが嫌なほどです。電車の車体に「クモハ」などと書いてあると目をそらしますし、映画「スパイダーマン」などはまったくあり得ないオハナシだとしか思えません。それが、巨大なクモが、寝ている自分の真上の天井に張り付いている……! それから数分間の記憶が完全に欠落しているのですが、気がつくとホテルのフロントで大声で叫んでいました。それから不審な顔をしたフロントのおニイちゃんが面倒くさそうに私の部屋でクモを探しているシーンが断片的に浮かぶのですが、それ以外の記憶はかなり不確かです。

 しかし、私はこの時悟りました。しょせん自分には、自然が一杯の沖縄のフィールドワークは無理である。修士論文は乗りかかった舟であるからやり遂げるとして、これが終わったらフィールドを変えよう。そうだ、やっぱり生まれ故郷の東京にしよう。

 こうした深刻な動機により、私は翌年修論をまとめたネタで生まれて初めての学会発表を鹿児島で終えると、きっぱりと沖縄方言から足を洗いました。考えてみれば、たいして組織的に勉強したわけでもないのに、よくもいきなり沖縄方言を取り上げたものです。知らないと言うことは、本当に恐ろしいことです。学会発表の際には、沖縄語の専門家からいくつも鋭い質問が飛び、背筋に冷たい汗を感じたものです。同時に、こうした動機で研究分野を変更した人間も珍しいかも知れません。たいてい研究者が専門のフィールドを変えるには、それこそ「魂を揺さぶるような書物との巡り会い」とか「○○教授との運命的な論戦」、果ては「××学における自らの役割に限界を感じ」といった感動的な動機やエピソードがあるのが通例というもの。私のようにクモが嫌で、という軟弱なお方には、とんと出会ったこともないのであり、こういうところでも言語学者としての資質が問われてしまいそうです┐(´д`)┌。

 修論を終えた私は、すでに「博士後期課程在学」の身となりました。そして社会言語学、それも言語変異と変化の理論を勉強したいという気持ちが修士論文を経てますます強くなった私は、すでに留学を視野に入れていました。しかし留学準備は2年はかかるもの。さて、この2年間をどうしようか。

 まず早稲田のアメリカ人の先生の授業に出席しました。一種の他流試合です。修士の頃からほかの大学の授業に出させてもらっていたのですが、やはり自分の大学より外の世界を知ってしまうと、ああ、このままではダメだと焦ります。この先生の授業は形態論がテーマで、自分としては知識の穴であったこともあって学部の授業でありながら非常にまじめに勉強し、ついに先生は私の大事な恩師となりました。

 この経験から「自分の大学の外の世界」を知ることの重要性に気付いた私は、さらに暴走してアメリカ言語学会の夏期講習会にもノコノコ出かけてしまいました。カリフォルニアの陽光がさんさんと降り注ぐスタンフォード大での開催でしたが、この夏期講習会でまたしても「っがーん」という衝撃を受けました。なんということでしょう。ここでは社会言語学者も生成文法学者も真剣に互いの話を聞いて建設的な議論をしているし、コンピュータも図書館も使い放題。授業はむかーしの教科書を細かーく読んで訳をする(!)のではなく、先生の説明を聞いたらみーんなバシバシ言いたい放題質問をしている。中には相当アホな質問もあるが、だーれもまったく気にしない。( ・∀・)イイ!!これは(・∀・)イイ!! こういう環境で一度社会言語学を研究してみたい。これで一気に留学意欲に火がついたのです。

 この時期、さらにもう一つ、国立国語研究所の調査に参加しました。最初は当時参加していた授業の先生のお誘いでしたが、北海道の富良野市での共通語化調査でした。打ち合わせのために生まれて初めて国語研究所に行った時には、「きっと日本語の知識も試されるんだろうなぁ」などとあらぬ妄想が走り、日本語文法に今ひとつ自信のなかった私は、前日にコッソーリ『国語学概説』などを斜め読みしたものです(笑)

 院生仲間と参加した富良野調査は、自転車で富良野市を駆け巡っては、住所からインフォーマントを探しだし、調査をするという、まさにフィールドワークの最たるもの。一度、夜遅くに調査があり、原野のようなところで来るはずの迎えの車を待っていた時に見た真の闇も忘れがたいですが(^_^;)、それ以上に調査をやり終えた時の達成感も忘れられません。富良野調査でがんばったご褒美だったのか、国語研ではその後『方言文法全国地図』の調査にも参加させて頂きました。

 そしてそして! 出願書類だ推薦書だTOEFLだGREだ奨学金だと幾多の関門を抜けて、やっと卒論以来ずーっと憧れていたペンシルバニア大学に留学できることになりました\(^-^)/。目指していたのは、もちろんLabov教授。普通アメリカの大学に留学を考える時には、複数の大学に出願するものなのですが、私はペン(と現地では呼ばれていました)一本でした。ペンに入れなかったら、留学する意味もない、とまで考えていたのです。今考えると、これはかなり極端な考え方で、もっと広い視野で考えていても良かったのではないかとも思うのですが、そこは若気の至り。私の目にはペンしか見えていなかったのです。

 さて、こうして渡った彼の地でのオハナシはまた次回に……。

* * *

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【筆者プロフィール】

松田謙次郎(まつだ・けんじろう)
神戸松蔭女子学院大学文学部英語英米文学科、大学院英語学専攻教授。Ph.D.
専攻は社会言語学・変異理論。「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」と称して、自然談話データによる日本語諸方言の言語変化・変異現象研究や、国会会議録をコーパスとして使った研究などを専門とする。
『日本のフィールド言語学――新たな学の創造にむけた富山からの提言』(共著、桂書房、2006)、『応用社会言語学を学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2001)、『生きたことばをつかまえる――言語変異の観察と分析』(共訳、松柏社、2000)、『国会会議録を使った日本語研究』(編、ひつじ書房、2008)などの業績がある。
URL:http://sils.shoin.ac.jp/%7Ekenjiro/

【編集部から】
「社会言語学者の雑記帳」は、「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」者・松田謙次郎先生から キワキワな話をたくさん盛り込んで、身のまわりの言語現象やそれをめぐるあんなことやこんなことを展開していただいております。

人名用漢字の新字旧字:「進」と「進」

2009年 4月 9日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

「進」と「

新字の「進」(1点しんにゅう)は常用漢字なので、子供の名づけに使うことができます。旧字の「」(2点しんにゅう)は、昭和56年9月30日までは子供の名づけに使えたのですが、翌10月1日以降は使えなくなりました。」と「の場合とは、かなり違いますね。どうしてこんなことになってしまったのでしょう。

昭和17年6月17日に国語審議会が答申した標準漢字表では、旧字の「」が収録されていました。昭和21年11月5日に国語審議会が答申した当用漢字表も、手書きの楷書体で2点しんにゅうという形で、一応、旧字の「」を収録していました。昭和21年11月16日に内閣告示された当用漢字表でも、やはり旧字の「」が収録されていました。したがって、昭和23年1月1日の戸籍法改正時点では、旧字の「」が当用漢字であり、出生届に書いてOKなのは旧字の「」だけだったのです。

昭和23年6月1日、国語審議会は当用漢字字体表を答申しました。当用漢字字体表は、活字字体の標準となる形を、手書きで示したものでした。しんにゅうは全て1点しんにゅうになっており、新字の「進」が収録されていました。当用漢字字体表の内閣告示(昭和24年4月28日)を受けて、法務府民事局は昭和24年6月29日、当用漢字表に加えて当用漢字字体表も子供の名づけに使ってよい、と回答しました。この結果、旧字の「」も新字の「進」も、どちらも出生届に書いてOKとなったのです。

それから30年あまりが過ぎ、昭和56年3月23日に国語審議会が答申した常用漢字表では、新字の「進」が収録されました。旧字の「」は、カッコ書きにすら入っていなかったのです。昭和56年4月22日、民事行政審議会は、常用漢字表のカッコ書きの旧字355組357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを、子供の名づけに認めることにしました。旧字の「」はカッコ書きに入っていないので、今後は子供の名づけには認めない、と決定したのです。

昭和56年10月1日、常用漢字表は内閣告示され、新字の「進」は常用漢字になりました。同じ日に、旧字の「」は子供の名づけに使えなくなってしまいました。それが現在も続いていて、新字の「進」は出生届に書いてOKですが、旧字の「」はダメなのです。ちなみに現在、1点しんにゅうの漢字が子供の名づけに使えるのは、違遺逸運遠過還逆近遇迎遣込遮週述巡遵進迅遂随髄逝遷選送遭造速退逮達遅逐追通逓迪適迭途逃透道導迫避辺返遍縫迷遊遥遼連蓮の58字です[2009年7月2日訂正]。一方、2点しんにゅうの漢字が子供の名づけに使えるのは、逸迂迦這遡遜辿槌辻逗樋遁逢蓬迄謎の19字です。今後、常用漢字や人名用漢字が改正されたら、いったいどうなっていくんでしょうね。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。

『三省堂国語辞典』のすすめ その62

2009年 4月 8日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

「プリン体」の説明、なかなかアマくない。

【プリンの写真】
【よく誤解されますが…】

 前回(その61)の文章で、国語辞書の説明のしかたは、百科事典とは異なるという話をしました。「大根」という野菜は、百科事典的に言えば、形も色もさまざまです。でも、『三省堂国語辞典』では、「白く太くて長い」と説明します。「大根」が、ふだんの生活の中で、どんな意味に用いられるかを示すことが必要だからです。

 しかし、と思う人があるかもしれません。「大根」ならともかく、むずかしい学術用語を説明するときは、国語辞書の記述も、百科事典と同じになるのではないでしょうか?

 ところが、必ずしもそうではないのです。そのことを、「プリン体」ということばを例にお話ししましょう。

 「プリン体」は、お菓子のプリンのようにぷるぷるした物質のこと――と思っている人もいるかもしれませんが、それは誤りです。百科事典や医学事典によれば、「ピリミジン環とイミダゾール環の縮合環をもつ塩基性物質」です。化学的には、まずこれが基本的な記述だろうと思います。

【発泡酒の缶の写真】
【プリン体カットの発泡酒】

 一方、「プリン体」ということばが一般に使われる場合、上のような知識は問題にされません。たとえば、発泡酒の広告の中では、次のように使われています。

 〈〔この発泡酒は〕プリン体をカットしていて体をケアしながら楽しめるのが素晴らしい。〉(『週刊文春』2006.10.5 p.14)

 つまり、こういうことです。プリン体は、生物の細胞の中にある物質で、ビールなどに多く含まれています。体内では尿酸に変わります。尿酸値が高くなると、高尿酸血症や痛風の原因になります。「プリン体」は、「とりすぎると痛風になるもの」という部分で、私たちの生活に関わっています。百科事典では、これらの点に言及しないものもあります。

【いわし】
【プリン体を多く含む食品】

 『三国』の第六版では、この「プリン体」を新規項目として立てました。ふだんの生活の中で、どんな場合に問題にされるかを踏まえ、次のように記しました。

 〈細胞(サイボウ)中の核酸(カクサン)を構成する成分。体内で分解されると尿酸(ニョウサン)になる。⇒:尿酸。〉

 同時に、「尿酸」の項目では、病気との関係について説明を充実させました。「プリン体」とあわせて読んでみてください。

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◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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【編集部から】
生活にぴったり寄りそう現代語辞典として定評のある『三省堂国語辞典 第六版』が発売され、「【サンコク】メディアでの紹介」の記事にある通り、各方面で取り上げていただいております。その魅力をもっとお伝えしたい、そういう思いから、編集委員の飯間先生に「『三省堂国語辞典』のすすめ」というテーマで書いていただいております。

UNIX によるコーパスデータの処理 (7)

2009年 4月 7日 火曜日 筆者: 阪上 辰也

学習者コーパス入門 第23回

今回は、「sort コマンド」を紹介します。

Microsoft Excel などの表計算ソフトを使っている時に、数字や文字をある条件で並べ替えることがありますが、その並び替えを行うのが、sort コマンドの機能です。

コーパス処理では、ある語句の出現頻度順に並び替えるケース、また、単語をアルファベット順に並び替えるケースにおいて、sort コマンドを利用することになります。今回は、2つのオプションも交えて、sort コマンドの使い方を説明します。

まず、第13回第14回の記事で紹介したように、1行1単語になっているファイルを準備します(当該記事にならい、ファイル名は「nice_all.txt」とします)。そのファイルに対する処理として、以下のようなコマンドを入力し実行します。

sort nice_all.txt [Enter キーを押す]

何もオプションを指定しない状態で sort コマンドを実行した場合、文字列の順序で並び替えが行われます。引用符などの記号類、数字、アルファベットの順で並び替えが行われます。例えば、引用符付きの「”NICE”」、引用符のない「nice」、数字の「1」という3種類の文字列があった場合、オプションなしの状態で sort コマンドを実行すると、「”NICE”, 1, nice」の順で並び替えられることになります。

続けて、「f オプション」をつけて実行してみましょう。

sort -f nice_all.txt [Enter キーを押す]

この「f オプション」により、大文字と小文字を「区別せず」に並び替えることができます。例えば、「NICE」、「Nice」、「nice」の3種類の文字列があった場合、これらは、並び替えの際に同じ文字列として並び替えられることになります。ちなみに、前回の記事で紹介した tr コマンドによって、事前に文字列を小文字に変換してしまうという手もあります(ただし、固有名詞としての NICE と形容詞の nice は区別する必要があります)。

次に、「r オプション」をつけて実行してみましょう。

sort -f nice_all.txt [Enter キーを押す]

この「r オプション」を用いると、逆順に並び替えることができます。アルファベットであれば、z から順に並び替えられることになります。このオプションと、後に紹介します「n オプション」を組み合わせることで、単語の出現頻度の並び替えができるようになります。

次回は、重複した行をまとめる「uniq」コマンドを紹介します。

▼お知らせ
2008年10月4日に、学習者コーパス「NICE」の正式版を公開しました。無償で利用可能で、特別な手続きは必要ありませんので、ぜひ研究調査にご利用ください。詳しくは、こちらのサイトをご覧ください。


■筆者プロフィール
阪上辰也(さかうえ・たつや)
名古屋大学大学院 国際開発研究科 特任助教。
専門は、コンピュータを利用した外国語教育。
ウェブサイトは、sakauetatsuya.net


※編集部注
当サイト上ではいわゆる全角の引用符が表示されますが、実際の作業ではいずれもいわゆる半角の引用符を入力します。

耳の文化と目の文化(15)-視覚的な特性(8)

2009年 4月 6日 月曜日 筆者: 新田 春夫

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(46)

ある単語が名詞であるか否かという問題とは別に熟語における構成要素の単語が名詞であるか否かという問題がある。熟語は複数の単語から成り立っている句であるが全体としてひとつの意味をもっており、その構成要素の個々の単語はもとの品詞や意味が保持されている場合からそれらがもはや意識されない場合までいろいろな段階がある。

heute Morgen「今朝に」、letzten Endes「結局は」は全体として副詞句であるが、Morgen, Endは副詞的に使われた名詞という解釈で大文字で書かれる。

teilnehmen「参加する」、stattfinden「行われる」などのteil, stattなどはほんらい「部分」、「場所」を意味する名詞であり、nehmen, findenの目的語だったものだが、1語の分離動詞として認識されているので、その中の名詞的要素は小文字で書かれる。それに対し、Rad fahren「自転車に乗って行く」、 Maschine schreiben「タイプライターを打つ」などのRad, Maschineなどは熟語の要素として無冠詞になっているが、名詞としての意味がまだ意識されるので大文字で書かれる。

定冠詞+形容詞が名詞化され、前置詞や動詞の目的語になったり、2格形が副詞として使われた熟語は旧正書法では小文字で書かれたが、新正書法では名詞であることが明らかだとして大文字で書かれるようになった:im Allgemeinen「一般的に」、den Kürzeren ziehen「貧乏くじを引く」、des Öfteren「何度も」

Jung und Alt「老いも若きも」、Groß und Klein「大人も子供も」などの熟語も形容詞語幹を名詞化したものとして大文字で書かれようになった。ただ、von jung auf「若いときから」、durch dick und dünn「苦楽をくぐり抜けて」などの形容詞語幹も前置詞の目的語であるから名詞だと考えられるが、全体として副詞であるという理由で小文字で書かれる。

熟語の中の名詞が無冠詞の場合でも、in Bezug auf「…に関して」におけるBezugは名詞として意識されるので大文字で書くが、auf Grund「…に基づいて」はaufgrundと1語に書くこともある。また、aufs herzlichste/Herzlichste「心から」、bis auf weiteres/Weiteres「さしあたり」、von nahem/Nahem「近くから」などは中間的なものとして大文字でも、小文字でもよいとされている。


【筆者プロフィール】
新田 春夫(にった・はるお)
武蔵大学教授
専門は言語学、ドイツ語学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員


【編集部から】
「耳の文化と目の文化」をまとめて読むにはこちらです。

2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

日本語社会 のぞきキャラくり 第33回 計算された(?)稚拙さ

2009年 4月 5日 日曜日 筆者: 定延 利之

計算された(?)稚拙さ

 前回述べたように、「片手直立左右振り」という身体的な否定技は基本的に『大人』の技である。その上での話だが、ここで注意しなければならないのは、『娘』が時として、いっぱしに『大人』じみた行動をとるということである。

 たとえば、「~ちゃん、きれいになったねえ」などと容貌をほめられ、照れながら急いで否定して謙遜してみせる場合には、「いえいえ」という下降調の発言と共に、『娘』の片手が体の前で左右に振られる。またたとえば、皆の前でまずいことをしゃべり始めた相手に「あっ、ダメダメ! それはここで言っちゃイヤ」と、遠くからこっそり合図する際にも、やはり『娘』の片手が左右に小刻みに振られる。片手直立左右振りが「基本的に」『大人』の技だと留保を付けたのは、この意味である。

 しかしながら、『娘』の技は『娘』の技である。しょせん、『大人』の技とは違っている。『大人』の片手直立左右振りは、前回取り上げたマンガにあるとおり、手刀のように、というのは言い過ぎだが、手首の先が定規を添えられたようにスラリとまっすぐ、それなりに優雅に伸びている。これに対して『娘』がせわしなく振る手は、手首がグニャグニャで、左右に振られる軌道も一定していない。指先も微妙に曲がり、優雅さが欠けている。

 だが、実は『娘』の方ではそんなことは百も承知で、むしろ、その線を狙っているんじゃないか。日頃あまりハッキリとは意識しないけれども、考えてみると、手首はグニャグニャで軌道もフラフラ、指先はそろわず、曲がっているのが『娘』らしいのであって、優雅さが出てしまったらおしまいだと感じているんじゃないか。

 なにしろ、『娘』というのは口をとがらせて「~なんですぅ」なんて子供っぽく言うではないか。正真正銘の子供の時分には、そんなしゃべり方はしなかったのに。「いつもハキハキしていますね」と、小学校の担任の先生にほめられたおまえはどこへ行ったのだ。「~すぅ」ってのは、『娘』になってから、幼さ、あどけなさの残るかわいさを狙って密かに自己演出しているんじゃないのか。

 笑う時に口元に手をやる、その手にしても同じことである。これがスラリと指先が伸びそろい、優雅であったりすれば『大人』(『マダム』)の口元隠しになってしまう。これではちっとも若くない。かわいくない。『娘』が口元に当てる手の、指は広がり、曲がっている。そこには秘められた意図があるんじゃないか。おじさんはそう思ってしまうね。

 若いということ、かわいいということは洗練されていないということであり、稚拙だということである。そしてその稚拙とは、意図的に仕組まれたものではなく、自然な、素のものであるはずである。だが、本当のところどうなのかということはまた別の問題である(第2回第3回を参照)。とにかく、手首グニャグニャ、軌道フラフラ、指はそろえず、曲げる。これが『娘』の片手直立左右振りである。

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◇この連載の中国語版と英語版
  中国語版⇒角色大世界――日本
  英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters

【筆者プロフィール】

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

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【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。

地域語の経済と社会 第42回

2009年 4月 4日 土曜日 筆者: 井上 史雄

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第42回「方言コマーシャルの系譜とアクセントのアッパーライン(ルビによる上線)」

「暖かい」の方言コマーシャル

 方言の経済的な価値を考えるとしたら、テレビコマーシャルの方言活用が面白いテーマです。

 古い話ですが、「チカレタビー」が1975(昭和50)年の流行語になりました。中外製薬の栄養剤グロンサンのコマーシャルで、日本各地の「疲れた」という方言をシリーズにしたのですが、秋田県花輪のが面白いと、評判になりました。収録のときに、地元の人に何度も演じてもらいましたがうまく行かなかったそうです。スタッフがふざけてまねて演じたのが取り上げられたもので、いわばにせものの方言でした。

 本物の秋田弁なら「ツカレタベー」と聞こえるのですが、母音の違いを強調して「チカレタビー(B)」に近く発音しました。流行すると増殖現象が起こって、「チカレタシー(C)」も登場して、〈疲れが激しい〉意味で使われました。

 ちょうどそのころが方言の復権の時期でした。1980年代にもときどき方言のコマーシャルがありました。その貴重な実例を、音源()でお聞かせしましょう。マークをクリックして、どうぞ。これは本や雑誌ではできない芸当です。

 1986年ころの録音です。文字化すると次のような文章です。単語と発音に気を付けると、どこの方言かが分かります。その直前に各地の教育委員会に手紙を出して「暖かい」の全国地図を作りましたが、その実例が一本のコマーシャルで聞けました。家で寝ころんでも聞けるわけですから、いい時代になったものだと、感無量でした。

日本中のかたこりさん、ハリックスゴーゴーにあったかーい温感タイプが出ましたー。

あったかいねー(愛知)
のごい (青森)
くいわ (京都)
ぬっー (鹿児島)

ハリックスゴーゴーは血行をよくし、あったかーい貼りごこちで、肩こり腰痛などをやわらげます。(後略)

アクセントのアッパーライン(ルビによる上線)

 ところで上の文字化では、アクセントの高いところをアッパーラインで示しました。これはインターネットならではの方法ですが、ワープロソフトでも示すことができる「秘法」があります。

 昔は、縦書きでアクセントを示すには、高いところに傍線を引いていました。ところがこれを横書きにすると、ワープロの文書では下線になってしまいます。アクセントの高いところを示すには、従来の慣習どおり、上線(アッパーライン)を使いたいところです。

 雑誌『日本語学』の連載で、〈ワープロソフトの「一太郎」ではアッパーラインを引けるが、ワープロソフトの「ワード」では引けない〉と書きました。その後NHK放送文化研究所のSさんからメールがあって、〈「ワード」でもルビを使えば上線を引ける〉と教わりました(明治書院『日本語学』2009年3月号、4月号〈ことばの散歩道〉130、131)。なるほどそのとおりでした。下に実例をあげましょう。

【「ワード2007」の振り仮名機能を使うには】
ワード2007の画面

【「ワード2000」などの振り仮名機能を使うには】
ワード2000の画面

 ワープロソフトのルビ(振り仮名)機能を使うには、上のようにアッパーラインを付ける文字を指定したあと、「ワード2007」なら[ホーム]のをクリックしてください。「ワード2000」「ワード2003」などでは[書式]から[拡張書式]のなかにある[ルビ]を選択してください。下のような画面が出ますから、1文字につき横線(ダッシュ「―」)2本をルビとして設定すると、ちゃんとアクセントのための上線になります。

「ワード2000」での振り仮名入力の画面

 共通語(東京)アクセントでは、どこから低くなるかが重要です。そして最初の1拍はふつう低く発音されます。しかし全国の方言が共通語と同じ規則性を持つわけではありませんから、実際にどこが高く発音されるかを、線で忠実に示すほうがいいでしょう。少し高いとか大変高いとかを、点線や太線を使って区別することもできます。

 「秘法」をインターネットで公開したら秘法でなくなりますが、お役には立ちます。楽しいだけでなく実用として役立つ文を、これからも心掛けます。

 ワードによるアッパーラインの引き方が、以上の説明で分からなかった方は、まずヘルプ機能を活用して、ルビ(振り仮名)の付け方を、練習してください。そのあと、ルビ(振り仮名)の文字の代わりに線を入れてみてください。

 なお今回の稿については、三省堂編集部の荻野(真友子)さんに大いにご助力をいただきました。御礼申し上げます。

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

『社会方言学論考―新方言の基盤』『日本語ウォッチング』井上史雄(いのうえ・ふみお)
明海大学外国語学部教授。博士(文学)。専門は、社会言語学・方言学。研究テーマは、現代の「新方言」、方言イメージ、言語の市場価値など。
履歴・業績 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/inouef/
英語論文 http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/person/inoue_fumio/ 
「新方言」の唱導とその一連の研究に対して、第13回金田一京助博士記念賞を受賞。著書に『辞典〈新しい日本語〉』(共著、東洋書林)、『日本語は年速一キロで動く』(講談社現代新書)、『変わる方言 動く標準語』(ちくま新書)『日本語ウォッチング』(岩波新書)、『その敬語では恥をかく!』(PHP新書)、『言語楽さんぽ』『社会方言学論考―新方言の基盤』(ともに明治書院)、監修に『方言と地図』(フレーベル館、最新刊)などがある。

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【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。

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この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

漢字の現在:試験と「○×△」

2009年 4月 2日 木曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第35回 試験と「○×△」

 新学期、晴れがましい新入生たちでキャンパスは一杯になる。初々しく見える彼らも、高校や予備校を終えるまでの間に、さんざん試験のたぐいを受け、その答案用紙には幾多もの「○」や「×」が付けられてきたはずだ。いや、これからも大学はもちろん、下手をすると社会に出てからも、それらの記号から逃れられない人たちも少なからずいるに違いない。

 日本人には、漢字について色々とあげつらう性質がいつの時代にも残っている。要人らの読み間違え、書き間違えに対する昨今の評も、同根であろう。国語のテストに限らず、さまざまな科目で、答案に記された漢字に対して、「○×」を付けるために細部にまで目を光らせることがあるそうだ。字形を確認し、正誤を判断するために、虫眼鏡まで持ち出されることもあると時折聞く。

 この「○」「×」と、その中間の点であることを示す「△」という記号は、万国共通のものなのであろうか。このことについて、特に漢字圏での形態と名称を比較してみたい。

 まず、日本では、正解には「○」、不正解には「×」が基本である。半分くらいとか途中まで正解、という場合には「△」も適宜与えられる。

 実際の答案用紙には、「○」は下から時計回りでひしゃげた形に大きく書かれることが多い。また採点者や採点時の気分によっては、集計の便を図って、また筆記の労を軽減するために、「○」のほかは何も付けない、逆に不正解の「×」だけしか付けないといったこともあるようだ。たしかに、そのほうが採点の集計が楽ということもあるが、採点忘れとの区別が付けにくい。ほかにも、「・」だけを打っておくなど、個性はむろん採点者によって様々に出る。解答内容によっては二重丸、三重丸、さらに花丸と飾りが付くことさえある。

 「○」が正解というのは、日本の多くの人々には感覚的に納得できよう。太陽、日の丸の象形性は別格としても、禅僧の「円相」に象徴されるように、円満で満ち足りた完全さを表現するシンボルとしての性質も帯びている。家紋や屋号にもよく利用されてきた。江戸時代の俳諧の「丸五点」(輪五点)は、○が採点に応用された走りであろうか。

 「△」は、「○」にはなれないが、「×」でもないことを示す形態だと見られないこともない。図形そのものとしては「うろこ」などと呼ばれ、すでに江戸時代には合い印や家紋など、さらに平安時代にも訓点としてしばしば見られる。「ござる」を「厶る」と書いたのも、畳んだ茣蓙(ゴザ)を横から見た姿を象った記号「△」が元だと言われる。

 一方、「×」(ばつ)は明治期から現れる名称のようだ。「凶」の字に含まれ、古代中国でも良くないことの表象とも言われる(「円」も「圓」の中の「口」や周囲の「囗」は古くは○という形に起因するとも説かれる)。「×」を「バツ」と呼ぶのは、「罰点」によると考えられている。一方、関西では「×」を「ペケ」といい、「不可」(第30回)の中国語読みからという説も唱えられているが、その「ペケ」という語の使用者は近年だいぶ減ってきているという。

 ほかにも、「×」印のことを青森でいう「エケシ」はローマ字の「X」、九州でいう「カケル」は掛け算の記号「×」に見立てた呼称とされる。確かにそれらは、活字はともかく、手書きではほぼ同じ形に記す人が多い。古来、日本で「×」という形態が意味するところについては、民俗学の蓄積もあるようだ。神域を示す「しめ縄」(七五三縄・注連縄・〆縄)の「〆」と共通するとも説かれる。さらに外国のアニメなどでお馴染みの毒薬入りの瓶に描かれた髑髏マークの下にある骨2本の交差も連想されよう。

 さて、日本では採点の際に、「×」の代わりに「チェックマーク」が書かれることもある。これは、名称からみても西洋伝来のものであろうが、結構よく使われる。このマークは、「×」よりも書きやすく、ほかにも確認、作業などが済んだことを表す印としても使用されている。年輩の方が、微妙な解答を書いたときに、「×」にはならないが「チェック」はされた、と教えてくださったが、なるほどそういうニュアンスの差もありえそうだ。

 JISの第3、第4水準を策定する過程で、担当した教科書を見ていった際に、あっと思ったのがこの「チェックマーク」であった。確か英語の教科書であったか、文字列の中に何とか存在しており、しめたと思った記憶がある。JISへその時に採用された非漢字であった。このマークがないので、ワープロによる印刷物は不便であった。よく「√」を入れるなど、苦心の跡が見られたものだ。また、「レ点」などと記され、「レ印」や「レ」を書いてください、などともある。なお、「レ点」は元は中国から伝わったもので、字を書く際に順番を間違え、2字の配列が転倒してしまった場合に、2字の間の横に記し入れる符号であった。

 さらにその鉤の部分をなくし、「/」と書かれることもある。これは右上から左下に下ろすことが多い。確かに「×」よりも楽だと、採点の時に思った経験がある。筆記の経済ということもあるが、「×」にも値しないような、努力の跡の表れていない解答や空欄などでは特にそれで済まされがち、ということもなくもなさそうだ。

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【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「「餡」の正体」でした。

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『三省堂国語辞典』のすすめ その61

2009年 4月 1日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

大根にもいろいろありますが…。

大根の画像
【「大根」を説明すると?】

 辞書について話をしていると、こんなふうに尋ねられることがあります。

 「国語辞書は、いろんな分野のことばを載せるので、たいへんですね。きっと、それぞれの分野の専門家に原稿を頼んで、それをまとめているんでしょうね」

 質問した人は、百科事典などの作り方を想像したのかもしれません。たしかに、百科事典的な性格をもつ分厚い辞書ならば、各分野の専門家に執筆を依頼します。でも、小型の辞書では、そういうことはあまりありません。少なくとも、『三省堂国語辞典』では、決まった人数の執筆陣が、あらゆる分野のことばの原稿を書いています。

百科事典の画像
【目指す方向が違う】

 予算がないから? そうではありません。国語辞書はことばを説明するものであり、ことばの専門家が執筆するのが適当だからです。百科事典とは目指す方向が違います。

 一例として、「大根」ということばを見てみましょう。『三国』の第六版では、次のように、ごく簡潔にまとめてあります。

 〈代表的な野菜の一つ。根(ネ)は たいてい白く太くて長い。「―足〔=女性の、白く太い足〕」〉

 一方、百科事典で「大根」を調べると、たしかに詳しく書いてあります。「アブラナ科の二年草」という分類に始まり、栽培の歴史、品種、構造など。ところが、不思議なことに、「代表的な野菜」「白く太くて長い」という記述は、どこにも見当たりません。

赤い大根と白い大根の画像
【赤い大根もあるけれど】

 かえって、百科事典では、「大根の形状は多様である」「色も変化に富んでいる」などと説明してあります。なるほど、植物学的にはまさしくそうです。桜島大根のような丸い大根もあれば、赤い大根もあります。したがって、百科事典としては、大根が「白く太くて長い」と単純に書くわけにはいかないのです。

 でも、私たちが「大根」ということばを使うためには、「形もいろいろ、色もさまざま」という理解のしかたでは差し支えがあります。これでは「大根のような足」という比喩も成り立ちません。国語辞書では、まず、「私たちがふだんの生活で『大根』ということばを使うとき、どういう意味で使うのか」を説明する必要があります。

 これが、「ことばの意味を説明する」ということです。百科事典の文章を短くすれば、国語辞書の説明ができあがるというわけではないのです。

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◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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【編集部から】
生活にぴったり寄りそう現代語辞典として定評のある『三省堂国語辞典 第六版』が発売され、「【サンコク】メディアでの紹介」の記事にある通り、各方面で取り上げていただいております。その魅力をもっとお伝えしたい、そういう思いから、編集委員の飯間先生に「『三省堂国語辞典』のすすめ」というテーマで書いていただいております。

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