2009年 5月 のアーカイブ

日本語社会 のぞきキャラくり 第41回 ちと訂正ですじゃ

2009年 5月 31日 日曜日 筆者: 定延 利之

ちと訂正ですじゃ

 帝都を追われ、西へ、西へと逃げて行く平家一族。今は官爵も削られ、逆賊の身に落ちている。

 原因の少なくとも一端は、讃岐の中将らが平家を裏切ったことにある。

 その中将自身は官爵を削られずに京にとどまり、さらに「一身の安全を保つ所存から」あさましい振る舞いに出ているという。これは井伏鱒二『さざなみ軍記』(1930-1938)の一節である。

 讃岐の中将は身の安全をはかるために、何をしているのか?

 逃亡中の平家の若者が噂を書き記すところによれば、讃岐の中将は「世を韜晦(とうかい)すると見せ毎日のように白い鷹(たか)を手に据え嵯峨(さが)や大原の山野へ狩に行」っているのである。

 「フォッフォッフォ、このしがない老いぼれめには、人の世など、とんとわかりませぬ。やあ、あの雲の形の面白さよ。今日はあのあたりで猟が立ちましょうかな」
てな感じて『老人』キャラを発動させて隠遁・脱俗・漂泊のイメージを強烈に繰り出し、
 「こいつ、もう完全に引退しちゃってるよ」
 「いまさらこんなの斬っても仕方ないかも」
と処刑を免れる、なんていう展開を狙っているんだあの中将は。そんなのモロバレだぞ、という憤怒を、「世を韜晦すると見せ」の「と見せ」の部分に感じるのは私だけだろうか。

 しかし中将の身に立ってみれば、勘弁してもらうためならこの際『老人』キャラの発動でも何でもやるのだ、モロバレだろうが何だろうが知ったことか、ということになるだろう。これもよくわかる。

 

 話はまったく変わるのだが、『豪快な人』とは、本人はあくまでふつうにしているその立ち居振る舞いが外から見て豪快な人のことである。同様に『親切な人』とは、ふつうにしているその行動が親切な人のことである。「これをやったら皆に『豪快な人』と思われるだろうか」「これをやって『親切な人』と思われよう」といった意図はもし露見すれば、「あの人は『豪快な人』」「あの人は『親切な人』」のような人物評を木っ端みじんにする。人物評は意図とは合わない。キャラクタは意図的にコントロールできないことになっている。遊びの文脈を別とすれば、キャラクタは意図的にコントロールしてはいけないということ、すべて前に書いたとおりである(第2回)。

 そのついでに私は「あのレストランのリモンチェッロはうまい」のような作品評に触れた。厨房からチーフが喜んで飛んできて「そうでしょう。皆さんに「うまい」と言ってもらおうと、このリモンチェッロは一所懸命作ったんですよ」と意図を吐露しても、この作品評は傷つかないと私は述べた。そのとおりである。

 しかしですのう。

 「人物評は「あの山は見事だ」のような自然物評と近く、作品評とは異質」とまで言い切ったのは、この老いぼれめの手落ちでしたわい。作品の中にも、意図的でない自然なものが期待されることはあるのですからのう。

 そもそも、自然物と完全にかけ離れたものが、この世にどれだけありましょうか。人の手になる作品とはいえ、そこに作り手にもコントロールできない自然なものをワシらが感じること、感じようとすることも、十分あるのですわ。フォッフォッフォ、やあ、あの雲の面白いことよ。

* * *

◆この連載を続けてお読みになる方は⇒「日本語社会 のぞきキャラくり」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「日本語社会 のぞきキャラくり」目次へ

◇この連載の中国語版と英語版
  中国語版⇒角色大世界――日本
  英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters

【筆者プロフィール】

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

* * *

【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。

地域語の経済と社会 第50回

2009年 5月 30日 土曜日 筆者: 大橋 敦夫

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第50回「信州弁をあしらった紙袋」

信州弁をあしらった屋代西沢書店の紙袋
【屋代西沢書店の紙袋】
(クリックで拡大します)

 しなの鉄道の屋代(やしろ)駅に降り立ち、駅を背にして歩を進めると、きれいな商店が軒を連ねています。その一角を占める「屋代西沢書店」でお買い物をすると、ほのぼのとした味わいを持つ版画と方言が印刷されたオリジナルの紙袋【写真1】に商品を入れてもらえます。

 版画に添えられた方言を、あらためて見てみましょう。

  「ぎんだれ猫・へっつい猫」=[かまどのそばをうろうろしている寒がり屋のネコ 目やにを出したうすぎたないネコ]
  「本屋で本買わず」=[本屋で本を買おう]
  「月みにいかず 花みにいかず」=[月を見に行こう、花を見に行こう]
  「づくなし づくだせ」=[無精者め やる気を出せ]
  「おらやだ われいけ」=[俺はいやだ お前行け]
  「もうらしこんだし」=[かわいそうなことだなあ]
  「おじょここくな」=[生意気なことを言うな]

 版画の作者は、地元・千曲(ちくま)市出身の「板画家」森貘郎(もり・ばくろう)氏です。地元の方言をこよなく愛する森氏には、『オラホの憲法9条』(川辺書林〈長野市〉 2005.5)という作品もあります。ページをめくると作品に添えられている条文は、

森貘郎『オラホの憲法9条』
【森貘郎さん『オラホの憲法9条』】
(クリックで拡大します)

  この国の人間(もん)は、これっきし
  なにが あらずが よその国と 戦争
  やったり よその国の 人間(もん)
  殺したり しねだしど。

 屋代西沢書店の明るい店内を見回すと、森氏の著作はもちろん、郷土出版物が充実していることがわかります。『ちょうま』『屋代』といった郷土雑誌のバックナンバーも手に取って見ることができ、郷土を愛する好学の風土がしのばれます。今回ご紹介の紙袋は、そうした文化活動を支援するお店ならではのオリジナル袋と言えるでしょう。

 惜しいことには、在庫が少なくなっているとのこと(貴重な一枚を、今回いただいてしまいました)。

 森氏のファンと信州弁の愛好者は、屋代西沢書店へ急ぎましょう。

* * *

◆この連載を続けてお読みになる方は
「地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は
「地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―」目次へ

【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

大橋敦夫先生監修の本大橋敦夫(おおはし・あつお)
上田女子短期大学総合文化学科教授。上智大学国文学科、同大学院国文学博士課程単位取得退学。
専攻は国語史。近代日本語の歴史に興味を持ち、「外から見た日本語」の特質をテーマに、日本語教育に取り組む。共著に『新版文章構成法』(東海大学出版会)、監修したものに『3日でわかる古典文学』(ダイヤモンド社)、『今さら聞けない! 正しい日本語の使い方【総まとめ編】』(永岡書店)がある。

* * *

【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。

* * *

この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

人名用漢字以外を子供の名づけに使うには (8)

2009年 5月 29日 金曜日 筆者: 安岡 孝一

人名用漢字の新字旧字・特別編 (第8回)

人名用漢字の新字旧字「曽」「祷」の回を読んだ方々から、常用漢字でも人名用漢字でもない漢字を子供に名づけたいのだが、どうしたらいいのか、という相談を受けました。それがどれだけ大変なことかを知っていただくためにも、あえて逆説的に、「人名用漢字以外の漢字を子供の名づけに使う方法」を、全10回連載で書き記すことにいたします。

許可抗告と執行停止

前回(第7回)、市町村長が許可抗告を申立てた場合でも、たいてい高等裁判所は確定証明書を交付してくれる、と書きました。これは、民事訴訟法第334条の

第三百三十四条    抗告は、即時抗告に限り、執行停止の効力を有する。

にもとづくものです。つまり、家庭裁判所から高等裁判所への即時抗告は、子供の本当の名を戸籍に記載する手続を「執行停止」する(第5回参照)のですが、高等裁判所から最高裁判所への許可抗告は、その手続を「執行停止」する効力はありません。したがって、たいてい高等裁判所は確定証明書を交付してくれる、のです。ですが、「たいてい」のところが、実は微妙に問題です。というのも、民事訴訟法第334条には第2項があって

2    抗告裁判所又は原裁判をした裁判所若しくは裁判官は、抗告について決定があるまで、原裁判の執行の停止その他必要な処分を命ずることができる。

と規定されているため、許可抗告が申立てられた場合、高等裁判所(あるいは最高裁判所)が「原裁判の執行の停止」を命令できるのです。この場合は、確定証明書は交付されませんし、子供の本当の名を戸籍に記載する手続を「執行停止」されてしまうのです。

最高裁判所の許可抗告審

最高裁判所の許可抗告審は、基本的には、法律論を闘わせる場です。あなたの事件に関する高等裁判所の決定と、過去の最高裁判所の判例との間で、矛盾があるのかないのかを議論する場です。許可抗告を申し立てるのは市町村長ですが、そのバックには法務省がついている、と考えて、まず間違いありません。極論すれば、許可抗告審は、戸籍法第50条をめぐって、行政のトップである法務省と、司法のトップである最高裁判所とが、法解釈を闘わせる場だと考えた方がいいでしょう。では、そんな場で、あなたはどうすればいいのでしょう。

法務省側としては、あなたの事件に関する高等裁判所の決定と、過去の最高裁判所の判例との間には、これこれこういう矛盾がある、と申し立てるはずです。こういう矛盾があるから、あなたの事件に関する高等裁判所の決定を取り消せ、と主張してくるはずです。あなたは、これに対する反論を、意見書の形で提出しなければなりません。内容に関してはケースバイケースなのですが、あなたの事件で問題となっている漢字と、過去の判例で問題となった漢字は、そもそも別の漢字だ、と反論するのは一つの手です。異なる漢字なのだから、それぞれ「常用平易」へのアプローチが違ってくるのは当然だ、と。これでうまくいくとは限りませんが、とにかく、あなたは反論しておく必要があるのです。

最高裁判所の決定がくだるまでには、6~12ヶ月を要します。最高裁判所の決定は、抗告棄却や原審取り消し以外に、原審を部分的に取り消す場合もあります。あなたが次に取るべき手はケースバイケースなので、最高裁判所の担当官によく相談した方がいいでしょう。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。

明解PISA大事典:読解力の問題と素材文「素材文の理想と現実」

2009年 5月 29日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第4回 素材文の理想と現実

フィンランドの女子が購読する「馬の友」 読解力の問題は素材文が命である。

 素材文を選定するときは、子どもの興味や関心を第一に考えなければならない――「学習者中心」という考えが広まるにつれ、こういわれるようになった。

 この風潮に眉をひそめるむきも少なくない。子どもに迎合しているというのである。今年1月に教科書に関するシンポジウムがあり(1)、そこで「最近の国語教科書は子どもに媚びていてイカン。教科書はリンとしたものでなければナラン」と声高に主張された。私も登壇者の一人だったのだが、父ほどの年齢の方々にそう説教されては返す言葉もない。

 リンとするのは結構だ。だが子どもの視点を無視すべきでもない。学習者中心主義の目的は子どもに迎合することではなく、子どもの自発的な学びをうながすこと。「個人の人生にわたる根源的な学習の力」(2)を測定する、PISAの価値観もまさにここにある。いつでもどこでも自発的に学びつづける人間こそ、世界中で通用する人材ということだ。

 とはいえ、子どもの自発性なんぞにまかせていたら、ますます学力低下するではないかとの反発も根強い。学力にせよ何にせよ国際規格を導入するのは難しいものだ。

 話を素材文にもどそう。

 子どもの興味や関心を第一に考えるといっても、PISAのような国際的な問題をつくる場合と、国内向けの問題をつくる場合では事情が異なる。国によって、文化によって、興味や関心の対象は違うからだ。

 フィンランドで中学生対象の言語教材の開発をしていたときのことである。どういう素材文にしようかと相談するなかで、やたらと「馬」という単語が出てきた。「やはり馬か?」「いや、前も馬だったし……」といった具合である。フィンランドの中学生の興味や関心の対象といえば「馬」だというのだ。

 うま? 不思議に思うかもしれない。実はフィンランドの若者、特に女子の理想の趣味は乗馬なのである。セレブな趣味だと思うかもしれないが、それは日本の感覚。馬といっても競走馬ではないから、値段も維持費もさほど高くはない。郊外に出れば車道のわきに馬道があって、馬に乗った老若男女がゆらゆらと行き来している。フィンランドの国語教科書に『馬の友』という雑誌を講読する女の子が登場するが(3)、これはフィンランドでは「よくある女子像」なのである。

 馬をあつかったテキストは素材文としてどうか? フィンランドであれば、子どもの興味や関心にそった素材文といえる。だが、日本では、子どもの興味や関心を無視した素材文ということになるだろう。ところ変われば興味も関心も変わるのである。

 PISAの参加国は2006年の時点で57カ国。それぞれの国にそれぞれ固有の興味や関心の対象がある。多文化主義を教条的に押し通すならば、固有の要素を強烈に押し出すべきだろう。だが、それでは全体として「子どもの興味や関心を第一に考えている」とはいえなくなる。結局のところ、世界中に共通する要素をあつかった、最大公約数的な内容にならざるをえない。これが国際的な読解力の問題の宿命であり、国内だけで実施する国語テストとは大きく異なる点である。

 国際的に読解力を測定するという意味では、PISAはきわめて現実的である。だが「国際的」という言葉を外せば、決して理想的ではない。PISAの追求する読解力を育むのなら、PISAの現実ではなく理想を見たほうがよい。PISAの現実、PISAの枠組み、PISAの限界から一歩進めて考えるべきなのだ。

* * *

(1)平成21年1月31日 シンポジウム「活字文化の振興における教科書の役割」於銀座フェニックスホール 主催:(財)文字・活字文化推進機構
(2)『キーコンピテンシー―国際標準の学力を目指して』ドミニク・S・ライチェン、ローラ・H・サルガニク編著/立田慶裕監訳/明石書店 2006年
(3)『フィンランド国語教科書 小学4年生』p53 メルヴィ・バレ、マルック・トッリネン、リトバ・コスキパー著/拙訳/経済界 2005年

* * *

◆この連載を最新記事からお読みになる方は⇒「明解PISA大事典」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「明解PISA大事典」目次へ

【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

* * *

【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。

漢字の現在:「ふすま」と「アオザイ」の共通点

2009年 5月 28日 木曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第39回 「ふすま」と「アオザイ」の共通点――「襖」

 「襖」という字の旁は「奥」か「奧」か、字体に揺れがある。画面では見えにくいかと思う。携帯電話の画面上でも、「奥」と「奧」との区別が全く付かない字形となるものがあった。中身が「釆(ノ米)」(ハン)か「米」か、という違いである(注)。この字体の細部での揺れ以上に、「襖」の字義の揺れは漢字圏において大きかった。

 日本では、この字を、木と紙でできた日本家屋の伝統的な建具の「ふすま」として用いてきた。一方、ベトナムの最大民族である京(キン)族は、その民族衣装である「アオザイ」の「アオ」の表記に、この字を用いていた。このいかにも日本らしい和室の建具と、ベトナム的な衣装とに、同じ漢字が用いられていたことには、どのような理由があったのであろうか。

 ベトナムでは、丈の長い上着である「アオザイ」が伝統ある衣装として有名だ。清朝の満州族が着ていたチャイナドレス(旗袍 qi2pao2 チーパオ)から、南国の暑さを逃れるために素材などを変えて生まれたもので、「Áo アオ」は、衣服・上着の意の漢越語であり、漢字で「襖」と書かれた。「dài ザイ」は、長いという意の固有語であり、チュノムとしては音義を表すためと見られる「曳」を旁に寄せた「長+曳」といった字が造り出された。女性の体にぴったりフィットした造り、切れ込むスリットが印象的で、学校や航空会社などの制服としても見かけられる。

 「襖」という字は、中国では古典的な意味としては、その「うわぎ」のほか、「かわごろも」、「あわせ」であった。現代の中国語では、「ao3 アオ」と読み、長い衣のほか、中国式の裏付きの上着を指す。簡体字では発音によって「袄」となっているが、その字を見ると、北京出身の院生は、上着だと感じるものの、「ちょっと古い言い方っぽいですね。小さいときは使った言葉でした。今、もし使ったら田舎者のような感じです」と述べ、今は「上衣」とか「夹克」(ジャケット)「大衣」「外套」などの語を使うようになっているとのこと。

 また、中国東北地方の出身の院生は、「冬に着る暖かい服を思い出します。昔だったら、「綿入れ」の服をイメージします」と語る。年取った人ならば、その字で「綿入れ」をイメージし、若い人だと「皮」の裏地が付いた上着をイメージする傾向があるそうだ。「夹袄」は、裏地があって、中に綿が入っていないもののことだ。なお、東北地方の田舎では訛って語頭に「n」が加わり、「nao3 ナオ」と方言で読む。

 日本では、「ふすま」よりも実は「あを」(あお)と読まれることのほうが古かった。これは「襖」の日本漢字音(呉音・漢音)である「アウ」から変化して生じた語である。ベトナム語と発音が似ているのは、中国語の古い発音をともに残すためである。令制の武官の制服に定められて以降、公家の略服である「かりぎぬ」(「かりあを」から)、あわせの上着へと、その語が指す服の実体は移り変わった。中世期以降の「素襖」(すおう、すあを、すあうとも。「素袍」とも記す)にも、この語が含まれているようだ。

 日本では、これとは別に、布団や寝具などの夜具を指す「ふすま」という和語が存在していた。それを用いる寝所での間仕切りとして「ふすま障子」というものができる。さらにそれを単に「ふすま」と称するようになった。それが両面とも布地張りであったことから、同じように両面布地でできていた「襖」(あを)の字が借りられて、ついにこの字が「ふすま」という建具を指すようになり、訓読みとしても定着をみたと考えられている。そのため、逆に、「ふすま」で「あを」のことを指すことさえ起こっていたともいう。

 朝鮮半島でも、朝鮮王朝時代には「襖裙」(o gun オグン)で、女性のトゥルマギつまり朝鮮特有の外套のような着物とチマを指すことがあったようだ。いわゆる韓服のコートのようなもので、日本ではツルマキとも書く。

 漢字圏各国では、衣食住にわたって、中国からの強い影響を受けてきた。しかし、それぞれの国における気候や産物、基底にある習慣などは異なるものが多く、それらに適合するべく新たなものが生み出されてきた。漢字は、それらにも、柔軟に覆い被さっていったことがうかがえるであろう。とりわけ、訓読みという方法を体系的に定着させた日本では、固有語の意味変化までが加わり、その変容ぶりはいっそう甚だしかったのである。

(注) 「のごめ」は、「釆」が「ノ米」と分解できるところからできた名称のようだが、「禾」の「のぎ」は「ノ木」という分解による部首の名称が示される以前から、稲科植物の先端にある突起を意味する「のぎ」という和語があるため、「ノ木」とは暗合である可能性がある。なお、この「釆」に田を加えた字が「番」であって、「采配」の「采」とは別字である。

* * *

◆この連載を続けてお読みになる方は⇒「漢字の現在」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「漢字の現在」目次へ

【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞

* * *

【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「アメリカを加えた「○」「×」のまとめ」でした。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

人名用漢字以外を子供の名づけに使うには (7)

2009年 5月 27日 水曜日 筆者: 安岡 孝一

人名用漢字の新字旧字・特別編 (第7回)

人名用漢字の新字旧字「曽」「祷」の回を読んだ方々から、常用漢字でも人名用漢字でもない漢字を子供に名づけたいのだが、どうしたらいいのか、という相談を受けました。それがどれだけ大変なことかを知っていただくためにも、あえて逆説的に、「人名用漢字以外の漢字を子供の名づけに使う方法」を、全10回連載で書き記すことにいたします。

家庭裁判所への差し戻しとなった場合

高等裁判所が原審判を取り消した場合、家庭裁判所に差し戻すのが原則です。この場合は、連載の第5回に戻って、またやりなおし、ということになります。ただ、市町村長の処分に対する不服申立審判に対する抗告審では、差し戻しはめったにおこなわれず、高等裁判所が新たな決定をくだす「自判」が多いようです。

抗告審に勝った場合

あなたが相手方で高等裁判所の決定が抗告棄却だった場合、あるいは、あなたが抗告人で高等裁判所の決定が原審判取り消し自判だった場合、あなたの勝ちです。高等裁判所は、問題の漢字を「常用平易」だと認めたのです。決定書謄本と確定証明書の交付を、高等裁判所に申請しましょう。決定書謄本と確定証明書が送られてきたら、最初に不受理だった出生届と一緒に、市役所(区役所・町役場・村役場)に提出します。あなたが相手方で抗告棄却だった場合は、家庭裁判所の審判書謄本も持っていきます。他にいくつか書類を書かなければならないかもしれませんし、実際の手続に1~2週間かかってしまうこともあります。これで、戸籍上に、本当の子供の名が記載されることになります。

ただ、市町村長が最高裁判所への許可抗告を申立てた場合は、少々やっかいなことになります。この場合でも、たいてい高等裁判所は確定証明書を交付してくれるので、市役所の手続を進めることはできますが、高等裁判所の決定が最高裁判所でくつがえされる可能性が残っているのです。許可抗告審をどうするか、については、次回(第8回)にいたしましょう。

抗告審に敗けた場合

あなたが抗告人で高等裁判所の決定が抗告棄却だった場合、あるいは、あなたが相手方で高等裁判所の決定が原審判取り消し自判だった場合、あなたの敗けです。高等裁判所は、問題の漢字を「常用平易」だとは認めなかったのです。最高裁判所への許可抗告を申立てる、という方法も残されていますが、許可抗告は、高等裁判所の決定が、最高裁判所の過去の判例と、法律解釈上、矛盾していることを申立てなければならないので、あなたが法律の専門家でもない限り、まず無理でしょう。

もし、子供の名を「名未定」のままでほったらかしてあるのなら、すぐに市役所に行って、追完届を提出します。ただ、今後もまだ闘っていく気があるのなら、追完届に書く子供の名は、ひらがな(あるいはカタカナ)にすべきです。今後もまだ闘っていく気があるのなら…、そう、闘いは、まだ終わったわけではありません。時間を十分にかければ、本当の子供の名を戸籍に載せるチャンスは、まだ残されています。今後、どう闘っていくのか。それは、次々回(第9回)書くことにいたします。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。

『三省堂国語辞典』のすすめ その69

2009年 5月 27日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

トップセールスを探せ!

【われらトップセールス】
【われらトップセールス】

 『三省堂国語辞典 第六版』には、新規項目が連続して入っている部分がけっこうあります。たとえば、旧版の「トップコート」から「トップ染め」の間には、新たに「トップス」「トップスピン」そして「トップセールス」の3語が入っています。

 このうち、くせ者は「トップセールス」です。英語の辞書にもなく、どうやら和製英語のようです。イギリスからの留学生に尋ねると、「知らないことばです。いちばんよく売れる商品のことでしょうか?」という答えでした。いいえ、はずれです。

 第六版の編集作業でまず集まったのは、「首相などが、自らものを売りこむ」例でした。

【社長自身が売りこみ】
【社長自身が売りこみ】

 〈昨年暮には、シュレーダー首相が直々に中国を訪問、江沢民国家主席ら中国要人にトップセールスを繰り広げた。〉(『文藝春秋』2003.4 p.175)

 ところが、原稿を書きながら、「トップセールス」には第2の意味があると思いました。会社などで「売り上げが一番多い人」のこともそう言うはずです。ただ、その意味を載せている辞書は見当たらず、手元にも用例はありませんでした。

 これはもどかしい状況です。ひとつの事実に気づいても、「そのはずだ」というだけで原稿を書くわけにはいきません。そこで、第2の意味の用例を探して、新聞や雑誌のページを繰りました。でも、欲しい用例は、そう都合よくは見つかりません。

 インターネットで検索すると、売り上げトップの社員を「トップセールス」と言う例は、たしかに多く出てきます。とはいえ、インターネットの文章は、どういう人が書き、何人ぐらいがそれを読んでいるかが分からないため、不満が残ります。

【私の現在のデータベース】
【私の現在のデータベース】

 結局、新聞各社の記事データベースで、「トップセールスを目指す新入社員」の話など、いくつかの用例を確認して、語釈の根拠としました。根拠は十分と考えましたが、自分で紙面を見て拾った用例でないことが、最後まで気になりました。

 皮肉なことに、第六版の刊行後になって、この意味の「トップセールス」を多く拾うことができました。NHKの土曜ドラマでは、車のカリスマ販売員の女性を扱った「トップセールス」が放送されました(2008年4~5月)。ドラマになるくらいですから、『三国』にこの意味を載せたのは正解だったと、ようやく安心したのでした。

* * *

◆連載を続けてお読みになる方は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」アーカイブ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」目次へ

◆新連載「国語辞典入門」は⇒「国語辞典入門」アーカイブ

◆新連載「国語辞典入門」をタイトルからお探しになる方は⇒「国語辞典入門」目次へ

◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

* * *

【編集部から】
生活にぴったり寄りそう現代語辞典として定評のある『三省堂国語辞典 第六版』が発売され、「【サンコク】メディアでの紹介」の記事にある通り、各方面で取り上げていただいております。その魅力をもっとお伝えしたい、そういう思いから、編集委員の飯間先生に「『三省堂国語辞典』のすすめ」というテーマで書いていただいております。

「四字熟語と太宰」(その1)

2009年 5月 26日 火曜日 筆者: 円満字 二郎

ただ1度だけの……

 去年の晩秋のこと、ある女友だちと飲んでいて、「来年は生誕100周年ですね」という話になった。だれが生まれて100年なのかというと、太宰である。二人とも、ファンなのだ。
 「関連本が、いろいろ出るみたいですよ」
 「そっか。ぼくも何か書きたいなあ。手持ちの材料には四字熟語くらいしかないけど」
 「いいんじゃないですか。桜桃忌までに出せば、そこそこ売れますよ。きっと」
 というわけで書き始めた拙稿、運良く、三省堂さんから出版していただけることになった。題して、『太宰治の四字熟語辞典』。内容は書店でご覧いただくこととして、ここでは、その「こぼれ話」を5回ばかり、連載させていただくこととしよう。

 四字熟語の中で、最もよく使われるものは何か?

 この質問に対する答えは、はっきりしている。「一生懸命」だ。ぼくのパソコンの中には、日本文学を中心とするさまざまな文献から、約3000語の四字熟語の用例を2万強集めたリストが入っている。その中で頻度数が一番高いのが「一生懸命」で1200超、2位は「不可思議」で350弱。まさにケタ違いなのである。
 ぼくも「一生懸命」仕事をするたちだから(?)、この四字熟語をよく使う。でも、その原稿を出版社に送ると、「一所懸命」の間違いでは? とご指摘をいただくことがある。
 主君から領地を安堵された武士が、その1か所の土地を命がけで守り抜く。それが、「一所懸命」の語源だということは、よく知られている。だから、たしかに「一生懸命」は、語源的には間違いだ。でも、この「誤用」、かなり古くからあるらしい。
 たとえば、江戸時代の浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』(1748年初演)では、恋人おかると会っていたせいで主君の大事の場に居合わせられなかった早野勘平が、「主人一生懸命の場にもあり合はさず、……その家来は色にふけり」とほぞをかむ。語源に近い用法だが、表記は「一生懸命」である。
 また、ぼくの調べた限りでは、夏目漱石は「一生懸命」しか使わないし、芥川龍之介も同様だ。先ほどのリストにも、「一所懸命」は約130例、「一生懸命」の10分の1程度しか出てこない。つまり、語源的な正しさは別として、現実の生活の中では、「一生懸命」は「一所懸命」よりもはるかに定着しているのだ。
 おもしろいのは森鴎外で、「一所懸命」も「一生懸命」も使わない。
 「僕は後に西洋人の講義を聞き始めた時と同じように、一しょう懸命に注意して聴いていると」(『ヰタ・セクスアリス』)
 「間もなく窓に現れた小僧は万年青の鉢の置いてある窓板の上に登って、一しょう懸命背伸びをして籠を吊るしてある麻糸を釘からはずした」(『雁』)
 漢字の使い方については、相当な一家言を持っていた鴎外のことだ。「一しょう懸命」と書いているからには、その頭脳の中には、「1か所の土地」といったイメージはなかったに違いない。

 それでは、太宰はどうかというと、『太宰治の四字熟語辞典』のコラムにも書いたことだが、「一生懸命」の用例は43を数えてやはりダントツに多い。ただ、別に「一所懸命」が1例だけある。
 たった1つの「一所懸命」、それは、『満願』(1938年)という、文庫本にしてわずか3ページの小品に出てくる。ある年の夏、富士山を望む三島の町に間借りして、小説を書いている「私」。お酒を通じて親しくなった医者の家に、毎朝、新聞を読みに行くのだが、「その時刻に、薬をとりに来る若い女のひとがあった」。清潔感が漂うその女性を、お医者は「もうすこしのご辛棒ですよ」と言って送り出す。3年前から肺を悪くしていたご主人が、このところどんどん回復しているのだ。
 「お医者は一所懸命で、その若い奥さまに、いまがだいじのところと、固く禁じた。奥さまは言いつけを守った」
 さて、その夏の終わり、「私」は「美しいもの」を見る……
 ただ1度だけ使われたこの「一所懸命」は、なぜ「一生懸命」ではないのか? 「いっしょう」よりも「いっしょ」の方が、リズムが軽やかだからか? あるいは、大酒飲みの町医者には、武骨な板東武者の面影があったからか? いやいや、編集者が勝手に手を入れただけかも!
 そんなことを、ああでもない、こうでもないと考えている時間。ぼくは、とても幸福なのである。

* * *

◆この連載を続けてお読みになる方は⇒「四字熟語と太宰」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「四字熟語と太宰」目次へ

【著者プロフィール】

円満字 二郎(えんまんじ・じろう)
1967年兵庫県生まれ。大学卒業後、出版社にて高校国語教科書や漢和辞典などの編集に従事。
現在は、フリーの編集者兼ライターとして多方面に活躍中。著書に、『大人のための漢字力養成講座』(ベスト新書)、『人名用漢字の戦後史』(岩波新書)、『昭和を騒がせた漢字たち』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『心にしみる四字熟語』(光文社新書)、『漢和辞典に訊け!』(ちくま新書)がある。

* * *

【編集部から】

本年は、太宰治の生誕100年にあたります。このたび刊行されました『太宰治の四字熟語辞典』は、実際に用いられた四字熟語の意味や背景を解説しながら、作品世界を自由に読み解く異色の太宰文学案内です。著者の円満字二郎さんに、執筆時のこぼれ話を隔週で連載していただきます。

『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて(5)

2009年 5月 26日 火曜日 筆者: 赤間 恵都子

(5) 『枕草子』の3種の章段

 『枕草子』は、物語や日記文学のように時間の流れに沿って内容が展開していく形態のものではありません。『枕草子』はたくさんの文章の集合体からなっている作品であり、その一つ一つの文章のかたまりを現代の私たちは「章段」と呼んでいます。しかし、書かれた当時の原本では、おそらく各章段の区切り目は定まっておらず、章段番号も付けられていなかったと思われます。それは、現在伝えられている写本の状態から判断できます。

 『枕草子』の本文には、「○○は」「○○もの」という標題を持った文章があり、少なくとも、各標題の前で章段が区切られていたと考えることは可能です。ただし、それ以外の標題のない文章の区切り目はどうもはっきりしないのです。

 『枕草子』が約300段の章段からなるというのは文学史的な知識ですが、伝本を活字にする際に、読みやすいように章段の区切りをつけ、通し番号を打ったのは現代の『枕草子』注釈書の著者です。したがって、その区切り目も章段総数も、注釈書によって少しずつ異なっています。試しに図書館で何冊か手にとって、最後の章段の番号を比べてみると、280番台から330番台あたりまで、本によっては50段ほどもの違いがあったりします。

 『枕草子』の注釈書をいくつか読み比べる際には、それぞれの本ごとに章段番号が異なるので、最初に目的の章段を探し出さなければならないという面倒なことが生じます。また、『枕草子』の卒業論文を書く学生は、どの伝本を用いた、どの注釈書をテキストに使うかを最初に提示し、本文引用の際には章段番号とともに冒頭文も明記しなければなりません。

 『枕草子』を研究する際には、このような手間がかかるのです。そんな作品の本文全体を把握するにはどうしたらよいのか、そのために役立つ研究方法を編み出したのは、前回お話しした池田亀鑑氏(いけだきかん)でした。氏は『枕草子』の伝本研究を進める中で、章段をその内容から類聚段、日記(回想)段、随想(随筆)段の3種に分類しました。

 類聚段は、「○○は」「○○もの」という標題を持ち、その標題に適合する対象を作者の考えや好みによって集めた章段です。日記段は清少納言が体験した後宮生活を記録した章段で、随想段は類聚段と日記段以外のすべての章段を含みます。随想段の内容は雑多で統一されていませんが、作者が発見した自然や人事に関する観察、批評等を記した章段が主になります。

 これら3種類の章段内容から、『枕草子』には作者が宮仕え生活で体験し、感じた様々な事柄が書き留められていることが分かります。ここで前回お話しした伝本の問題に戻りますと、その3種の章段が種類ごとに整理され編集されているのが前田家本と堺本で、3種の文章が作品全体に混在しているのが三巻本と能因本になります。

 研究者の間では前者を類纂(るいさん)形態本、後者を雑纂(ざっさん)形態本と呼んでいますが、『枕草子』の原本に近いのは後者の形態だろうとされています。様々な文章が入り混じった本文を内容ごとに分類し、配列するのは後世の人の行いそうなことですが、作者以外の人物が、もともと分類配列されていた本文をわざわざシャッフルすることはないと考えられるからです。また、雑纂形態本の章段配列を観察してみると、異なる種類の章段間の文章の繋がりに連想的な脈絡の見られる箇所が複数あり、それが作者の作為によると見なされるからです。

 では、雑纂形態本のうち、三巻本と能因本とではどちらが原本に近いかというと、まだ決定的な結論は下せない状況にあります。また、類纂形態本のうち、書写年代の最も古い前田家本の本文には、部分的に古い文体が残されている可能性が十分にあります。このように、『枕草子』の伝本問題は複雑で容易に解かれないのが現状です。

* * *

◆この連載を続けてお読みになる方は
「『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は
「『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて」目次へ

【著者プロフィール】

赤間 恵都子(あかま・えつこ)
十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「枕草子研究の動向と展望―年時考証研究の視座から―」(『十文字学園女子短期大学研究紀要』2003年12月)、「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)など。

* * *

【編集部から】

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。(隔週掲載)

人名用漢字以外を子供の名づけに使うには (6)

2009年 5月 25日 月曜日 筆者: 安岡 孝一

人名用漢字の新字旧字・特別編 (第6回)

人名用漢字の新字旧字「曽」「祷」の回を読んだ方々から、常用漢字でも人名用漢字でもない漢字を子供に名づけたいのだが、どうしたらいいのか、という相談を受けました。それがどれだけ大変なことかを知っていただくためにも、あえて逆説的に、「人名用漢字以外の漢字を子供の名づけに使う方法」を、全10回連載で書き記すことにいたします。

市町村長が即時抗告した場合

家庭裁判所の審判で申立てが認容されたにもかかわらず、市町村長が即時抗告した場合、事件は高等裁判所に移ります。ですが、即時抗告申立書は家庭裁判所に提出された後、事件記録もろとも高等裁判所に送付されるので、まずは家庭裁判所に出向いて、あなたの事件記録(市町村長の即時抗告申立書を含む)の閲覧・コピーを願い出てみましょう。また、抗告審を担当する高等裁判所の窓口と電話番号は、必ず確認しておいて下さい。

事件記録が、すでに高等裁判所に送付されてしまっていたら、高等裁判所で閲覧・コピーを願い出ましょう。その際、原審(家庭裁判所での審判)の事件番号、あるいは事件記録の送付日をもとに、抗告審での事件番号を調べてもらう必要がありますので、高等裁判所の窓口で相談してみましょう。

閲覧・コピーできたら、市町村長の即時抗告申立書を熟読します。その上で、即時抗告申立書の『抗告の理由』に対して、必ず反論します。『抗告の理由』には、問題の漢字が「常用平易」ではない、という主張が含まれているはずですので、その部分に関しては特に強く反論しておく必要があります。できる限り過去の判例を参照し、必要ならば、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査(61~280ページの「新凸版印刷調査」)の結果も駆使して、問題の漢字が他の人名用漢字に比べても「常用平易」だ、ということを理路整然と主張すべきです。反論は、答弁書の形で、高等裁判所に提出します。

高等裁判所での決定

高等裁判所の抗告審では、抗告を申立てた側を抗告人、申立てられた側を相手方と呼びます。単純に言えば、原審が却下だった場合は、あなたは抗告人になります。原審が認容だった場合は、あなたは相手方になります。

高等裁判所は、家庭裁判所での事件記録と、即時抗告申立書や答弁書をもとに、抗告を棄却するか、あるいは原審判を取り消すか、そのいずれかを決定します。通常は3人の裁判官の合議により、書類だけで審理が進むのですが、場合によっては高等裁判所に呼び出されて、質問(審尋)を受ける場合もあります。即時抗告から決定まで、3~12ヶ月を要します。

では、高等裁判所でどのような決定が出た場合に、あなたはどのように対応することになるのでしょう。それについては、次回(第7回)にいたします。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。

ドイツのお菓子(1)

2009年 5月 25日 月曜日 筆者: 石井 正人

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(52)

Krapfenというドーナツ風の揚げ菓子があって、日本人にも好きな人が多い。ローマ時代にさかのぼる古い歴史を持つのだそうで、実に様々な変種がある。Krapfenがアメリカに渡りドーナツになったようだが、原形は恐らく、ライン地方で春のカーニバルの季節に食べる揚げ菓子だろう。一口大で、ドーナツのような穴はないのだが。

揚げ菓子の中で、一年中食べられて、一番知られているのは、やはりBerlinerだろう。外見ときたらまったく日本で馴染みのアンドーナツそっくりで、一口食べるとその生地もまさしくアンドーナツ、ただし中身は酸味のきいたさっぱりしたジャムで、アンドーナツよりこちらの方が美味しいという人も多い。これは本来Berliner Pfannkuchen(ベルリン風パンケーキ)の略なので、ベルリンではちゃんとただのPfannkuchenと呼ぶ。

Pfannkuchenといえば、Kaiserschmarrenという変種も、日本人は好きだが、ドイツではもう古くさいお菓子のようだ。干しぶどう入りの分厚いPfannkuchenを焼いて、表面が固まった段階で、スプーンでかき回し、スクランブルエッグのような状態にして、シナモン砂糖をかけて食べる。むしろ家庭で食べる、お母さんの手作りおやつという感じか。

こういう古くからあるパン菓子類も、多くは人気が無くなって、いつの間にか姿を消したりする。Berlinerなどは、見るからにカロリーが高そうで、時代の流れに逆行する感じだが、意外に健闘して生き残っている。Dampfnudelという蒸しパンなどは、安くてたべでがあって腹持ちが良く、昔はどこのパン屋にもあったが、もう全く見られなくなった。

Amerikanerという、丸くて平たい、甘食のようなパンに砂糖で白くアイシングした菓子を置いている店も少なくなった。甘食と同じで、素朴だが飽きのこない、懐かしい味が好きだった。因みにこのAmerikanerという名称の由来に諸説あるのだそうで、つい二、三年前にも、ProSiebenという放送局でやっている人気番組Galileoで、取り上げていた。普通Amerikanerは白一色のアイシングではなく、チョコレートの黒と二色に塗り分けられていることが多く、これを白人と黒人の共存するアメリカ合衆国に見立ててAmerikanerと呼ばれるようになったのだと、私などもドイツ人の友人から教えられてきたが、どうも違うらしい。しかし戦後復興期の香りがするこの伝説はそのままとっておきたい気がする。


【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員 


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

日本語社会 のぞきキャラくり 第40回 キャラクタは文章に、美術品に宿る

2009年 5月 24日 日曜日 筆者: 定延 利之

キャラクタは文章に、美術品に宿る

 前回、『老人』キャラまで発動させて確かめたのは、「キャラクタは人間の行動全般と結びつく」ということ、そしてその結果「キャラクタは行動の痕跡とも結びつく」ということである。このことを前回は「文字」について具体的に見たのであった。

 さて、文字と同様、文章も「書く」という行動の痕跡である。では、キャラクタは文字と同様、やはり文章とも結びつくだろうか?

 結びつくのである。こう書こう、ああ書こうという意図を感じさせない文章が高い評価を得るのは、珍しいことではない。次に挙げるのは志賀直哉の評伝の一節である。

 芥川がある時、
「志賀さんの文章みたいなのは、書きたくても書けない。どうしたらああいう文章が書けるんでしょうね」
 と、師の漱石に訊(たず)ねた。
「文章を書こうと思わずに、思うまま書くからああいう風に書けるんだろう。俺(おれ)もああいうのは書けない」
 漱石はそう答えたという。

[阿川弘之『志賀直哉の生活と芸術』1989年]

 ここでは芥川龍之介と夏目漱石が「志賀直哉の文章はいい」と話しており、漱石は「文章を書こうと思わずに、思うまま書く」という、書く意図の欠如にその原因を求めている。

 美術品一般についても漱石はこう書いている。

 印度(インド)の更紗(サラサ)とか、ペルシャの壁掛とか号するものが、一寸(ちょっと)間が抜けている所に価値がある如(ごと)く、この花毯もこせつかない所に趣がある。花毯ばかりではない、凡(すべ)て支那の器具は皆抜けている。どうしても馬鹿で気の長い人種の発明したものとほか取れない。見ているうちに、ぼおっとする所が尊(とう)とい。日本(にほん)は巾着切(きんちゃくき)りの態度で美術品を作る。

[夏目漱石『草枕』1906年]

 中国の皆さん、怒ってこないで下さい。「抜けている」とか「馬鹿」とか言ってますけど、漱石先生は、あ、違った、『草枕』の主人公は、中国をけなしているんじゃないんです。ちょっと口は悪いですけど、褒めているんです。けなされているのは、まるでスリのように油断なく、すべてに気を配って作られる日本の美術品の方ですから。

 あっ、日本の皆さん、怒ってこないで下さい。日本の美術品が全てそうだなんて、私も思ってません。漱石先生、いや、『草枕』の主人公がそう信じ込んでるだけですから、はい。

 

 ともあれ、こうした美術品が「織る」「描く」「彫る」など、つまり「作る」という行動の痕跡であることは言うまでもないだろう。

 賢明なる読者諸氏はすでにお分かりかもしれない。ずっと昔に書いたことを次回、ちと修正させていただく。

* * *

◆この連載を続けてお読みになる方は⇒「日本語社会 のぞきキャラくり」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「日本語社会 のぞきキャラくり」目次へ

◇この連載の中国語版と英語版
  中国語版⇒角色大世界――日本
  英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters

【筆者プロフィール】

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

* * *

【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。

地域語の経済と社会 第49回

2009年 5月 23日 土曜日 筆者: 山下 暁美

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第49回「もてなしの方言(北陸・近畿地方)」

(写真はクリックで拡大します)
【写真1】
【写真1】
【写真2】 【写真3】
左:【写真2】 右:【写真3】
【写真4】 
【写真4】
【写真5】 【写真6】
左:【写真5】 右:【写真6】
【写真7】 
【写真7】
【写真8】 
【写真8】

今回は、「もてなしの方言(北陸・近畿地方)」をご紹介します。富山県立山の「来られ」(こられ【写真1】)は、第42回(高岡市)でも紹介されています。

 日本海側を南にくだった石川県には、「ゆっくりしていきねーね」【写真2】、「いらっし みまっし」【写真3】という表現があります。「ゆっくりしていきねーね」は長年、加賀市山中温泉のキャッチコピーとして親しまれているもので、「いきねーね」の「ねー」は南の福井県に連続する、相手にやさしく「~なさい」と勧める文末助詞「ねー」(「ない」の変化形)が動詞のマス形に接続した形です。

 「まっし」は丁寧な命令形とされ、「いらっしゃい みてごらんなさい」と相手に勧める表現です。

 店頭に「寄りまっし」(寄っていらっしゃい)と書かれているのを見かけます。五段動詞は、もともと「寄るまっし」でした。一段動詞がマス形に接続していることと、東京語の「お寄りなさい」が「寄る」のマス形に接続する影響を受けて、「寄りまっし」に変化したとされています。外出する身内に対して「いってらっし」(いってらっしゃい)と言います。

 「のらんけバス」(石川県輪島市【写真4】)は、「のりませんか、バスに」という意味です。「ケ」はぞんざいに聞こえますが、石川県の方言では親しみをこめた誘いの表現です。疑問の文末助詞「か」にあたる「ケ」です。

 福井県嶺北地方では、「きねの」【写真5】は、「またきねの」(またいらっしゃい)、「寄ってきねの」(寄っていらっしゃい)のように勧める場合に使われます。「~ねの」の「ね」は加賀市の「いきねーね」の「ねー」と同じです。

 「おいでやす」【写真6】は、滋賀県湖北地方の木之本の例です。大きなかぶら大根に墨で書いてあります。滋賀県で用いられる「きーな」「きてな」「きゃんせ」(第34回参照)、「きてや」などより少し丁寧な表現で、「いらっしゃい」の意味です。「よーおいでやす」「よーおこしやす」など滋賀県全域で用いられ、この表現は京都府に及びます。京都府から大阪府に入ると「はよ、きてや」が「はよ、きてんか」となります。京都ことばについては、第24回を参照してください。

 「やぶちゃつれもっていこら!」【写真7】は、発音してみると、奈良の大仏もひっくり返るほどの迫力のある表現に聞こえます。いにしえの都のイメージから遠い感じがします。「やうち」(三重)、「やぶち」(長野)、「やぶちゃ」(三重)は、「やぶちゃ出かけてる」(みんな出かけている)のように「みんな」という意味です。「いこら!」は「行こう!」という意味です。「ら」は勧誘、意志形を受けて「~しとこらの」(~しておきましょうよね)のように、複合の形で用いられることもあります。

 「和歌山の温泉に浸かりに来てけ~よ~!」【写真8】の「け~よ~」は、「来てね」の意味です。

 方言グッズが見つからないことでは、奈良県は、滋賀県と並んで有名です。こんなによい表現があるのですから、ぜひ、奈良みやげに使っていただきたいものです。

 本稿の石川県・福井県の方言について金沢大学教授、加藤和夫先生にご助言をいただきました。紙面を借りてお礼申し上げます。

もてなしの方言(北陸・近畿地方)
写真1 立山に来られ 立山 富山県
写真2 ゆっくりしていきね~ね 加賀市 石川県
写真3 いらっし みまっし 白山市
写真4 のらんけバス 輪島市
写真5 きねの(いらっしゃい) (嶺北地方) 福井県
写真6 おいでやす 木之本 滋賀県
写真7 やぶちゃつれもっていこら!
(みんな、一緒に行こう!)
川上 奈良県
写真8 和歌山の温泉に浸かりに来てけ~よ~!
(和歌山の温泉に浸かりに来てね!)
  和歌山県

 (※写真5は手拭い番付による「きねの(西方前頭)」)

* * *

◆この連載を続けてお読みになる方は
「地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は
「地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―」目次へ

【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

『海外の日本語の新しい言語秩序―日系ブラジル・日系アメリカ人社会における日本語による敬意表現』『書き込み式でよくわかる 日本語教育文法講義ノート』山下暁美(やました・あけみ)
明海大学外国語学部・大学院応用言語学研究科教授。博士(学術)。
専門は、日本語教育学・社会言語学。研究テーマは、移民百年を迎えた、ブラジル、アメリカ合衆国などにおける日本語の変化、外国人の日本定住化による共生時代の日本語教育政策。
著書に『書き込み式でよくわかる日本語教育文法講義ノート』(共著、アルク)、『海外の日本語の新しい言語秩序』(単著、三元社)、『スキルアップ文章表現』(共著、おうふう)、『スキルアップ日本語表現』(単著、おうふう)、『解説日本語教育史年表(Excel 年表データ付)』(単著、国書刊行会)、『ふしぎびっくり語源博物館4 歴史・芸能・遊びのことば』(共著、ほるぷ出版)などがある。

* * *

【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。

* * *

この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

人名用漢字以外を子供の名づけに使うには (5)

2009年 5月 22日 金曜日 筆者: 安岡 孝一

人名用漢字の新字旧字・特別編 (第5回)

人名用漢字の新字旧字「曽」「祷」の回を読んだ方々から、常用漢字でも人名用漢字でもない漢字を子供に名づけたいのだが、どうしたらいいのか、という相談を受けました。それがどれだけ大変なことかを知っていただくためにも、あえて逆説的に、「人名用漢字以外の漢字を子供の名づけに使う方法」を、全10回連載で書き記すことにいたします。

家庭裁判所での審判

あなたから家事審判申立書を受け取ったあと、家庭裁判所は、対する市町村長に意見書を求めます。

ただし、市町村長の意見書と言っても、現実には、市長みずからが意見書を書くわけじゃありません。市役所側は、管区の法務局を経由して、戸籍行政のトップである法務省にお伺いを立てます。あなたの申立書は、法務省令(戸籍法施行規則)を差し置いて、法律(戸籍法)で司法判断することを裁判所に求めているわけですから、その法務省令に関して、市役所側が法務省にお伺いを立てるのは、ごくアタリマエのことです。その上で、市町村長の意見書が家庭裁判所に提出されるのです。

家庭裁判所の裁判官は、あなたの申立書と市町村長の意見書を読み比べて、問題の漢字が「常用平易」かどうか審判をくだします。あなたの申立てが認容されるか却下されるか、全ては「常用平易」かどうかの判断にかかっているわけです。その漢字に対する親心など、審判では全く無視されると言っていいでしょう。なお、申立てから審判まで、2~6ヶ月を要します。

申立てが却下された場合

却下された場合は、審判から2週間以内に、再び家庭裁判所に出向いて、即時抗告の申立てをおこないます。即時抗告というのは、大雑把に言えば、家庭裁判所の審判に納得がいかないので高等裁判所の判断を仰ぎたい、ということを家庭裁判所で申立てるものです。

即時抗告申立書の『抗告の趣旨』には、原審(家庭裁判所での審判)の事件番号と審判主文が必要ですので、審判書を必ず持参して下さい。『抗告の理由』には、審判理由に対する反論を書くことになるのですが、その背後には市町村長の意見書があるはずですから、できれば家庭裁判所であなたの事件記録を閲覧・コピーして、意見書の内容を事前に理解しておくべきでしょう。また、即時抗告を家庭裁判所に申立てる際は、実際に抗告審を担当する高等裁判所の窓口と電話番号は、必ず確認しておいて下さい。

申立てが認容された場合

認容された場合は、審判から2週間以上が過ぎた後、家庭裁判所に、審判書謄本と審判確定証明書の交付を申請します。審判書謄本と審判確定証明書が送られてきたら、最初に不受理だった出生届と一緒に、市役所に提出します。市役所によっては、他にいくつか書類を書かなければならないかもしれませんし、実際の手続に1~2週間かかってしまうこともあります。これで、戸籍上に、本当の子供の名が記載されることになります。

しかし、家庭裁判所の審判で申立てが認容されたにもかかわらず、審判確定証明書が交付できない場合があります。市町村長が即時抗告した場合です。この場合については、また次回(第6回)にいたしましょう。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。

明解PISA大事典:グローバル・スタンダード「夢の多文化主義」

2009年 5月 22日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第3回 夢の多文化主義

 PISAの読解力は多文化主義をとっている。いろいろな国からいろいろな文化を反映した問題を募集して採用しているのだという。

 多文化主義。いい響きだ。さまざまな文化が平等な立場で共存できるような感じ。かくして世界平和が達成される――ような気さえする。

 読解力は言葉が勝負。多文化主義とくれば多言語主義といきたいところだが、そうは問屋がおろさない。いろいろな文化を反映しているのはいいが、それがいろいろな言葉で書かれていたら、いろいろな国の子どもが受ける国際テストとして成り立たないからだ。

 PISAの言語に関して、「調査問題の国際標準版は英語及びフランス語で用意され」ているという(1)。英語表記とフランス語表記の問題を正文とし、それを各国語に翻訳して使うのである。多文化主義だが二言語主義なのだ。

 これがどういう状況かというと、たとえば日本文学を素材として日本語で問題提案したとしよう。提案された問題は英語とフランス語に翻訳される。そして、もとが日本語であるにもかかわらず、英語とフランス語に翻訳されたものが正文になるということだ。「吾輩は猫である」は「I Am a Cat」「Je suis un chat」となって正式な姿を得るのである。

 多文化主義でも二言語主義では、読解力の問題はかなり限定的なものとなる。

 たとえば、私は「吾輩は猫である」について、猫ごときが「吾輩」などという大時代な一人称を使っているあたりに独特のおかしみを感じる。しかし、「I Am a Cat」と「Je suis un chat」の前では、そのような議論はハナから成り立たない。逆にいえば、そのようなところにおかしみを感じようと感じまいと関係ないところで、PISAの読解力の問題は成り立っているということである。

 日本語が特殊だとか、日本語は繊細だが英語やフランス語は粗雑だと言いたいのではない。日本語独特の表現が英語やフランス語では訳しきれないように、英語やフランス語独特の表現も日本語では訳しきれないのである。特に表現が生命の文学作品には、完璧な外国語翻訳など絶対にありえないのだ。

 二言語主義にはもうひとつ論点がある。英語やフランス語に翻訳できない概念や、翻訳したら意味が変わってしまうような概念を含んだ問題は、まず採用されないだろうということ。つまり、もともとの問題がどのような言語でつくられ、どのような文化を反映していようと、結局は英語の言語文化とフランス語の言語文化になじむものしか採用されない可能性が高いのである。多文化主義の夢が二言語主義によって打ち砕かれたようなものだ。

 こういった問題については、水村美苗さんが著書『日本語が亡びるとき』(2)で深く掘り下げて論じておられるので、興味のある方はぜひ読んでほしい。

 ちなみに、日本でPISAを実施するときは、英語とフランス語で表記された問題を日本語に翻訳しておこなう。もともとの素材文が日本語だったとしても、正文が英語とフランス語である以上、そこから翻訳しなおさなければならない。そして日本語に翻訳したものが英語とフランス語にきちんと対応しているかどうか、「国際センター」なるところで徹底的にチェックされるのだという(3)。「吾輩は猫である」は「I Am a Cat」と「Je suis un chat」となり、それをまた日本語に翻訳しなおすということだ。

 さて、いったん「I」と「Je」に化けた「吾輩」は、再翻訳によって「吾輩」に戻ることが許されるのだろうか。

* * *

(1),(3)『生きるための知識と技能3』OECD生徒の学習到達度調査(PISA)・2006年調査国際結果報告書 p029/国立教育政策研究所編/ぎょうせい 2007年
(2)『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』水村美苗著/筑摩書房 2008年

* * *

◆この連載を最新記事からお読みになる方は⇒「明解PISA大事典」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「明解PISA大事典」目次へ

【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

* * *

【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。

次のページ »