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日本語社会 のぞきキャラくり 第37回 「役割」あれこれ

2009年 5月 3日 日曜日 筆者: 定延 利之

「役割」あれこれ(後)

 前回取り上げた『主人』『道化』『敵』などの「役割」は、その日その場での会話に密着したものであった。

 参加メンバーがもっと固定的で安定している集団においても、個々人の「役割」が問われることがある。たとえば会社の『社長』『専務』『平社員』、たとえば家庭の『妻』『夫』『父』『母』などである。

 会社は、目的(利益の追求)がそれなりに明確に掲げられた組織だから、『社長』『専務』『平社員』などを「役割」と呼ぶのはよくわかる。だが、家庭などはそもそも、目的を達成するための組織だろうか。「今週末は『お父さん』しないと」のような言い回しは、最近の面白い言い回しでしかないのではないか、といった目的論に関する疑問は、いま棚上げしているということに注意されたい(前回を参照)。つまり、次のような家庭内の「役割」も、とりあえず認めるということである。

「彼女はこれまで自分が愛のない秋山に対して妻の役割を務めて来たに過ぎなかったと思った。……彼女は不意に自分の周囲が、それぞれ役割を務めている人たちばかりで、充(み)たされていると感じた。秋山と大野は夫を演じ、富子もその常習の媚態(びたい)にかかわらず、結局大野との夫婦生活を大事にしている点で、妻を演じている。……「役割」という考えは、彼女に今までと違った眼で周囲を観察することを教えた。人がどれほど完全に役割を演じているか量るのに興味を持った。秋山はそれほど完全に夫の役割に忠実ではないようであった。」

[大岡昇平『武蔵野夫人』1948年]

 このような、社内、家庭内その他のところでそれなりに長続きする静的な「役割」が、会話の中で動的に切り替えられるという考えも見られる。エレノア・オクス(Elinor Ochs)が提案する「社会的アイデンティティ」(social identities)とは、たとえば会話する2人の話し手が、或る瞬間には『医者』と『患者』として会話し、また或る瞬間には『幼なじみ』どうしとして、さらに別の瞬間には『同じ地域の住民』どうしとして会話するという、会話の進展とともに切り替えられる役割と言える。

 以上、前回から見てきたさまざまな「役割」が、これまで取り上げてきた「キャラクタ」と関係することは確かだろう。だが、これらの「役割」は「キャラクタ」と同じではない。

 『主人』『道化』『敵』といった「役割」との違いを述べる中で前回強調した、「会話なしでも想定できる」というキャラクタの特徴は、この瞬間には『医者』として会話している、次の瞬間には『幼なじみ』として会話しているといった社会的アイデンティティとキャラクタをも区別してくれるだろう。

 しかしながら、何と言ってもやはり最大の違いは、切り替えに関するものである。或る「役割」から別の「役割」へ、場面や相手や話の内容に応じて、意のままに切り替え可能という動的な性質は、これまで述べてきたキャラクタのものではない。

 「常務が一時的に欠けたので、今月いっぱい、専務の田中が常務を兼務します」という田中の「役割」変わりを聞いても私たちは別にショックを受けたりしない。「お前たち泣くな。明日からはオレが母さん役もやってやる」と宣言した親父が、いわゆる「男の料理」で炊事をこなし、不器用に、豪放磊落(ごうほうらいらく)に家事をこなすという「役割」変わりも同様である。

 だが、この親父が、主婦業がすっかり板につき、まるで眠っていた何かが開花してしまったように、「お茶にしようかね。お茶」と言ってちゃぶ台からイソイソと立ち上がったり、縫い物の糸を口でかみ切ったり、皿を洗いながら「ラララ~♪」と腰を振って流行歌を口ずさんだり、何かの拍子に「うれしいわあ」などと「シナを作ってみせた」りすると(第11回)、私たちはなんだか居心地の悪いものを感じたりする。それがキャラ変わりである。キャラクタは変わらないことになっているのである。

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【筆者プロフィール】

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

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【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。

2009年 5月 3日