2009年 6月 のアーカイブ
学習者コーパスの構築方法 (1)
2009年 6月 30日 火曜日 筆者: 阪上 辰也学習者コーパス入門 第28回
今回から、学習者コーパスの構築方法とその問題点について説明します。
NICE や ICLE など、配布されている学習者コーパスを利用する側ではなく、構築する側となった場合、どのような手順でデータを構築するべきか、その方法を紹介します。今回は、1) データ提供者の募集、2) 収集活動の主な流れ、3) 書かれた作文データの著作権委譲について述べます。
なんといっても、学習者コーパス構築は、データ提供者となる学習者がいなければ始まりません。NICE 構築時には、「英語学習者がどのように英語の文章を書くかを分析するため」という目的を説明した文書(チラシ)を作成し、それを配布して提供者を集めました。その文書には、目的以外に、実際の活動とその手順、所要時間、謝礼の内容、連絡先を記しておき、より具体的な情報を与えるように努めました。
収集活動の主な流れとして、まずは、学習者に対して、活動内容の説明と作文時の注意事項(例:辞書を見てはいけない、作文は完結させるようにする、など)を説明します。続いて、著作権委譲のための契約書(後述)へのサインを行い、作文の基本的な構成法と 作文時に使用する Microsoft Word の基本的な使い方を説明します(15分間)。説明終了後に、実際に作文を書き(1時間)、最後に、学習者個人の情報について尋ねるアンケートの実施と謝礼受け渡しを行います(15分間)。すべての活動が終了するのにかかった時間は、およそ1時間半でした。説明の内容はなるべく簡潔にし、時には学習者からの質問を受けて疑問を解消させ、作文に集中できるように配慮する必要があります。
公開を前提とした学習者コーパス構築にあたっては、作文をしてもらう学習者に、「著作権の委譲」について同意を得ることが必要になります。この手続きは、データを公開する場合に、最も重要なものとなります。著作権委譲に関わる手続きを忘れると、データが公開できなくなってしまいます。データがあれば、分析こそ行うことができますが、公開ができなければ、他の研究者が利用して分析することはもちろん、集めた側が行った分析結果を再現することもできなくなります。どのようなデータを使っているかが分からない状態で、何らかの結果だけを示されたとしても、その後の研究の発展は望めません。したがって、(少なくとも日本国内で収集する場合、)この著作権委譲の手続きは、学習者コーパス構築時の必須の手続きと言えるでしょう。
NICE 構築にあたっては、実際に学習者に作文をしてもらう前に、契約書を作成し、その契約書に署名をしてもらいました。この手続きは、データを公開する場合に、最も重要なものとなります。なお、学習者が未成年の場合、契約書を有効なものとするために、本人だけでなく、親権者の同意も必要となりますので、注意が必要です。なお、実際に使用した契約書は、こちらのリンク(PDF, 80KB)をクリックすると読むことができます。
次回は、データの記録方法について説明します。
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▼お知らせ
2008年10月4日に、学習者コーパス「NICE」の正式版を公開しました。2009年4月9日にはバージョンアップを行い、ver. 1.1 に更新されました。無償で利用可能で、特別な手続きは必要ありませんので、ぜひ研究調査にご利用ください。詳しくは、こちらのサイトをご覧ください。
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■筆者プロフィール
阪上辰也(さかうえ・たつや)
名古屋大学大学院 国際開発研究科 特任助教。
専門は、コンピュータを利用した外国語教育。
ウェブサイトは、sakauetatsuya.net。
脳梗塞(のうこうそく)
2009年 6月 29日 月曜日 筆者: 信岡 資生クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(56)
8月下旬のその日の朝、渋谷駅で山手線に乗り換えるべく私鉄の座席から立ち上がったとき、左足先が重く動きが鈍い感じがした。足を引きずるようにして三省堂の編修室に着くと、足の違和感も失せていつものように『クラ独 第4版』の後始末などの仕事をすませたが、帰途に立ち寄った大型店内で足の運びが悪く転倒してしまった。一晩眠れば治るだろうと高をくくったのが間違いで、翌日訪れた病院内ではもう歩くことができず、脳梗塞と診断され即刻入院、3ケ月の病院生活を送る仕儀となり、リハビリが今も続いている。
ふと「脳梗塞」に当るドイツ語が『クラ独』に載っているかどうか気になり、Gehirn‒ のところを調べてみると、Gehirnblutung(脳出血)、Gehirnerschütterung(脳震盪)、 Gehirnschlag(脳卒中)などはあるが、脳梗塞は見当たらない。「梗塞」はInfarktだが、この語の用例にはHerzinfarkt「心筋梗塞」しか挙がってない。一方Duden.Die deutsche Rechtschreibung.の24版(2006)にも、同じくDuden.DeutschesUniversalwörterbuch.の6版(2007)にもGehirninfarktは収録されていない。R.Klappenbach⁄W.Steinitzの『ドイツ現代語辞典』6巻本(1964-77)の見出しInfarktでは、器官名を前において複合語をつくる旨記載されていても、その例にGehirninfarkt, Hirninfarktは挙がってない。
ところで三省堂の『大辞林』によると、「脳梗塞」の項目には「…脳軟化症ともいう」とある。この別名「脳軟化症」Gehirnerweichungなら『クラ独』の見出しにちゃんと入っている。Gehirnerweichungも上記Dudenの二辞書には採録されていないが、Brockhaus-Wahrigの『ドイツ語辞典』6巻本(1980-84)には収められている。しかしこれまでの闘病生活で「脳軟化症」ということばは医師や看護師ら医療関係者からも聞いたことはないし、各種診断書や申請書類でも目にした覚えがない。例えばドイツ語が医学界で幅をきかせていた頃の『標準醫語辭典 増補版』(賀川哲夫編 南山堂 昭和15年)でもGehirnerweichung「脳軟化症」はあるがGehirninfarktはないし、収録語数14万4千の中型独和辞典である『三省堂独和新辞典 第3版』(1981)でも同様であることからすれば、どうも「脳軟化症」は「脳梗塞」の古い言い方ではないだろうかと臆測される。
もとより『クラ独』は医学用語の専門辞典ではない。しかし最近知人や著名人の中に脳梗塞に罹っている人の噂をよく耳にする。社会の高齢化はますます進む折から、次々と生じる老人医療や介護関係のことばの日常一般化は必須で、学習用一般独和辞典といえどもこれからは収録語の選択に際してそれらの用語にも配慮しないわけにはいかないであろう。
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【筆者プロフィール】
信岡資生(のぶおか・よりお)
成城大学名誉教授
専門は独和・和独辞典史
『クラウン独和辞典 第4版』編修主幹
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【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。
日本語社会 のぞきキャラくり 第45回 発話キャラクタ(前)
2009年 6月 28日 日曜日 筆者: 定延 利之発話キャラクタ(前)
引き続き、ことばとキャラクタとの結びつき方の話である。
前回は、たとえば「坊っちゃん」ということばが幼児性の強い男性のキャラクタを表し、そのキャラクタのラベルとなっている、といったことを述べた。これは、ことばとキャラクタの第1の結びつき方と呼んだものである(第43回)。話の都合上、今回は第2ではなく、第3の結びつき方について述べる。これは、たとえば自称詞の「わし」は『老人』キャラのことばというように、「ことばがそのことばの発し手のキャラクタを暗に示す」という結びつき方である。
第1の結びつき方と同様、第3の結びつき方も、実はことば以外のものがキャラクタと結びつく際に類似のものが観察される。そのことを理解する上でまず注意しなければならないのは、そもそもことばとは動作だ、ということである。
たとえば自称詞の「わし」とは、まず「わ」と低く発音し、続いて「し」と高く発音して自分のことを指すという一連の動作である。「記号」「表象」などというとなにやらすっかり出来上がったモノのように思われてしまうかもしれないが、ことばがまず第一にこのような動作、コトとして存在しているというのは、考えてみれば当たり前だろう。自称詞の「わし」が『老人』キャラのことばだというのは、まず「わ」と低く発音し、続いて「し」と高く発音して自分のことを指すというその動作の行い手が『老人』キャラだ、ということである。[ことば―キャラクタ]の第3の結びつき方とは、[発話動作―発話動作の行い手]という結びつき方、つまり[動作―動作の行い手]という結びつき方が発話動作に特化したものだったのである。
ここまでくれば、この第3の結びつき方に類似するものがことば以外にも観察されるということはもはや明らかだろう。
たとえば、「片手直立左右振り」という、片肘から先を体の前に直立させて左右に振ってみせる動作を行うのは、基本的に『大人』キャラの否定技である(第32回)。
またたとえば、両肘をついて両手首で「A」字状の形を作ってみせるという「両手肘付きA字合わせ」(第34回)を行うのは、権威をもった『おじさん』キャラである。
さらに一例を加えるなら、「両肘先直立交互叩き」を措いて他にはあるまい。つまり両肘から先を直立させて拳を握り、肘から先を交互に前後に小刻みに動かし、拳の下面(小指側)で相手を軽く叩く、あるいは叩くまねをするという動作である。これは『娘』キャラの「ンもぅ、バカバカバカ」という甘えた抗議の技である。この技をくらった男どもはあわれ、皆、顔をニヤつかせて『娘』の言いなりじゃ。おのおの方、油断めさるな。必殺技と呼ぶにふさわしい、恐るべき技じゃぞ。
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◇この連載の中国語版と英語版
中国語版⇒角色大世界――日本
英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters
【筆者プロフィール】
定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。
地域語の経済と社会 第54回
2009年 6月 27日 土曜日 筆者: 山下 暁美地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第54回「もてなしの方言(中国・四国地方)」
今回は、中国・四国地方の「もてなしの方言」をご紹介します。
岡山県では、客をもてなすとき、「おいでんせえ」(いらっしゃい)、「よーおいでんさった」(よく いらっしゃいました)などと言います。「おいでんせえ岡山」というキャッチフレーズもあります。「おいでる」は、「オ+イデル」で、「行く」「来る」「居る」の尊敬語です。「おいでる」(いらっしゃる)から「おいでん」(おいでなさい・来てください)が派生したと考えられます。「おいでませ」(山口県)も同様です。「おいでんされました」(山口県岩国市)は、「おいでる」に「~される」(尊敬語)が二重になった形と考えられます。「~される」は、西日本を中心に分布する形で「先生が来んさった」(いらっしゃった・島根県)などにも使われます。
「おいでんかな」(岐阜県・第39回)、「おいでん!豊田」(愛知県・第39回 ※「おいでんバス」が走っているそうです。)、「おいでなんしょ」(長野県・第44回)、「おいでやす」(京都府・第24回、滋賀県・第49回)、「よぐおでんした」(岩手県・第37回・第41回)などがこのシリーズですでに紹介されています。「おいでんか」(愛媛県・未発見)、「おいでるかえー」(大分県・未発見)があることから、「おいでる」は、本州・四国・九州に広く分布していることがわかります。
ほかに、中国・四国地方には、「来てみんさいやぁ」「来てみい~!!」(広島県)、「きてなぁ」(香川県)、「来なソンソン!」(徳島県)、「早よぉ来んさい」(山口県・※写真省略)があります。
「来てみんさいやぁ」(広島県)の「~(し)んさい」は、「~(し)なさい」の意味で、「はよう、食べんさい」「遊びに来んさい」のように用いられます。
これまで、手元の方言資料をできるだけ多く皆さんにご紹介したいと思って、記事といっしょに1枚ずつ写真を掲載したのですが、ウェブを開くとき、軽量であることが大切であるとの考えから、ちょっと見にくいのですが、集合写真になりました。
| もてなしの方言(中国・四国地方) | |||
|---|---|---|---|
| 写真1 | おいでんせえ | 岡山県 | |
| まあ、いっぺん来てみんさいやぁ | 三原市 | 広島県 | |
| えっと福山来てみい~!! | 福山市 | ||
| お日和もようて、まあようおいでんされました | 岩国市時代工房 | 山口県 | |
| おいでませ | |||
| 写真2 | かがわにきてなぁ | 香川県 | |
| 見に来なソンソン! | 美馬市 | 徳島県 | |
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

山下暁美(やました・あけみ)
明海大学外国語学部・大学院応用言語学研究科教授。博士(学術)。
専門は、日本語教育学・社会言語学。研究テーマは、移民百年を迎えた、ブラジル、アメリカ合衆国などにおける日本語の変化、外国人の日本定住化による共生時代の日本語教育政策。
著書に『書き込み式でよくわかる日本語教育文法講義ノート』(共著、アルク)、『海外の日本語の新しい言語秩序』(単著、三元社)、『スキルアップ文章表現』(共著、おうふう)、『スキルアップ日本語表現』(単著、おうふう)、『解説日本語教育史年表(Excel 年表データ付)』(単著、国書刊行会)、『ふしぎびっくり語源博物館4 歴史・芸能・遊びのことば』(共著、ほるぷ出版)などがある。
【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。
この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
明解PISA大事典:発問2 「解釈」というか「推論」
2009年 6月 26日 金曜日 筆者: 北川 達夫第8回 発問2:「解釈」というか「推論」
「解釈」といっても、英文や古文の解釈のように「意味や内容を明らかにして解きほぐすこと」ではない。欧米型の読解教育で「解釈」といえば「推論」を意味するのである。
実は「情報の取り出し」と「解釈」とは表裏の関係にある。
前回の事例を復習しよう。「隣国の独裁者が重病らしい」という風説について、それを裏づけるような事実――たとえば「最近、独裁者は公的な場に姿を現していない」「某国の医師団が招聘された」などの情報を集める活動がPISAの「情報の取り出し」であった。
これに対して、PISAの「解釈」とは、「最近、独裁者は公的な場に姿を現していない」「某国の医師団が招聘された」などの情報を手がかりにして、独裁者がどのような状態にあるのかを推理する活動なのである。
PISAの読解力の発問風にいえば、
◆情報の取り出し
「この課題文を読んだ人が『独裁者は重病らしいね』と言いました。この人の考えを裏づけるような事実を課題文から挙げてください」
◆解釈
「独裁者はどのような状態にあると思いますか。そのように考えた理由を課題文の内容にふれながら説明してください(*)」
つまり、(仮定された)結論から前提となる事実を導き出すのが「情報の取り出し」。それとは逆に、前提となる事実から結論を導き出すのが「解釈」ということだ。これは「情報の取り出し」が帰納的推論であり、「解釈」が演繹的推論であることを意味する。
難しい言葉はさておき、要するに「情報の取り出し」にせよ「解釈」にせよ「推論」なのである。前回のうちに「情報の取り出しは(帰納的)推論である」と定義してもよかったのだが、「解釈」と表裏の関係にあることを強調したいがために今回まで引っぱってしまった。もうしわけない。
PISAの背景にある欧米型の読解教育において、「推論」は特に重視されている技能である。もちろん「推論」をするためには、まずテキストの内容を文字通り正確に読み取ることが必要不可欠である。ただ、文字通り正確に読み取ることは必要だが、文字通りにしか理解できないようでも困る。「まんじゅうこわい」と書いてあるからといって、本心がその通りとは限らないからだ。作者や筆者の真意は必ずしも明確に書かれてはいない。そこを読み取るために「推論」が必要なのである。
物語文を読む場合であれば、主要な登場人物の言動や心情について「推論」を積み重ねる。主要な出来事の背景事情について「推論」を積み重ねる。「推論」を積み重ねるうちに、すべての「前提」と「結論」の基礎をなす「大前提」の存在が明らかになってくる。ここでいう「大前提」とは、作者の主張であり、主張の背景にある発想であり、発想の根底にある価値観のことだ。
たとえば桃太郎のような勧善懲悪の物語から、「主人公は正義の存在だから、不義の存在に打ち勝ったのだ」という主張を見出す。この主張は「正義は不義に勝つ」という発想を大前提としている。さらに、この発想の根底には「正義」を第一に考える価値観が大々前提として横たわっている。もちろんこれは推論の連鎖であって、絶対的なものでもなければ、確定的なものでもない。とはいえ、このようにして作者の真意(と思われるもの)を明らかにしていくのである。
作者や筆者の真意を受け止めて初めて、それを評価し、自分の主張へとつなげていくことができる。次の「熟考と評価」の活動に移ることができるのである。
「熟考と評価」については次回――。
* * *
(*)「課題文の内容にふれながら」というのはPISA日本語版独特のもので、「refer to the text」の訳句。「課題文から根拠となる事実を挙げて」という意味である。それならば最初から「課題文から根拠となる事実を挙げて」と訳せばよさそうなものだが、これは「use evidence from the text to support (your answer)」の訳句なので、そこまでやったら「日本人に有利なように意訳しすぎ」になってしまう。
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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)、組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。
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【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。
漢字の現在:「都」が変化する意義
2009年 6月 25日 木曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第41回 「都」が変化する意義
前回示した、京都での「都」の字体の使用状況について、理由を少し考えてみたい。
「都」は、常用漢字であり、かつ教育用漢字でもあるため、日本中でこの字体をしっかりと習うはずだ。「者」は「土」にある下の「亠」のような部分の右よりの箇所に「ノ」が長く交差するという、やや珍しい形態を持つ。「ナ」に近いともいえるが、「ノ」の起筆は微妙な位置から始まり、しかも長く伸びる。つまり「ノ」という線は一般に書きにくいものなのであろう。それを書きやすしようとした結果、書体によっては、「者」の「ノ」が「一」を挟んで切れて、水面を貫く光線のように、右と左とで離れている、そんな極端な例も見受けられる。それは、伝統的な楷書にも見られるのである。
そうした字体の特性から、この字を用いる人々は、少しでも省力化を目指す。実は中国でも伝統的な隷書や楷書、とくに行書に、写真と同様の「都」の字体が使われることが起こっていた。字体を簡易化すべく図って、この形が筆記で生じ、あるいは歴史的な書写体から選ばれ、日常的によく書く人々の間で継承されたのではなかろうか。この字体であれば、点画が比較的込み入らなくなり、見やすくもあるという利点もある。そういうことから、この字を書く、デザインするということがまた個々に行われる。
それらの経済性と古雅な字体への審美眼、可読性の追求が発端となって、この字体は使用が重ねられ、それが地域の人々の目にもなれ、それを見たものがまた模倣するという影響関係の循環が、この字体を京都で多く呈することの要因ではなかろうか。
「京都」以外の文字列でもやはりそうなっている。右のサッと書かれた字の写真は、和装ショップ「和都凛衣 縁屋」(わとりえ えんや)である。
「都」という字に限らず、同様な現象は、実は各地に観察することができる。例を挙げると、神奈川県では、「奈」の「大」の部分が「ス」と続けて手書きされることが多い(奈良県でも同様であろうか)。また3字めの「川」も「ツ」のようにさっと書かれがちだ。千葉県でも、「葉」の「世」の部分が「丗」と少し簡略化されて手書きされる傾向が見て取れ、これはデザイン文字にもなっている。
漢字は、これらのように形がその地域に顕著な珍しいものであっても、そもそも文字というものが人々の間で空気や水のように当たり前の存在となっているため、地元の方々は大概こうした現象にむしろ気付きにくくなっている。しかし、文字にも地域に根差した「京訛り」のようなものがあるとすれば、それはかえって歴史豊かな「都」たるゆえんを示してくれているように、私には思える。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「「都」に流行るもの」でした。
この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
『三省堂国語辞典』のすすめ その73
2009年 6月 24日 水曜日 筆者: 飯間 浩明「第1ページ目」と言ってもよさそう。

【重複表現なのか?!】
この連載の中で「第1ページ目」という表現を使ったところ、編集部から「第1ページ」または「1ページ目」ではないかとお尋ねがありました。たしかに、新聞社のスタイルブックでも「第~目」は〈重複〉とされており、新聞記事の本文にはほとんど出てきません。
ただ、迷った末に、「第1ページ目」という原文はそのままにしてもらいました。これはこれで、一種のニュアンスをもつ表現だからです。
ある表現が認められるためには、昔から使われていること、また、その言い方が理屈に合っていることが確かめられれば十分でしょう。「第~目」はどうかというと、まず、古い例としては、江戸時代(18世紀)の『仮名手本忠臣蔵』に出てきます。
〈先づ一番に打ち上ぐるは大星由良助義金。二番目は原郷右衛門。第三番目は大星力弥。〉(岩波文庫版 p.114、文字遣い改める)

【『浮雲』第二編より】
明治になると、二葉亭四迷『浮雲』に〈開巻第一章の第一行目〉とあります。この強調する感じは、私が「第1ページ目」で表したかったニュアンスと似ています。ほかに、夏目漱石・島崎藤村・三島由紀夫・司馬遼太郎・遠藤周作らの用例もあります。
次に、「第~目」という言い方は理屈に合うかどうかですが、「第~」と「~目」とは意味が微妙に異なるため、いっしょに使っても重複表現とは言いにくいと考えます。
意味の違いは、入れ替えができない例を考えると、よく分かります。
「借金を申し込んだところ、1回目は断られたが、2回目は貸してもらえた」

【『三国』では使う表現】
という文は、「第1回は断られたが……」とは言えません。「第~」は、全体で何回か(いくつか)あるうちの1つだということを示すのが主眼で、「~目」は、その時その時(または、それぞれの部分)の様子について言うのが主眼です。「第1試合」というと日程の一部であることを示す感じがし、「1試合目」というと「苦しい戦いでした」などと様子を表すことばが続く感じがします。「第1試合目」は両方のニュアンスを含みます。
『三省堂国語辞典 第六版』では、「第~目」という言い方を否定してはいません。「初(はつ)」の項目では、語釈に〈最初の。第一回めの。〉と使っています。そのほか、「一代雑種」「初刷り」などの項目にも「第~目」という表現があります。もう少し踏み込んで、「第」の項目で「第一回目」などの言い方について説明してもいいと思います。
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◆新連載「国語辞典入門」は⇒「国語辞典入門」アーカイブ
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◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」
筆者プロフィール
飯間浩明(いいま・ひろあき)
早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)
【編集部から】
生活にぴったり寄りそう現代語辞典として定評のある『三省堂国語辞典 第六版』が発売され、「【サンコク】メディアでの紹介」の記事にある通り、各方面で取り上げていただいております。その魅力をもっとお伝えしたい、そういう思いから、編集委員の飯間先生に「『三省堂国語辞典』のすすめ」というテーマで書いていただいております。
「四字熟語と太宰」(その3)
2009年 6月 23日 火曜日 筆者: 円満字 二郎頭に刷り込まれた「之」
世の四字熟語辞典を見ていて、いつも気になることがある。たとえば、「漁夫之利」。あるいは、「蛍雪之功」。こういった「之」を含むものは、“四字熟語”だと言ってよいのだろうか?
これらは、古典中国語としては「○○之○」と書くのだろう。しかし、現代日本語としては「○○の○」と書き表されるべきものではないだろうか。だとすれば、漢字4文字ではなくなる。“四字熟語”というものが、日本語の中で熟して用いられる漢字4文字の語なのだとすれば、「漁夫之利」や「蛍雪之功」はちょっと外れるように思うのだ。
中には、「華燭之典」とか「犬猿之仲」「高嶺之花」なんてのを収録している四字熟語辞典もある。ここまで来ると、なんだか無理して収録語数を増やそうとしているんじゃないかと、げすの勘ぐりをしてみたくもなるというものだ。
しかし、今回、太宰の用いた四字熟語について調べてみて、ぼくはちょっと考えを改めさせられることになった。太宰にも、この種の“四字熟語”を用いた例があったのだ。
その1つは、『善蔵を思う』という短編だ。故郷の新聞社から酒席への招待を受けた「私」、なんだかえらくなったような気がして出席の返事を出したものの、やがて次のように思い直す。
「何が出世だ。衣錦之栄も、へったくれも無い。」
いわゆる「故郷に錦を飾る」ことを意味する「衣錦之栄」は、6世紀後半の歴史を記した『周書』にそのままの形で出典がある。
また、『禁酒の心』という短編には、
「このごろの酒は、ひどく人間を卑屈にするようである。昔は、これに依って所謂浩然之気を養ったものだそうであるが、今は、ただ精神をあさはかにするばかりである。」
ともある。「浩然之気」とは、『孟子』にこれもそのままの形で出てくる有名なことば。その実体は抽象的すぎてぼくには理解できないのだが、なんでも、この「気」を養っていなければ君子として大成はできないような、重要な「気」らしい。そういうものなら、ぼくによくわからないのも、無理はない。
これらの語を「衣錦の栄」「浩然の気」とは書かないということは、太宰の頭の中には、「之」を含む形で刷り込まれていたということなのだろう。
太宰は、旧制弘前高校から東京帝大へと進んだ経歴の持ち主だ。ぼくたちの大半よりははるかに、漢籍を読んだ経験が豊富だったにちがいない。だが、漱石や鴎外、そして芥川のように、漢籍に関する該博な知識を持っていた、とも思えない。当時のインテリとしてはごくごく平均的な、漢籍に関する“常識”を身に付けていた程度ではないだろうか。
そんな太宰の頭の中に、「衣錦之栄」や「浩然之気」が、原文そのままの「之」を含む形で記憶されていたのだとすれば、これらは、少なくとも当時のインテリたちにとっては、“現代日本語”の表現の1つだったのかもしれない、などと思う。つまり、「之」を含む漢字4文字から成る熟語だって、やはり“四字熟語”たりうるのだ。
でもそれは、今から100年前に生まれた人たちの世界でのお話だ。そう考えると、この1世紀ほどのあいだに漢字文化がたどってきた運命について、その善し悪しは別として、いろいろと考えこんでしまうのである。
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【著者プロフィール】
円満字 二郎(えんまんじ・じろう)
1967年兵庫県生まれ。大学卒業後、出版社にて高校国語教科書や漢和辞典などの編集に従事。
現在は、フリーの編集者兼ライターとして多方面に活躍中。著書に、『大人のための漢字力養成講座』(ベスト新書)、『人名用漢字の戦後史』(岩波新書)、『昭和を騒がせた漢字たち』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『心にしみる四字熟語』(光文社新書)、『漢和辞典に訊け!』(ちくま新書)がある。
【編集部から】

本年は、太宰治の生誕100年にあたります。このたび刊行されました『太宰治の四字熟語辞典』は、実際に用いられた四字熟語の意味や背景を解説しながら、作品世界を自由に読み解く異色の太宰文学案内です。著者の円満字二郎さんに、執筆時のこぼれ話を隔週で連載していただきます。
『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて(7)
2009年 6月 23日 火曜日 筆者: 赤間 恵都子(7) 宮仕え称讃論
十二単を纏った華やかな女性たちが後宮に集い、女流文学作品が次々と生まれた平安時代は女性の時代だと思われているかもしれません。しかし、その後宮は、娘を皇室に入れて皇子を生ませ、皇子が即位すると天皇の外祖父(がいそふ;母方の祖父)として権力を握った藤原摂関政治の中枢的な役割を担っていました。
紫式部も清少納言も摂関家に雇われ、それぞれの後宮の存在を誇示するために働いていたのです。つまり後宮は、男性社会の政治的戦略の枠組みの中で営まれていた限られた世界でした。
しかし一方、当時の一般的な中流貴族の女性の一生は現代とは比べようもないほど閉鎖的で拠り所のないものでした。生まれてから未婚の娘時代は父親の加護のもとに育てられ、十代半ばで成人してからは親族以外の男性とは顔を合わせることもなくなります。親の意向によって身分相応の相手と結婚し婿を家に通わせるようになると、一夫多妻制の下でひたすら夫を待つ日々が始まります。そして子供が生まれると、家族の世話、雇用人の管理など一家の主婦としての生活に明け暮れてゆくのです。
どんなに頭が良くて才能があっても社会の表舞台に立つことはなく、一生を裏方として終える人生が、生まれた時から女性に定められた人生なのでした。
紫式部が幼いころ、兄が父に学問を教わっているのを傍らで聞いていて、兄より先にその内容を理解したので、父が「御前が男でなかったのが不運だった」と嘆いたという話(『紫式部日記』)は有名です。
それは決して自慢話などではなく、紫式部のような才女ならなおのこと、どうして女は自分の能力を生かすことができないのかという悔しさ、やりきれなさが書かれているのです。女性の社会的不遇に対する紫式部の義憤を読み取るべきだと思います。
清少納言も同様な思いを抱いていたに違いありません。そして彼女の場合、女性が社会で活躍できる唯一の現実的な場所として、後宮という世界を選んだのです。
清少納言の宮仕え称讃論と言われる章段に、女性の宮仕えに対する積極的な意見が書かれています。この段は『枕草子』執筆の内的動機として重要なものと考えられますので、以下に大体の内容を紹介しておきましょう。
将来の当てもないのに真面目に偽物の幸せ(世間一般の結婚生活の幸せ)を信じている女って、いったい何を考えているの、ばかみたいと私には思われます。宮仕えに出られる位の身分の家の娘であれば、一度は宮廷社会に出して世間のいろいろなものを見聞させ、しばらくの間でも一流の女官として働かせたいもの。
…とはいっても、宮仕えに出れば、天皇から下郎まであらゆる身分の者と顔を合わさざるを得ないから、男達の中には宮仕えは軽薄で悪い事だと思って批判する者もいます。それも当然のことだとは思いますが、でも、結婚した後に宮仕え中に身につけた知識を夫のためにさりげなく役立てるのが、本当に奥ゆかしいということではないでしょうか。(「生ひさきなく、まめやかに」の段:筆者意訳による)
清少納言は、夫と別れ、父と死別した後、この持論を胸に宮仕え生活に踏み出したと思われます。女性の社会進出が当然のこととして認められている1000年後の現代社会を彼女がもし見たら、どう思うだろうかと想像したくなってしまいますね。
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【著者プロフィール】
赤間 恵都子(あかま・えつこ)
十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「枕草子研究の動向と展望―年時考証研究の視座から―」(『十文字学園女子短期大学研究紀要』2003年12月)、「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)など。
【編集部から】

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。(隔週掲載)
ドイツ料理の言葉(4)―「とろみ」2―
2009年 6月 22日 月曜日 筆者: 石井 正人クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(55)
妻にやり込められて悔しかったので、Stärkeの話を続けよう。
以前ドイツ人に鶏の唐揚を作ってやったら、ひどく気に入られ、作り方を説明させられた。本当は小麦粉ではなく、片栗粉で衣を作るのだと言いたかったが、その時片栗粉をドイツ語でどういうか知らなかった。小学校でやった実験を思い出しながら、生のジャガイモをすりおろして水に混ぜて一晩おけば採集できる白い粉なんてところから迂遠な説明をしていたら、さすがに勘の良い女性がいて、ああそれならStärke というのだと教えてくれた。ドイツのスーパーマーケットに並んでいるのを見たことがないと言ったら、製菓材料のところにあったらしい。
バイエルン名物で、日本人観光客が必ず食べさせられ、そんなにうまいものではないから必ず持てあます例のジャガイモ団子Knödelだが(慣れるとおいしさが分かってくる)、昔ながらの本格的な手作りのレシピを読むと、遠大な話で、用意したジャガイモの半量を前の晩からすりおろして水につけ、つなぎ用のデンプン粉Stärkeを取るところから始めている。日本のちらし寿司やオハギと同じことで、昔ながらのおふくろの味には手間暇がかかるということのようだ。
またドイツ菓子の本に詳しく説明されていないのだが、ロールケーキなどのやわらかいケーキ生地は、小麦粉Mehlとデンプン粉Stärkeをおおよそ半々で混ぜて作るものらしい。
これに対してソースのとろみをつける例のルーは、本来バターなどの油で小麦粉を炒めて焦げ色をつけることをいい、元になったフランス語のrouxはRougeと語源的に同じで、あの赤茶の色から来ている。これをドイツ語ではSchwitzeという。ちなみドイツ語では「赤い」ではなく、dunkelと呼ぶ。schwitzen(汗をかく、汗をかかせる)という動詞に、油で炒めて焦げ色をつけるという意味があって、そこから来たらしい。
これらのStärkeやSchwitzeは、Mondamin社が老舗で大手だが、Dr. OetkerやMaggiなどにも当然ある。このMondaminという社名は、北米原住民の言葉でトウモロコシ(の精)のことだそうで、デンプン粉が元来トウモロコシ粉であったところから社名に選ばれたようだ。しかし「お口くちゅくちゅモンダミン」とはどんな関係があるのか、不明である。
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【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員
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【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。
日本語社会 のぞきキャラくり 第44回 キャラクタのラベル
2009年 6月 21日 日曜日 筆者: 定延 利之キャラクタのラベル
前回から述べ始めたのは、ことばとキャラクタとの結びつき方は多様であり、少なくとも3つの結びつき方があるということである。
第1の結びつき方とは、「坊っちゃん」ということばが幼児性の強い男性のキャラクタを表すように「ことばがキャラクタを直接表す」という結びつき方である。
だが、この結びつき方は、実はことば以外にも見られる。
たとえば「彼って、まだ結婚しないの?」という相手の問いかけを制するように「いやいや、彼は」と言った後、「片手首直立逆口端微笑」とでもいうような動作、具体的には右手首から先をピンと反り返らせて直立させたまま口の左端あたりに持ってきて微笑む、あるいは左手を同様にして口の右端あたりに持ってきて微笑む、という動作をすれば、「彼は『オカマ』だから妻帯しない」という意味が伝わることがあるだろう。この場合、「片手首直立逆口端微笑」という動作は『オカマ』キャラを直接表している。ちょうど、「坊っちゃん」ということばが幼児性の高い男性のキャラクタを表すのと同じである。とはいえ、このような動作は、ことばに比べればはるかに少ない。
「坊っちゃん」ということばや「片手首直立逆口端微笑」という動作のように、キャラクタを表すものを私は「キャラクタのラベル」と呼び、幼児性の高い男性のキャラクタやオカマのキャラクタのように、それらで表されるものを「ラベルづけられたキャラクタ」と呼んでいる。キャラクタのラベルとしては動作もあるが、ことばの方がはるかに多いということになる。
「そんな言動は田中さんのキャラクタからして考えられない」と言う時の「田中さんのキャラクタ」のような、現実の個々人のキャラクタは、「田中さんと言えば基本的にかなりの『おとぼけ者』だが、最近はなぜか、びっくりするような『熱血漢』の一面を見せることもあって……」というように、本来変わってはいけないはずのキャラクタどうしが、ギシギシと音を立て、矛盾の中で同居してできている。人が生きるとはそういうことだろう。『おとぼけ者』であれ『熱血漢』であれ何であれ、そういう一つのキャラクタの枠に完全にはまり、そのキャラクタで言い尽くせる人などいない。
私の周囲にも実にいろいろな人々がいる。それら一人一人のキャラクタをここで取り上げてみるのも楽しいだろうが、書きようによっては訴訟沙汰になるかもしれないし、何よりも読者にどこまでわかってもらえるか、いまひとつ自信がない(それぐらい奇妙な人たちだ、ということである。本当に)。
とりあえずは、「田中さんのキャラクタ」のような固有名詞でラベルづけされたキャラクタよりも、それらの個々人キャラの基礎となる、『坊っちゃん』『オカマ』『おとぼけ者』『熱血漢』のような普通名詞でラベルづけされたキャラクタの観察を進めておいて損はないだろう。あ、今更ですが、そういう方針で書いてますから。
なお、ここで「ホモセクシャル」などと書かず「オカマ」と書いたのは、私たちが人物評をする際のことばとして、「ホモセクシャル」よりも「オカマ」の方が一般的だと思うからである。「オカマ」という語には差別的な響きがあるかもしれない。だとすればそれはホモセクシャルに対する私たちの差別意識の現れである。普通名詞のキャラクタのラベルには、私たちのさまざまな意識が反映している。キャラクタを論じるとは、その意識を明るみに出すことでもある。
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◇この連載の中国語版と英語版
中国語版⇒角色大世界――日本
英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters
【筆者プロフィール】
定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。
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![『新明解国語辞典 第七版[小型版]』7年ぶりに改訂『新明解国語辞典』の小型版。並判より一回り小さいA6変型判で、携帯にも便利。2色刷。紙面内容は並版と同一。 『新明解国語辞典 第七版[小型版]』](http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp-images/smk_kogata.jpg)
![『新明解国語辞典 第七版[革装版]』7年ぶりに改訂『新明解国語辞典』の革装版。丈夫で使うほどに手になじむ。判型は並版・特装版と同じB6判。2色刷。紙面内容は並版と同一。 『新明解国語辞典 第七版[革装版]』](http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp-images/smk_kawaso.jpg)













































































































































2007年









