日本語社会 のぞきキャラくり

第44回 キャラクタのラベル

筆者:
2009年6月21日

前回から述べ始めたのは、ことばとキャラクタとの結びつき方は多様であり、少なくとも3つの結びつき方があるということである。

第1の結びつき方とは、「坊っちゃん」ということばが幼児性の強い男性のキャラクタを表すように「ことばがキャラクタを直接表す」という結びつき方である。

だが、この結びつき方は、実はことば以外にも見られる。

たとえば「彼って、まだ結婚しないの?」という相手の問いかけを制するように「いやいや、彼は」と言った後、「片手首直立逆口端微笑」とでもいうような動作、具体的には右手首から先をピンと反り返らせて直立させたまま口の左端あたりに持ってきて微笑む、あるいは左手を同様にして口の右端あたりに持ってきて微笑む、という動作をすれば、「彼は『オカマ』だから妻帯しない」という意味が伝わることがあるだろう。この場合、「片手首直立逆口端微笑」という動作は『オカマ』キャラを直接表している。ちょうど、「坊っちゃん」ということばが幼児性の高い男性のキャラクタを表すのと同じである。とはいえ、このような動作は、ことばに比べればはるかに少ない。

「坊っちゃん」ということばや「片手首直立逆口端微笑」という動作のように、キャラクタを表すものを私は「キャラクタのラベル」と呼び、幼児性の高い男性のキャラクタやオカマのキャラクタのように、それらで表されるものを「ラベルづけられたキャラクタ」と呼んでいる。キャラクタのラベルとしては動作もあるが、ことばの方がはるかに多いということになる。

 

「そんな言動は田中さんのキャラクタからして考えられない」と言う時の「田中さんのキャラクタ」のような、現実の個々人のキャラクタは、「田中さんと言えば基本的にかなりの『おとぼけ者』だが、最近はなぜか、びっくりするような『熱血漢』の一面を見せることもあって……」というように、本来変わってはいけないはずのキャラクタどうしが、ギシギシと音を立て、矛盾の中で同居してできている。人が生きるとはそういうことだろう。『おとぼけ者』であれ『熱血漢』であれ何であれ、そういう一つのキャラクタの枠に完全にはまり、そのキャラクタで言い尽くせる人などいない。

私の周囲にも実にいろいろな人々がいる。それら一人一人のキャラクタをここで取り上げてみるのも楽しいだろうが、書きようによっては訴訟沙汰になるかもしれないし、何よりも読者にどこまでわかってもらえるか、いまひとつ自信がない(それぐらい奇妙な人たちだ、ということである。本当に)。

とりあえずは、「田中さんのキャラクタ」のような固有名詞でラベルづけされたキャラクタよりも、それらの個々人キャラの基礎となる、『坊っちゃん』『オカマ』『おとぼけ者』『熱血漢』のような普通名詞でラベルづけされたキャラクタの観察を進めておいて損はないだろう。あ、今更ですが、そういう方針で書いてますから。

なお、ここで「ホモセクシャル」などと書かず「オカマ」と書いたのは、私たちが人物評をする際のことばとして、「ホモセクシャル」よりも「オカマ」の方が一般的だと思うからである。「オカマ」という語には差別的な響きがあるかもしれない。だとすればそれはホモセクシャルに対する私たちの差別意識の現れである。普通名詞のキャラクタのラベルには、私たちのさまざまな意識が反映している。キャラクタを論じるとは、その意識を明るみに出すことでもある。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。