2009年 7月 のアーカイブ

「辞書引き学習」訪問記:千葉・水の江小

2009年 7月 31日 金曜日 筆者: ogm

編集部では、立命館小学校に引き続き、「辞書引き学習」の現場を見ようと千葉県市原市立水の江小学校(鎌田正男校長、児童数838人)をおとずれました。⇒「『辞書引き学習』の立命館小訪問記」はこちら

水の江小では「自ら学び、豊かな心でたくましく生きる子」を教育目標に掲げ、ひとりひとりがすすんで学ぶ子に育つようにと、いろいろな活動がなされています。そのなかに「ことばとなかよし」という時間があります。毎週水曜日、登校から朝学活までの15分間、全学年で「辞書引き学習」をする時間として、昨年度から取り組まれているとのことです。(*)水の江小では、この時間帯を朝自習の時間に位置づけています。1年生も2学期から取り組みます。

訪問したのは7月のはじめ。写真のように、どの学年も真剣。つい先ほど元気に登校してきたばかりの子たちが、しっかり席について熱心に辞書を引いています。

 
 

教務主任の藤川雄先生から、昨年度の取り組みについて、児童からの声を集めた資料を紹介していただきました。

1・2年生では、辞書を引くのが好きになったと答える児童は約9割と多く、辞書を引いて「たくさんのことばがわかった」と実感している子も約9割。「ことばとなかよし」の時間以外にも、積極的に辞書を引く姿が見られるようになったそうです。また、辞書でわからないことばを引くだけでなく、自分の知っていることばを調べて喜んだり、自分が知っていたのと違う意味もあることを知って興味を深めたり……という様子が見られたとのことです。

3年生以上では、「辞書引き学習」を続けたほうがいいと思っている児童が8割以上と、その取り組みが役に立っていると感じている子が多いようです。その理由として「いろいろなことばを知ることができる」「自分のためになる」「達成感がある」「ほかにも、おもしろいことばが見つかる」「わからないことをそのままにすることはよくない」といった声があがっています。

このような児童の積極的な姿を見て、先生方からは「集中力がついてきた」「成就感・達成感を味わうことで意欲・自信がもてるようになった子がいる」との声が寄せられ、「辞書引き学習」は有意義だ、ぜひ続けるべきだという声が多くあがったそうです(なんと100%!)。そして今年度、さらに言語活動を重視した授業へつながるようにと展開していくとのことです。

取り組みを見学させてくださった水の江小学校の皆さま、ありがとうございました。

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「辞書引き学習」はいろいろなところで広がりを見せています。編集部では今後もそういった取り組みをご紹介していきたいと考えております。

明解PISA大事典:キー・コンピテンシー「PISA学コトハジメ 其ノ弐」

2009年 7月 31日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第13回 PISA学コトハジメ 其ノ弐

 PISAで求められている学力のことをコンピテンシーという。コンピテンシーとは「個人の人生にわたる根源的な学習の力」とされている(1)

 急激で予測不能な変化をする社会においては、過去に積み上げた知識や経験だけでは必ずしもやっていけない。必要に応じて新たな知識を取得し、それを“過去に積み上げた知識や経験と関連付けながら活用する能力”が重要だというのである。

 この学力観の転換を、一般に「知識からコンピテンシーへ」の転換という。

 ここでひとつ注意が必要なのは、この新たな学力観においても決して知識や経験の集積が軽視されているわけではないということ。“過去の知識の集積や経験だけ”では変化に対応できないといっているのである。知識や経験はあるにこしたことはない。ただ、それだけに頼っているようでは変化に対応できないというのだ。

 急激で予測不能な変化をする社会においては、勉強は学校だけですればいいのではない。学校でいくら知識を集積しても、それは社会に出るころには役に立たなくなっているかもしれない。だから、社会に出てからも学び続けなければならないのである。そういう人間が世界中のどこの労働市場においても「人材」として通用する。これこそOECD(経済協力開発機構)の学力観、つまりPISAの学力観なのである。

 いつでもどこでも「学び続ける人」になるためには、“主体的で自立的に学ぶ姿勢”が肝要である。だれかに命令されたから学ぶというようではダメなのだ。このあたりから「教師中心主義から学習者中心主義へ」というような発想が出てくる。教師が上から教えこみ、上から考えさせるのではなく、子どもが自ら進んで学び、自ら進んで考えるようにしなければならないというのである。

 これがフィンランド教育においては実現しているのだといわれる。だからフィンランドはPISAで一等賞なのだという。だからフィンランドは教育の理想郷なのだという。

 だが「理想郷」の現実は決して甘くない。

 多くの先進国が直面している問題であるが、民主主義の進展は「統治能力の危機」(2)をもたらす。民主社会においては、だれにおもねることなくモノを言うことが重要である。だから民主主義が進展すれば、だれもが権威におもねることなくモノを言うようになるので、伝統的な権威はどんどん統治能力を失ってしまう。また、そういう社会においては、モノを言えば言うほど得になる傾向があるので、伝統的な道徳心をかなぐり捨ててモノを言う人々が出現する。特に伝統的権威に対して好き勝手に要求するようになる。

 これは政治学の考えかたであるが、教育にもみごとにあてはまる。民主主義の進展にともない、学校や先生という伝統的権威が徐々に力を失っていく。それと同時に“モンスターペアレンツ”が出現して、学校や先生に好き勝手な要求を突きつける――これは決して日本だけの現象ではない。程度の差はあれ、多くの先進国に見られる現象なのである。

 統治能力を失った伝統的権威が力を取り戻すためには、自らの権威の根拠を“言説化”しなければならない(3)。たとえば、国家であれば法律にしなければならないし、個人の関係においては契約を結んで“明文化”しなければならないのである。

 学校においても同じこと。学校や先生が完全に権威性を失ったら、その“統治能力”を明文化された契約によって保障しなければならなくなるのである。これをラーニング・コントラクトといって、欧米の地域や学校によっては徐々に取り入れられ始めている(4)。教育の「理想郷」のはずのフィンランドにおいてさえ、さまざまな困難を抱えた地域や学校においてはラーニング・コントラクトを取り入れざるをえなくなっているのである。

 ラーニング・コントラクトには先生や保護者や子どもの権利と義務が明文化されているので、考えようによっては便利な制度である。だが、悲しい制度でもある。先生が「みんな宿題をちゃんとやってこ~い」と言えば、子どもが「は~い」と答える風景が失われてしまうからだ。みんな“契約で義務付けられているから宿題をやってくる”ようになってしまうからだ。これもまた「社会の変化」として受け入れざるをえないということか。

 また、PISAで求められている学力を支える「主体的で自立的な学び」と、「契約で義務付けられた学び」の間に論理的な整合性を見出すことも難しい。「契約で義務付けられた学び」とは、命令を発するのが「先生」から「契約書」にすりかわっただけのこと。それは決して「主体的で自立的な学び」とはいえないからだ。あるいは「主体的で自立的に“学びの契約”を結んだ」と解釈すべきなのか。

 PISAの学力観は、困難に直面する各国の実情を踏まえて生み出されたものである。先進国の共通の悩みに対処するために考えだされたものである。フィンランドであろうが、どこであろうが、決して「理想郷」は存在しない。

* * *

(1)「コンピテンシー」について詳しくは『キー・コンピテンシー―国際標準の学力をめざして』ドミニク・S・ライチェン、ローラ・H・サルガニク編著/立田慶裕監訳/明石書店 2006年
(2)「統治能力の危機」について詳しくは『民主主義の統治能力―その危機の検討』サミュエル・P・ハンチントン、ミシェル・クロジェ、綿貫譲治著/日米欧委員会編/綿貫譲治監訳/サイマル出版会 1976年
(3)“言説化されない伝統”に権威性を認めない社会のことを「ポスト伝統社会」という。「ポスト伝統社会」について詳しくは『再帰的近代化―近代化における政治、伝統、美的原理』ウルリッヒ・ベック、アンソニー・ギデンズ、スコット・ラッシュ著/松尾清文、小幡正敏、叶堂隆三訳/而立書房 1997年
(4)拙著『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』pp28-31/清宮普美代氏との共著/三省堂 2009年

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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。

談話の構造と「文頭・文中・文尾」

2009年 7月 30日 木曜日 筆者: 内田 聖二

『英語談話表現辞典』覚え書き(2)

前回は本辞典(以下、『談話表現辞典』)で用いている「語用論的情報」について概説をしました。今回はより具体的に談話の構造について述べてみたいと思います。

『談話表現辞典』が記述の対象とするのは「会話で頻出する表現」ですが、一般の学習辞書では成句の一部として取り上げられている場合がほとんどです。学習辞書では主にスペースの問題から、見出し語の語義の定義に比べ簡潔な記述とならざるをえません。『談話表現辞典』はそこに焦点を当てて詳しく説明していますので、いわばニッチ的な特徴をもっており、一般の学習辞典と単純に比較することはできませんが、『談話表現辞典』の特徴を理解していただくために、改訂版を含め、最近出ました、G(2007年第4版)、W(2007年第2版)、O(2008年発行)の3つの辞書に適宜言及することにします。

口語表現の代表のひとつとして、いろいろな使い方のあるyou knowをとりあげてみましょう。『談話表現辞典』では、次のように8つの場面に分けて記述しています。

(1) 〈新しい話題を持ち出して〉ところで、あのね
(2) 〈聞き手の理解を助けて〉ほら (♦文頭で);ほら、あの(♦文中で);だろう、わかるでしょう?(♦文尾で)
(3) 〈相手に同意を求めるように〉そうでしょ
(4) 〈控えめに主張して〉(わかっているとは思うが)なにしろ(♦文尾で)
(5) 〈控えめに提案して〉ね、どうだろう
(6) 〈やんわりと忠告して〉ね、そうでしょ?
(7) 〈言いにくそうに〉それは、つまり(♦文頭・文中で)
(8) 〈名前や適当な言い方が思いつかなくて〉ほら、あの

(1)の語義に先行して、「新しい話題を持ち出して」という談話構造にかかわる情報が与えられていますが、「文頭、文中、文尾で」という文での位置についての情報は語義の提示のあとで適宜述べられています。一方、O(3つの語義)にはみあたりませんが、G(4つの語義)とW(5つの語義)では位置情報を語義に優先して述べています。「文頭」は談話の開始時と一致することはありますが、必ずしも同じことを表すわけではありません。たとえば、Gに次のような語義項目があります。

(1)[文頭で](あの)ねぇ、何しろ…だものね;時に、ところで(by the way)
(2)[文末で] a)…でしょ、…なのよね b)あなたも知っての通り c)そうじゃないよ、いいかい
(3)[文末で]ほらあの…
(4)[文中で]えー、ほらあの

語義1で[文頭で]とありますが、「(あの)ねぇ、何しろ…だものね」と後ろの「時に、ところで(by the way)」のあいだにセミコロンがあります。特に違いがわかる例文はありませんが、これはそれぞれの語義の「性格」が異なることを暗示しています。つまり、後者の語義は談話上の「切れ目」に相当しますが、前者は談話構造上の単位とは一致しません。この意の「文頭」はいわば「談話内」での位置づけを表します。また、Gの語義(2)には、語義a)~c)が下位項目として設定されています。(3)との関連も定かではありませんが、これはyou knowの文中の位置を最初に規定したことで、さらに語義の区分が必要となったためと考えられます。

以上、「文頭・文中・文尾」という情報よりも談話の構造にかかわる情報の方が上位の概念とみるのがよい事例をみてきました。


【筆者プロフィール】
内田聖二(うちだ・せいじ)
奈良女子大学教授
専門は英語学、言語学(語用論)
主な業績:『英語基本動詞辞典』(1980年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基本形容詞・副詞辞典』(1989年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基礎語彙の文法』(1993年)英宝社(衣笠忠司、赤野一郎と共編著)
『関連性理論-伝達と認知-』(初版1993年、第2版1999年)研究社(共訳)
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版1994年)小学館(小西友七・安井稔・國廣哲弥・堀内克明編、分担執筆) 
Relevance Theory: Applications and Implications, 1998, John Benjamins.(Robyn Carstonと共編著)
『英語基本名詞辞典』(2001年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『ユースプログレッシブ英和辞典』(2004年)小学館(八木克正編集主幹、編集委員)
『新英語学概論』(2006年)英宝社(八木克正編、共著)
『思考と発話』(2007年)研究社(共訳)
『子どもとことばの出会い』(2008年)研究社(監訳)


【編集部から】
語用論的な情報をふんだんに盛り込んだ、日本発の本格的な発信型会話・談話表現辞典、『英語談話表現辞典』について、編者の内田聖二先生にご紹介いただきます。
書籍購入者は、http://dce.dual-d.netにて本辞典の全データを収録したウェブ版辞典を無料で使用できます。

人名用漢字の新字旧字:「当」と「當」

2009年 7月 30日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第40回 「当」と「當」

新字の「当」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「當」は子供の名づけに使えません。新字の「当」は出生届に書いてOKですが、旧字の「當」はダメ。こうなってしまった理由は、昭和21年の当用漢字表の審議にまで遡ります。

昭和21年4月27日、国語審議会は、常用漢字表を審議していました。この常用漢字表は、標準漢字表再検討に関する主査委員会が国語審議会に提出したもので、旧字の「當」を含む1295字を収録していました。この常用漢字表に対し、国語審議会は5月8日の総会で、さらなる検討を要する、と判断しました。それにともない、昭和21年6月4日、常用漢字に関する主査委員会が発足しました。

常用漢字に関する主査委員会は、大きくわけて3つの問題を議論することになりました。字数の問題、字体の問題、固有名詞の問題、です。字数に関しては、最終的に1850字まで増やす方向で、議論が進みました。字体に関しては、とりあえず簡易字体131字を収録するものの、今後も調査を進めることになりました。固有名詞に関しては、たとえ地名は無理だとしても、人名だけでも常用漢字の範囲内にできないだろうか、という議論になりました。そして、昭和21年10月1日の主査委員会で、氏名等を平易にする法律試案(原文縦書き)が提案されたのです。

   帝國憲法改正に伴ふ戸籍法改正に當り、氏名等を平易にするため、左記の趣旨の規定を設けられんことを望む。
一、戸籍法改正法律に左記の趣旨の規定を設けること。
      第   條    戸籍の記載及び屆書には、常用平易な語を用い、字畫を明瞭にしなければならない。
常用平易な語の範圍は、命令をもつてこれを定める。
前項の範圍外の語を用いた氏名の記載は、管轄官廳の許可を得て、假名又は從前の語の發音を害しない語その他適當な語に變更することができる。但しその語の訓は變更できない。
第   條    氏名を漢字で記載する場合には、假名の訓をつけなければならない。
前項の訓は、漢字の氏名と同一の效力を有する。
二、戸籍法施行令改正勅令中に左記の趣旨の規定を設けること。
第   條    戸籍法第   條の規定により常用平易な語の範圍を左記の通り定める。
一    文部省公表の常用漢字表の文字で表はした語   但し方言、なまり音その他普通の音訓によらないものを除く。
二    片假名又は平假名   但し萬葉假名を除く。
三    ローマ字

しかし、すでに戸籍に載っている人名を常用漢字に制限するのは、かなり無理があることから、新たに生まれてくる子供の名づけに限って常用漢字の範囲に制限するよう、はたらきかけていくことになりました。

また、同じ10月1日の主査委員会で、漢字表の名は、常用漢字表ではなく、当用漢字表とすることが決まりました。「常に用いる」のではなく、「当座の用」の漢字表となったのです。しかも、簡易字体131字に新字の「当」が含まれていたので、漢字表の名も、當用漢字表ではなく当用漢字表となったのです。昭和21年11月5日、国語審議会は文部大臣に当用漢字表を答申し、翌週11月16日に内閣告示となりました。

昭和23年1月1日、戸籍法が改正されました。新しい戸籍法には、「子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。常用平易な文字の範囲は、命令でこれを定める」という条文が含まれていました。この条文によって、初めて、子供の名づけに使う文字が制限されることになったのです。戸籍法のいう「常用平易な文字の範囲」は、同じ昭和23年1月1日に司法省が施行した戸籍法施行規則に定められていました。その範囲は、片かな又は平がな、そして、当用漢字表の漢字、でした。

当用漢字表には、「当(當)」という形で新字の「当」が収録されていたので、「当」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。でも、旧字の「當」は、あくまでカッコ書きで添えられたものだったので、子供の名づけに使ってはいけない、ということになりました。そして現在に至っても、新字の「当」は子供の名づけに使えるのに、旧字の「當」は子供の名づけに使えないままなのです。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。

『三省堂国語辞典』のすすめ その78

2009年 7月 29日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

まるで自宅にいるような、宅老所。

宅老所の看板
【お近くにもありますか?】

 「宅老所(たくろうじょ)」という施設を知っていますか。『三省堂国語辞典 第六版』の新規項目のひとつです。ご存じない向きには、語釈を見てもらいましょう。

 〈認知症(ニンチショウ)などの高齢者(コウレイシャ)を・日中(短期間)受け入れて介護(カイゴ)する、民間の施設(シセツ)。多くは、民家を改造したもの。〉

 つまり、デイサービス(日帰り介護)などを行う施設ですが、そうまとめてしまっては不正確です。宅老所の特長は、一般の民家を借り受けたりして使っている点にあります。

週刊誌文章
【『週刊朝日』1996.9.27より】

 辞書をつくる上では、「託老所」か「宅老所」かという表記が問題になります。新聞記事では、1980年代から90年代の初めにかけて両方の表記が登場し、固有名詞にも使われています。ただ、この施設が全国に広まったのは、1991年に福岡市にできた「宅老所」での取り組みがきっかけでした。古い週刊誌の記事にはこうあります。

 〈「託児所の『託』ではありません。ここを自宅のように思って過ごしてほしい。そんな思いを『宅』の字に込めているのです」/民間デイサービスの草分け「宅老所よりあい」の下村恵美子さんは、そう話す。〉(『週刊朝日』1996.9.27 グラビア)

 「まるで自宅のような所」というのが特に大事な点らしく思われます。いったい、どんな様子の所なのでしょうか。宅老所はまだ大都市には少ないのですが、そのひとつ、東京都下の宅老所を見学させていただきました。

トランプ遊びをするお年寄りの手もと
【トランプ遊びで過ごす】

 行ってみると、ごくふつうの住宅で、見学というよりも、知り合いの家におじゃましたという感じです。居間では、数人のお年寄りが集まって、昔の写真を見せっこしたり、職員の方とトランプ遊びをしたりして過ごしています。認知症の進んだお年寄りが集まっているそうですが、ふつうに会話して笑っている様子からは、そのことは分かりません。

 代表の方のお話では、認知症のお年寄りは昔に返っているので、ご当人が昔住んでいた家に近い雰囲気のある民家で過ごしてもらうのが一番だということです。入浴や食事などのサービスはありますが、決まったプログラムはありません。その日によって、皆で散歩に出かけたり、部屋でゲームをしたりして、のんびりと過ごすのだそうです。

 いわば、認知症などのお年寄りに、家庭の雰囲気を提供する施設といえるでしょう。『三国』での表記は[宅老所・託老所]としてありますが、この順番がよさそうです。

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◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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【編集部から】
生活にぴったり寄りそう現代語辞典として定評のある『三省堂国語辞典 第六版』が発売され、「【サンコク】メディアでの紹介」の記事にある通り、各方面で取り上げていただいております。その魅力をもっとお伝えしたい、そういう思いから、編集委員の飯間先生に「『三省堂国語辞典』のすすめ」というテーマで書いていただいております。

学習者コーパスの構築方法 (3)

2009年 7月 28日 火曜日 筆者: 阪上 辰也

学習者コーパス入門 第30回

今回は、データの記録におけるトラブルを紹介します。

前回の記事で、コーパスの構築においては、「フォーマット」を決めておく必要があると述べました。今回は、そのフォーマットに従わなかったことで生じるトラブルを2つ紹介します。1つは「全角文字」によるトラブル、もう1つは「文字コード・改行コード」によるトラブルです。

まず、「全角文字」によるトラブルとして、英文データに全角文字が混ざってしったことで、実行したいコマンドやプログラムが動作しなかったというものがあります。日本人英語学習者の場合、日頃は、全角文字である日本語を入力しています。必要に応じて半角文字に切り替えて入力するわけですが、英文の入力中、気づかぬ間に全角のスペースを入力してしまい、データ処理する際に初めて全角のスペースが混ざっていたことが分かるということも少なくありません。

また、全角文字のスペース以外にも、アポストロフィやダブルクオーテーションマークが全角で記録されているという事例もあります。NICE のデータを収集した際は、Microsoft Word というワープロソフトを使用して、作文をしてもらいました。この時、プレーンテキストのファイルとして保存しなおすために、Microsoft Word のファイルからデータをそのままコピーして貼り付けると、入力された記号類は全角文字として貼り付けられてしまいます。この状態でデータ処理を行おうとした場合、処理上のエラーが生じてしまいます。例えば、語数を適切に数えられなくなったり、不要な記号類の削除をする際、削除できずに残ってしまったりするなどのトラブルが生じます。このようなトラブルを避けるために、全角文字を半角文字に置換する作業が必要になります。具体的には、テキストエディタにある置換の機能を利用するか、プログラムを書いて置換することになります。

続いて、「文字コード・改行コード」によるトラブルとして、文字化けや、1行としての処理を行うことができないといったものがあります。文字コードについては、アルファベットの場合、文字化け等の心配はありません。しかし、例えば、学習者の特定のデータについて、コメントなどを日本語で書き添えておく場合には、予め文字コードの統一をしておく必要があります。統一しなかった場合には、開くファイルにより文字コードが異なってしまい、文字化けが生じやすくなりますし、作業上の混乱をまねくおそれもあります。

また、改行コードについてですが、その種類は、Windows 用・Mac 用・UNIX 用の主に3つがあります。これらを区別をしないままデータを記録すると、見た目が1行になっている文でも、改行コードが異なっていることで、その行の次に続くデータと勝手に連結されてしまうといったトラブルが生じます。そのため、エディタなどの処理ツールが、どの文字コード・改行コードで処理をしているか、またデータの保存時に、文字コード・改行コードが統一されているかを確認しておくことが必要です。

以上、記録におけるトラブルを紹介してきましたが、大事なことは、先週と同様に、構築時にデータ記録に関わるフォーマットしっかりと定めておくことです。また、同時に、そのフォーマットをマニュアルとして文書化しておき、どのようなフォーマットでデータを構築しているのか、いつでも見直すことができるようにしておくことも大事なことです。


▼お知らせ
2008年10月4日に、学習者コーパス「NICE」の正式版を公開しました。2009年7月22日にはバージョンアップを行い、ver. 1.1.1 に更新されました。無償で利用可能で、特別な手続きは必要ありませんので、ぜひ研究調査にご利用ください。詳しくは、こちらのサイトをご覧ください。


■筆者プロフィール
阪上辰也(さかうえ・たつや)
名古屋大学大学院 国際開発研究科 特任助教。
専門は、コンピュータを利用した外国語教育。
ウェブサイトは、sakauetatsuya.net

『かのように』と『こころ』

2009年 7月 27日 月曜日 筆者: 新井 皓士

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(59)

漱石の『彼岸過迄』や『行人』の文体分析に関連して、ほぼ同時期の鷗外作品をのぞいていたら、今まで気にならなかったこんな一節が眼に飛び込んできた。「子爵は奥さんに三省堂の世界地図を一枚買って渡して、電報や手紙が来る度に、鉛筆で点を打ったり線を引いたりして、秀麿はここに著いたのだ、ここを通っているのだと言って聞かせた。」

「クラ独」の編集には及び腰で携わってきたものの、格別深い縁もなければ社史の類をみたこともなかったので、ここに「三省堂」とあるのが現在の三省堂と直結するか咄嗟に不明ではあった。しかし何だか遠い親戚のうわさを思いも寄らぬ所で耳にしたような感じがした。で、念のため、某社の百科事典をみると、どうやらこれは紛れもなく我らが三省堂のことらしい。この小説は明治45年、すなわち1912年の初めに公になったが、三省堂の創業は1881(明治14)年、英和辞書や日本通史、『辞林』で大当たりする一方、独自の印刷技術も開発し、「日本百科(大)事典」の編纂を企て、壮図半ば「1912」年に一旦倒産、有志の協賛を得て1919年に10巻本のそれを完成させた、とある。鷗外の何気ない「三省堂の世界地図」云々が、こういう背景と特にかかわりがあるかどうかは別にして、ちょっと面白く感じた。

この小説は『かのように』という意味ありげなタイトルをもっている。五條秀麿という主人公がベルリン留学の途次に折々送る家信を受けとった父母を描いた場面だが、表題はファイインガー (Hans Vaihinger, 1852-1933) の主著 “Die Philosophie des Als Ob” (1911) からきている。およそ人知の根底には「意識した嘘」(仮説)があり、あたかも実在する「かのように(als ob)」、公理や神や霊魂の措定が不可避だとする哲学を引用して、「国史」記述上の神話と歴史の峻別問題に直面し懊悩する「高等遊民」を扱った「小説」である。紀元節問題も絡むのであろう、真に学術的な「国史」執筆の企図を韜晦せざるをえず鬱々と日を送る主人公は作者の一分身でもあろうか。

この年7月30日、天皇崩御、「明治」45年は直ちに「大正」元年となった。改元の乱発より「一世一元」法は物事を長期的視点で考える意味では改善ではあるが、12月25日を境とする大正15年・昭和元年の切り替えや、1月7日を境とする昭和・平成の切り替えなどを直視すれば、やはり中途半端といわざるをえまい。まさか大正元年の出生者数や昭和63年の死亡者数は極端に少ない、などとは中学生でもいうまいが。

漱石の『こころ』は明治天皇崩御後ほぼ丸3年経つ時期に書かれ、「私」なる青年が私淑する「先生」が「明治の精神に殉死する」遺言をもって終わっている。青年「私」の「先生」への傾倒ぶり(一部、二部)や、「先生」の遺書からなる三部における「私」(先生)の述懐と自決にやや独りよがり(ないし説明不足)の感がすること、その他細かな点をあげつらう向きもあるが、何よりも人のこころの頼りなさ・不気味さ・憐れさに視点を定め、リアルで凝縮した描写が重ねられる点において、時をおき何度読み返してもその都度ひきこまれる魅力をもっているように感じられる。そもそも「こころ」とは、精神でも霊魂でも性根でも情念でもない、何か翻訳しきれぬ、もやもやしたものである。いわゆる上代特殊仮名遣いでは、「コ」も「ロ」も乙類に属し、“kokoro”ではなく、“kökörö”と表示される興味ある語でもある。私の気付いた「こころ」の歌3例を提示して、この項を閉じることにしよう。

(1)万葉集巻3 柿本人麻呂歌 
淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 毛思<努>尓 古所念
あふみのみ ゆふなみちどり ながなけば こころもしのに いにしへおもほゆ

(2)万葉集巻5 山上憶良
伴之伎与之 加久乃未可良尓 之多比己之 伊毛我己許呂乃 須別毛須別那左
はしきよし かくのみからに したひこし いもがこころの すべもすべなさ

(3)古今和歌集巻20
かひがねを さやにもみしが けけれなく よこほりふせる さやのなかやま


【筆者プロフィール】
新井 皓士(あらい・ひろし)
放送大学特任教授・東京多摩学習センター所長 一橋大学名誉教授 
専門はドイツ文学・文体統計学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

日本語社会 のぞきキャラくり 第49回 『下』から『上』へ?

2009年 7月 26日 日曜日 筆者: 定延 利之

『下』から『上』へ?

 ここ数回、理屈っぽい話が続いた。少し「実践」に戻ってみよう。

 「佐々木商店」という個人商店は、店主の佐々木庸平が元気なうちはよかったが、庸平が病死すると、未亡人のよし江が懸命に切り盛りしても、だんだんと傾いてきた。すると、取引先の野村という業者も、佐々木商店に対する振る舞いが以前とは違ってくる。山崎豊子『白い巨塔』の一節である。

 夫の庸平が達者で店を繁昌(はんじょう)させていた時は、卑屈なほどの腰の低さで出入りし、よし江にも御寮人(ごりょうにん)はんとお世辞がましく呼んでいた野村が、掌(てのひら)を返したようにぞんざいな口調で奥さんと呼び、くわえ煙草(たばこ)で、すっかり品薄になった店内を見廻した。

[山崎豊子『白い巨塔』(四)1969.]

 うわーっ、えげつなーい! いくら昔とは状況が違うからって、やっぱり変えちゃいけないものはあるでしょうに。商売人って、特にナニワの商売人って、やだなー――と思う人もいるかもしれない。だが、『白い巨塔』には、野村とは違った感覚を持ったナニワの商売人・大村も登場する。

大村伝助は、じろりと野村を見、
「あんたとこは、われわれに抜けがけで商品を引き上げ、一番債権が少ないはずやのに、まだその上、気忙(きぜわ)しゅうに云いはりまんのか、佐々木庸平さんの生存中には揉(も)み手(で)で出入りしてたことを思うたら、女手で今日まで頑張って来はった奥さんの話から、先に聞くぐらいの気持はおまへんのか」
 窘(たしな)めるように云い、佐々木よし江の発言を促した。

[山崎豊子『白い巨塔』(五)1969.]

 そうだそうだ。大村さん、もっと言ってやって。いい気味、いい気味。

 だけど、野村って、こういうことを言われても、けろっとして、あんまりこたえないみたいなんだよなあ。

「野村はん、うちの主人の生存中は揉(も)み手をして、この店の敷居を跨(また)いだあんたが、よりにもよって業界の中でも一番きつい真珠湾攻撃をかけはるとは思うてまへんでした。しかも死んだ主人の控訴審の承認調べを目前にしてるわたしらに、ようこんな酷いことをしはりましたな、その上、この返品伝票に判まで捺(お)せといいはるのだすか」
「へい、そうだす、そうせんと、あとでぼったくりの、強盗のと、もめられると困りまっさかいな」
 野村は平然とそう云い、ポケットから印肉を出して、よし江の前に置いた。

[山崎豊子『白い巨塔』(四)1969.]

野村って、なんで「平然」としてるのかなあ。(つづく)

* * *

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◇この連載の中国語版と英語版
  中国語版⇒角色大世界――日本
  英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters

【筆者プロフィール】

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

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【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。

地域語の経済と社会 第58回

2009年 7月 25日 土曜日 筆者: 日高 貢一郎

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第58回 「関西弁」の英訳対照本

 日本語諸方言の中でも、「関西弁」は、その知名度、認知度、理解度…など、どれをとっても、いちばん勢力のある方言だといっていいでしょう。

 その関西弁を、日本語の共通語とではなく、英語と対照し、対訳をつけた本が何冊も出ています。今回はそれを取り上げてみましょう。

【関西弁と英語の対訳本のいろいろ】
【写真1 関西弁と英語の対訳本のいろいろ】

 現在、私の手元にあるものだけでも、以下のようなものがあります。刊行年順に…
 ① 大阪弁英会話読本(大阪弁研究会編、七賢出版、1993.2)
 ② KANSAI JAPANESE The Language of Osaka, Kyoto, and Western Japan(CHARLES E.TUTTLE COMPANY 1993)
 ③ How to speak Osaka Dialect (大盛堂書房、1995.7)
 ④KINKI JAPANESE THE DIALECTS & CULTURE OF THE KANSAI REGION(DC Palter & Kaoru Horiuchi CHARLES E.TUTTLE COMPANY 1995)
 ⑤ COLLOCUIAL KANSAI JAPANESE まいど! おおきに! 関西弁(DC Palter & Kaoru Slotsve TUTTLE PUBLISHING 1995)
 ⑥ 阪神タイガースファンのための英文法(鈴木明子、文芸社、1999.11)
 ⑦ 英語で阪神タイガースを応援できまっか?(シャノン・ヒンギス著、朝日新聞社、2002.3)
 ⑧ 関西弁を英語で喋れまっか?(シャノン・ヒンギス著、宝島社、2004.3)

例えば、④の中では、京都方言と関西方言について、次のような例が挙げてあります。

 KYOTO  KANSAI  TOKYO  ENGLISH
 shiihin  しいひん  sēhen  せえへん  shinai  しない  don’t do
 kiihin  きいひん  kēhen  けえへん  konai  こない  don’t come
 dekihin  できひん  dekehen  でけへん  dekinai  出来ない  can’t do
【「関西」をイラスト入りで紹介したページ『旅の指さし会話帳』~大阪~】
【写真2 「関西」をイラスト入りで紹介したページ
『旅の指さし会話帳』~大阪~】

 なお、これに関連する本として、⑨『旅の指さし会話帳』~国内編(2) 大阪~(金成由美・津銘保郎 情報センター出版局、2003.11)、がありますし、また⑩『旅の指さし会話帳 KYOTO』(浅井康江、2005.10)もあります。(また、このシリーズではその前に、沖縄の方言を取り上げた⑪『旅の指さし会話帳』~国内編 (1) 沖縄~(嘉手川 学、2003.6)もありました)。

 ⑨では、指差しで会話を進めるために必要なイラストがふんだんに使ってあり、各項目は漢字表記の他に、その読みがカタカナでも表記され、さらにアクセントまで付けられています。

 こうやって見てくると、これらは、関西弁と、最も汎用性のある外国語=「英語」とを比較対照させることによって、当地の方言に対する理解度アップをめざしたもので、そういう必要や需要が多くなっており、「関西弁」の価値がいっそう高まっていることの表れだと見ることができそうです。

 近年、経済連携協定 (Economic Partnership Agreement / EPA)に基づいて、すでにインドネシア(2008.8)とフィリピン(2009.5)から、日本で看護師・介護福祉士として活躍することをめざして多くの人たち(候補者)が来日していますし、このあと、国家試験に合格すれば、日本各地の医療現場・福祉現場で働く外国人専門職の姿が見られるようになります。

 こういった人たちは、特に地域社会で現場に立った場合、地元の人たちとより親密なコミュニケーションを図ろうとすれば、必ず地元のことば=「方言」の問題と直面するはずです。特にその土地で生まれ育った高齢者の場合、方言あるいは方言混じりの会話で彼(女)たちに語りかけるケースが少なくないと思われます。

 そのときに、少しでも役に立つようなサポートがあったら、日本の医療・福祉の利用者にとっても、またそれを支えようという外国人の皆さんにとっても、大きなバックアップになるでしょう。

 今後も、こういった方言と外国語との比較対照本、対訳本は、関西弁以外の方言についても試みられ、各地に広がっていくのではないかと思われます。

* * *

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

日高貢一郎(ひだか・こういちろう)
 大分大学 教育福祉科学部 教授(国語学・方言学) 宮崎県出身。これまであまり他の研究者が取り上げなかったような分野やテーマを開拓したいと、“すき間産業のフロンティア”をめざす。「マスコミにおける方言の実態」(1986)、「宮崎県における方言グッズ」(1991)、「「~されてください」考」(1996)、「方言の有効活用」(1996)、「医療・福祉と方言学」(2002)、「方言によるネーミング」(2005)、「福祉社会と方言の役割」(2007)など。

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【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。

* * *

この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

明解PISA大事典:生きる力「PISA学コトハジメ 其ノ壱」

2009年 7月 24日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第12回 PISA学コトハジメ 其ノ壱

 先日、永田町で講義をしてきた。主催はEUIJ早稲田(1)。もともと教育関連の議員さん対象の講義だったのだが、政局がこのような具合なので不調。議員さんの活動を支える方々対象の講義となった。内容は、OECDやEUの教育施策について、日本やフィンランドの取り組みを通じて概観するというもの。これはPISAの背景事情の概観でもあるので、今回は講義のサワリを再構成して紹介することにしよう。

 PISAは「各国の子どもたちが将来生活していく上で必要とされる知識や技能が、義務教育修了段階において、どの程度身に付いているかを測定することを目的としている」(2)。要するにPISAで測定する「学力」とは「生きる力」ということだ。

 なぜ「生きる力」が「学力」ということになったのか?

 従来、どの国においても(少なくとも先進国においては)「学力」といえば「学問的な力」を意味した。「生きる力」という発想もあるにはあったが、「学問的な力」の副産物程度のものと考えられていた。「学問的な力」を身につけるには、まずは基礎知識を積み上げなければならない。だから、特に義務教育段階においては、より多くの知識を覚えこむことが「勉強」であり、覚えこんだ知識の量が「学力」だったのである。

 ところが、1980年代から90年代にかけて状況が大きく変わった。どの国の社会も、少子高齢化、在留外国人の増加、価値観の多様化などによって激変した。世界も、冷戦構造の崩壊、グローバル化とローカル化の同時進行などによって激変した。世界の激変は、各国の社会をますます不安定にする。こうして、どの国の社会も「急激かつ予測不能な変化をするもの」へと変貌したのである。

 「急激かつ予測不能な変化をする社会」においては、過去に集積した知識は役に立たなくなる場合が多い。今日と同じ明日が来るとは限らないからである。過去に集積した知識で、現在と未来の問題に対処しようとする姿勢自体が、徐々に時代にそぐわないものになっていった。

 ここで学力観の転換が必要になる。このような状況において、学校教育が知識の詰めこみに終始しているようでは、学校と社会がどんどん乖離してしまうからだ。学校で習ったことが社会ではぜんぜん役に立たない。それなら学校でがんばって勉強しても仕方ない――という具合に、「学び」に対する無気力層が拡大してしまうからだ。

 「急激かつ予測不能な変化をする社会」においては、知識を多く持っていることよりも、必要に応じて知識を取得できる能力のほうが重要である。また、知識はただ持っているだけでは意味がない。必要に応じて知識を使いこなす能力のほうが重要なのである。

 「生きる力」という観点からすると、過去に集積した知識の量が「学力」なのではない。必要に応じて知識を取得し、それを活用する能力が「学力」なのだ。

 また、「急激かつ予測不能な変化」に対応するためには、常に学び続けなければならない。学び続ける人こそ、社会がいかように変化しようとも対応できる人材なのである。

 「生きる力」という観点からすると、“これまでに何を学んだか”という過去の実績よりも、“これから何を学ぶか”という未来への意欲のほうが「学力」なのだ。

 PISAの問題は、すべてこの学力観に基づいて作成されている。たとえば読解力であれば、単純に知識の有無を問うことはなく、テキストに含まれる情報と自分自身の経験とを結びつけて推論を積み重ね、一定の条件下で主張を構成していくことを求めている。まだまだ模索段階ではあるが、この方針は原則として貫かれているのである。

 ご存じのとおり、日本の教育においても「生きる力」は重視されている。ただ、日本のように長くて重たい伝統を持っている国の場合、伝統の継承に関わる知識の集積も軽視はできない。“変化に対応する力”も重要なのだが、伝統を継承するために“変わらぬ力”も重要なのである。結局はバランスの問題なのだが、これについてはいずれ回を改めて論じることにしよう。

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(1) 2009年4月、駐日欧州委員会代表部と早稲田大学との協力によって開設された研究交流機関。日本とEUの学生や研究者の相互交流による人材の育成と研究の発展を目的としている。EUIJはEU Institute in Japanの略。
(2) 『生きるための知識と技能3』OECD生徒の学習到達度調査(PISA)・2006年調査国際結果報告書 p003/国立教育政策研究所編/ぎょうせい 2007年

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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。

漢字の現在:懐かしい字を掘り起こす

2009年 7月 23日 木曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第43回 懐かしい字を掘り起こす


【左馬の入ったナンバープレート】
山形県天童市のウェブサイトから)

 不可思議な「字」に関する想い出が確かに残っていた。それは、前回引いた「新聞切り抜きデータベース」にも収められていなかった記事についての記憶である。

 年月さえもあやふやなそれは、「馬」という漢字を左右逆に記す縁起物「左馬(ひだりうま)」についての記載であった。紙を回転させて字画を書き上げるという、異例な筆順がとくに印象に刻まれ、その後もずっとどこかで気になっていた。

 それを目にしたのがいつのことだったのか、また何新聞であったのかも明確でない。大学や地元の図書館で、各種新聞の縮刷版を手に取り、殺伐とした文言ばかりが目立つ記事の山の中に迷い、またその書架の前に何度か立ちつくす。新聞各社に問い合わせても、小さな記事であるためか、手作業で探すしかないようで、見付からないとの返事ばかりである。

 漢字に関する実状を記述していらした国語学の先生方にも、無謀にも恐る恐る質問の手紙を出してはみたが、残念ながらその実物との逢着は叶わなかった(私淑する先生が他界される前に手書きして下さったお葉書に、記憶はあるといったお返事を頂けたことはこの上ない幸いではあった)。ある新聞社で外字を作り続けたという記事を見つけ、その方にもお便りを出してはみたが、数年前に鬼籍に入られたとのことであった。縁起の良いというその左馬の記事に、二度と手が届かないということは、ことに心残りだった。

 ただ、なかなか見付からないお陰で、探す過程において別の用例に大いに恵まれた。こういう副産物は常に付いてきてくれる。WEBが普及し、「左馬」などの語を頼りにあれこれ検索していたら、あの「2ちゃんねる」で、その書き順らしきものが書き込まれていたものに行き着いたこともあった。

 先日、勤め先の大学で、「読売新聞」のデータベース「ヨミダス歴史館」(明治・大正・昭和)のフリートライアルが始まった。それまでは、100万円近い金額で、「明治の読売新聞」というCD-ROM/DVDが出た、車も乗らないので買ったという方の話を聞いて、少しだけ迷ったものだが待った甲斐があった。

 そこで、真っ先にだったか、いやもったいぶって後回しにしてだったか、「左馬」を検索してみたところ、ついにその記事がヒットした。おぼろげな記憶の正体は、1979年の記事、まだ13歳の当時に見ていた紙面であった。今をさかのぼること一世代、まだ中学生のころに、すでに漢字に面白みを見出す妙な性質をもってはいた。

 しかし、そのころは、「これは面白いが漢字ではない、遊びのようなものだ」と判断したようにうっすらと覚えている。中学生特有の、根拠が乏しいのとうらはらな厳格な意識がそうさせたのかもしれない。まだ、メモ帳も記していなかった頃だが、よほどこれはと思ったものならば、切り抜いたりノートに写したりしていたかと思う。しかし、「左馬」は、それに値しないことだとその場で判断した結果、30年以上も引きずってしまったのであった。

 かつては夢想に過ぎなかった、こうした過去の資料探しが机上で楽にできる。そういう意味では、良い時代になってきたと思う。海の中で落とした針を探し出すがごとき作業が、だいぶ簡単に、時にあっけなくできるようになったことには間違いない。

 安易に流れるのは人の常だが、それでもやはり検索では見つからないものもある。「正しい文字」かどうかという根拠の薄い規範意識やら、「当たり前」ともみなせるといった感情のたぐいから、蛮勇を奮って捨ててきた情報はまだまだあった。微かに記憶に残るばかりの失われた文字との懐かしい再会は、あといくつできるのだろうか。

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【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「珍しい字との再会方法」でした。

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『三省堂国語辞典』のすすめ その77

2009年 7月 22日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

いつまでも〔俗〕ではないぞ。

猿の写真
【「地アタマ」のいいヤツ】

 『三省堂国語辞典』は、いわゆる俗語であっても、広く使われていることばは、できるだけ載せようという方針を採っています。語釈の冒頭には〔俗〕と表示します。今回の第六版の新規項目で言えば、「過去問」「地頭(じあたま)」などがそうです。

 また、改訂の時点で俗語の意識が薄れているものは、〔俗〕の表示を削ります。「(首相の)続投」「丸投げ」などは、もうなじんだと考えて、〔俗〕を削除しました。

 ということは、改訂の際に〔俗〕の表示がなくなったのはどの語かを調べれば、俗語が一般化していく時期が分かりそうです。事実、第六版が刊行された時、「〔俗〕を削った語にはどんなものがありますか」というご質問をいただきました。

第4版の紙面
【この語も〔俗〕を削った】

 ただ、新旧の『三国』を比べて俗語の一般化について調べようとする人は、思い通りの結果が得られないかもしれません。というのも、改訂時に〔俗〕を削るのは、必ずしも、その時点で一般化したばかりのほやほやのことばとは限らないからです。

 第六版では、ざっと100か所あまりの〔俗〕を削除しました。その中には、「これはとっくに俗語でなくなっている」と判断したものが少なくありません。

 たとえば、数字の「四(よん)」は、初版(1960年)以来ずっと〔俗〕と表示されていました。『三国』の前身『明解国語辞典 改訂版』(1952年)の説明を受け継いだものです。年配の人は「4B鉛筆」を「しいビー」、「3、4か月」を「さんしかげつ」と言います。でも、このような場合には「よん」と読むことが一般化してすでに久しいでしょう。

 また、「水をふんだんに使う」の「ふんだんに」も〔俗〕がついていました。江戸時代の『かたこと』に〈不断(ふだん)といふべきを、ふんだんなどいふこと如何(いかが)〉とあり、昔は「ふんだん」は俗な言い方でした。現代では、これもふつうのことばです。

デジカメの写真
【「デジカメ」も〔俗〕にあらず】

 今回の改訂では、このような語からは、つとめて〔俗〕の表示を削りました。

 こうした中で、俗語から一般語に脱皮したばかりのことばも、もちろんあります。代表例は「デジカメ」です。私は、このことばを1995年に初めて聞いた時、「デバガメ」みたいでふざけた言い方だと思いました。ところが、今では普通の文章にも見られ、私自身も使っています。「デジカメ」は、2001年の第五版で〔俗〕として登場し、今回の改訂で〔俗〕の表示を削られました。

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◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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【編集部から】
生活にぴったり寄りそう現代語辞典として定評のある『三省堂国語辞典 第六版』が発売され、「【サンコク】メディアでの紹介」の記事にある通り、各方面で取り上げていただいております。その魅力をもっとお伝えしたい、そういう思いから、編集委員の飯間先生に「『三省堂国語辞典』のすすめ」というテーマで書いていただいております。

「明解PISA」の北川達夫先生新刊『対話流』発売

2009年 7月 22日 水曜日 筆者: ogm

 このウェブサイトで連載「明解PISA大事典」を書いてくださっている北川達夫先生の新刊出来です。タイトルは『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』

 耳で紹介をお聞きになる方はこちらに⇒「話題の本や新刊を耳で立ち読み! 書籍のダイジェストをiPodなどに入れて楽しもう! ─新刊JP─」のウェブサイト内『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』ラジオポッドキャスティングへ

 演出家・劇作家の平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)につづく、“対話”の本。今回は、組織開発デザイナーの清宮普美代さんとの対談です。

 ビジネスと教育、一見はなれていそうですが、どちらも人が成長する場であることで共通しています。大人の教育と子どもの教育どちらにも、“対話”の発想が重要になってくる。これからの時代を生き抜くヒントにあふれています。

 盛りだくさんの内容にくわえ、本文の内容にかかわるブックガイドもついていて、お得です。

「闘うコミュニケーション」はもう古い。
“同調” でも “対立” でもない。「協働する組織」「学び合うチーム」の創造に不可欠なのは“対話”の発想。学校と企業において「学びとコミュニケーション」の再設計を提唱、実践する二人のプロが織りなす、変革と多様化の時代の対話論。

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