クラウン独和辞典 ―編集こぼれ話―

58 ドイツ語慣用句に見る犬のイメージ

筆者:
2009年7月13日

現代のドイツは必ずしも子供にやさしい(kinderfreundlich)社会ではないが、犬に寛容ではある。街並みが小ぎれいなので油断していると、特に住宅地では歩道上の「落し物」を踏んで靴を汚すことになる。少子化が進み、子供に注ぐべき愛情がペット(や自動車)に向けられていると見ることもできよう。

このように犬好きのドイツ人ではあるが、ドイツ語に現れた犬のイメージは概して芳しいものではない。それは、『クラ独』でHundの項を見てみれば一目瞭然である。Der Hund bellt.「犬がほえる」、[sich3] einen Hund halten「犬を飼う」等いくつかの一般的用例は別として、大部分の慣用的表現はネガティブな比喩として用いられている。

中でも目に付くのが、犬を「みじめ」なものに喩えている例である。まず、wie ein Hund lebenであるが、これは「犬のように暮らす」転じて「みじめな暮らしをする」という意味である。同様の発想は英語のto lead a dog’s life、フランス語のvivre comme un chienにも見られる。他にも、Von ihm nimmt kein Hund ein Stück Brot.「彼には誰も見向きもしない<彼の手からは犬さえパンをもらわない」、auf den Hund kommen「落ちぶれる<(馬や驢馬にさえ乗れずに)犬に乗る」、Das ist unter dem (allem) Hund.「それは話にならない<それは(全ての)犬以下である」等々が挙がっている。さらに、hundeelend 「(犬のように)ひどくみじめな」、hundsgemein「(犬のように)卑屈な」のような複合語にも注目されたい。日本語の「犬死に」「犬畜生」などとも通ずる発想がそこには見られる。

次いで多く見られるのが、「獰猛」なものとしての猟犬をイメージしている表現である(ドイツ語には狩猟用語に由来する言い回しが多い)。Viele Hunde sind des Hasen Tod.「多勢に無勢<たくさんの犬はウサギにとっては死を意味する」、mit allen Hunden gehetzt sein「海千山千である<あらゆる犬に駆り立てられた」、vor die Hunde gehen「破滅する<犬たちの前に行く」などがこれにあたる。

以上、ネガティブな例ばかり見てきたが、犬を顕彰するような表現はないのだろうか。犬の徳目としてすぐ思いつくのは「忠実」で、日本語にも「犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ」ということわざがある。しかし、ドイツ語の慣用句としてはtreu wie ein Hund「犬のように忠実」ではなく、treu wie Gold「黄金のように忠実」が一般的である。

さて、このままでは犬の立つ瀬がないので、少なくとも犬への親しみが感じられる言い回しを紹介しておこう。それは、「滑稽」なものとしての犬をイメージした表現である。その筆頭格がEr ist bekannt wie ein bunter Hund.「彼は至る所で有名だ<“三毛犬”のように有名だ」である。bunt「多色」の犬というのは珍しいから(どちらかというと悪い意味での)「有名人」になってしまうわけだ。ちなみに、オランダ語でも同じ意味でbekend zijn als de bonte hondと言い、(西)フリジア語でもbekend wêze as de bûnte hûnと言うらしい。一方、フランス語でêtre connu comme le loup blanc「白い狼のように知られている」と、違う比喩を用いるのは興味深い。他にも、日本語の「犬も歩けば棒に当たる」に負けないユーモラスな表現がいくつかあるので、興味のある向きは『クラ独』、さらにはDuden: Redewendungen und sprichwörtliche Redensarten (Duden Bd.11)のような慣用句辞典を読まれるよう勧めたい。

筆者プロフィール

『クラウン独和辞典第4版』編修委員 飯嶋 一泰 ( いいじま・かずやす)

早稲田大学文学学術院教授
専門はドイツ語学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員

編集部から

『クラウン独和辞典』が刊行されました。

日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

(第4版刊行時に連載されたコラムです。現在は、第5版が発売されています。)