明解PISA大事典

第14回 読解力の問題とクリティカル・リーディング PISAサンプル問題を評価する

筆者:
2009年8月7日

この連載の第10回で「公開された(PISAの)サンプル問題が欧米型の読解問題としては出来の悪いものばかりだった」と書いたところ、ある中学校の国語の先生から「どこがどのように出来が悪いのか教えてほしい」との要望があった。

そこで今回は、PISAのサンプル問題から有名な「落書き問題」をとりあげ、検証してみることにしたい。

「落書き問題」とは、落書きに関する二つの意見を素材文にしたもの。二つの意見はインターネットに投稿された「手紙」という形式をとっている。一方は「落書きは芸術だからしてもかまわない」という意見、もう一方は「落書きは人の迷惑だからしてはいけない」という意見。そして「この二つの文章のうち、どちらに賛成しますか?」「どちらに賛成するかは別として、どちらの方が良い手紙だと思いますか?」などと問うのである。どちらの問いに答える場合も「文章の内容にふれながら」答えなければならない(1)

一般に読解問題を評価する場合、素材文の検証に最大の重きが置かれ、それから問題全体の意図を検証し、最後に小問のそれぞれを検証することになる。PISAのサンプル問題に関しては小問のすべてが公開されているわけではないので、ここでは素材文と問題全体の意図を中心に検証することにしたい。

素材文を評価する場合は、この連載の第4回にも書いたように「子どもの興味や関心」を第一に考える必要がある。PISAを受検するのは15~16歳の子どもだ。その興味や関心を引くものであるかどうか。“興味や関心”という点に関するかぎり、「落書き問題」は十分に及第点であると思う。国際的な読解問題評価では、「(子どもに)こう感じさせたい」「こう考えさせたい」という名目で、大人の文学趣味や哲学趣味を押し付けるような素材文が、真っ先に「子どもの興味や関心を無視している」として排除されるのである。

問題全体の意図も悪くないと思う。一般に「落書きはしてもいいか、それともいけないか」と問われれば、理屈も何もなく「絶対にいけない」と考えがちである。このように、なにげなく「当然だ」と思っていることについて「当然ではない」とする見解も示し、比較しながら考えさせている。まさにクリティカル・リーディングの常道である(これを『内容の熟考と評価』という)。多様化した社会においては、さまざまな見解の存在を認識し、それらを比較しながら評価する技能が重要なのだ。

「どちらに賛成するかどうかは別として、どちらの方が良い手紙だと思いますか?」という問いも良い。自分の価値観(あるいは好き嫌い)とは切り離したところで、純粋に文章の形式面を評価させているからだ。これもまたクリティカル・リーディングの常道なのである(これを『形式の熟考と評価』という)。多様化した社会においては、多様な価値を客観的に評価する技能が重要なのだ。

だが、多様化した社会における技能という点から考えると、「落書き問題」には致命的な欠陥がある。それは多くの国において「落書きは犯罪」とされているという事実に関係している。日本であれば“落書き”は器物損壊罪(刑法261条)に該当し、それが芸術であろうがなかろうが罰せられる。多くの落書きアーティストを生んだニューヨークでさえ、落書きは犯罪とされている。実際、今年2月に日本の有名アーティストがニューヨークの地下鉄駅で“落書き”をして、警察に身柄を拘束されるという事件が起こった。

なぜ落書きが犯罪であることが“致命的な欠陥”なのか?

ここで誤解しないでいただきたいのは、“落書きは犯罪だから「いけない」を正答とすべきだ”と言っているのではない。また、“読解問題で犯罪行為を扱っているからいけない”と言っているのでもない。多様化する社会における「明文化」の意味を棚上げしているところが欠陥なのである。

これは前回も述べたことであるが、価値観の多様化する社会において特定の価値観に権威を与えようとするならば「明文化」しなければならない。逆にいえば、「明文化」することによって、さまざまな価値観を持つ人々に対して、特定の価値観を強制的に認めさせるのである。“落書き”についても「明文化」された法律や条令などが、「いけない」と強制しているのである。いわば「社会が正当性を強要する価値観」ということだ。

多様化する社会において「社会が正当性を強要する価値観」が存在する場合、それを無視して議論を進めることは適切とはいえない。PISAは「(社会で)生きるための知識と技能」を標榜しているのだから、なおさらのことである。「朝ごはんはパンがいいか、ご飯がいいか」というような議論とは根本的に異なるのだ。

だから、“落書き”のようなテーマを扱う場合、「Aという価値観」「Bという価値観」「社会が正当性を強要する価値観」の3者を並べてクリティカルに評価するようにしなければならない。これもまたクリティカル・リーディングの常道である。繰り返すが、この場合も“「社会が正当性を強要する価値観」を無批判に受け入れなければならない”と言っているのではない。それが自分の価値観と異なるのであれば「なぜ異なるのか」、さらには「なぜ世間はそれを是とするのか」を考えるのである。

このような理由から、「落書き問題」は欧米型のクリティカル・リーディングの問題としては大きな欠陥がある。このような問題が、各国の作問評価委員の目をすりぬけてしまったことは驚きとしか言いようがない。

PISAの読解力の統括責任者であるジュリエット・メンデロビッツさんによれば、「落書き問題」はフィンランドの作問グループが提案したものだという(2)。もちろんフィンランドにおいても落書きは犯罪である。

* * *

(1)『生きるための知識と技能3』OECD生徒の学習到達度調査(PISA)・2006年調査国際結果報告書 pp198-201/国立教育政策研究所編/ぎょうせい 2007年

(2) Sokutei Report Vol.4「2006年度・8月国際研究会報告書」p27/東京大学大学院教育学研究科 教育研究創発機構 教育測定・カリキュラム開発講座編
*作問者を明かさないことは「明文化」されてはいないかもしれないが「教育界が正当性を強要する価値観」であると思う。ジュリエットさんは口がすべったようだ。大丈夫か?

筆者プロフィール

北川 達夫 ( きたがわ・たつお)

教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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