日本語社会 のぞきキャラくり

第52回 『上』から『下』へ?(後)

筆者:
2009年8月16日

横浜からシアトルへ向かう船「絵島丸」。そこで田川夫人は『上位者』として、早月葉子は『下位者』として出会いを済ませた。だが、長い船上生活を送るうち、いまそこにある葉子の圧倒的な美しさが、外界とつながらなければ意味のない身分や学歴などに代わって徐々に人々をとらえ、葉子の地位を押し上げてきた。前回紹介したのは、有島武郎の『或る女』の、ここまでの部分である。

さて、これと重ねるようにして有島武郎が描いているのは、こうした葉子の『下』から『上』への地位上昇が、もとから『上位者』であった田川夫人にとって、いかにつらいことかということである。

帰国後、葉子の生活は或る新聞報道によって大きく狂ってくる。それは田川夫人の差し金であり、つまり帰国した田川夫人は葉子を滅ぼそうとする明らかな敵となっている。田川夫人にそこまで葉子を憎ませた、すべての原因はこの船上での地位変化にある。

絵島丸が横浜の桟橋(さんばし)に繋(つな)がれている間から、人々の注意の中心となっていた田川夫人を、海気にあって息気(いき)をふき返した人魚のような葉子の傍において見ると、身分、閲歴、学殖、年齢などといういかめしい資格が、却て夫人を固い古ぼけた輪廓(りんかく)にはめこんで見せる結果になって、唯神体のない空虚な宮殿のような空いかめしい興なさを感じさせるばかりだった。女の本能の鋭さから田川夫人はすぐそれを感付いたらしかった。夫人の耳許に響いて来るのは葉子の噂(うわさ)ばかりで、夫人自身の評判は見る見る薄れて行った。ともすると田川博士までが、夫人の存在を忘れたような振舞をする、そう夫人を思わせる事があるらしかった。食堂の卓を挟(はさ)んで向い合う夫妻が他人同志のような顔をして互々(たがいたがい)に窃見(ぬすみみ)をするのを葉子がすばやく見て取った事などもあった。と云って今まで自分の子供でもあしらうように振舞っていた葉子に対して、今更ら夫人は改った態度も取りかねていた。よくも仮面を被(かぶ)って人を陥れたという女らしいひねくれた妬(ねた)みひがみが明らかに夫人の表情に読まれ出した。然(しか)し実際の処置としては、口惜しくても虫を殺して、自分を葉子まで引き下げるか、葉子を自分まで引き上げるより仕方がなかった。夫人の葉子に対する仕打ちは戸板を返えすように違って来た。葉子は知らん顔をして夫人のするがままに任せていた。葉子は固(もと)より夫人の慌てたこの処置が夫人には致命的な不利益であり、自分には都合のいい仕合わせであるのを知っていたからだ。案の定田川夫人のこの譲歩は、夫人に何等かの同情なり尊敬なりが加えられる結果とならなかったばかりでなく、その勢力はますます下り坂になって、葉子は何時(いつ)の間にか田川夫人と対等で物を云い合っても少しも不思議とは思わせない程の高みに自分を持上げてしまっていた。落目になった夫人は年甲斐(としがい)もなくしどろもどろになっていた。恐ろしいほどやさしく親切に葉子をあしらうかと思えば、皮肉らしく馬鹿叮嚀(ていねい)に物を云いかけたり、或(あるい)は突然路傍の人に対するようなよそよそしさを装って見せたりした。死にかけた蛇(へび)ののたうち廻るを見やる蛇使いのように、葉子は冷やかにあざ笑いながら、夫人の心の葛藤(かっとう)を見やっていた。

[有島武郎『或る女』1911-1913.]
編集部注:本文中の傍点は省いた。

どうです? 心がスゥ~って、冷えたでしょ。女の人って、こわいですね~!

ところで、田川夫人が「今更ら改った態度も取りかねていた」って、どうして? 状況が変わって葉子の地位が上がってきたなら、それに応じて応対を変えればいいはずなのに、それができなくて困ってしまったのはなぜ?

答はキャラクタですよね。田川夫人がこれまで『上』として葉子に応対してきたというのが、スタイルではなくキャラクタの問題だからこそ、夫人はそうかんたんには『上』キャラを引っ込められないんですよね。

えっ、大相撲の横綱はなぜ降格がなくて、休場か引退しかできないのかって?

横綱って、力士の中で究極の『上』ですよね。もう弱くなったからといって小結とかに気を遣ってヘコヘコしちゃうキャラクタ変化なんて、みっともなくて、みんな見たくないんじゃないですか?

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。