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漢字の現在:漢字を使わないことで起こる語の…

2009年 9月 3日 木曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第46回 漢字を使わないことで起こる語の意味の変化―「猟奇」


【猟奇的?】

 韓国では、漢字を廃止しようとすることによって、漢語の発音は残っても、語義が不分明となる例も生じている。韓流ドラマとして一世を風靡した「冬のソナタ」は、原題は「キョウル・ヨンガ」であった。キョウルは、冬を意味する固有語で、韓国の人ならば当然、語義は理解される。しかし、「ヨンガ」とは何かを正確に理解している人となると非常に少ないようだ。漢字で「戀(恋)歌」と記してあっても、漢字を読めなくなっている一般の人々の間では、それは飾りに過ぎないのだそうだ。

 韓国では、他の曲名や「…カ(ガ)」という熟語の例から、「ヨンガ」も何となく「歌の一種なのかな」と類推はされるのだそうだ。しかし、たとえ固有名詞であっても、語義が気になって、辞書で確かめてみないものだろうか、などというのが日本の人々に見られる意見である。それは、日本では、仮に「れんか」と仮名で書かれていれば、(カタカナによる明らかな外来語と思えば、無視したり諦めたりもしようが)なまじ外来語ではなさそうだと、やけに気にかかり、その意味や、漢字表記までを知りたくなるという意識に覆われているためなのであろうか。

 韓国映画の「猟奇的な彼女」は原題「엽기적인 그녀 ヨプキジョギン・クニョ」を直訳したものだった。その作者は、「ヨプキジョク」という語の意味をはっきりとは知らずに、語感から命名したのだという。英語名にある「sassy」は、生意気だというくらいの意味である。「猟奇癖」「猟奇殺人」などという(おそらく和製の)漢語のおどろおどろしい語義とおぞましいニュアンスは、この漢字列の字面に反映していたものである。しかし、漢字を失ってハングルによってのみ示された字音は、ただ単にイメージだけを浮遊させ、新たなイメージへと転化されていったのである。

 さらにそれが、韓国では流行語となり、友達同士でも、変わっている、いたずらっぽい、かわいらしいなどの意味で、「猟奇的だね」と言い合うようになったのだそうだ。ハングルによって意味が変わり、それが固定化したのである。

 なお、この原題をそのまま用いた日本側は、インパクトを狙ったにしても、やや安易だったという点はなかろうか。「猟奇」の語を同様に用いていた中国では、「我的野蛮女友」と、「野蛮」と変えて訳した題名で知られている。

 このように、漢字は、語の本来の意味を縛ってもいる。その表記が表音文字に移った時には、意味も解き放たれて、移ろっていく。

 これは、先の漢字によって意味が偏ってきた「性癖」とは逆の現象である。それらを通じて、いずれにも漢字の今なお強く作用している表意的な性質が見出されるであろう。

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【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「漢字が引き起こす語の意味の変化―「性癖」」でした。

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2009年 9月 3日