地域語の経済と社会 ―方言みやげ・グッズとその周辺―

第65回 大橋敦夫さん:「「に」の王国・南信州」

筆者:
2009年9月12日
紅茶「うまいんだに」
【うまいんだに】

やさしい南信の方言

南北に長い長野県では、方言も南信(飯田市・伊那市を中心とする地域)と北信(長野市を中心とする地域)とで、その雰囲気も違う面があります。一般的な印象では、北信の方言に比べて、南信の物言いは、やさしいと評されます。その理由を探っていくと、文末の「に」の使用があげられます。

「に」の効用

「に」は、文末にあって軽い敬意と親愛の気持ちをこめて余情を含む確認を表します。

初対面でも、この「に」を使って話しかけられると、気持ちが和らぐのを感じます。

「に」の実例

地元の方も、この効用にお気づきのようで、伊那谷と称される南信地域には、「に」を全面に押し出した看板や商品が見いだされます。

まず、松川町の町営保養施設・清流苑の男性トイレの壁には、次のような注意書きが掲げられています。

 お便所の心得
      飯田弁

◎いきれてすると、あっちこっちにとびちるに 「いきれる」=いきり立つ
◎べったりに、おつゆをこぼしちゃいかんに  
◎服につくと、びしょったいで 気ーつけないよ 「びしょったい」=汚い
◎やたらと便器へものを、びちゃっちゃいかんに 「びちゃる」=捨てる
◎用をたしたら、けっこにしてかえるんだに 「けっこ」=きれい
◎せんしょに、となりを見ちゃいかんに 「せんしょ」=物好き
◎息子がしとなっとる時は、体の向きに気ーつけないよ   「しとなる」=成長する

飯田弁はわからずとも、心得を読みながら、現在の状況をふまえると、その意味するところは、ようく理解できます。

さらに南へ足を伸ばして、飯田市内に入ると、みなみ信州農業協同組合の掲げた大看板「うまいに!」(きのこの宣伝、飯田インター付近)が目につきます。

続いて、市内の土産物店には、これまた、みなみ信州農業協同組合の特産品「うまいんだに」(紅茶)が並びます。地元農協の特産品だけあって、独特の香りの逸品です。ペットボトルも商品化されているのですが、今夏は霜にあって茶葉のみになりそうだとか。今年の「うまいんだに」は、貴重品だに!

筆者プロフィール

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics

井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。

(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

 

  • 大橋 敦夫(おおはし・あつお)

上田女子短期大学総合文化学科教授。上智大学国文学科、同大学院国文学博士課程単位取得退学。
専攻は国語史。近代日本語の歴史に興味を持ち、「外から見た日本語」の特質をテーマに、日本語教育に取り組む。共著に『新版文章構成法』(東海大学出版会)、監修したものに『3日でわかる古典文学』(ダイヤモンド社)、『今さら聞けない! 正しい日本語の使い方【総まとめ編】』(永岡書店)がある。

大橋敦夫先生監修の本

編集部から

皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。

方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載です。