漢字の現在:「肌」で感じること
2009年 9月 17日 木曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第47回 「肌」で感じること
この夏、休みはほとんど取れないまま過ぎようとしている。子供のころにテレビで見た大学教授は、何だか気楽そうでいいなあと思ったものだが、だいぶ時代は変わってしまったようだ。各種の会議は容赦なく入り、さらに引率、集中講義、講演会などそれぞれ複数の場所に出向く。むろん、行けば必ず面白いものに出逢える。
その一つとして、中国は杭州に、院生たちと出かけてきた。そこで見掛けたあか抜けたテレビのCMや、おしゃれな化粧品のポスターなどに大きく記されている「雪肌精」という漢字が気にかかった。教え子の院生が口頭発表した中に、「肌」という字は中国では古くは筋肉・肉の意であって、遅れて皮膚の字義が広まったという話があったためである。日本のKOSÉの商品名がそのまま中国で用いられているのだ。
さて、中国の人々は、日本の女優さんとともにある、ロゴマークにもなっているこの商品名の意味を、どのように解釈しているのだろうか。
現代の中国では、「肌理」(ji1li3)はハダのきめを表す書面語として残ってはいるが、一般にはハダは「皮膚」(pi2fu1)と表現し、「肌」の字は生理学用語などとして筋肉を表すようになっている(ほかに身体を指すこともなくはない)。つまり、一般には「肌」という字は、なんと「肉」、それも「筋肉」と解されるようなのである。
「雪肌」という熟語は、韓偓、蘇軾などの詩文にも見える語で、雪のように白い肌という意味の漢語で、女性の美しさを強調したものだ。
「肌」の字は、中国から韓国、日本へとそれらの両義を伴って伝播した。そして日本では、常用漢字で「膚」から「はだ」の訓を奪ったほどに、「肌」は「はだ」として特化されるに至っている。
中国の院生たちに聞いてみたところ、「雪肌精」の「肌」は、やはりどうやら筋肉としか解せないそうだ。固有名詞なので、意味はなんとなく把握しているだけなのであろうが、文系の院生にも理解されないようでは古語としてもあまり機能してはおらず、日本で期待されるようなイメージは得られまい。そのため、売れゆきにも影響があるのでは、などと考えてしまう。固有名詞であるにしても、前回の題名の例と同様に、漢字のイメージ力を過信することなく、現地でのイメージを確認しておいた方がマーケティングにつながるのでは、などと老婆心を抱いてしまう。
杭州では、テレビのCMで、「肌張力」という熟語も登場した。これは筋肉という意味での使用だったのかもしれないが、先のKOSÉのチラシには「肌肤(膚の簡体字)」という熟語も見られ、手元の中国語辞書では書面語で筋肉と皮膚とされているが、明らかにハダの意で用いられていた。そこには「美肌」までもが使われており、少しずつ「肌」のもつ「はだ」というもう一つの字義が再認識されていく可能性を感じる。歯は中国語では通常、「牙」(ya2)であるが、最近では日本式に「歯」と記されることが増えてきたそうだ。顔も「臉」(lian3)だが、同じく「顔」と書かれるようになってきたとのこと。日本語の影響で、中国でもだんだんと、古い時代に用いられていた漢字とその意味が復活していくのであろうか。日本語学習者が増えていけば、抵抗感もより薄れるかもしれない。
中国の共通語(普通話)には、広東語の影響も随所に現れてきており、やはりそれも古い漢字と字義を復活させる契機になっている。辺境に残ったそれらの古い漢字が中央に先祖返りを促すのである。こうした現象は、主に文化よりも経済活動上の交流による、イメージアップのためとはいえ、時間と空間を超越し、言語の差までを超える漢字のダイナミズムを見た思いがする。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「漢字を使わないことで起こる語の意味の変化―「猟奇」」でした。
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2009年 9月 17日







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