2009年 9月 のアーカイブ
日独料理法の違い―あく―
2009年 9月 7日 月曜日 筆者: 石井 正人クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(63)
日本とドイツの料理の違いということになると、野菜の料理法がまず気になるところである。この点で伝えるのに困る料理用語に「あく」がある。
「灰汁」ならLauge(アルカリ液)であるが、料理でいう「あく」はこれとは違う。因みに「灰汁を抜く」にあたる動詞auslaugenは、料理では、おいしさの元であるエキスや栄養が抜けてしまう、という否定的な意味で用いるようである。
「あく」は肉類の煮物や吸い物では、微細な肉片のことで、汁を濁らせてしまう料理の大敵である。日本では、汁が沸騰する前に泡とともに表面に浮き固まってきたのを、オタマなどで丹念にすくい取る。ドイツ料理でも、いわゆるklare Suppeではこの種の小肉片をFlockeと呼んで気にし、これを除去して澄んだスープにするが、日本人のように料理の途中にちまちま除去しようとしないで、スープが出来た後でausseihen(漉す)ようである。
問題なのは、野菜の「あく」であるが、これにぴたりとあたる概念はドイツ語にないようである。どうやら、気にならないことはないが、我慢できる範囲の苦み、くらいに認識しているようだ。ホウレンソウのクリームの作り方を見ると、苦みが強くならない程度で、ホウレンソウのゆで汁で最後に風味付けをする(auslöschen)、なんてことが書いてあるから、あのホウレンソウのえぐみでさえ風味のうちなのだろう。それは間違っていないが。
だから、うま味だとか風味だとか、日本語で言えば今度は「あく」対して「出汁」という概念すらも、何とか通じるかもしれない。上のホウレンソウのゆで汁ではないが、ゆでたり蒸したりして野菜から出たWasserをうまく利用することが、ドイツ料理でも重要であるようだから。
しかし(こだわるようだが)ホウレンソウのおひたしは、以前にドイツ人に料理として認めてもらえなかった覚えがある。あんなクリームよりはうまい食べ方があることを見せたかったのだが、まだ材料の段階にしか見えなかったようなのだ。確かにあの時は鰹節もなかったし、半生のホウレンソウに醤油をかけただけだから、料理には見えなくて当然だったかもしれない。生野菜のサラダをふんだんに食べるようになったから、今のドイツでは違う反応があるだろうか。
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【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員
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【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。
日本語社会 のぞきキャラくり 第55回 『いい人』の得意技
2009年 9月 6日 日曜日 筆者: 定延 利之『いい人』の得意技
前回の最後のくだりで、スチュワーデス、いやフライトアテンダントが登場したのは、空港で原稿を書いていたせいかもしれない。
原稿を書き上げ、そのまま出張先への飛行機にサッソウと乗り込んだ私の座席は、非常口のすぐ後ろだった。離陸前になると、フライトアテンダントがやって来て「この座席にかぎっては、手荷物はイスの下には一切置かず、頭上の手荷物入れに収納してもらいたい」ということを丁重に頼んできた。さらに「手荷物の中に割れ物はあるか。ノートパソコンがあるなら、それは荷物入れに収納できないので、荷物から出してほしい。こちらで預かって保管する」とも言ってきた。
もっともな話だ。私はパソコンを渡した。フライトアテンダントはそれを優雅に受け取り、保管場所にそっと置き――そこなって床に落とした。
キャーッ!
研究データが。文献記録が。論文の草稿が。たった今書いた「のぞきキャラくり」第54回の玉稿が。ムンクの絵のように叫ぶ間もなく、私はすぐに落ちたパソコンを持たされ、機外へ連れて行かれた。航空法上、離陸時にパソコンを機内で起動してはいかんのだそうな。機外でおそるおそるパソコンの電源を入れ、壊れていないことを確認した上で、再び機内の座席に誘導されて事態は収束したが、その間、パソコンを落としたフライトアテンダントはずっと私に付き従って「ワタクシの不注意で申し訳ありません!」という一言を繰り返していた。さすがにふだんの笑顔はなく、沈痛な面持ちだった。
前回、私は「誰に対してもいつもニコニコが日本の『いい人』の基本」と述べ、日本のフライトアテンダントは『いい人』をモデルにしているのかもしれない、と述べた。私に謝る際に笑顔を見せなかったフライトアテンダントはこの反例になるか。もちろんならない。本気で謝罪する場合は誰でもニコニコしているわけにはいかない。『いい人』がニコニコを基本とするといっても、基本はあくまで基本であって、例外はある。謝罪の場ではそもそも本家の『いい人』がニコニコしない。であるから、私に謝罪する沈痛な面持ちのスチュワーデスが『いい人』道を踏み外しているということにはならない。
では、ふだんのニコニコを引っ込める分、謝罪の場では『いい人』はあまり本来の『いい人』らしくないだろうか? そんなことはない。実は、この例外的な謝罪の場こそ『いい人』の本領が発揮される場だということは、特筆しておく必要があるだろう。『いい人』が秘めている「謝罪力」には、あなどりがたいものがある。
『いい人』キャラになって、相手よりも『下』になり、おろおろとうろたえ、度を失い、恐れ、畏(かしこ)まること。これが日本語社会の謝罪の真髄である。単に「すみません」「謝罪します」と言っただけでは「誠意」がなく「謝罪になっていない」。謝罪会見で『ボス』キャラをかなぐり捨てて、泣いたり土下座したり、情けない姿をさらしてみせる会社社長はこのことをよく知っている。間違っても、余裕をもって場を取り仕切りながらチンシャの言葉をハキハキと発したりしてはいけない。
「そんなのは、古い浪花節世代のこと。若いクールな僕らの世代は違う」という若者の意見は、おじさん悪いけど信用しないね。「期末試験はさっぱりできなかったけれども、そこをなんとか」と、単位の無心に来る君たちのいかに多くが、頼みもしないのに涙を流して、ことさらにみっともなくすがり付いて来るか。おじさん、さんざん見てきてるもん。
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◇この連載の中国語版と英語版
中国語版⇒角色大世界――日本
英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters
【筆者プロフィール】
定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。
地域語の経済と社会 第64回
2009年 9月 5日 土曜日 筆者: 山下 暁美地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第64回「もてなしの方言(南東北地方)」
今回は、南東北地方(福島県、山形県、宮城県)のもてなしの方言をとりあげます。
福島駅構内には、「コラッセふくしま」【写真1】というショッピングセンターがあります。「こらっせ」については、第13回でさらに詳しくとりあげられています。福島市から南東に約20キロ足をのばすと「しみもち」がおいしい川俣に着きます。道の駅には、「こらんしょ川俣」【写真2】と書かれた、からりこフェスティバルのポスターが貼られています。「こらっせ」と「こらんしょ」、どちらも「いらっしゃい」の意味ですが、「こらっせ」は、同僚や友達に、「こらんしょ」は、目上に用いられ、「こらんしょ」のほうが「こらっせ」より新しい形とされています。古くは、「こっせ」という言い方があったそうです。
「ゴジャーレ」(いらっしゃい【写真3】)と大きく地域の宣伝をしているのは、山形県村山市です。「ござる」(「御座ある」の縮約形、「行く」・「来る」の尊敬語)が「ござれ」(命令形)になって「ゴジャーレ」と変化したのです。「ござる」(尊敬語)は、山形県、宮城県、福島沿岸地方と、以南の日本海側を中心に広く分布しています。
宮城県登米市には、「登米の街へ“ほっ”としに来てけらぃん」【写真4】というもてなしの言葉があります。「けらぃん」は、「くださいね・ちょうだいね」という意味です。「けらい」が元の形で、「けらぃん」は、やさしさをこめた表現です。白石市には、もてなしの言葉で「よーぐござったない」(ようこそおいでくださいましたね【写真5】)があります。「な」の変化した形「ない」がついています。「~ぃん」も「~ない」もやさしさの表現です。
紙面の都合でご紹介できなかった写真資料は、「遊びに来てけやれ!!」(福島県南会津町)、「よらんしょ! こらんしょ! 喜多方へ」(会津若松市)、「来てみらんしょ 居てみらんしょ 住んでみらんしょ」(会津若松市)、「よってがんしょ」(西会津町)、「こらんしょ横丁」(福島市)、「んめぇ! おもしぇ! ござへぇ! 庄内」(山形県庄内町)、「よぐござったなぁ。ありがどさま~。」(最上郡)、「あがらっしゃれ」(新庄市)、「庄内ってこげだんよ」(庄内)、「よぐござったなぁ。ありがどさま~。」(最上郡)です。
| もてなしの方言(南東北地方) | |||
|---|---|---|---|
| 写真1 | こらっせ | 福島市 | 福島県 |
| 写真2 | こらんしょ | 川俣市 | |
| 写真3 | ごじゃーれ | 村山市 | 山形県 |
| 写真4 | 来てけらぃん | 登米市 | 宮城県 |
| 写真5 | よーぐござったない | 白石市 | |
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

山下暁美(やました・あけみ)
明海大学外国語学部・大学院応用言語学研究科教授。博士(学術)。
専門は、日本語教育学・社会言語学。研究テーマは、移民百年を迎えた、ブラジル、アメリカ合衆国などにおける日本語の変化、外国人の日本定住化による共生時代の日本語教育政策。
著書に『書き込み式でよくわかる日本語教育文法講義ノート』(共著、アルク)、『海外の日本語の新しい言語秩序』(単著、三元社)、『スキルアップ文章表現』(共著、おうふう)、『スキルアップ日本語表現』(単著、おうふう)、『解説日本語教育史年表(Excel 年表データ付)』(単著、国書刊行会)、『ふしぎびっくり語源博物館4 歴史・芸能・遊びのことば』(共著、ほるぷ出版)などがある。
【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。
この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
明解PISA大事典:発問 問題解決型の読解問題作法
2009年 9月 4日 金曜日 筆者: 北川 達夫第17回 発問:「なぜ?」の連鎖
「問題解決方式」の読解問題作法においては、作中人物がどのような問題に遭遇し、それをどのように解決したのかをとらえさせるのが発問の第一ステップとなる。ここで、単純に「主人公はどういう問題に遭遇しましたか?」「その問題を主人公はどうやって解決しましたか?」と問えば、それこそ問題解決なのだが、これではいかにも工夫がない。テキストに示された問題と解決策をとらえながら、同時に問題と解決策の背景も探っていくような発問が望ましいのである。
では、どうすればいいのか、具体例を挙げて説明しよう。フィンランドの小学校3年生用の教科書に掲載されている事例である(*)。
●物語「ちょうど35キロ」のあらすじ●
学校でバザーが開かれている。バザー会場に体重計があり、おじさんが呼びこみをやっている。料金1ユーロで体重を計測し、ちょうど35キロであれば賞品がもらえるとのこと。ユッシ少年の体重は36.5キロ、ラミ少年の体重は33.5キロで、いずれも賞品を獲得できない。そこでユッシは目的を告げぬまま、ラミにレモネードを1.5リットル飲ませる。わけのわからぬままラミはレモネードを飲み、体重計に乗る。ちょうど35キロ! みごと賞品を獲得する。レモネードを飲みすぎて気持ち悪くなったラミが受け取った賞品は、レモネード一箱だった。
この物語における問題は、たとえば「体重を35キロにすること」、解決策は「(体重33.5キロの)ラミにレモネードを1.5リットル飲ませる」である。
ここでフィンランドの教科書に掲載されている発問①を見てみよう。
「なぜ、ユッシはラミに、レモネードを飲ませたのですか?」
実はこれが“作中人物がどのような問題に遭遇し、それをどのように解決したのかをとらえさせる”発問なのである。ただ、「問題は何か?」「解決策は何か?」と一問一答で答えさせるのではなく、「発問の連鎖」を生み出すための“きっかけ”となる発問である。
この場合の「発問の連鎖」として、たとえば次のような展開が考えられる。
「なぜ、ユッシはラミに、レモネードを飲ませたのですか?」
「賞品をもらうため」
「なぜ、レモネードを飲ませれば賞品がもらえるのですか?」
「体重が35キロになれば賞品がもらえるから」
「なぜ、体重が35キロになれば賞品がもらえるのですか?」
「体重がちょうど35キロなら賞品をもらえるというイベントをやっているから」
「なぜ、ラミにレモネードを飲ませれば、体重が35キロになるのですか?」
「ラミの体重は33.5キロなので、レモネードを1.5リットル飲ませれば、ちょうど35キロになるから」……
もちろん問いと答えの順序はさまざまになりうる。たとえば「なぜ、ユッシはラミにレモネードを飲ませたのですか?」に対して、「体重を35キロにするため」という答えが返ってくる可能性もあるからだ。こうなると、次の発問は「なぜ、体重を35キロにしようとしたのですか?」になり、それに対する答えは「体重を35キロにすれば賞品がもらえるから」となるだろう。順序はさまざまだが、結局は同じ方向に収束していくことになる。そして、この一連の問いと答えの連鎖から、テキストに示された問題と解決策を明らかにすることができると同時に、その背景事情も探ることができるのである。
コツは「解決策の『なぜ?』を問う」ところにある。
「なぜ(解決策となりうる)その行動をとったのか?」と問われれば、そもそもどのような問題が存在するのか、なぜその行動が問題の解決になりうるのかを答えていかなければならない。答えに応じて、さらに「なぜ?」を問う。それによって、テキストに示された問題と解決策を詳細に分析していくことができるのだ。
もちろんテキストはさまざまであり、読解問題はテキストへの依存性が高いため、あらゆるテキストにこの方法が使えるわけではない。だが、「解決策の『なぜ?』を問う」ことによって“作中人物がどのような問題に遭遇し、それをどのように解決したのかをとらえさせる”のは、読解問題作法の定石なのである。
* * *
(*)『フィンランド国語教科書 小学3年生』pp80-81 メルヴィ・バレ他著/北川達夫訳/経済界 2006年
* * *
◇この問題の続きへ⇒第18回 発問 結果から原因の推論「問題解決プロセスの続き」
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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)、組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。
* * *
【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。
発話行為にかかわる情報
2009年 9月 3日 木曜日 筆者: 内田 聖二『英語談話表現辞典』覚え書き(4)
今回は本辞典の記述のなかから発話行為にかかわる情報について、今までと同じく、G(2007年第4版)、W(2007年第2版)、O(2008年発行)の3つの辞書の記述と比較しながら解説したいと思います。
発話行為(speech acts)は哲学起源の比較的新しい概念で、これを使うと従来の文法範疇をいわば横断的にカバーすることができます。たとえば、「窓をあけてください」という文は、“Open the window.” “Will you open the window?” “I’d like you to open the window.”などと表現することができますが、これらはそれぞれ、命令文、疑問文、平叙文、と文の形式が異なり、説明するにはその形式からはじめる必要があります。発話行為の観点からみると、これらを一括して「要請(request)」を表す表現とまとめることができます。また、文法の上位概念とみることができる現象もあり、たとえば、“You shouldn’t open the window.”に対して、文法的には“No, I won’t.”のような言い方になるかと思いますが、“Yes, sir.”などとyesで応答することも可能です。この場合は、このyesは「命令」に対して「同意」という発話行為に対応する、と説明することができます。
本辞典のjust aboutをみてみましょう。語義3に「〈質問に答えて〉ほとんど」があり、“Is the work done?” “Just about.”(「仕事は終わった?」「大体ね」)をはじめ3つの用例が挙がっています。このように、「質問」という発話行為を受けて単独で答えることが多くみられ、上記のように明示することは発信型を目指す辞書として有用なことと思います。G、W、Oのいずれにも疑問文を受ける単独用法の例文はありますが、注記はみられません。
次にno wayの記述をみてみましょう。Gには発話行為に関しては特に情報はありませんが、Wの語義1に「(依頼に対して)絶対だめだ」があり、例文があがっています。Oの語義2に、例文はありませんが、「単独で返答に用いて」という記述があります。本辞典では、3つの語義のうち2つに発話行為に関連する情報があり、それぞれ用例を伴って、「〈要請を拒否して〉まっぴらだ、それどころじゃない」「〈相手の主張を強く否定して〉絶対に違うよ」と説明しています。
最後に、もっとも基本的な言い回しのひとつ、You’re welcome.の記述をみてみましょう。G、W、Oはいずれも「どういたしまして」という意味を優先し、そのあとに、それぞれ「お礼の言葉に答える決まり文句」、「お礼の言葉に対する丁寧な返答」、「感謝に対する返答」という説明が続いています。それに対して、本辞典では、4つの語義のうち、3つに発話行為に関する情報があります。以下に用例をひとつ付けて提示してみますので比較してみてください。
1 〈謝辞を受けて〉どういたしまして:“Thank you for you help.” “You’re welcome.”「お助けいただきありがとうございます」「どういたしまして」
2 〈お詫びに答えて〉大丈夫ですよ、気にしないで:“I’m sorry for the delay in answering your letter.” “You are welcome.”「ご返事が遅くなってごめんなさい」「気にしないで」
3 〈依頼・要請を受けて〉わかりました、お安い御用です:“Would you mind opening the window? It’s stuffy here in this room.” “No, you are welcome.”「窓を開けていただけないでしょうか?この部屋、むっとしているので」「ええ、いいですよ」
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【筆者プロフィール】
内田聖二(うちだ・せいじ)
奈良女子大学教授
専門は英語学、言語学(語用論)
主な業績:『英語基本動詞辞典』(1980年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基本形容詞・副詞辞典』(1989年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基礎語彙の文法』(1993年)英宝社(衣笠忠司、赤野一郎と共編著)
『関連性理論-伝達と認知-』(初版1993年、第2版1999年)研究社(共訳)
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版1994年)小学館(小西友七・安井稔・國廣哲弥・堀内克明編、分担執筆)
Relevance Theory: Applications and Implications, 1998, John Benjamins.(Robyn Carstonと共編著)
『英語基本名詞辞典』(2001年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『ユースプログレッシブ英和辞典』(2004年)小学館(八木克正編集主幹、編集委員)
『新英語学概論』(2006年)英宝社(八木克正編、共著)
『思考と発話』(2007年)研究社(共訳)
『子どもとことばの出会い』(2008年)研究社(監訳)
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【編集部から】
語用論的な情報をふんだんに盛り込んだ、日本発の本格的な発信型会話・談話表現辞典、『英語談話表現辞典』について、編者の内田聖二先生にご紹介いただきます。
書籍購入者は、http://dce.dual-d.netにて本辞典の全データを収録したウェブ版辞典を無料で使用できます。
漢字の現在:漢字を使わないことで起こる語の…
2009年 9月 3日 木曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第46回 漢字を使わないことで起こる語の意味の変化―「猟奇」

【猟奇的?】
韓国では、漢字を廃止しようとすることによって、漢語の発音は残っても、語義が不分明となる例も生じている。韓流ドラマとして一世を風靡した「冬のソナタ」は、原題は「キョウル・ヨンガ」であった。キョウルは、冬を意味する固有語で、韓国の人ならば当然、語義は理解される。しかし、「ヨンガ」とは何かを正確に理解している人となると非常に少ないようだ。漢字で「戀(恋)歌」と記してあっても、漢字を読めなくなっている一般の人々の間では、それは飾りに過ぎないのだそうだ。
韓国では、他の曲名や「…カ(ガ)」という熟語の例から、「ヨンガ」も何となく「歌の一種なのかな」と類推はされるのだそうだ。しかし、たとえ固有名詞であっても、語義が気になって、辞書で確かめてみないものだろうか、などというのが日本の人々に見られる意見である。それは、日本では、仮に「れんか」と仮名で書かれていれば、(カタカナによる明らかな外来語と思えば、無視したり諦めたりもしようが)なまじ外来語ではなさそうだと、やけに気にかかり、その意味や、漢字表記までを知りたくなるという意識に覆われているためなのであろうか。
韓国映画の「猟奇的な彼女」は原題「엽기적인 그녀 ヨプキジョギン・クニョ」を直訳したものだった。その作者は、「ヨプキジョク」という語の意味をはっきりとは知らずに、語感から命名したのだという。英語名にある「sassy」は、生意気だというくらいの意味である。「猟奇癖」「猟奇殺人」などという(おそらく和製の)漢語のおどろおどろしい語義とおぞましいニュアンスは、この漢字列の字面に反映していたものである。しかし、漢字を失ってハングルによってのみ示された字音は、ただ単にイメージだけを浮遊させ、新たなイメージへと転化されていったのである。
さらにそれが、韓国では流行語となり、友達同士でも、変わっている、いたずらっぽい、かわいらしいなどの意味で、「猟奇的だね」と言い合うようになったのだそうだ。ハングルによって意味が変わり、それが固定化したのである。
なお、この原題をそのまま用いた日本側は、インパクトを狙ったにしても、やや安易だったという点はなかろうか。「猟奇」の語を同様に用いていた中国では、「我的野蛮女友」と、「野蛮」と変えて訳した題名で知られている。
このように、漢字は、語の本来の意味を縛ってもいる。その表記が表音文字に移った時には、意味も解き放たれて、移ろっていく。
これは、先の漢字によって意味が偏ってきた「性癖」とは逆の現象である。それらを通じて、いずれにも漢字の今なお強く作用している表意的な性質が見出されるであろう。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「漢字が引き起こす語の意味の変化―「性癖」」でした。
この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
『三省堂国語辞典』のすすめ その83
2009年 9月 2日 水曜日 筆者: 飯間 浩明電車の中で聞いた、ヤバい一言。

【やばい、サツだ。】
若者ことばが話題になるとき、「やばい」について素通りされることはありません。もとは犯罪者の隠語で「危ない」の意味だったのが、今では「このケーキ、やばい」などとほめる場合にも使われ、まぎらわしいと言われます。もっとも、最初から俗語なのですから、その意味が変わったところで、今さら眉をひそめるのもへんな話です。
「このケーキ、やばい」のようなプラスの意味は、1990年代後半には現れたと言われ、私の手元にも当時の用例があります。ただ、それ以前にまったく例がないわけではありません。1987年の週刊誌の記事で、トルコ軍楽のCDが「やばい」と評されています。
〈CD帯のコピーいわく「めくるめく陶酔とノスタルジー」。たしかに祭り囃子風にも聴こえます。気分も浮かれるヤバイ魅力。困ったものです。〉(『週刊朝日』1987.8.7 p.125)

【このケーキ、やばい。】
これを「このCD、やばい」と終止形にすると、今ふうの言い方になるわけです。
『三省堂国語辞典 第六版』では、「やばい」のこの意味も載せました。〈すばらしい。むちゅうになりそうで あぶない〉と説明し、〈「今度の新車は―」〉という用例を添えてあります。「新車が事故を起こしそうで危ない」という意味でないのはもちろんです。
第六版が刊行された時、新聞記事やテレビのニュースでも、「『やばい』の新しい意味も載っている!」と取り上げてくれました。目玉商品のことばのひとつと言えるでしょう。
それはいいのですが、少々てこずったのは、むしろその次に掲げた意味でした。

【教科書の量がやばいから…】
〈〔程度が〕はなはだしい。「教科書の量が―」〉
つまり、「やばい」には、程度を表す用法も現れています。テレビからも〈やばい〔=すごく〕かっこいい〉〈やばい良くねー?〉などと言っている例を採集しました。でも、程度を表すときに、「……がやばい」と終止形で言えるのかどうか、分かりませんでした。
そんな折、というのは2005年4月のある日のこと、西武新宿線に乗っていると、大学生らしい男性が〈〔新学期に使うために購入した〕教科書の量がやばいから……〉と友だちと話しているのが聞こえました。
これは、程度を表す「やばい」の終止形としてかっこうの例です。私はさっそくメモし、これがそのまま『三国』の用例として採用されました。電車に乗っていたあの学生は、自分の何げない一言が、まさか辞書に載っていようとは思わないでしょう。
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筆者プロフィール
飯間浩明(いいま・ひろあき)
早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)
【編集部から】
生活にぴったり寄りそう現代語辞典として定評のある『三省堂国語辞典 第六版』が発売され、「【サンコク】メディアでの紹介」の記事にある通り、各方面で取り上げていただいております。その魅力をもっとお伝えしたい、そういう思いから、編集委員の飯間先生に「『三省堂国語辞典』のすすめ」というテーマで書いていただいております。
『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて(11)
2009年 9月 1日 火曜日 筆者: 赤間 恵都子(11) 清涼殿の桜
宮中で天皇が暮らす殿舎は清涼殿(せいりょうでん)と呼ばれ、公的儀式を行う紫宸殿(ししんでん)の西側に位置していました。清涼殿の北端には上御局(うえのみつぼね)と呼ばれる部屋があり、そこは後宮に暮らす天皇妃たちが天皇に召された際に使用する控室でした。
この清涼殿の上御局を舞台にした章段があります。正暦5年、定子18歳の春、清少納言の初宮仕えから半年後の時期です。清涼殿の丑寅(うしとら)の隅には手長足長という怪物の障子が据えられていました。丑寅は陰陽道(おんみょうどう)では鬼門とされる東北の方角で、そこから鬼が侵入するのを阻止するために不気味な妖怪の絵が障子に描かれていたのです。局の出入り口の戸が開いていると手長足長の絵がいつも目に入るので、女房たちは憎み笑ったと書かれています。
その部屋からは、簀子(すのこ=縁側)に置かれた青い大瓶も見えました。それには、5尺(1メートル65センチ)程の桜の大枝が何本も差し込まれ、満開の花が欄干の外まで咲きこぼれていました。現代でいうと、大瓶に植物を枝ごと差し込んだ大胆な生け花の趣向です。この桜がどんな意味を持っていたのか、またこれを設置したのは誰なのか。そのヒントは次に展開される話の中で明らかになります。
さて、定子の控室を兄の大納言伊周(これちか)が訪れます。彼は桜襲(さくらがさね)の上着に身を包んで華やかに登場しますが、部屋の中に天皇がいらっしゃることに気付き、簀子に座ります。そのうち食事の時間になり別室に移動した天皇は、食事が終わるやいなや、まだ片づけも始まらないうちに定子の許に戻ります。14歳の若い天皇が4歳年上の中宮を姉のように慕っていた様子が想像されます。
そして定子もそれに応えるように、天皇の御前で女房たちの教養テストを始めるのです。定子が最初に出した課題は、「今、この場で思いつく古歌をすぐさま答えよ」というものでした。突然の出題に女房たちは緊張し、普段なら思い浮かぶ歌も出てこなくて、頭の中は真っ白、反対に顔はのぼせて赤くなっていきます。
色紙が回ってきた時、清少納言はまず、御簾の外に控えている伊周にそれを差し出して、「これはいかが(これはどういたしましょうか)」と打診し、伊周から差し戻されています。その後で清少納言が答えたのは次の歌でした。
年経ればよはひは老いぬしかはあれど君をし見れば物思ひもなし
これは、『古今集』の太政大臣良房の歌を拝借し、第4句の「花をし見れば」を一部改変したものです。良房の歌が詠まれた場面は、歌の詞書きに、「染殿の后のお前に、花瓶に桜の花をささせたまへるを見てよめる」と説明されています。「染殿の后」は文徳天皇女御明子で、良房の娘です。良房は藤原氏で初めて摂政となり、摂関政治体制の基を築いた人物でした。
摂関政治の仕組みは、娘を天皇后として皇子を生ませ、その後天皇の祖父となって政権を掌握することです。これは良房が、天皇后となった娘を見て桜の花にたとえ、自分は年をとってしまったが、ようやく思いが叶うと満足して詠んだ歌でした。
すなわち清涼殿の上御局の簀子に置かれた桜の大瓶は、この歌の背景を演出していたのです。『枕草子』の場に良房の歌を当てはめるなら、「花」は中宮定子を指すことになります。そして、この歌を詠むべき人物は定子の父関白道隆でした。
清少納言が先に詠歌を伊周に打診したのは、その場にいなかった道隆のかわりにこの歌を定子の兄に詠んでもらおうと思ったからではないでしょうか。ところが伊周に断られ、自分で詠まざるをえなくなりました。もし、清少納言がこの歌をそのまま引いたとしたら、自らが関白の立場に立つという無礼なことになってしまいます。そこで、中宮定子をたとえる「花」を「君」に変え、女房としての立場を示したのでした。
清少納言が答えた良房の和歌は、清涼殿に据えられた桜の大瓶の意図、すなわち定子を中宮として皇室に入れた関白道隆の威光を暗示していたのです。
では、この桜を設置したのは誰か。当然ながら定子も伊周も承知の趣向と思われますが、最も有力な参謀者はこの場を外していた関白道隆ではなかったかと私は思います。なぜなら、『枕草子』の日記的章段には、道隆が企画したもう一つの桜の話があるからです。
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【著者プロフィール】
赤間 恵都子(あかま・えつこ)
十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「枕草子研究の動向と展望―年時考証研究の視座から―」(『十文字学園女子短期大学研究紀要』2003年12月)、「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)など。
【編集部から】

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。(隔週掲載)












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