2009年 10月 のアーカイブ

地域語の経済と社会 第72回

2009年 10月 31日 土曜日 筆者: 井上 史雄

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第72回「韓国の官製方言グッズ――民俗文化の年と方言大会」

李崇寧(1967)の方言区画
【図1 李崇寧(1967)の方言区画】
方言ハンカチ(韓国の「にら」の方言分布)
【図2 方言ハンカチ
(韓国の「にら」の方言分布)】
(クリックで拡大)

 今回はお隣韓国の方言グッズ関連情報をお伝えしましょう。韓国語の方言は、【図1】のように、1 西北方言(旧平安道)、2 東北方言(旧咸鏡道)、3 中部方言(京畿道)、4 西南方言(全羅道)、5 東南方言(慶尚道)、6 濟州方言の6つに区画されます。 韓国では1945年の解放以後は国民の円滑な意思疎通のために標準語政策が国家規模で行われました。しかし近年になって、地域方言を守ろうという意識も芽生えました。各地域の方言を保存しようという動きもあり、国家的な事業として地域語調査が行われました。【図2】は、韓国国立国語院で調査謝礼用などに作った大型の方言ハンカチで、韓国の「にら」の方言分布を表しています。全部で4種類作られました。

 ところで、濟州島の方言は、本土の言葉とだいぶ違っていますが、最近濟州方言が話せる人が減ってきました。そこで濟州地域の研究者が中心になって濟州方言を守ろうという運動が始まり、韓国民俗博物館と濟州道が協力関係を結んで、2007年を「濟州民俗文化の年」と制定しました。学術大会、民俗公演などの様々な行事が行われ、 一般人や学生が参加する「濟州方言競演大会」も開かれました。

慶北民俗文化の年方言大会ハンカチ
【図3 慶北民俗文化の年方言大会ハンカチ】
(クリックで拡大)

 続いて2008年には全羅北道が選ばれ、「全北民俗文化の年」となりました。同じく競演大会が 井邑(ジョンウプ)で開かれて、一般人や中学生が流行の歌謡曲の歌詞を方言に変えて歌ったり、大学生が演劇を方言でやったり、お話を方言で披露しました。

 2009年は「慶北民俗文化の年」で、9月12日に古都慶州で「方言競演大会」が開かれました。【図3】がそのときの方言ハンカチです。官製方言グッズとでもいいましょうか。大会のスローガン「와카노, 와 이카노? (ワカノ、ワイカノ/どうして?どうしたの?)」が書かれています。ソウルの標準語なら「왜 그래, 왜 이러는 거야? (ウェグレ、ウェイロヌンゴヤ?)」です。来年度は忠淸南道が選ばれて、「忠南民俗文化の年」になります。どうぞいらしてください。

(以上、韓国の知り合いの研究者金順任(きむ すにむ)さんに伝えていただきました。なお韓国の方言グッズについては、第19回 山下暁美さん「お隣の国、韓国の方言事情」でも扱われています。)

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

『社会方言学論考―新方言の基盤』『日本語ウォッチング』井上史雄(いのうえ・ふみお)
明海大学外国語学部教授。博士(文学)。専門は、社会言語学・方言学。研究テーマは、現代の「新方言」、方言イメージ、言語の市場価値など。
履歴・業績 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/inouef/
英語論文 http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/person/inoue_fumio/ 
「新方言」の唱導とその一連の研究に対して、第13回金田一京助博士記念賞を受賞。著書に『辞典〈新しい日本語〉』(共著、東洋書林)、『日本語は年速一キロで動く』(講談社現代新書)、『変わる方言 動く標準語』(ちくま新書)『日本語ウォッチング』(岩波新書)、『その敬語では恥をかく!』(PHP新書)、『言語楽さんぽ』『社会方言学論考―新方言の基盤』(ともに明治書院)、監修に『方言と地図』(フレーベル館、最新刊)などがある。

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【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。

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この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

明解PISA大事典:フィンランドの大学と教員養成、就職

2009年 10月 30日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第22回 フィンランド紀行2

 前回はフィンランド教育に関して誕生から高校卒業までを紹介したので、今回は大学以降のことを紹介するのがスジというものだろう。

 ただ、大学のことを紹介する前に、まずフィンランドが徹底した資格重視の社会であることに触れておかなければならない。どのような職業に就くにせよ、資格の有無がポイントになる。職業資格は職業学校修了時の職業資格認定試験によって得ることができるが、職業資格には様々なレベルがあり、就職後も成人学校などに通って資格のレベルアップを目指すのである。そして、ここが重要な点なのだが、フィンランド社会においては、高卒にせよ大卒にせよ、学歴も一種の「職業資格」と考えられている。つまり、“高卒の学歴を必要とする仕事に就くための資格”“大卒の学歴を必要とする仕事に就くための資格”ということだ。この考えかたが徹底しているため、学歴の高低が人生を左右するというような発想はあまりなく、「とりあえず高校だけは行っておいたほうが……」というような発想はほとんどない。なにかやりたい仕事があったら、高校に行くよりも職業学校に行って、さっさと職業資格を取得したほうが社会的に有利だからだ。

 さて、フィンランドの大学である。まず覚えておいたほうがよいのは、フィンランドの大学では修士号が基礎学位であるということ。私が20年くらい前にヘルシンキ大学歴史言語学部に留学した頃は、そもそも「学士号」という学位自体がなかった(学部によってはあったらしいけれど)。私は早稲田大学法学部を卒業していたのだが、ヘルシンキ大学の事務の人に「あなたはフィンランドでは大学を卒業したことにはなりませんね~」と言われたものだ。要するに、フィンランド社会においては「大卒=修士号取得者」なのである。ただ、1995年にフィンランドがEUに加盟したとき、EU域内の他国の大学と単位交換をする関係上、フィンランドの大学においても学士号の取得“も”義務付けられるようになった。もともと修士号しかなかったところに、あとから学士号が加わった格好だ。だが、フィンランド社会における「大卒=修士号取得者」という図式は、いま現在も変わらない。

 「フィンランドの教師はみんな修士号を持っている」と御大層なことのように宣伝する方々がいるが、この図式を知っていればなんということはない。単に教師に「大卒資格」を求めているだけなのである。フィンランド社会において「大卒資格」を必要とする仕事の種類は、だいたい日本社会と似たりよったり。つまり、教師に特に高い学位を求めているということではないのである。

 ちなみに“「フィンランドの教師はみんな修士号を持っている」と御大層なことのように宣伝している方々”の筆頭はフィンランド教育省である。ただ、フィンランド教育省に悪気があってのことではない。そのように宣伝する背景には、1960年代までのフィンランドでは小学校の教師には「大卒資格」を求めていなかったことがある。当時は高校を卒業して一定のコースを履修すれば小学校の教師になれたのだ。だが、1960年代後半以降の教育改革の一環として、小学校の教師にも「大卒資格」を求めるようになった。そのような背景があるために、フィンランド教育省は「(現在は)フィンランドの教師はみんな修士号(つまり大卒資格)を持っている」と誇りをもって言うのである。

 フィンランドが資格重視の社会であるために、大学卒業後の就職は意外に厳しい。専門性の高い有資格者の数と、専門性を要する雇用の数が必ずしも釣り合わないからだ。昨今の経済状況の悪化も加わり、「大学卒業者の3分の1以上が卒業後半年経っても無業者のまま」という報道もあった。資格重視の社会だから、「どんな仕事でも構わない」という発想が生まれにくいということもある。高福祉国家だから、「食うために働かなければ」という発想が生まれにくいということもある。日本から見るとうらやましいような感じもするが、やはり仕事をしないと生きがいもないようで、本人たちにとっては由々しき事態として受け止められているようである。

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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。

感情表現2―『英語談話表現辞典』覚え書き(7)―

2009年 10月 29日 木曜日 筆者: 内田 聖二

前回は感情表現一般について述べましたが、今回は話し手の態度を表す表現について、G(2007年第4版)、W(2007年第2版)、O(2008年発行)の3つの辞書の記述と比較しながら解説したいと思います。

一般に、「非難」は相手あるいは第三者の言動に向けられます。‘have the heart to do’という表現は「…する気持ちがある」という意ですが、よく疑問文でcanを伴って反語的に非難を表す言い方となります。G、W、Oの成句のなかには見当たりませんが、本辞典の記述は次のようになっています。

2 〈相手を非難して〉よくまあ…できますね(◆canを伴った疑問文で) :How can you have the heart to discourage your parents? よくまあご両親を失望させるようなことができますね.

このcanを伴うhow疑問文はほかの表現でも同じような非難を表すことができます。次は‘How can [could] you (do [be]). . .?’の見出しで出ているものです。

1 〈非難して〉何でそんなことをするんだ: How can you be so rude to old people! 君はお年寄りに対して, 何て無礼なんだ / 《父親がずる休みの続く息子に》 How could you cut classes! Shame on you! よく授業をサボれるな! 恥ずかしくないのか!

That’s allにも非難めいて話を打ち切る用法があります。

2 〈非難の気持ちを込めて〉言いたいことは以上です: 《妻が夫に》 I want to tell you something. These days you get up late, come home late and sleep late. That’s all. あなたに一言言いたいわ. このごろ起きるのも帰宅するのも寝るのもすべて遅いってことよ. 以上.

文字通りの意味のほかに、文脈に応じて「いらだち」を表す表現もあります。たとえば、‘What’s wrong (with A)?’は「どうかしましたか」と相手の安否をたずねるごく普通の言い方ですが、なにか不都合なことを目の前にしたいらだちの表現としてもよく使われます。

2 〈いらだって〉 (このA〈事〉)どうなっているんだ: Oh my God! This dryer doesn’t work. What’s wrong with this? I just bought it last week. あらまあ! このドライヤー動かないわ. まったくどうしちゃったのかしら. 先週買ったばっかりなのに.

また、‘Now what? / What now?’ はよくないことが起こることを不安に思う気持ちや、次は何が続くかを問う表現ですが、相手の言動や目の前の状況に対してうんざりした様子を伝えるときにも用いられます。

4 〈うんざりして〉今度は何(の質問)だ?, まだ?: 《続けざまに質問を受けて》 “I’ve got one more question.” “Now what?” 「もう1つ質問があります」「次は何だ」.

同様のことが‘You know what I mean’ にも言えます。

5 〈いらだって〉わかるでしょ?, わかってよ!: I want to go somewhere different on vacation, you know what I mean. 休みにはどこか別のところに行きたいのよ, わかるでしょ?

ここでは、言いたいことが伝わらないとき「わかっているはずなのに」という気持ちを込めた感情表現になっています。


【筆者プロフィール】
内田聖二(うちだ・せいじ)
奈良女子大学教授
専門は英語学、言語学(語用論)
主な業績:『英語基本動詞辞典』(1980年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基本形容詞・副詞辞典』(1989年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基礎語彙の文法』(1993年)英宝社(衣笠忠司、赤野一郎と共編著)
『関連性理論-伝達と認知-』(初版1993年、第2版1999年)研究社(共訳)
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版1994年)小学館(小西友七・安井稔・國廣哲弥・堀内克明編、分担執筆) 
Relevance Theory: Applications and Implications, 1998, John Benjamins.(Robyn Carstonと共編著)
『英語基本名詞辞典』(2001年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『ユースプログレッシブ英和辞典』(2004年)小学館(八木克正編集主幹、編集委員)
『新英語学概論』(2006年)英宝社(八木克正編、共著)
『思考と発話』(2007年)研究社(共訳)
『子どもとことばの出会い』(2008年)研究社(監訳)


【編集部から】
語用論的な情報をふんだんに盛り込んだ、日本発の本格的な発信型会話・談話表現辞典、『英語談話表現辞典』について、編者の内田聖二先生にご紹介いただきます。
書籍購入者は、http://dce.dual-d.netにて本辞典の全データを収録したウェブ版辞典を無料で使用できます。

漢字の現在:「「宣」しくお願いします」

2009年 10月 29日 木曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第50回 「「宣」しくお願いします」

 この連載も、早いもので丸2年、合計で50回目を迎えた。何とか続けてこられたのは、中身にかかわる情報や温かな感想を寄せて下さる読者の方々や、ほぼ隔週で、しかも書きたいように書くことを許して下さる担当の方のお陰かもしれない。

 さて、後期が始まり、学生たちの肉筆に再び直面する。

 とくに新規登録の受講者たちは、いろいろなことばで挨拶を書いてきてくれるものだが、そこにしばしば付け加えられるのが「よろしくお願いします」というたぐいの常套句的な文言である。そこでは、、「よろしく」という部分に漢字を交えた場合、ほとんどの人たちが「宣しく」と手書きしてくるのである。ここのところ少なくとも10人ほぼ連続してそうなっている。

 「宣」は音読みが「セン」、「宜」は音読みが「ギ」であり、両者は字体がたまたま似ているが別々の漢字である。常用漢字表では、それらの2字に対し、いずれにも訓読みを与えていない。つまり、「宣」の「のべる」はもちろん、「宜」の「よろ-しい・よろ-しく」も、表外訓なのである。そのため、学校の国語の授業で教わることも通常はなかろう。今回の常用漢字表の改定でも検討は経たものの追加される方向にはない。ただ、現実にはあちこちで使われてもいるために、学生たちも目で何となく文字列を把握し、既知のなじんだ文字で記憶しているのであろう。2つの字が混淆したような各種の字形も、なぜかとくに男子に散見される。「ギ」と読ませる場合でも「宣」と書いてしまうケースもある。

 ここまでは、手書きで生み出される「宣しく」について述べてきた。「漢字の現在」をあえて(?)斜めに見ているような連載であるが、現代の、いわば現在進行形の現象として、電子情報機器での状況に触れておきたい。

 ”宣しく” をgoogleで検索してみた結果、約65,100件がヒットした(2009.10.15現在)。この表記へのメタレベルな指摘や言及も含まれてはいるが、文章中に普通に使用しているページが次々と出てくる。なお、ちょうど半年前に検索した時には(4.15)、約7,830件と表示されていたのだが、これは何らかの原因で実際の使用が激増したということではなく、何かの事情で数値にこういう変化が現れたまでではなかろうか。

 パソコン上の画面においては、小さなフォントでは互いに区別がしにくいこともあろう。入力された「宜」を見て、「宣」だと誤解したり、それによってさらに自己の理解字としたりするといった循環も起こっていることが想像される。

 「よろしく」という入力を経て、そこから仮名漢字変換をした結果だとすれば、変換辞書ソフトに何らかの不都合やミス(バグ)が生じているのであろう。あるいは、「よろしく」には現実に「宣しく」と書くことも多いから、と変換候補に潜り込ませているものも出てきかねない状況はあるのだが、今のところ、この語に関してはそうではないのだろう。あるいは、手書きパッドのたぐいで入力されたページもあるのではなかろうか。OCRを介しての誤入力も個々の事情から含まれている可能
性もある。とある電子辞書版の和仏辞典では「宣しい」と出る、と学生が見せてくれた(一方、「よろしく」は「宜しく」)。OCRで紙面を読みこんだ誤入力が残っているのだろうか。また、「よろしく」と打って、変換してみて、「何で私のパソコンでは「宜しく」なんていうおかしなのしか出なくて、「宣しく」とちゃんと変換してくれないのだろう」と、かつての「ふいんき←漢字が出ない」と同様に疑問を持つ者も、種々の類例からみて、なくはなさそうだ。

 パソコンに限らず、携帯電話であっても、手書きでは書けなかった漢字が入力されることがある。10年ほど前になるが、手書きでやはり「宣しく」と間違って書いていた人が、メールでは「宜しく」と送信していた。これは、「よろしく」で入力した結果だという。また、別の人は、メールに、「宜しく」ではなく「宣しく」と打ってきた。これについて尋ねてみたら、「字数の制限があり、かつ「よろしく」では変換されないので、「宣」を「せん」で入力した」とのことだった。そして、「「宣」は中学で同級生の名前にあったので、印象深いが、「宜」はめったに使わない」とのことであった。これは、単漢字しか変換できない当時の機種では起こりやすかった誤入力である。実際に、携帯電話のメール機能では、かつてはそういうレベルの機械が市場に出回っていた。

 こういう実例から、「せんでん」でわざわざ「宣伝」と出してから「伝」を消すなんて人もいるのではないか、もしかしたら、「よろしく」で出てくる「宜しく」をわざわざ直す人や、「宣しく」と単語登録している人までいるのではなかろうか、とも思えてくる。

 「宜しく」という表記を目にして、しっかりと習うことがないために、「大人の書き方」というふうに感じて、うろ覚えのまま、よく使う「宣」かなと記憶に残り、ついに自分の手書きで使ってしまう。そういう習得から使用に及ぶケースが多いのではないか。

 仮名漢字変換の出現と急速な普及によって、同音語の誤入力は増えた一方で、この類の誤字は一般に消え去ったとの言説もあるが、人の実際の書記行動は、個人の経験やイメージだけで一括することは困難である。

 現代の日本人でも、平仮名書きよりも漢字で書かれたもののほうが、正式な感じがする、という意識が色々なところで残っているように思える。手書きでは、複雑な漢字で記した方が丁寧に感じられる、という意識も介在する。「よろしく」と「宣言する」、というような俗解が、その背景には重なっている可能性もある。

 かつての活版印刷でも、著者などの原稿の手書きの筆跡が編集者、校正者、文選工、植字工などの手を経て、目をかいくぐり、そのまま活字となって「宣しく」となる誤植はあった。また、JISの調査のために、『国土行政地名総覧』を通覧していたときには、、「萱」(かや 草冠に宣)という字が「萓」(草冠に宜)と活字で印刷されている小地名にたびたび遭遇した。後者はその存在によってJIS第2水準に採用されていたのだった。以前より、「宣」「宜」の両字は混同されることがあった。手書きと活字と電子機器とで、現れる現象は同一であっても、その原因、さらに産出のプロセスに変化が生じていると考えられる。

 こうした類形異字同士のいわば通用は、歴史上しばしば見られたが(「已」「己」「巳」など。第26回参照)、同音異字の間に発生する通用とは異なり、なかなか公認されるまでには至らないものである。

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【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「使い込まれた「函」の形は…」でした。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

第37回金田一京助博士記念賞受賞者決定

2009年 10月 29日 木曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部

風間伸次郎(かざま しんじろう)氏 ツングース諸語の言語と文化に関する一連の調査研究に対して

第37回金田一京助博士記念賞が風間伸次郎氏の「ツングース諸語の言語と文化に関する一連の調査研究」に対して贈られることに決定いたしました。記念賞贈呈式は12月13日に行われる予定です。

⇒金田一京助博士記念賞ホームページ

『三省堂国語辞典』のすすめ その91

2009年 10月 28日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

お役所仕事は、たしかに困るけど。

東京都庁
【この役所の仕事ぶりは?】

 インターネットのサイトを見ていると、『三省堂国語辞典』でおもしろい語釈や例文を見つけたと紹介されていることがあります。個性的な語釈・例文というと『新明解国語辞典』のそれが思い浮かびますが、『三国』を見てにやっとする人もあるようです。

 たとえば、「マダム」の例文に「バーのマダムといっても、やとわれマダムです」とあるといいます。なるほど、おかしみを誘うかもしれません。第二版からで、「雇われマダム」ということばを示すためだったのでしょう。後の版で「雇われマダム」は別に立項されましたが、この例文は残り、今に至ります。今回の第六版では、「雇われマダム」は項目にせず、「雇われの身」などとともに「雇われ」の用例としました。

役人の後ろ姿
【お役所勤め、ごくろうさま】

 あるいは、「さすが(に・の)」の項目で、「さすがは田中君だ」「さすがに田中だ、よくやった」などと、4つの例文すべてに田中君が登場していたという指摘もあります。これも第二版からです。たしかに奇妙というわけで、第五版では「山田君」「中川」「中村」などと改められた代わりに、田中君は消えてしまいました。

 第六版の改訂時に問題になったのは、「役所」の例文です。なにしろ「お役所仕事は のろくてこまる」というのです。ひとつしかない例文がこれでは、役所勤めの人は憤激するかもしれません。

 辞書によっては、「役所」の項目で「お役所仕事」ということばに触れ、形式的で遅い仕事ぶりのことだと説明したものもあります。『三国』の「役所」の例文も、「お役所仕事」を説明するつもりで「……のろくてこまる」と書いた可能性はあります。ところが、『三国』には別に「お役所仕事」の項目があるため、やはりこの例文は不必要なのです。

『東大生が書いたお役人コトバの謎』
【三省堂刊 お役所ことばの本】

 これも、くしくも第二版からのものです。『三国』の第二版は、主幹の見坊豪紀(けんぼう・ひでとし)が初版の刊行後に着手した用例採集の成果が盛りこまれ、ユニークさの度合いが高まっています。私の好きな版であることは断っておきます。

 第六版では、「役所」の用例は「お役所ことば」に改め、あわせて「お役所仕事」への参照の印をつけておきました。必ずしもこれで辞書のユニークさが弱まったとは言えないでしょう。私個人としては、役所に対していろいろ言いたいことがありますが、辞書を編集するに際しては、個人の不満・憤懣を表すのは控えておきます。

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◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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【編集部から】
生活にぴったり寄りそう現代語辞典として定評のある『三省堂国語辞典 第六版』が発売され、「【サンコク】メディアでの紹介」の記事にある通り、各方面で取り上げていただいております。その魅力をもっとお伝えしたい、そういう思いから、編集委員の飯間先生に「『三省堂国語辞典』のすすめ」というテーマで書いていただいております。

『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて(13)

2009年 10月 27日 火曜日 筆者: 赤間 恵都子

(13) 中宮としての資質

 ふたたび正暦5年の清涼殿に戻りましょう。天皇同席の上御局で中宮定子は女房たちに教養試験を行い、清少納言は定子の期待に応えました。その時定子は、女房たちがそれぞれ課題に答えたことを評価した後で、清少納言の正答をフォローする逸話を語ります。

 定子が語った逸話は、関白道隆がまだ三位中将だったころ、円融天皇から殿上人たちに突然、詠歌が要求され、道隆が見事に答えたというものでした。道隆の答えは古歌の一句を改変したもので、清少納言と同じ答え方です。定子は清少納言を直接褒めるのではなく、具体的な先例を掲げて正答を全員に周知させる方法をとったのでした。そこに描かれているのは、多くの才女たちを束ねるサロン主人としての定子の姿です。

 でも、それだけではありません。逸話の主人公である道隆は定子の父で、円融天皇は一条天皇の父になりますから、この逸話は、先代の洗練された文化を一条朝が藤原氏と共に直接受け継いでいることを語っています。ここには関白の娘として中宮になった自らの立場をわきまえ、後宮の中心となって一条朝を盛り上げようとする定子の姿が描き出されているのです。
 
 次に定子は、女房たちにもう一つ別の課題を与えます。それは、『古今集』の歌の暗誦テストでした。これには清少納言もお手上げで、今度は誰も定子の期待に応えられませんでした。その様子を見た定子は再び逸話を語り出します。それは、村上天皇女御であった左大臣師尹(もろまさ)の娘芳子の話でした。当時の貴族女性に必要な教養の例としてよく引用される話です。

 藤原師尹は子女の教育として、平生から娘に三つのことを課していました。それは書道と琴の練習、そして『古今集』の全巻を暗記することでした。その話を伝え聞いていた村上天皇は、ある日突然、『古今集』の本を持って芳子の局を訪れ、隔てを置いて和歌の暗誦テストを始めます。芳子がスムーズに答えていくので、天皇は疲れ、途中で一旦休憩しますが、結局、一晩中かかって全巻をテストし終わり、一つも間違いを指摘することができなかったという話です。
 
 定子の二番目の課題は、この話を念頭において出されたものだったのでしょう。話を聞き終えた一条天皇は、自分が村上天皇だったら、『古今集』全巻のテストなんてとても出来ないと、天皇の立場に立った感想を述べます。女房たち一同は、「昔は誰もが風流だったのですね。近頃はこんな話を聞くものですか」などと言い、感心し合います。この時、定子はまさに清涼殿の中心で皇室文化をリードしている堂々たる中宮でした。

 ところで、二番目の逸話のヒロイン芳子は、少し垂れ目の可愛い顔立ちと豊かな黒髪を持つ美女でした。そのため、村上天皇が非常に寵愛し、正妃であった右大臣師輔(もろすけ)の娘安子が激しく嫉妬したという話が『大鏡』に載ります。ある日、清涼殿の上御局で芳子の隣室に居合わせた安子は、壁に穴を開けてライバルの美貌を目撃し、くやしくなって食器のかけらをその穴から投げつけたと記されています。これがそのまま事実だとは思えませんが、女御の容色と教養が天皇の気持ちを惹きつけた例でしょう。定子はこの芳子を上回る后としての資質を持ち、一条天皇を魅了していたと思われます。

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【著者プロフィール】

赤間 恵都子(あかま・えつこ)
十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「枕草子研究の動向と展望―年時考証研究の視座から―」(『十文字学園女子短期大学研究紀要』2003年12月)、「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)など。

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【編集部から】

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。(隔週掲載)

ドイツのゆで卵

2009年 10月 26日 月曜日 筆者: 石井 正人

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(68)

エッグスタンド Eierbecher に立てたゆで卵を、そのままタマゴ用スプーンで上手に食べるのにはなかなか熟練が必要である。最初の段階で、どうやって殻の上部に口を開けるか、である。

通例は、スプーンの背で卵の頭を軽く叩いて、適当な範囲にひびを入れ、手で小さくむしり取る。確実だが、口の周りがギザギザになることは避けられない。それに、手を使うのもはばかられる。

そこへいくとドイツ人はみな、ナイフで上手にスパッと卵の殻の上部を薄く切り取る。まねをして何度かやってみると、思い切りさえ良ければ、何かの剣法のように不可能な技術でもないことが分かる。どうしても端に小さなギザギザが出来てしまうが。これはドイツ人でも全員なんなくやってのけられることではないらしく、ゆで卵用はさみ、というものを妻がドイツで見かけたことがあるそうだ。それ以後見かけないので、あの時買っておけば良かったと、しきりに悔やんでいる。

ある日本人は、その薄く切り取った卵の殻を、ドイツ人がそのまま惜しげもなく捨ててしまうのを見て驚いていた。だって、その卵の殻の裏には、薄く切られた白味が付いたままなのに、あの倹約家のドイツ人がそれを食べようとしないなんて!

ゆで卵といえば、ドイツで最も驚かされたことの一つが、卵のゆで方の違いだった。日本でゆで卵を作るには、卵は水からいれる。お湯から入れると、殻の内部にある空気が膨張し、殻が破裂してしまうからだ。ところがドイツではこの禁を犯す。それでも失敗しないのは、お湯に卵を入れる前に、何と針で殻に小さな穴を空けるのだ。尖っていない方の端に針を刺すのがコツで、通例空気はそちらの側にある。

こわごわドイツ人のまねをしてやってみると、なるほど普通の針で卵の殻に穴が空けられるものだし、それでといって卵全体が割れもせず、白味が流れ出もせず、お湯に入れると、プクプクとその小さな針穴から空気が出てきて、それで終わりである。6分で半熟、8分で固ゆでができるが、このゆで方で優れているのは、初めから殻に割れ目があって、殻と白味の間に水が入っているから、殻がむきやすく、失敗することがないのだ。是非お試し下さい。うちではもうゆで卵用の針が台所に常備してあるくらいである。卵に針で穴を簡単に空ける器具というものも売っている。これはまだ手にはいるし、日本でも見かける。


【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

日本語社会 のぞきキャラくり 第62回 キャラクタの「格」4類(中)

2009年 10月 25日 日曜日 筆者: 定延 利之

キャラクタの「格」4類(中)

 ことばを発するキャラクタの格はとりあえず4類に大別できるとして、まず『特上』を紹介し、次に『目上』と『目下』について述べ始めたところで前回は紙面が尽きた。『目上』と『目下』についてさらに説明を加えてみよう。

 『目上』と『目下』はお互いを要求する。『目上』は『目下』あっての『目上』であり、『目下』は『目上』があってこその『目下』である。

 えらいセンセイどうしのケンカというのは、酒場でも、そして論文上でも、主張が対立してというよりは、「オレは『目上』だ。おまえ『目下』になれ」「何を言う。『目上』はオレだ。おまえこそ『目下』になれ」という、『目上』のキャラの奪い合い、『目下』のキャラの押し付け合いということが、実は多かったりする。えらいセンセイ2人が出ていらっしゃる会議で、最後あたりにAセンセイが総括的なコメントをされるとBセンセイがそれに続いてまた総括され、負けじとAセンセイが総括され、さらにBセンセイが総括して会議が終わらないというのも「会議を締めるのはオレ」という、『目上』のキャラの取り合いである。(あー、言っちゃったよ。でも、すーっとした。) 自分もふだんは『姉御』キャラで通しているけど、この相手は手練れの『姉御』キャラでなかなか手強そうだから、ここはかわいい『妹』キャラで相手を立ててやるかという女の子の方が(第8回)、身のこなしが柔軟でしたたか、理性的とさえ言えるかもしれない。

 逆に、宴会で上座を譲り合うのは『目下』の奪い合い、『目上』の押し付け合いである。『目上』がいつも皆に人気があるわけではない。何かあれば責任をとらされ、何もなくても「傲慢だ」「えらそうだ」と叩かれがちな『目上』より、大人しくかしこまっている『目下』の方が気楽でいいと、しばしば人気が集中する。

 このように『目上』と『目下』はお互いを要求する関係にはあるが、ことばの上では、両者はそう対照的ではない。というのは、『目上』のキャラは「スタイルを選択できる」という大きな特徴を持っているからである。

 『目上』だからといって、いつもぞんざいなスタイルでしゃべるとはかぎらない。『目上』のキャラは、ぞんざいなスタイルでもしゃべれるが、丁寧なスタイルでもしゃべれる。

 たとえば、『目下』から「お願いできますでしょうか」と言われたら、『目上』の『男』は「おお、わかった」などとぞんざいなスタイルで返事できる。『目上』の『女』は「おお」「ああ」は言いにくいが、「うん、わかった」なら『男』『女』を問わずいける。だが、それだけでない。『男』であれ『女』であれ、『目上』は『目下』に「はい、わかりました」と丁寧なスタイルでも返事できる。

 念のために言っておくと、『目上』の丁寧なスタイルのことばは、『目下』のことばと同じではなく、微妙にズレている。たとえば、『目上』はいくら丁寧なスタイルでも「はっ、わかりました」とは返事できない。「はっ」は『目下』のことばだが、『目上』の丁寧なことばではない。

 このようにスタイルが選択できる自由な『目上』とは違って、『目下』のキャラはもっぱら丁寧なスタイルでしゃべり、ぞんざいなスタイルではしゃべれない。

 といっても、現実社会の下位者が上位者に対していつも丁寧にしゃべる、というわけではもちろんない。話し手のキャラクタと社会的地位は別物である。現実世界の上位者に対して下位者がぞんざいなスタイルでしゃべる、つまり生意気なタメ口をきくことはめずらしくないが、その時、下位者は『目下』のキャラではしゃべっていない。

 では、この時、下位者は上位者を見下して『目上』キャラでしゃべっているのか? まさかそんなことはない。それなら『中』キャラか? いや、そんなものはない。

 ま、ごゆるりとお話ししましょう。

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◇この連載の中国語版と英語版
  中国語版⇒角色大世界――日本
  英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters

【筆者プロフィール】

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

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【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。

地域語の経済と社会 第71回

2009年 10月 24日 土曜日 筆者: 田中 宣廣

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第71回「『天地人』は米沢に」

おしょうしな-1
【写真1】おしょうしな-1
(クリックで他のも表示)
おしょうしな-2
【写真2】おしょうしな-2
(クリックで他のも表示)
「そんぴん」焼酎
【写真3】「そんぴん」焼酎
(クリックでラーメンも表示)

 今年のNHK大河ドラマ『天地人』の主人公・直江兼続が仕えた上杉家は,2度の領地替えで,現在の山形県米沢に移りました。直江の有名な「愛」の兜の甲冑も米沢市の上杉神社内に保存されています。

 今回は,その米沢での方言の商業的利用の,代表的なものを少し紹介します。

[1]「おしょうしな」。「ありがとうございます」の意で,商店の方言メッセージなど,米沢の街の中に多く使われています【写真1】【写真2】。

 語源は「お・笑止・な」です。相手に素晴らしいことをしていただき,「恐縮で笑いなど出ない」という意識からでしょう。「お」は丁寧の接頭辞,「な」は終助詞です。

 「笑止」は,一つの語源からいろいろな意味になった例です。新潟や東北では「恥ずかしい」の意で使用され,「ショーシー」「ショシー」「オショシー」「ソースー」その他の語形があります。米沢でもこの意味で「ショーシー」と言います。

 江戸時代の京都方言で「ショーシ」は,「気の毒な」「かわいそう」の意味でした。

上:伝國の「あがやえ」/下:「べこや」新ロゴ
【写真4】上:伝國の「あがやえ」/
下:「べこや」新ロゴ
(クリックで「べこや」旧ロゴも表示)

[2]「そんぴん」。語源は「損貧」で,損をしても貧しくなっても自分の意志を変えない「頑固」の意です。上杉武士の気質を表す語です。焼酎やラーメンに使われています【写真3】。ラーメンでは,米沢は内陸部で海から遠いのに,海産物をトッピングし,「頑固」転じて『へそ曲がり』ということです。

[3]『米沢牛』(高級ブランド牛として有名)のお店2軒【写真4】。

[3-1]「あがやえ」。上杉神社前の焼肉店「伝國」のメッセージで,「召し上がれ」の意です。店名は,第9代藩主上杉鷹山の『伝國の辞』(3ヵ条の藩主心得)が元です。

[3-2]「べこや」。米沢駅前の焼肉店の店名。「べこ」は牛のことで,方言ネーミングの店名です。今年,お店はリニューアルし,ロゴも変わりました。

あいべ
【写真5】あいべ
(クリックでメッセージも表示)
方言のれん
【写真6】方言のれん
(クリックで方言番付も表示)

[4]「あいべ」。施設名の方言ネーミングです。「あいべ」【写真5】は,「(いっしょに)行こう」の意で,名まえ自体が誘いのことばになっています。東北の他地方では,似た語形・意味で「あべ」などと言います。この施設には,「負けてはならぬ……気合いだべ」「よってってくだい」の方言メッセージもあります。

[5]方言みやげ他。米沢方言の,方言のれん,方言手ぬぐいがあります。米沢駅には,方言番付がありました。【写真6】

《謝辞》米沢観光物産協会におかれましては,「おしょうしなガイド」の取材に関して特別のご厚誼を賜りました。ここに記しまして感謝の意を表します。

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』田中宣廣(たなか・のぶひろ)
 岩手県立大学 宮古短期大学部 准教授。博士(文学)。日本語の,アクセント構造の研究を中心に,地域の自然言語の実態を捉え,その構造や使用者の意識,また,形成過程について考察している。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東北大学大学院文学研究科博士課程修了。著書『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』(おうふう),『近代日本方言資料[郡誌編]』全8巻(共編著,港の人)など。2006年,『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』により,第34回金田一京助博士記念賞受賞。『Marquis Who’s Who in the World』(マークイズ世界著名人名鑑)掲載。

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【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載。

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この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

中学1年生×コンサイスアルバムディクショナリー

2009年 10月 23日 金曜日 筆者: ogm

 「コンサイスアルバムディクショナリー」の展示がおこなわれるとの情報を得て、先月、東京は新宿区にある私立海城学園の文化祭をおとずれました。

 展示がある教室をのぞくと、素敵な油絵や、社会科、数学科での取り組みの発表、野外での飯ごう炊さんや海での遠泳の写真、力を入れていると聞くPA(プロジェクトアドベンチャー)のビデオなど、春に入学したばかりの中学1年生のものとは思えないたくさんの結晶がそこに。

 そして、さらに大きな結晶にちがいない、なんと286人分の『コンサイスアルバムディクショナリー しろ版』

 圧巻でした。学年全員の「しろ版」が机のうえに置かれ、そのなかから生徒さん本人が選んだベスト1が、各クラス色とりどりの模造紙に貼られていました。その一つひとつを手にとってページをめくると、まだ会ったこともないはずなのに、生徒さん本人のキャラクターが思い浮かぶようです。夏休みの国語科の宿題の一つとして一人一冊を取り組んだとのこと。文化祭の来場者のかたも皆さんくぎづけになっている様子でした。

 展示の横には貼り紙があり、そこには国語科の中村陽一先生により、このユニークな“夏休みの宿題”に至った経緯が説明されていました。

 今年度の国語の授業は「言葉とコミュニケーション」ということを大きなテーマとして展開しています。その流れの中で、一学期の授業では「言葉のはたらき」について体験的に考えるために、「写真に言葉をつける」という活動を行いました。
 右の写真(①(*))をご覧ください。たとえばこの写真に「感謝」という言葉をつけた場合と「謝罪」という言葉をつけた場合では、そこで交わされているであろう会話、二人の関係性は、まったく違うものになります。またたとえば「慇懃無礼」とでもつけた場合には、左側の男は右側の男に心から頭を下げておらず、心の内では右側の男を見下しているような物語が立ち上がってきたりします。

(*)〔編集部注〕スーツを着た男性二人。一人はもう一人に向かって頭を下げている。

 この下には授業のねらいも書かれているのですが、まずはどのような活動だったか、中村先生にさらに詳しくうかがってみました。

――まず、1枚の写真を例に話した後で、別の5枚の写真について、生徒一人ひとりが思い浮かべたことばをつけるという作業をしました。その後、グループで自分のつけたことばを発表し合い、互いがどうとらえたかを共有する時間をもちました。

 そのとき使ったというプリントを見せていただくと、その5枚の写真について、グループのメンバーがつけたことばを記すスペースもあり、そこには「自分が選んだ言葉とは全く異なるような捉え方をしているもの」を書くようになっていました。これはなぜでしょう。

――同じ写真でも、つけられたことばによって異なる解釈が生まれてくることを、提示した例でなんとなく感じるだけでなく、身近なクラスメートとのやりとりのなかで知ることで、“ことばがものごとの解釈を決定する”“ことばが世界を決定する”というようなことを体験的に理解することがねらいでした。

 授業のねらいとして説明なさっていることは、そこにつながるということですね。そして、授業ではまず写真にことばをつけ、夏休みの宿題ではことばに写真をつけたと。

――夏休みの宿題は、お話ししたような授業の一環として出題したものです。写真にことばをつける活動も生徒にとって貴重な体験となったようですが、授業での活動とは反対に、あらかじめ与えられたことばに対して写真をあてはめる作業もまた、「ことば」との新たな出会いになったようです。

 右上の写真は、展示の一部を撮影させていただいたものです。右の列の3枚は「きらきら」ということばに夜景、虹、家族とそれぞれの写真が合わせられています。このように、同じ年齢、同じクラスにいる生徒さんどうしでも、それぞれの合わせるものが全然違います。生徒さんの写真とことばの合わせかたはとても新鮮であり、また思わずうなってしまうようなものもありました。22ページ×286冊のほんの一部ですが、ここに少しご紹介いたします。

 

 ぜひこの作品を世の中の皆さまにもお見せしたいと思いながら、後ろ髪ひかれる思いで会場を後にしました。

 最後になりましたが、展示の撮影とこのページでの掲載をご了承くださった海城学園の皆さま、ありがとうございました。生徒さんだけでなく先生方も、ぜひ今後「くろ版」や「一期一会」にもご挑戦くださいませ。

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「コンサイスアルバムディクショナリー」のご案内

◎一般の方からの投稿作品を集めたウェブギャラリーもどうぞご覧ください。
 ⇒「コンサイスアルバムディクショナリー ウェブギャラリー」

◎海城学園の生徒さんたちが取り組んだのは……

『新明解国語辞典編 しろ版』
三省堂編修所 編 1,260(1,200)円 四六変型判 48頁
ISBN 978-4-385-36407-0
〈うっとり〉〈きらきら〉〈情熱〉〈ロマン〉など美しいことば、夢のあることばを『新明解国語辞典』から22項目。見本はこちら⇒見本+写真付きサンプル

◎「コンサイスアルバムディクショナリー」は、「しろ版」のほか、ブラックなことばを集めた『新明解国語辞典編 くろ版』、ちょっと難しい『四字熟語辞典辞典編 一期一会』、親子で楽しめる『年中行事辞典編 いちねん』があります。

明解PISA大事典:フィンランドの教育 誕生~高校卒業まで

2009年 10月 23日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第21回 フィンランド紀行1

 先日、フィンランドに立ち寄り、久しぶりにその教育現場に出る機会があった。そのついでというのも妙ではあるが、今後3回くらいにわたってフィンランド教育について論じることにしたい。今回はフィンランドの子どもが誕生してから高校を卒業するまでの流れについて、基本的な情報を共有することにしよう。

 フィンランド人は誕生時に母語を決定する。フィンランドにはフィンランド語とスウェーデン語という二つの公用語があり、どちらを母語にするかを決定するのである。もちろん生まれたばかりの本人が決めることはできないから、両親が決定することになる。そして、たとえばフィンランド語を母語にすると決定したら、幼稚園から高校まではフィンランド語で教育を受けることになる。大学教育には原則として母語による区別はないが、一校だけスウェーデン語で教育を行う大学が存在する。

 フィンランド語とスウェーデン語というと似たような言語だと思うかもしれないが、実際には日本語と英語と同じくらいに違う。フィンランドの子どもたちは7年生の時に、もう一方の公用語を「必修外国語」として学ぶのである。

 就学年齢は7歳。義務教育は9年間で、かつては小学校と中学校に分かれていたのだが、現在では一貫教育ということになっている。ただ、現在でも一部の新設校を除いては、小学校と中学校は校舎が別なので、実態としては昔とあまり変わらない。カリキュラムも9年一貫になったのだが、現時点ではまだ教科書も小学校用と中学校用が別シリーズのままで、これまた昔とあまり変わらない。9年一貫教育への移行期ということなのだろう。

 フィンランドでは、少なくとも初等教育段階では塾も参考書も存在しない。そのため、もっと勉強したい子どもにとっても、落ちこぼれそうな子どもにとっても、学校の供給する補修授業や補充教材が重要になる。フィンランドの保護者にとって学校の補習授業は、日本の保護者にとっての塾のようなものなので、堂々と「ウチの子に補習を受けさせてくれ」と要求する。違うのは、日本の塾は有料だが、フィンランドの補習授業は無料だということ。フィンランドでは小学校から大学に至るまで教育は無料なのである。

 教育が無料というと良いことのような気がするが、良いことばかりでもない。補習授業にせよ補充教材にせよ、学校の予算を超えて供給することはできないからだ。このところフィンランド経済は悪化の一途をたどっており、物価が上がり続ける一方で、教育予算は減り続ける一方である。教育のみならず、なんでもかんでも無料の怖いところは、経済の悪化が質の低下に直結しているところだ。

 義務教育を修了すると、高校か職業学校に進むことになる。高校に進学するといっても、ほとんどの高校に入学試験はない。義務教育段階における全教科(体育や芸術科目は除く)の平均成績の高低により、そもそも高校に進学できるのかどうか、進学できるとしたらどのレベルの高校に進学できるのかが決まるのである。このシステムは、コツコツ真面目に勉強するタイプには向いているが、一夜漬けで一発逆転を狙うタイプには向いていない。フィンランドでは俗に「女子向きのシステム」と呼ばれている。

 高校は単位制をとっており、2年以上4年以内に全単位を取得する必要がある。まるで日本の大学のようなシステムだが、これはフィンランドにおける「高校」の位置づけが、日本における大学の教養課程と同じであることによるものだ。そのため、義務教育で習うことのレベルと、高校で習うことのレベルのギャップが激しい。近年、フィンランドでは高校進学率が上昇しているが、それと同時に落ちこぼれる高校生の数も急増している。全単位を取得したら卒業資格認定試験を受けなければならないのだが、その合格率もまた下降傾向にある。これは教育当局にとっては頭の痛い問題のようで、今回お会いした教育当局者の中には「現在の高校進学率は高すぎる。地域によっては70~80%も高校に進んでいるが、どこであろうと50%くらいが適性値だろう」と言う人もいた。国民の高学歴化が必ずしも好ましくないというのだから、なかなかに興味深い発言である。

 高校や職業学校を修了すると、男子の多くは兵役につく(女子は志願制)。期間は半年間。60歳までに兵役の義務を果たせばよいのだが、大変に厳しい訓練なので早々に済ませたほうが得策なのである。高校まで伸び伸びとした教育を受けてきたフィンランドの子どもたちが、いきなり頭ごなしの教育を受けることになるので、なかなか強烈な通過儀礼といえよう。ただ、これもまたフィンランドの「教育」の一面なのである。

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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。

人名用漢字の新字旧字:「島」と「㠀」

2009年 10月 22日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第45回 「島」と「

045shima-old.png旧字の「」は子供の名づけに使えませんが、灬を省いた新字の「島」は子供の名づけに使えます。つまり、新字の「島」は出生届に書いてOKですが、旧字の「」はダメ。でも、旧字の「」は、「嶋」に形を変えて、人名用漢字に影響を及ぼしているのです。

昭和21年11月16日に内閣告示された当用漢字表には、新字の「島」が収録されていて、旧字の「」はどこにも含まれていませんでした。昭和23年1月1日に施行された戸籍法施行規則は、子供の名づけに使える漢字を当用漢字表1850字に制限しました。この結果、新字の「島」は子供の名づけに使えますが、旧字の「」は子供の名づけに使えなくなってしまったのです。その後、常用漢字表の時代になって、新字の「島」は常用漢字になりましたが、旧字の「」は人名用漢字になれませんでした。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、常用漢字や人名用漢字の異体字であっても、「常用平易」な漢字であれば人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。

追加候補選定基準 漢字出現頻度数調査
200回以上 50~199回 1~49回
不受理の法務局数 11以上 JIS第1~3水準 JIS第1・2水準 JIS第1・2水準
8~10 JIS第1~3水準 JIS第1・2水準 JIS第1水準
6~7 JIS第1~3水準 JIS第1水準 JIS第1水準
0~5 JIS第1・3水準 - -

旧字の「」は、JIS X 0213の第4水準漢字だったため、審議の対象になりませんでした。これに対し、山を左に移した「嶋」は、JIS X 0213の第1水準漢字で、漢字出現頻度数調査の結果が1479回だったため、出生届の不受理が全く報告されていなかったにもかかわらず、人名用漢字の追加候補になりました。一方、山を上に移した「嶌」は、JIS X 0213の第2水準漢字で、出現頻度が13回で、出生届の不受理がなかったため、追加候補になれませんでした。

平成16年8月25日、人名用漢字部会は、人名用漢字の追加候補488字を選定し、法制審議会に報告しました。この488字の中に、旧字の「」は含まれていませんでしたが、「嶋」が含まれていました。報告を受けた法制審議会は、平成16年9月8日の総会で、追加候補488字をそのまま法務大臣への答申としました。そして平成16年9月27日、戸籍法施行規則が改正され、これら488字は全て人名用漢字に追加されました。この結果、現在では、「嶋」と新字の「島」は出生届に書いてOKで、「嶌」と旧字の「」はダメなのです。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。

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