人名用漢字の新字旧字

第44回 「亜」と「亞」

筆者:
2009年10月8日

新字の「亜」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「亞」は人名用漢字なので、子供の名づけに使えます。つまり、「亜」も「亞」も出生届に書いてOK。でも、「亜」と「亞」の間には、微妙なせめぎあいの歴史があったのです。

漢字制限に関する審議をおこなっていた国語審議会は、昭和17年6月17日、文部大臣に標準漢字表を答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、 2528字が収録されていました。この2528字の中に、旧字の「亞」が含まれていました。しかし、新字の「亜」は、標準漢字表には含まれていませんでした。

ところが、昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字には、「亞」も「亜」も収録されていませんでした。これに対し、文部省教科書局国語課は8月2日、常用漢字に関する主査委員会において、新字の「亜」の収録を提案しました。しかし、主査委員会は8月27日の会議でこれを否決し、代わりに旧字の「亞」の収録を決定しました。また、10月1日に主査委員会は、表の名称を、常用漢字表から当用漢字表へと変更しました。この結果、昭和21年11月16日に内閣告示された当用漢字表1850字には、旧字の「亞」が収録されていて、新字の「亜」はどこにもありませんでした。ただし、当用漢字表のまえがきには「字体と音訓の整理については、調査中である」と書かれていました。

字体の整理をおこなうべく、文部省教科書局国語課は昭和22年7月15日、活字字体整理に関する協議会を発足させました。教科書に用いる活字字体を整理すると同時に、一般社会で用いられる活字字体をも整理しようともくろんだのです。活字字体整理に関する協議会は、昭和22年10月10日に活字字体整理案を国語審議会に報告しました。活字字体整理案では、「亞」を「亜」に整理することが、再び提案されていました。

活字字体整理案を受け、国語審議会では、「亞」を「亜」に整理する方向で議論が進みました。この間、昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、旧字の「亞」が収録されていたので、「亞」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。一方、国語審議会は昭和23年6月1日、当用漢字字体表を答申します。当用漢字字体表では、旧字の「亞」の代わりに新字の「亜」が収録されていました。昭和24年4月28日に当用漢字字体表が内閣告示された結果、新字の「亜」が当用漢字となり、旧字の「亞」は当用漢字ではなくなってしまいました。

当用漢字表にある旧字の「亞」と、当用漢字字体表にある新字の「亜」と、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、「亞」も「亜」もどちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。その後、常用漢字表の時代になって、新字の「亜」は常用漢字になりましたが、一方、旧字の「亞」はそれまで子の名に使えてきた経緯を踏まえて、人名用漢字となりました。この結果、現在に至っても、新字の「亜」と旧字の「亞」の両方が、子供の名づけに使えるのです。

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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