『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて

(13) 中宮としての資質

2009年10月27日

ふたたび正暦5年の清涼殿に戻りましょう。天皇同席の上御局で中宮定子は女房たちに教養試験を行い、清少納言は定子の期待に応えました。その時定子は、女房たちがそれぞれ課題に答えたことを評価した後で、清少納言の正答をフォローする逸話を語ります。

定子が語った逸話は、関白道隆がまだ三位中将だったころ、円融天皇から殿上人たちに突然、詠歌が要求され、道隆が見事に答えたというものでした。道隆の答えは古歌の一句を改変したもので、清少納言と同じ答え方です。定子は清少納言を直接褒めるのではなく、具体的な先例を掲げて正答を全員に周知させる方法をとったのでした。そこに描かれているのは、多くの才女たちを束ねるサロン主人としての定子の姿です。

でも、それだけではありません。逸話の主人公である道隆は定子の父で、円融天皇は一条天皇の父になりますから、この逸話は、先代の洗練された文化を一条朝が藤原氏と共に直接受け継いでいることを語っています。ここには関白の娘として中宮になった自らの立場をわきまえ、後宮の中心となって一条朝を盛り上げようとする定子の姿が描き出されているのです。

次に定子は、女房たちにもう一つ別の課題を与えます。それは、『古今集』の歌の暗誦テストでした。これには清少納言もお手上げで、今度は誰も定子の期待に応えられませんでした。その様子を見た定子は再び逸話を語り出します。それは、村上天皇女御であった左大臣師尹(もろまさ)の娘芳子の話でした。当時の貴族女性に必要な教養の例としてよく引用される話です。

藤原師尹は子女の教育として、平生から娘に三つのことを課していました。それは書道と琴の練習、そして『古今集』の全巻を暗記することでした。その話を伝え聞いていた村上天皇は、ある日突然、『古今集』の本を持って芳子の局を訪れ、隔てを置いて和歌の暗誦テストを始めます。芳子がスムーズに答えていくので、天皇は疲れ、途中で一旦休憩しますが、結局、一晩中かかって全巻をテストし終わり、一つも間違いを指摘することができなかったという話です。

定子の二番目の課題は、この話を念頭において出されたものだったのでしょう。話を聞き終えた一条天皇は、自分が村上天皇だったら、『古今集』全巻のテストなんてとても出来ないと、天皇の立場に立った感想を述べます。女房たち一同は、「昔は誰もが風流だったのですね。近頃はこんな話を聞くものですか」などと言い、感心し合います。この時、定子はまさに清涼殿の中心で皇室文化をリードしている堂々たる中宮でした。

ところで、二番目の逸話のヒロイン芳子は、少し垂れ目の可愛い顔立ちと豊かな黒髪を持つ美女でした。そのため、村上天皇が非常に寵愛し、正妃であった右大臣師輔(もろすけ)の娘安子が激しく嫉妬したという話が『大鏡』に載ります。ある日、清涼殿の上御局で芳子の隣室に居合わせた安子は、壁に穴を開けてライバルの美貌を目撃し、くやしくなって食器のかけらをその穴から投げつけたと記されています。これがそのまま事実だとは思えませんが、女御の容色と教養が天皇の気持ちを惹きつけた例でしょう。定子はこの芳子を上回る后としての資質を持ち、一条天皇を魅了していたと思われます。

筆者プロフィール

赤間恵都子 ( あかま・えつこ)

十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「枕草子研究の動向と展望―年時考証研究の視座から―」(『十文字学園女子短期大学研究紀要』2003年12月)、「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)など。

『枕草子 日記的章段の研究』

編集部から

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。

著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。