明解PISA大事典

第22回 フィンランドの大学と教員養成、就職 フィンランド紀行2

筆者:
2009年10月30日

前回はフィンランド教育に関して誕生から高校卒業までを紹介したので、今回は大学以降のことを紹介するのがスジというものだろう。

ただ、大学のことを紹介する前に、まずフィンランドが徹底した資格重視の社会であることに触れておかなければならない。どのような職業に就くにせよ、資格の有無がポイントになる。職業資格は職業学校修了時の職業資格認定試験によって得ることができるが、職業資格には様々なレベルがあり、就職後も成人学校などに通って資格のレベルアップを目指すのである。そして、ここが重要な点なのだが、フィンランド社会においては、高卒にせよ大卒にせよ、学歴も一種の「職業資格」と考えられている。つまり、“高卒の学歴を必要とする仕事に就くための資格”“大卒の学歴を必要とする仕事に就くための資格”ということだ。この考えかたが徹底しているため、学歴の高低が人生を左右するというような発想はあまりなく、「とりあえず高校だけは行っておいたほうが……」というような発想はほとんどない。なにかやりたい仕事があったら、高校に行くよりも職業学校に行って、さっさと職業資格を取得したほうが社会的に有利だからだ。

さて、フィンランドの大学である。まず覚えておいたほうがよいのは、フィンランドの大学では修士号が基礎学位であるということ。私が20年くらい前にヘルシンキ大学歴史言語学部に留学した頃は、そもそも「学士号」という学位自体がなかった(学部によってはあったらしいけれど)。私は早稲田大学法学部を卒業していたのだが、ヘルシンキ大学の事務の人に「あなたはフィンランドでは大学を卒業したことにはなりませんね~」と言われたものだ。要するに、フィンランド社会においては「大卒=修士号取得者」なのである。ただ、1995年にフィンランドがEUに加盟したとき、EU域内の他国の大学と単位交換をする関係上、フィンランドの大学においても学士号の取得“も”義務付けられるようになった。もともと修士号しかなかったところに、あとから学士号が加わった格好だ。だが、フィンランド社会における「大卒=修士号取得者」という図式は、いま現在も変わらない。

「フィンランドの教師はみんな修士号を持っている」と御大層なことのように宣伝する方々がいるが、この図式を知っていればなんということはない。単に教師に「大卒資格」を求めているだけなのである。フィンランド社会において「大卒資格」を必要とする仕事の種類は、だいたい日本社会と似たりよったり。つまり、教師に特に高い学位を求めているということではないのである。

ちなみに“「フィンランドの教師はみんな修士号を持っている」と御大層なことのように宣伝している方々”の筆頭はフィンランド教育省である。ただ、フィンランド教育省に悪気があってのことではない。そのように宣伝する背景には、1960年代までのフィンランドでは小学校の教師には「大卒資格」を求めていなかったことがある。当時は高校を卒業して一定のコースを履修すれば小学校の教師になれたのだ。だが、1960年代後半以降の教育改革の一環として、小学校の教師にも「大卒資格」を求めるようになった。そのような背景があるために、フィンランド教育省は「(現在は)フィンランドの教師はみんな修士号(つまり大卒資格)を持っている」と誇りをもって言うのである。

フィンランドが資格重視の社会であるために、大学卒業後の就職は意外に厳しい。専門性の高い有資格者の数と、専門性を要する雇用の数が必ずしも釣り合わないからだ。昨今の経済状況の悪化も加わり、「大学卒業者の3分の1以上が卒業後半年経っても無業者のまま」という報道もあった。資格重視の社会だから、「どんな仕事でも構わない」という発想が生まれにくいということもある。高福祉国家だから、「食うために働かなければ」という発想が生まれにくいということもある。日本から見るとうらやましいような感じもするが、やはり仕事をしないと生きがいもないようで、本人たちにとっては由々しき事態として受け止められているようである。

筆者プロフィール

北川 達夫 ( きたがわ・たつお)

教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

編集部から

学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」金曜日に掲載しています。