明解PISA大事典

第25回 フィンランドの社会と教育事情 フィンランド紀行5

筆者:
2009年11月27日

このところ「フィンランド紀行」と銘打ちつつ、実際にはフィンランド教育の概要について紹介してばかりいたので、今回は今次の訪問によって明らかになったことについて紹介することにしたい。

最も目についたのは「少子化」の影響である。フィンランド社会も、他の先進国と同様に少子化に悩まされている。フィンランドの学校では児童・生徒数に応じて予算が比例配分されるため、児童・生徒数の減少は学校経営を直截的に悪化させる。それでも国や自治体の財政状況が豊かならば大した問題にはならないのだが、フィンランド経済は昨年のリーマン・ショックからまだ立ち直れていないようで、現在でも毎週のように大企業が大規模リストラの実施を発表している。国や自治体の財政状況の悪化により教育予算が減らされる一方で、現時点では物価は上昇傾向にあるため、どこの基礎学校の台所事情もまさに火の車であった。あちこちの学校の校長先生が「実際にかかるお金は児童・生徒の数が多かろうが少なかろうが大して変わらない。それなのに児童・生徒数に応じて予算を比例配分するとはひどい制度だ」と嘆く姿は哀れであった。

学校選択の可能な都市部の学校では状況はより深刻である。各校が特色を出すことによって児童・生徒を集めようとするのだが、前回も紹介したように「児童・生徒の能力適性に応じた自己実現が重視されているため、高校や大学に進学することが『望ましいコース』とはあまり考えられていない」ので、進学率の高さを売り物にすることはできない。そういうことは保護者の間で噂にすらならない。外国語の授業時数の多さや、自由選択科目の選択肢の多さを売り物にしたり、芸術科目に特に力を入れていることを売り物にしたりするのがやっとのところ。それで児童・生徒を集めることに成功したとしても、少子化がどんどん進んでいるため、児童・生徒数の減少を食い止めるのがやっとのところ。そこそこの人気校の校長先生が「わが校の児童・生徒数はこの10年で2割しか減っていない」と自慢する姿は哀れであった。

児童・生徒数が大幅に減ってしまった学校では、学校予算も大幅に減額され、最低限の施設管理すらままならない。ある学校では通風の悪さによる結露に悩まされているのだが(1)、児童・生徒数の少なさを理由に何年たっても補修の予算をつけてくれないことに困っていた。また、ある学校では男子トイレが壊れたのだが(2)、児童・生徒数の少なさを理由に修理の予算をつけてくれないため、ここ半年にわたって男子トイレが使えないままであるという。そこの校長が地域の教育委員に向かって「学校の基本はトイレである」と力説する姿は哀れであった。

もうひとつ。第21回でフィンランドの教育は「女子向きのシステム」と呼ばれていると書いたが、このことから男子に対する「ひいき」が問題になっているようである。同じ「でき」ならば、男子に高い評価点を与えるというのである。フィンランドでは4~10の7段階で成績評価するが、同じ「でき」ならば女子には「7」を、男子には「8」を与えるというのである。フィンランドの学校では、すべてのペーパーテストに素点と評価点の対照表がついているため(3)、ペーパーテストでの「ひいき」はできない。だが、レポートや作文などの提出課題であれば、そもそも素点はなく、単に4~10の評価点のみをつけるため「ひいき」が可能になるのである。これについてフィンランド教育省の偉い人は「そういう気分があることは承知しているが、現実に『ひいき』はしていないはずだ」と強く否定していたが、少なくとも「気分がある」ことだけは認めていたから、それが多少は結果に反映することもあるのかもしれない。

* * *

(1) 校舎内の結露はフィンランド各地の学校が悩まされている問題である。古い校舎の場合、保温性を重視するぶん、通風が悪くなってしまうらしい。結露を防ぐには全面的な改修が必要なため、莫大な費用が必要であるうえ、半年から一年くらいは校舎が使えなくなるので、とにかく被害は甚大なのである。

(2) 生徒によって壊されたらしいが犯人は特定できず。犯人が特定されれば、その保護者が修理の費用を出さなければならない。

(3) たとえば30点満点のテストであれば、28~30点は「10」、26~28点は「9」、21~26点は「8」というように、素点と評価点の対照表が付けられている。学校で行なわれるすべてのテストの素点と評価点は公開されており、保護者は自分の子どものみならず、ほかの子どもの素点と評価点を閲覧することもできる。

筆者プロフィール

北川 達夫 ( きたがわ・たつお)

教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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