2009年 11月 のアーカイブ
人名用漢字の新字旧字:「涙」と「淚」
2009年 11月 19日 木曜日 筆者: 安岡 孝一第47回 「涙」と「淚」
旧字の「淚」は人名用漢字なので、子供の名づけに使えます。新字の「涙」は常用漢字なので、やはり子供の名づけに使えます。ただし、旧字の「淚」には、かなり複雑な歴史があるのです。
昭和17年6月17日に国語審議会が答申した標準漢字表には、旧字の「淚」が収録されていました。ただし、その字体は「さんずいに戸に犬」でした。右上が「戸」だったのです。昭和21年11月5日に国語審議会が答申した当用漢字表は、手書きのガリ版刷りでしたが、やはり旧字の「淚」が収録されていて、その字体は「さんずいに戸に犬」でした。この時点の国語審議会は、「淚」の字体を「さんずいに戸に犬」だとみなしていたのです。
当用漢字表は、翌週、昭和21年11月16日に内閣告示されました。官報に印刷された当用漢字表では、ところが、「淚」の字体が「さんずいに戶に犬」になっていました。印刷局が官報に使っていた活字では、「淚」の右上が「戸」ではなく「戶」だったのです。昭和23年1月1日の戸籍法改正で、子供の名づけに使える漢字は、この時点の当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、旧字の「淚」が収録されていましたので、旧字の「淚」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。しかし、その字体は「さんずいに戶に犬」だったのです。
昭和23年6月1日、国語審議会は当用漢字字体表を答申しました。当用漢字字体表では、旧字の「淚」に代えて、新字の「涙」が収録されていました。昭和24年4月28日に、この当用漢字字体表が内閣告示された結果、新字の「涙」が当用漢字となり、旧字の「淚」は当用漢字ではなくなってしまいました。 当用漢字表にある旧字の「淚」と、当用漢字字体表にある新字の「涙」と、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、旧字の「淚」も新字の「涙」もどちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。
昭和56年3月23日、国語審議会は常用漢字表を答申しました。常用漢字表の「涙」には、カッコ書きで旧字の「淚」が添えられており、旧字の字体は「さんずいに戶に犬」でした。これに対し民事行政審議会は、昭和56年4月22日の総会で、常用漢字1945字を子供の名づけに認めると同時に、常用漢字表のカッコ書きの旧字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字だけを、子供の名づけに認めることにしました。
ところが、昭和56年5月14日の民事行政審議会答申では、旧字の「淚」は子供の名づけに使えるものの、その字体は「さんずいに戸に犬」となっていました。民事行政審議会は、右上が「戸」の標準漢字表字体を復活させてしまったのです。昭和56年10月1日の戸籍法施行規則改正では、旧字の「淚」が人名用漢字になりましたが、その字体は「さんずいに戸に犬」でした。つまりこの時点では、常用漢字の「涙」と人名用漢字の「淚」の両方が子供の名づけに使えたのですが、字体はいずれも右上が「戸」だったのです。
平成16年9月27日、法務省は戸籍法施行規則を改正しました。この改正で、人名用漢字の「淚」の字体は、右上が「戸」から「戶」に変更されました。「さんずいに戶に犬」の字体が、23年ぶりに復活したのです。逆に言えば、右上が「戸」の「淚」は、昭和56年10月1日から平成16年9月26日の間だけ、子供の名づけに使えたということになります。現在では、新字の「涙」も旧字の「淚」も出生届に書いてOKですが、字体はそれぞれ「さんずいに戸に大」と「さんずいに戶に犬」なのです。
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【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。
『三省堂国語辞典』のすすめ その94
2009年 11月 18日 水曜日 筆者: 飯間 浩明談話を発出? 出発じゃないの?

【はるか昔のことのよう】
『三省堂国語辞典 第六版』の編集作業が頂点に差しかかっていた時点の首相は安倍晋三氏でした。安倍首相は、国の枠組みを変えようとはりきっていたせいか、たくさんの新語を造り出しました。政府がマスコミを通じて流すことばは絶大な影響力があり、辞書を編集する側としては無視できません。
「美しい国」というキャッチフレーズとともに繰り返されたのは「戦後レジームからの脱却」でした。戦後の政治体制の枠組みを見直そうというわけです。「戦後レジーム」がさかんに使われだしたので、『三国』でも「レジーム」を新規項目に立てることになりました。当初の原稿では、語釈は〈政治体制。制度。「戦後―」〉としておきました。
ところが、第六版の編集が終盤を迎えた2007年9月、安倍首相は突然辞任してしまいました。それとともに、「戦後レジーム」の議論もばったり沙汰やみになりました。「戦後レジーム」ということばは、にわかに古くなりました。新語には、えてしてこういうことが起こります。辞書に載せるのは慎重でなければなりません。

【ひどく昔のことのよう】
とはいえ、「レジーム」ということばそのものは、ほかでも使われます。結局、用例を〈「アンシャン―〔=旧体制〕・―チェンジ〔=政権交代〕」〉と差し替えて、項目はそのまま立てることにしました。この項目は、安倍首相のおかげで立ったものといえます。
キャッチフレーズ以外にも、安倍首相がさかんに繰り返すので注目したことばもあります。たとえば、「発出」がそうです。
〈政府としてですね、えーこの官房長官談話を発出をし、内外に政府としてのしめい、えー、内外として、内外に対して、政府としてのまあ姿勢を、まあ示したと。〉(NHK「ニュース7」2006.10.05 19:00)

【かなり昔のことのよう】
「出発」ではありません。一種のお役所ことばです。手元の用例を見ると、安倍首相だけでなく、同時多発テロに際して福田康夫官房長官が〈お見舞いのメッセージを発出いたしました〉(NHK「ニュース」2001.09.12 12:50ごろ)と言っていたりして、用例が多いので、新規項目として立てることにしました。
語釈は〈文書・談話などを、外に向かって出すこと。「通知を―する」〉です。その後もよく耳にしますが、この意味を載せる辞書は多くないはずです。
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筆者プロフィール
飯間浩明(いいま・ひろあき)
早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)
【編集部から】
生活にぴったり寄りそう現代語辞典として定評のある『三省堂国語辞典 第六版』が発売され、「【サンコク】メディアでの紹介」の記事にある通り、各方面で取り上げていただいております。その魅力をもっとお伝えしたい、そういう思いから、編集委員の飯間先生に「『三省堂国語辞典』のすすめ」というテーマで書いていただいております。
付録について
2009年 11月 16日 月曜日 筆者: 信岡 資生クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(71)
『クラウン独和辞典』の中身は、メインとなる「独和」の部のほか、さまざまなページから構成されている。序文はさておいても、「この辞典の約束ごと」「発音解説」「ドイツ語正書法解説」「正書法インデックス」「ドイツ語アルファベット」「枠囲みした記述」がはじめにあり、巻末には「付録」として、「和独インデックス」「文法小辞典」「主な参考文献」「動詞変化表」があり、表紙裏には地図「Mitteleuropa」「ドイツ・オーストリア・スイス(行政区画)」が掲載してある。また第4版はCDとそのテキストが別添されている。CDは第3版でも2006年2月から別添のものが刊行されたが、第4版ではすべてCD付となった。ちなみに「この辞典の約束ごと」は、一般に従来の辞書では「凡例」とされていたものに相当するが、この古い用語は今日の利用者にはなじまぬもので、学生のなかには(教師にも)「ぼんれい」と読む者がいるほどであったため、『クラ独』では他の辞典に先駆けて初版(1991年3月)からこうしたわかりやすいタイトルにしたのである。また、術語編、ドイツ語索引、別表の3部から成る「文法小辞典」は、ここだけでも独立させて単行本にすることができるほど充実した内容で、『クラ独』の目玉のひとつと言えよう。
「独和辞典」の付録といえば、明治の昔から、不規則動詞の変化表と決まっている。実際今日でも「独和辞典」を名乗る本で巻末に不規則動詞の変化表を掲載しないものはない。しかし学習上や情報社会のさまざまな要望に応じるべく、「独和辞典」にはそれだけでなく多種多様なページが添えられるようになった。とりわけ文法関連事項や日常会話や専門用語集などである。三省堂刊行の独和辞典に限ってみれば、『デイリーコンサイス独和・和独 第2版』(2009)と『身につく独和・和独辞典(CD付き)』(2007)の「役に立つ表現集」「数・数字の表現」、『新コンサイス独和辞典』(1998)の「経済用語辞典」「和独インデックス」「新正書法について」「つづりの分け方(分綴法)」、『独和新辞典 第3版』(1981)の「記号及びシンボル」「分綴法」「諸品詞及び構文要覧」などであるが、昔に遡って明治中期に好評だった『獨和新辭林』(明治29)のAnhang附録は、不規則動詞表のほかに、Erklärung der Abkürzungen 略語解 とDie gebräuchlichen fremden Ausdrücke 常用外國語 であった。
そもそも付録とは何であろうか。『大辞林』によれば「①…また本などで、本文を補足する目的などで添えられたもの」であり、巻頭でも巻末でも、あるいは別冊になっていても、位置や形態には関係ないようだ。ただ、巻末にあるものをまとめて「付録」と名をうっておけば、利用者は「おまけ」として、なんとなく得をしたような気分になるかもしれない。
日本語社会 のぞきキャラくり 第65回 『男』+『女』=『男』?
2009年 11月 15日 日曜日 筆者: 定延 利之『男』+『女』=『男』?
「『男』は『女』よりも格が上」「『女』は『男』よりも品が上」という通念・期待に日本語社会が大きく寄りかかっていることは前回述べた。だが、そこで述べたことは、実は日本語社会にかぎって成り立つことではなく、程度や様態の差こそあれ、他言語社会にも見られるものではないか。というのは、日本語にかぎらず多くの言語で広く観察される、人間の総称や集団の呼称に関する男女の違いは、こう考えることで初めて納得がいく部分があるからである。
世界トップクラスのゴルファーが集まっているところに、ゴルフは上手です、ハンディーは先日シングルになりましたという人が1人加われば、それはもはや「世界トップクラスのゴルファーの集まり」ではなく「ゴルフが上手な人の集まり」でしかない。反対に、ゴルフが上手な人たちのところに世界トップクラスのゴルファーが1人加わっても、それはやはり「ゴルフが上手な人たち」である。このように、集団全体の呼称となる、つまり相手側を押さえ込んで「上をとる」のは、何か(この場合はゴルフの腕前)が劣る者の方である。私には、この「何かが劣る」ということが品と結び付くように思われるのだが、どうだろうか。
よく知られているように、英語では“man”(男)と“woman”(女)を併せて“man”(人間)と言う。つまり“man”(男)が「上をとっている」。フランス語や日本語では男性形の「彼ら」が「上をとっている」。フランス語では男性の集まり(3人称)は“ils”と言い、女性の集まり(3人称)は“elles”と言うが、女性の集まりに男性が1人でも入ると“ils”となる。日本語では、男性の集まりを「彼女ら」と言うことは(『オカマ』の集まりの場合を除けば)ないが、女性の集まりは「彼女ら」だけでなく、「彼らは10代で出産した」のように「彼ら」と言うこともある。
このようなことばの状況が「男性が上をとるとは女性差別だ。けしからん」と問題にされていることは、すでにご承知のとおりである。これが女性差別だという考えに、異を差し挟もうとは思わない。上をとられるのは、確かに腹立たしいことに違いないし、そもそも女性を“wo + man (男)”と呼ぶことじたいが女性差別っぽい。
その上での話だが、私が思うのは、こうしたことばの状況が、男性差別でもあるということである。「やっぱり格上だから」とおだてられて上をとらされている者は、実は何なのかということである。
フランスのことわざにもあるじゃないですか。「樽いっぱいのワインに一さじの汚水を混ぜたらそれは汚水だ。樽いっぱいの汚水に一さじのワインを入れても、ワインにはならない」って。
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◇この連載の中国語版と英語版
中国語版⇒角色大世界――日本
英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters
【筆者プロフィール】
定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。
地域語の経済と社会 第74回
2009年 11月 14日 土曜日 筆者: 山下 暁美地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第74回「ドイツの方言(ベルリン編)」
「おいしい方言」と題して味覚に関わる各地の方言の使用例をとりあげ、連載する予定と前回お約束しましたが、少しお待ちいただいて、今回は、夏訪れたベルリンのドイツ方言をご紹介します。第12回「外国の方言みやげ」、第19回「韓国の方言事情」、第67回「リトアニアの方言区画」に次ぐ海外の方言情報です。
“ICK BIN EEN BERLINA”(僕は、ベルリンっ子だよ)“DA KIKSTE WA, IS WAT?”(君、何見てんの?それ何?)と書かれています【写真1】。標準ドイツ語だと、“ICH BIN EIN BERLINER”“WAS GUCKST DU, IST WAS”となります。“ICH”(わたし)が“ICK”になるのは、ベルリン方言の特徴です。このシールを車や部屋などに貼って楽しむのだそうです。
“ALLET JUTE ALTER”【写真2】は、男性に送るカードで「おめでとう。おやじ(おまえ)」という意味です。“ALLET JUTE”は、標準語では“ALLES GUTE”です。“S”が“T”に、“G”が“J”に変化しています。「よい」にあたる“gutes”(標準語)が“jutet”(ベルリン方言)、「向かいに」という意味の“gegenüber”(標準語)が“jejenüba”(ベルリン方言)に変化するなどの例が見られます。“g”が“j”に変化する理由として、音声がやわらかく伝わる、口の奥を閉めなくても発音できるなどの理由があげられます。“ALTER”(old)は、男性が親しい友人に対して言うときの表現で、“mein Freund”(わたしの友)という意味ですが、冗談めかして“ALTER”などと呼びかけることがあるそうです。
【写真3】は、ベルリン方言の豆辞書で、ほかにヘッセン地方などを含む7つの地方の辞書があります。約5000語の標準ドイツ語の見出し語で、ベルリン方言が例といっしょに紹介されています。言葉の愛好家や休暇を地方で過ごす人のために発行されたそうです。
【写真4】は、Heinrich Zille(ハインリッヒ・ツィレ・芸術家1858-1929)による社会風刺の絵本です。1900年代のドイツ社会を描いた絵本ですが、ベルリン方言で書かれています。
【写真5】は、世界の英語方言という視点から見た資料です。ドイツ人が英語を話すと、“HAPPY BIRTHDAY TO YOU”は、“HÄPPY BÖRSDI TU JU”だと皮肉っているカードです。このように世界各地の英語方言をカードにしたらおもしろいでしょうね。同じアイディアが日本語方言でももっと採用されることを期待しています。
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

山下暁美(やました・あけみ)
明海大学外国語学部・大学院応用言語学研究科教授。博士(学術)。
専門は、日本語教育学・社会言語学。研究テーマは、移民百年を迎えた、ブラジル、アメリカ合衆国などにおける日本語の変化、外国人の日本定住化による共生時代の日本語教育政策。
著書に『書き込み式でよくわかる日本語教育文法講義ノート』(共著、アルク)、『海外の日本語の新しい言語秩序』(単著、三元社)、『スキルアップ文章表現』(共著、おうふう)、『スキルアップ日本語表現』(単著、おうふう)、『解説日本語教育史年表(Excel 年表データ付)』(単著、国書刊行会)、『ふしぎびっくり語源博物館4 歴史・芸能・遊びのことば』(共著、ほるぷ出版)などがある。
【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。
この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
明解PISA大事典:フィンランドの学校現場、教科書
2009年 11月 13日 金曜日 筆者: 北川 達夫第23回 フィンランド紀行3
フィンランドがPISAで好成績をおさめたことが知れ渡ってから、実に多くの人々が日本からフィンランドの教育現場を訪れた。その報告書等に描かれた「フィンランド教育の実態」は実にさまざまである。グループ学習ばかりだった。いや、一斉授業ばかりだった。教科書をまったく使っていなかった。いや、教科書とワークブックばかり使っていた。テストで順位はもちろんのこと点数すらつけていなかった。いや、テストで一等賞の子どもにアメをあげていた――などなど。
これらはすべて真実である。不可解かもしれないが、どれも本当のことなのだ。このようにさまざまな「実態」が報告されている背景には、フィンランドでは学校現場に広範な裁量権が認められていることがある。学校現場の裁量権の広さには驚くばかりで、たとえば公立の基礎学校(9年一貫の義務教育機関)でモンテッソーリ教育を全面的に採用し、学年やクラスを廃止してしまったところさえある。このような学校ばかり見て歩いたら「フィンランドの学校には学年もクラスもない!」と報告することになるだろう。学校現場に広範な裁量権が認められているということは、学校によってやりかたが全然違うということ。そのため、フィンランド教育は「スタンダード」が見えにくいのである。
フィンランド=ロシア学校(Suomalais-venäläinen koulu: SVK)――これは私がフィンランドに行くと、必ず訪れることにしている国立の小・中・高一貫校である。この学校では就学前の段階から、フィンランド語とロシア語のバイリンガル教育を行なっており、すべての教科がフィンランド語とロシア語の両方で教えられている。その他の外国語教育にも力を入れており、高校を卒業する頃には7~8か国語をマスターしている子どもも少なくない。同様の学校として、フランス=フィンランド学校(Ranskalais-suomalainen koulu: RSK)という国立の小・中・高一貫校もあり、フィンランド語とフランス語のバイリンガル教育を行なっている。もちろん、このような教育はこれら2校特有のものであって、ゆめゆめ「フィンランドの学校では就学前からバイリンガル教育をやっている!」などと思ってはならない。
このように「国立の学校」で「バイリンガル教育」をやっているというと、日本では超エリート校のような感じがして、「お受験が大変に違いない」と思うところだが、フィンランド=ロシア学校にしても、フランス=フィンランド学校にしても入試はなく、近所の子どもたちの通う「近所の学校」である。つまり希望すれば誰でも通うことができるのだ。フィンランドであるから、授業料も他の学校と同じく無料である。なにやら公平なような、不公平なような……。これが日本であれば入学希望者が殺到して大変なところだろうが、フィンランドなので「授業についていくのが大変そうだ」「ロシアは嫌いだ」などといった理由から、入学希望者はそこそこ適当なところに落ち着くのだという。
教科書についていえば、フィンランドでは1994年から教科書検定制度が完全に廃止され、「教科書の良し悪しは市場が決める」とされた。つまり「よく売れる教科書が良い教科書」ということだ。現在、どの教科書を使うかは、先生ひとりひとりが決めることができる。教科書を一種類に限定する必要もなく、単元によって数種類を使い分けることも可能である。あるいは、まったく教科書を使うことなく授業を進めても構わない。
ただ、このシステムには裏がある。フィンランドの義務教育では教科書は無償貸与制である。児童・生徒は学校備え付けの教科書を使うということだ。教科書の値段はきわめて高く(日本の5~10倍くらい)、学校は常に予算不足にあえいでいるため、学校備え付けの教科書は限られている。つまり、先生ひとりひとりが教科書の採択を決められるといっても、実際には学校備え付けの教科書から選ぶしかない。一種類しか備え付けていない学校も少なくなく、それどころか前回の指導要領改訂に対応した教科書しか備え付けていない学校さえ存在する。教科書検定制度が廃止されたいま、現行の指導要領にそった教科書を使う義務すらないのである。
あらためて思う――フィンランドとは妙な国である。
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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)、組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。
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【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。
間投詞―『英語談話表現辞典』覚え書き(8)―
2009年 11月 12日 木曜日 筆者: 内田 聖二今回は話し手の感情を直接表現する間投詞について述べてみたいと思います。
間投詞は感嘆詞と呼ばれることもありますように、もともとなんらかの刺激から生じた感情が無意識のうちに口から出る表現です。つまり、元来ことばにならない音が中心となります。今回はそのような音が文字化されたものに焦点を当ててみます。
喜びなどポジティブな驚きを表すとき、自然とwow /wau/ という音が出てきます。美しい景色を見て、‘Wow!’と一言言ってみたりする場合です。興味深いことは、この用法が発展して、この語を使うことで喜び、うれしさなどを表現するという機能が生まれていることです。たとえば、苦心して修理した大切なおもちゃが動いたときに、‘Wow, it works!’(やった、動いた!)と言うときのwowは自然と発声される上記のwowとは質的に異なり、wowを使うことによって喜びの感情を抱いていることを意図的に伝える働きがあります。wowは本辞典では立項していませんが、以上のことをふまえると、次のような記述となるでしょう。(用例は三省堂コーパスから改変)
1 〈景色・光景などに感動して〉わー、すばらしい: Wow! What a beautiful place!わー、なんてきれいなんだろう
2 〈目の前で起こっている状況に感動して〉わー、わーお、やった: 《ほしかったジーパンを目の前にして》Wow, you bought me jeans. Thank you.やった、ジーパン買ってくれたんだ.ありがとう/《あこがれのスターと握手をして》 Wow, this is really happening to me! わーお、こんなこと現実に起こるんだ!
3 〈相手の話に驚いて〉へえー、すごい、わーお:Wow, I cannot believe that you actually run your own company.へぇー、本当に自分の会社を経営しているんだなんて信じられない/ “Do you have a car?” “Well yeah, you know we have three of them.” “Wow, you must be rich.”「車もってる?」「えー、まあ. 3台もってるけど」「すごーい、金持ちなんだ」
同じような間投詞でポジティブにもネガティブにも反応するものに、aw/ɔː/があります。本辞典の記述のなかから基本的な感情表現としての語義1と相手の言動に対してネガティブに反応する、語義2,5,6をあげておきます。
1 〈感嘆して〉ああ, おお: Aw, gee, you’re wonderful! すごいな, 君は最高だよ!
2 〈抗議を表して〉ああ, おう: 《通りを歩きながら》 “Have a look at that belly-button fashion.” “Aw, don’t be old-fashioned. That’s the fashion among young women.” 「ちょっとあのへそピアス見ろよ!」「ああ, 古くさいことを言うなよ. あれが今若い子の間ではやっているんだよ」.
5 〈相手の発言を否定して〉おお, とんでもない: “George is very nice!” “Aw, you don’t know what you’re talking about! Wait till you know him a bit better.” 「ジョージってとてもすてきね」「おお, とんでもない. あなたは自分が何を言っているのかわかっていないのよ. やがて彼の本性がわかるから」
6 〈相手の行為を促して〉さあ(◆come onを伴うことが多い):/ “Can I have some more chocolate?” “No.” “Aw come on, please!” 「チョコレートもうちょっといい?」「駄目よ」「ね, いいでしょう. お願い!」.
以上、自然発生的な発声を語源とする語がいわゆる「語」として確立し、本来の意味から発展して別の機能をになうことをみてきました。なかでも自分の発話の前や、相手の発話を受けて用いられるとき、最近の用語で、談話辞(discourse particle)とか談話標識(discourse marker)ということがあります。
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【筆者プロフィール】
内田聖二(うちだ・せいじ)
奈良女子大学教授
専門は英語学、言語学(語用論)
主な業績:『英語基本動詞辞典』(1980年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基本形容詞・副詞辞典』(1989年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基礎語彙の文法』(1993年)英宝社(衣笠忠司、赤野一郎と共編著)
『関連性理論-伝達と認知-』(初版1993年、第2版1999年)研究社(共訳)
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版1994年)小学館(小西友七・安井稔・國廣哲弥・堀内克明編、分担執筆)
Relevance Theory: Applications and Implications, 1998, John Benjamins.(Robyn Carstonと共編著)
『英語基本名詞辞典』(2001年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『ユースプログレッシブ英和辞典』(2004年)小学館(八木克正編集主幹、編集委員)
『新英語学概論』(2006年)英宝社(八木克正編、共著)
『思考と発話』(2007年)研究社(共訳)
『子どもとことばの出会い』(2008年)研究社(監訳)
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【編集部から】
語用論的な情報をふんだんに盛り込んだ、日本発の本格的な発信型会話・談話表現辞典、『英語談話表現辞典』について、編者の内田聖二先生にご紹介いただきます。
書籍購入者は、http://dce.dual-d.netにて本辞典の全データを収録したウェブ版辞典を無料で使用できます。
漢字の現在:島根の「腐」らない「とうふ」
2009年 11月 12日 木曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第51回 島根の「腐」らない「とうふ」
地方では、学会が始まるかなり前に、宿の外に出ることをここのところ心掛けている。島根県の松江市では、出雲大社や松江城など名所は前に行ったようにも思え、その城は遠くから見られればもうそれで十分だった。
宍道湖畔のホテルを出て、バスに乗り、また歩いてみる。そうしたことを繰り返す中で、山陰の「陰」の書きやすい異体字など、すでに知られたものが今でも看板などに多少は残っていることに気づく。

【松江にて】
珍しくほんの少しながら予習したことを活かしつつ、白「潟」天満宮(新潟で有名な「さんずいに写」を確認)、「鼕」(ドウ)伝承館、「淞」(ショウ)北台、「附」属中学に居並ぶ「付」属小学校など、気になるところを踏査してみる。ほかにもいろいろと特色ある字が目に入ってきた。
そして、会場の県民会館に向かう途中で、昔ながらの小さな豆腐屋を見掛けた。看板には店の名前に「豆腐」ではなく、「豆富」が使われている。松江では昭和38年(1963)の時点で、すでにそういう看板がやたらに目についたそうで、島根県豆富商工組合が豆腐のイメージをアップするために申し合わせた、“縁起字”ともいうべき文字を飾った当て字だとされている(斎賀秀夫『漢字と遊ぶ 現代漢字考現学』毎日新聞社 1978)。確かに、「腐敗」「腐る」の「腐」よりも、「富」のほうが高たんぱく、低カロリー、栄養価に富み、ヘルシーな感じさえしてくる。ダイエット食にもなりうるという向きもあるようだ。落語の「酢豆腐」ではないが、たしかに腐ればあれは大変なものにかわりはてる。何ごとにつけ、イメージに弱い日本人らしい。
こうした「腐」を忌避する意識は戦前から見られ、作家の泉鏡花は「豆府」と書き換えていたことも知られている。かつて鏡花肉筆の原稿用紙まで確認した学生もいた。「豆富」は、東京は台東区根岸の笹乃雪など、ほかの地域の会社や商店でも使っているところがあり(円満字二郎氏との会話の中でも聞いた覚えがある)、どのくらい古くからのことで、また他への影響はどの程度だったのか、気に掛かっている。

【右下の枠内に小さく「豆富」】
店名でのこの表記の使用実態は、明確な分布を呈する。ちょっとばかり手間がかかるが、以前にNTTの「タウンページ」のWEBサイトで、根気を保ちながら検索を続けたところ、やはり島根県だけが突出しており、特に松江市の店名では「豆富」の使用が「豆腐」を凌駕していた。地域表記が拡散した様子も隣県の状況からもうかがえて興味深いものがあった。全豆連という北海道から沖縄県までをカバーする全国組織において、島根県の先の団体は現在加わっていないようだが、中国山地を越えた岡山県と、同じ日本海側の富山県は、やはり「豆富商工組合」となっている。
島根県内のとうふ店の名では「豆富」が「豆腐」とほぼ同数あり、やはり実際にその地で使われていたことに感慨を覚えたが、忙しそうに立ち働く店のおじさんに、意味などについては尋ねそびれてしまった。

【広島のものにも】
最終日、JALが撤退しないか心配になりそうな出雲空港に戻る前に、小雨交じりの街をまたデジカメを片手に散策してみた。商店街がなかなか見当たらないので、地元のスーパーに入ってみる。とうふのコーナーでは、「豆腐」に混じって「豆富」という表記が店名に見つかる。東京よりもやはり目立つようだ。
別のスーパーでは、「豆冨」と「富」が異体字となって大きく書かれている。これは、お隣の広島産だ。これを島根土産にしようかと、手に取ってみると意外と底が厚く、体積も大きく、そしてずっしりと重たい。弁当にもしづらく、家に着くまでに、暖房で傷むかもしれない。やはり土産は、教え子が教えてくれた「若草」や出雲そばにして、そこでは写真を撮らせてもらうにとどめた(次回に続く)。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「使い込まれた「函」の形は…」でした。
この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
近刊案内(2009年10月・11月)
2009年 11月 12日 木曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部グランドセンチュリー英和辞典 第3版

木原研三 監修、宮井捷二・P.E.ダベンポート 編
B6変型判 1,960ページ ¥3,129 ISBN 978-4-385-10792-9
収録項目数英和6万8千/和英1万4千。入試を勝ち抜く学習英和辞典。近年の大学入試傾向を徹底分析し見出し語頻度を Ex1 / Ex2 表示。高校基礎文法のまとめとディスコースマーカー入門を追補。重要基本語・句動詞・イディオム・類語も大幅増強。言語文化コラム新設。学習新指導要領対応。CD付き。デザイン一新の場面別機能別英会話・発音解説収録。2色刷。
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三省堂 こどもことば絵じてん 小型版

金田一春彦 監修、三省堂編修所 編
B5変型判 416ページ ¥2,800 ISBN 978-4-385-15017-8
もっとも信頼できる幼児向け絵じてんとして好評を博してきたロングセラーに、待望の小型版が登場。6歳までに必要な語彙2,904語を五十音順に収録し、「どうぶつ」などのテーマ別項目も随所に配置。絵本のような楽しい紙面で、ことばの理解がぐんぐん深まる。2歳から6歳むけ。オールカラー。
⇒『三省堂こどもことば絵じてん 小型版』のページへ
三省堂 ことばつかいかた絵じてん 小型版

金田一春彦 監修、三省堂編修所 編
B5変型判 416ページ ¥2,800 ISBN 978-4-385-15018-5
表現力が身につく絵辞典として好評を博してきたロングセラーに、待望の小型版が登場。幼児の日常生活にそくした場面設定で、ことばの使い方や使い分けを例示。類義語・派生語・反対語や修飾関係などを、絵本のような大きな紙面で解説し、ことばの力が自然に身につく構成。2歳から6歳むけ。オールカラー。
⇒『三省堂 ことばつかいかた絵じてん 小型版』のページへ
こども きせつのぎょうじ絵じてん 増補新装版

三省堂編修所 編
AB判 192ページ ¥2,500 ISBN 978-4-385-15852-5
年中行事・記念日の由来や歴史がわかる絵じてんとして好評を博してきたロングセラーに、待望の増補新装版が登場。新たに、「さとやまのくらし」の章を追加。幼稚園・保育園で子どもたちが体験する季節ごとの行事を、イラストでわかりやすく解説し、大人も知らない情報を満載。3歳から7歳むけ。オールカラー。
こども マナーとけいご絵じてん

坂東眞理子・蒲谷 宏 監修、三省堂編修所 編
AB判 176ページ ¥2,520 ISBN 978-4-385-14309-5
子どもの生活に密着したテーマをとりあげ、家庭・学校・公共の場所など日常生活の場面ごとに解説を加えた、マナーと敬語の入門絵じてん。見開き全面を使った楽しいイラストによる図解、ふりがなつきの丁寧な説明で、未就学児・小学校低学年から楽しく学べる。大人向け解説・最新の敬語解説つき。オールカラー。
三省堂 例解小学ことわざ辞典

川嶋 優 編
B6判 416ページ ¥1,575 ISBN 978-4-385-13955-5
[ワイド版]A5判 416ページ ¥1,785 ISBN 978-4-385-13956-2
新指導要領の伝統的な言語文化重視を踏まえ、ことわざ・慣用句・故事成語・四字熟語など3,500項目を収録。類書中最大。すべての漢字にふりがなつきで、1年生から使える。丁寧な解説・故事説明、多数掲げた類・対・同義語で、奥深く、幅広く、ことわざ学習ができる。楽しいイラスト満載。学習コラム。2色刷。
『三省堂国語辞典』のすすめ その93
2009年 11月 11日 水曜日 筆者: 飯間 浩明ミカドのご寵愛? ご鍾愛?

【寵愛の猫】
『三省堂国語辞典 第六版』のための改訂作業では、すでに載っているむずかしい語の説明も見直しました。たとえば、「寵愛」は、旧版では〈特別に愛すること。〉とありますが、これでは「楽器を寵愛する」と言えるかのようです。修正することになりました。
ほかの国語辞典を見ると、「寵愛」は〈上の人が下の者を〉または〈権力者が身のまわりの特定の者を〉かわいがること、という説明が目立ちます。私も、「寵愛」といえば、『源氏物語』の現代語訳の冒頭にある〈帝の御寵愛を一身に鍾(あつ)めているひとがあった〉(円地文子訳)といった言い回しを思い出します。
ところが、用例を調べると、必ずしも位が上の人が下の人を寵愛している例ばかりではありません。「母が息子を寵愛する」というのはまだその範囲に含まれるとしても、人が鳥や馬を寵愛する場合もあります。芥川龍之介「白」には〈エドワアド・バアクレエ氏の夫人はペルシア産の猫を寵愛している〉と出てきます。

【「寵愛」ならこの物語】
これらの例をすべて覆う動詞を挙げるなら、さしずめ〈かわいがる〉です。今回の第六版の説明では〈特別にかわいがること。〉とした上で、ただし、代表的な使い方を示すものとして、「みかどの ご寵愛」という用例を添えました。
一方、「寵愛」とよく似たことばに「鍾愛(しょうあい)」があります。これは、今回新規項目になりました。むずかしいことばですが、たまに小説などで目にするので、採用したのです。これはどう説明すべきでしょうか。
ふたたび、ほかの国語辞典を見ると、〈深く愛すること〉〈深くかわいがること〉と説明してあるものの、「寵愛」との違いが分かりません。もし、同じ意味ならば、「鍾愛」の項目に同義語として〈……寵愛。〉を記さなければなりません。

【澁澤龍彦『唐草物語』p.32】
そこで、用例を探してみます。「寵愛」は妃などをかわいがる例が多いのに対し、「鍾愛」は、「鍾愛の孫姫」というように、自分の子や孫に使う例が目につきました。また、特筆すべきは、〈〔蹴鞠(けまり)の鞠は〕鍾愛のオブジェ〉〈〔本の〕一冊を鍾愛して〉など、物に使う例が多かったことです。『大辞林』にも、物の用例が挙がっています。
ここから、「鍾愛」の語釈は、〈〔人・物を〕深く愛すること。〉と、あえて「物」を明示しました。「寵愛」は物に対する感情には使いにくいでしょう。
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◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」
筆者プロフィール
飯間浩明(いいま・ひろあき)
早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)
【編集部から】
生活にぴったり寄りそう現代語辞典として定評のある『三省堂国語辞典 第六版』が発売され、「【サンコク】メディアでの紹介」の記事にある通り、各方面で取り上げていただいております。その魅力をもっとお伝えしたい、そういう思いから、編集委員の飯間先生に「『三省堂国語辞典』のすすめ」というテーマで書いていただいております。
『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて(14)
2009年 11月 10日 火曜日 筆者: 赤間 恵都子(14) 王朝文化と作者の自意識
『枕草子』には、清少納言が宮仕えする前の出来事で、宮中に語り伝えられていた話がいくつか書き留められています。その中の一つ、村上天皇に仕えていた兵衛の蔵人という女房のエピソードを紹介しましょう。
村上の先帝の御時に、雪のいみじう降りたりけるを、様器に盛らせたまひて、梅の花をさして、月のいと明かきに、「これに歌よめ。いかが言ふべき」と、兵衛の蔵人に給はせたりければ、「雪月花の時」と奏したりけるをこそ、いみじうめでさせたまひけれ。「歌などよむは世の常なり。かくをりにあひたる事なむ言ひがたき」とぞ仰せられける。
(先の村上天皇の時代に、雪がたくさん降っていたので、天皇がそれを容器にお盛らせになり、梅の花をさして、月が大変明るい時に、「これに歌を詠みなさい。どのように言うのがふさわしいかな」と、兵衛の蔵人にお渡しになった時、「雪月花の時」と申し上げたのを、たいそうお褒めになりました。そして、「歌など詠むのは世間なみである。このような折にあった事はなかなか言えないことだ」と仰せになりました。)
さて、『枕草子』にはこの逸話とそっくりな話がもう一つあります。ただし、配役が一条天皇と清少納言に代わります。ある日、宮中の殿上の間から花の散った梅の枝を持った使者が来て、「これはいかが」と言ってきたので、清少納言が漢詩の詩句を利用して答えたところ、一条天皇がお聞きになって、「並みの和歌などを詠んで出すよりずっと優れている。よく答えた」と仰せになったというものです。
まるで清少納言が兵衛の蔵人を演じたような、こんな逸話が記されたのはなぜでしょうか。
ここで、当時の文化的時代背景について、少し考えてみましょう。905年に醍醐天皇の命令で、最初の勅撰和歌集である『古今集』が編纂されました。それまでは、先進国中国の文学である漢詩が公的文学として認められ、男性貴族たちの間で詠まれていたのですが、『古今集』によって、和歌も宮廷文化の表舞台に立ったことになります。仮名文字を使う女性貴族たちにも流行した和歌は王朝文化の中心的存在となりました。
この醍醐天皇の時代と共に、延喜・天暦の治として称えられたのが村上朝でした。村上天皇は一条天皇の祖父にあたり、その文化的逸話は、身近な王朝文化の模範として定子後宮でも大いに語られていました。前回紹介した、村上天皇女御芳子の『古今集』暗誦の逸話はよく知られています。また、二番目の勅撰和歌集である『後撰集』編纂を下命したのも村上天皇でした。
このような観点から見ると、兵衛の蔵人の逸話は、和歌文学隆盛の時代に、和歌で答えるべき場面で漢詩を即答して公に認められたことを語るものであり、時代の流れと逆行していることになります。その逸話をさらに清少納言自身が演じるのは、それが作者個人の問題に関わるからではないかと考えます。
なぜなら、清少納言の父清原元輔は『後撰集』の撰者の一人だったからです。つまり、清少納言は村上朝で活躍した人物の娘という大看板を背負って宮廷入りしたのでした。そのため、宮仕え当初から定子や伊周に興味を持たれ、宮中の注目を一身に集めていたのです。清少納言も自らの立場を十分に自覚しており、家名を汚すまいという思いが強かったようです。漢詩による応答を正当化する逸話の中には、並みの和歌を答えるくらいなら何も言うまいという作者の自意識が働いていると考えられます。そもそも『枕草子』が歌集ではなく散文体の作品であること、作品中に歌枕や歌語を扱いながら、その盲点を突いたり言葉遊びに傾いたりすることも、束縛されていた和歌世界からの作者の脱出願望の表れだったのかもしれません。
◆この連載を続けてお読みになる方は
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【著者プロフィール】
赤間 恵都子(あかま・えつこ)
十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「枕草子研究の動向と展望―年時考証研究の視座から―」(『十文字学園女子短期大学研究紀要』2003年12月)、「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)など。
【編集部から】

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。(隔週掲載)
耳の文化と目の文化(20)-視覚的な特性(13)
2009年 11月 9日 月曜日 筆者: 新田 春夫クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(70)
副詞+動詞の場合も前回と同じようなことが言える。例えば、wiederという副詞には「もとに戻って」という意味と「もう一度」という意味があり、前者では1語に書き、後者では2語に書くことを基本とすると言う。従って、wiedergebenは1語に書いて、「(物を)返す」、wieder anfangenは2語に書いて、「再度始める」ということになる。しかし、いつも両者の区別がつくとは限らない。「もう一度何かをする」ことは「元に戻って同じことを繰り返す」場合が多いからである。例えば、wieder sehenと2語に書くと「元通りに見えるようになる」という意味であるが、wiedersehenと1語で書くと「再会する」という意味だとされるが、「相手の顔を見るという前回と同じ行為を繰り返す」という点では同じことである。他には、vorher sagen「前もって言う」、vorhersagen「予言する」があるが、「予言する」ことは「前もって言う」ことに他ならないから、両者は発言行為であることに変わりはなく、ただ、その発言内容が一般的な事柄か、それとも発言内容が的中するかどうかに重点があるのかといった視点の違いである。
davonkommen「危険などを逃れる」などにおけるda+前置詞、aufeianderprallen「衝突する」などの前置詞+代名詞などの複合的な副詞が動詞と熟語を構成する場合は、両方にアクセントがある時は2語に書き、複合的な副詞だけにアクセントがおかれ、動詞にはそれがない時は1語に書く、とされる。しかし、このようなアクセントの区別は意味に基づいているだろうから、その意味的な違いを記述しないことには、特にドイツ語を母語としない人々にとっては意味がない。これは、前者の場合はdaやeinanderにまだコンテクストにおいてそれが指すものがあり、後者はそれの指示関係が失われて単なる副詞となっているということであると思われる。従って、davon,aufeinanderは前者ではそれぞれ「そこから」、「お互いを目指して」という意味であり、後者では「ある場所、ある状況から」、「相互に」という漠然としたものを表している。
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【筆者プロフィール】
新田 春夫(にった・はるお)
武蔵大学教授
専門は言語学、ドイツ語学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員
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【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。












![『新明解国語辞典 第七版[机上版]』7年ぶりに改訂『新明解国語辞典』の机上版。判型は並判より大きいA5判で、さらに文字が大きく見やすい。2色刷。紙面内容は並版と同一。 『新明解国語辞典 第七版[机上版]』](http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp-images/smk_kijo.jpg)
![『新明解国語辞典 第七版[小型版]』7年ぶりに改訂『新明解国語辞典』の小型版。並判より一回り小さいA6変型判で、携帯にも便利。2色刷。紙面内容は並版と同一。 『新明解国語辞典 第七版[小型版]』](http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp-images/smk_kogata.jpg)
![『新明解国語辞典 第七版[革装版]』7年ぶりに改訂『新明解国語辞典』の革装版。丈夫で使うほどに手になじむ。判型は並版・特装版と同じB6判。2色刷。紙面内容は並版と同一。 『新明解国語辞典 第七版[革装版]』](http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp-images/smk_kawaso.jpg)
















































































































































2007年









