2009年 12月 のアーカイブ

ドイツのお菓子(3)―グミ(1)―

2009年 12月 7日 月曜日 筆者: 石井 正人

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(73)

改めてこんなことを言うと若い人は笑うが、グミという、歯ごたえのある固いゼリー菓子はすっかり日本に定着して、日本のオリジナルの製品が何種類も店先に並んでいる。もともとはドイツのHaribo社が1922年に考案して売り出したもので、しかも製品第一号はクマの形をしているのがミソだったから、Gummibärchenと呼ばれるようになった。(商品名自体はGoldbären「金のクマ」である)その後多くの種類を出したが(一説には三千種類にのぼるという)、やはりクマが代表格のようだ。

しかし日本ではあまり知られていないが、Hariboのグミにはもう一つの代表格がある。創業間もない1925年に同社が発売して、大当たりを取った黒いグミである。最初は棒状であったようだが、ひも状になり、それを渦巻きにして円盤型にまとめたものを今日では普通に見かける。しかしピンクのグミでサンドイッチにしたり、黄色のグミの真ん中に埋め込んだりで、この黒いグミは素材としても色々に使われている。

お菓子で黒いとなると、ドイツのものだからさすがに小豆あんや黒蜜風味ではないとして、日本人が期待するのはまあチョコレートかコーヒー味だろう。そう思って口にした日本人はみな、ひどいめにあう。実はこの黒いグミは、Lakritze「カンゾウ(甘草)」という植物のエキスを使っている。カンゾウは日本では漢方薬として有名である。苦甘いその味は、美味くもないが我慢できるとしても、問題なのはいかにも漢方薬らしいその強い独特のにおいである。そこで大抵の日本人はこの黒いグミを食べられず、受けが悪いから、あまり輸入もしていないようだ。これが食べられるようになるとヨーロッパ文化の理解も通の域だし、食べられないようではHariboファンを名乗る資格もない。

それほどカンゾウはヨーロッパでは甘味として古くから親しまれてきた。英語でリコリスと言えば、御存知の方もあるだろう。今でもドイツの子供たちは黒いグミの取り合いをする。ドイツの小学校で、あなたには特別にとっておいてあげたわ、といって貴重な黒いグミを渡され、娘は閉口したようだ。せっかくの好意は無に出来ないから、進んで口に入れ、息を止めて丸呑みするのがコツだそうだ。


【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

日本語社会 のぞきキャラくり 第68回 キャラクタの「年」(1)

2009年 12月 6日 日曜日 筆者: 定延 利之

キャラクタの「年」(1)

 前回(第67回)は、文節を『男』『女』の観点から観察する中で、助動詞「だ」と主な間投助詞「さ」「ね」「な」「よ」を取り上げた。ついでに周辺的な間投助詞も取り上げてみよう。

 「弁護士がの、財産をの、…」などと書くよりも、長く伸ばした「弁護士がのぅ、財産をのぅ、…」と書く方が思い当たってもらえるだろうか、間投助詞には「の(ぅ)」というのも実はある。日本語の研究においても教育においても、間投助詞「の(ぅ)」はてんで相手にされないが、あるにはある。だから周辺的な間投助詞である。以下ではこれをかんたんに「のぅ」と書くことにする。

 間投助詞「のぅ」の話し手は、特に『男』っぽくもなく、『女』っぽくもない。そして「弁護士がだのぅ、…」などとはふつう言わないように、間投助詞「のぅ」は助動詞「だ」とは合わない。ここまでは前回触れた間投助詞「さ」と同じである。だが特筆すべきは、「さ」が判断の助動詞全般と合わないのに対して、間投助詞「のぅ」は助動詞「じゃ」「です」と(特に、周辺的な助動詞「じゃ」とは)合うということである。

 では、助動詞「じゃ」「です」と間投助詞「のぅ」が共起して「じゃのぅ」「ですのぅ」となる時、話し手は『男』か『女』か。つまり「弁護士がじゃのぅ、財産をじゃのぅ、…」「弁護士がですのぅ、財産をですのぅ、…」などとしゃべる話し手は『男』か『女』かといえば、助動詞の入らない「弁護士がのぅ、…」の場合と変わらず、特に『男』っぽくも『女』っぽくもない。『老人』っぽいだけである。

 つまり間投助詞「のぅ」は『老人』のことばである。そして重要なことは、『老人』のことばには『男』『女』の別がないということである。(あの、現実のお年寄りの方々について、男女の違いがないと言っているのではありません。『老人』キャラのしゃべることばには、『男』『女』の違いがないということです。そこのところ、くれぐれも誤解されませんよう。)

 『老人』のことばと同様、『幼児』のことばにも『男』『女』の違いがない。『老人』が助動詞「じゃ」「です」をしゃべるのに対して、『幼児』は周辺的な助動詞「でちゅ」あるいは「でしゅ」をしゃべり、そこに『男』『女』の区別はない。もちろん、現実の幼児が「弁護士がでちゅ、財産をでちゅ、…」などとしゃべるわけではないが、イメージとして『幼児』のしゃべり方はそうなっている。ここに間投助詞「ね」「よ(上昇調)」が付いて「でちゅね」「でちゅよ(上昇調)」、あるいは「でしゅね」「でしゅよ(上昇調)」となっても、やはり『男』『女』の区別はない。ただひたすら『幼児』っぽいだけである。

 「周辺的な間投助詞」に話を戻せば、「ニャ」というのもないわけではない。「弁護士がニャ、財産をニャ、…」「そこを何とかですニャー、かつおぶしをですニャー、…」というやつで、これはマンガの中で『ネコ』がオスメス関係なしにしゃべる。文末なら『イヌ』の「そうだワン」、『ウサギ』の「そうだピョン」など、動物キャラのことばはそうめずらしくもないが、文節末では「弁護士がワン、財産をワン、…」「弁護士がピョン、財産をピョン、…」とはまず言わない。数ある動物キャラのうち、間投助詞をしゃべれるのは『ネコ』ぐらいかもしれない。「ニャ」は間投助詞「な」の変異体だろう。

 さすがに「ニャ」にはこれ以上詳しく立ち入る余裕がない。これは「周辺」のまま放置しておいて、ことばをしゃべるキャラクタの「年」について、もう少し見てみよう。

* * *

◆この連載を続けてお読みになる方は⇒「日本語社会 のぞきキャラくり」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「日本語社会 のぞきキャラくり」目次へ

◇この連載の中国語版と英語版
  中国語版⇒角色大世界――日本
  英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters

【筆者プロフィール】

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

* * *

【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。

地域語の経済と社会 第77回

2009年 12月 5日 土曜日 筆者: 井上 史雄

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第77回「イギリスの方言みやげ ― ヨークとニューキャッスルの訛り」
Dialect souvenir in England ― Accent of York and Newcastle

 外国の方言みやげは、これまでいくつか紹介されました(第12回「外国の方言みやげ」第19回「韓国の方言事情」第67回「リトアニアの方言区画」第74回「ドイツの方言(ベルリン編)」)。今回は英語の例をお見せします。1989年にイギリスで方言みやげを見つけました。いずれもイギリス(イングランド)北東部の、訛りがきつい地域のものです。

【写真1 ヨークシャ方言のテーブルクロス】
【写真1 ヨークシャ方言のテーブルクロス】
(クリックで拡大)

 【写真1】はヨークで手に入れたテーブルクロスです。「ヨークシャ方言」は有名です。単語や短文で訛った発音を示そうとしています。

ニューキャッスルの方言エプロン
【写真2 ニューキャッスルの方言エプロン】
(クリックで拡大)

 【写真2】はジョーディーGeordie方言のエプロンpinnyです。同じデザインのテーブルクロスもあります。ジョーディーというのは、タインTyne川流域ニューキャッスルの方言のことです。こちらも綴りを変えて発音の違いを示し、面白おかしいことを書いています。

 方言みやげは、人々の意識を反映します。英語の訛りの強さは、イギリス(イングランド)の北のほうに際立ちます。これについての英語の論文の一つは、インターネットでダウンロードして読めますし、印刷もできます。English Papers by Fumio Inoueで検索すると出てきます。V章19b論文 “Subjective dialect division in Great Britain” の167ページの地図で場所が分かります。また170ページのグラフで学生の意識が分かります。

 実はEnglish Papers by Fumio Inoueは三省堂のサーバーで見ることができます。学術論文を探すには、Google Scholarが便利で、またCINIIやGENIIも役立ちます。でも上の論文は今のところ検索されません。

 日本で英語の本を出版しても、高くついて、一部の人しか(だれも?)買いません。インターネットで公開したので、無料配布と同じ効果があります。でもサービスしてくれた三省堂の人は「出版社としては複雑な気持ちだ」と言っていました。せめて三省堂のほかの本が売れるといいのですが。

* * *

◆この連載を続けてお読みになる方は
「地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は
「地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―」目次へ

【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

『社会方言学論考―新方言の基盤』『日本語ウォッチング』井上史雄(いのうえ・ふみお)
明海大学外国語学部教授。博士(文学)。専門は、社会言語学・方言学。研究テーマは、現代の「新方言」、方言イメージ、言語の市場価値など。
履歴・業績 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/inouef/
英語論文 http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/person/inoue_fumio/ 
「新方言」の唱導とその一連の研究に対して、第13回金田一京助博士記念賞を受賞。著書に『日本語ウォッチング』(岩波新書)『変わる方言 動く標準語』(ちくま新書)、『日本語の値段』(大修館)、『言語楽さんぽ』『計量的方言区画』『社会方言学論考―新方言の基盤』(以上、明治書院)、『辞典〈新しい日本語〉』(共著、東洋書林)などがある。

* * *

【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。

* * *

この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

明解PISA大事典:異文化コミュニケーションのカギ

2009年 12月 4日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第26回 フィンランド紀行6

 「なぜ外務省を辞めて教育の世界に入ったのか?」ということをよく聞かれる。外務省を辞めた理由は多々ある。ありすぎて書ききれない。だが、教育の世界に入った理由は単純である。フィンランドの教育を見てしまったから――これが最大の理由である。

 これまでの「フィンランド紀行」でも紹介したように、フィンランドの教育というのは世間で言われているほどには大したものではない。いや、フィンランド教育に幻想を抱いているのはこちらの勝手であり、このような言い方はフィンランドに対して失礼であろう。フィンランドの教育も日本の教育も、それぞれがそれぞれの問題を抱えて苦しんでいるという点ではまったく同じなのである。

 では、なぜフィンランドの教育を見てしまったことが、外務省を辞めて教育の世界に入ることにつながるのか?

 話はいったんフィンランドから離れる。

 私が外務省に勤めていた当時、つまり冷戦末期から90年代にかけて世界は混沌とした状況にあった。崩壊寸前のソ連の周辺では新たな国がボコボコと生まれ、対等な権利を主張しつつ、莫大な援助を望んでいた。そういう「予想外の国の人々」とやりあっていくうちに、異文化コミュニケーションについて様々な気付きが生まれる。

 最初に気付くのは「言わなければ分からない」ということ。当たり前のことではないか――と思われるかもしれないが、「予想外の国の人々」とやりあっていると、その当たり前のことをイヤというほど実感するのである。価値観が大きく異なるのはもちろんのこと、どうやら常識も大きく違うようであり、そこに様々な利害がからんでくると、言ったからといって分かるとは限らないが、少なくとも言わなければ絶対に分からない。「アウンノコキュウ」などというものはどこを探しても見つからない。

 次に気付くのは、「とりあえず相手の考えを受け止めるしかない」ということ。相手はシベリアに延々と抑留された末に、ほとんど丸腰でソ連軍と戦いながら独立を勝ち取ってきた人々である。こちらが一生かかっても経験しないようなことを、毎日のように経験してきたのである。相手がわけのわからないことを言ってきたとしても、きっと何か理由があるのだろう。まずは受け止めるしかない。こちらも言いたいことを言いまくるかわりに、相手にも言いたいことを言いまくらせるしかない。

 だが、これら二つの気付きには、必ず相反する気付きがくっついてくる。

 「言わなければ分からない」のだから、いちいち分かりきった(と、こちらが思っていること)まで言わなければならないのだが、困ったことに言葉ですべてを言い尽くすことは不可能なのである。言葉には限界があるのだ。言葉で言い尽くそうとすればするほど、言葉の限界をイヤというほど思い知るのである。

 「とりあえず相手の考えを受け止めるしかない」といいつつも、結局のところ自分の知識と経験と関連づけて理解することしかできない。自分の理解力にも限界があるのだ。受け止めようとすればするほど、「とても自分には理解できない」ということをイヤというほど思い知るのである。

 これらの気付きから、最後の気付きが生まれる。

 やはり分かり合えないのか?

 そう、たぶん分かり合えないのである。それでもなお、国際社会を維持していくためには、そういう人々とも言葉で繋がっていくしかない。言葉で繋がっていくためには「言わなければ分からない」。しかし「言葉には限界がある」……という具合に、無限のループに落ち込んでしまうのだ。

 では、この無限のループに落ち込んで困ったのかというと、まったくの逆であった。無限のループに落ち込んでからというもの、「予想外の国の人々」との話が実にスムーズに進むようになったのである。おそらく、様々な気付きを経て、この無限のループに落ち込むことに異文化コミュニケーションのカギがあるのだろう――。

 ここで話はフィンランドに戻る。

 なぜ、フィンランドの教育に出会ったから、教育の世界に入ることにしたのか? それはフィンランドの教育を見て、びっくりしたからである。なぜ、びっくりしたのか? それはフィンランドの教育では、この無限のループの気付きに基づく教育をやっていたからだ。それも国際理解教育などではなく、ごく普通の国語教育(正確には『母語と文学教育』)でやっていたのである。

 なぜフィンランドはそのような教育をやっているのか? 具体的にはどのようにやっているのか? これについては次回以降で紹介することにしよう。

* * *

◆この連載を最新記事からお読みになる方は⇒「明解PISA大事典」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「明解PISA大事典」目次へ

【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

* * *

【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。

近刊案内(2009年12月)

2009年 12月 4日 金曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部
三省堂の辞書・事典、2009年12月に出版が予定されているものは…

山本直文 仏英和料理用語辞典 復刻版

山本直文 著
A5判 336ページ ¥3,150 ISBN 978-4-385-12318-9

日本のフランス料理草創期、料理人たちのバイブルだった山本直文先生の名著の復刻版。メニュー、食材などの料理用語を初めて解説。仏英=和約 6500項目、和=仏英約1200項目、付録に「初等フランス語講義」「献立その他の注意」。新たに著者の写真や年表形式で「日本のフランス料理の流れ」を収録。(12月16日 販売会社搬入予定)
『山本直文 仏英和料理用語辞典 復刻版』のページへ

人名用漢字の新字旧字:「琉」と「瑠」

2009年 12月 3日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第48回 「琉」と「瑠」

「瑠」は昭和51年7月30日に人名用漢字になりました。「琉」は平成9年12月3日に人名用漢字になりました。つまり、現在では「瑠」も「琉」も出生届に書いてOK。「瑠」と「琉」は単なる異体字で、別に新旧の関係ではないのですが、ここではあえて「瑠」を旧字、「琉」を新字と呼ぶことにしましょう。

法務省民事局は昭和50年7月、子供の名づけに使える漢字として追加すべきものを、全国の市区町村を対象に調査しました。さらに法務省民事局は、法務大臣の私的諮問機関として、人名用漢字問題懇談会を発足させ、人名用漢字に新たに28字を追加すべきだ、という結論を得ました(昭和51年5月25日)。この28字の中に、旧字の「瑠」が含まれていたのです。そして昭和51年7月30日、「瑠」を含む28字は、人名用漢字追加表として内閣告示されました。

法務省民事局は昭和63年5月にも、子供の名づけに使える漢字として追加すべきものを、全国の市区町村を対象に調査しました。これを受けて、平成元年2月13日に民事行政審議会が発足し、人名用漢字追加の審議を開始しました。この審議の中で、新字の「琉」の追加も議論されたのですが、旧字の「瑠」がすでに人名用漢字だったので、一字種一字体の原則により、「琉」の人名用漢字追加は見送られました。

平成9年1月24日、那覇市のとある夫婦のもとに、男の子が誕生しました。両親は、この子に「琉」と名づけ、那覇市役所に出生届を提出しました。那覇市としては、実は、この出生届を受理したかったのですが、那覇地方法務局に照会した結果、3月11日に出生届を不受理処分としました。両親はやむをえず、3月19日に「名未定」とした出生届を再提出しました。これに対し、那覇市長の親泊康晴は、みずからが会長をつとめる沖縄県戸籍住民基本台帳事務協議会にこの問題を諮り、「琉」が人名用漢字に追加されるよう、法務省にはたらきかけていくことを決議しました。

ところが、両親が留学のためにパスポートを取得しようとしたところ、「琉」ちゃんは戸籍上「名未定」であるために、パスポートの取得を拒否されました。ここに両親は、子供の名を「琉」とする出生届を受理するよう、那覇市長を相手どって、那覇家庭裁判所に不服を申立てたのです(平成9年7月30日)。

那覇市長は、形式上この不服申立てを受けて立つ一方、8月5日に鹿児島で開催された九州ブロック戸籍事務協議会で、「琉」の人名用漢字追加を強く要望します。さらに10月21日の全国連合戸籍事務協議会総会において、「琉」の追加を法務省に要求する決議が、賛成多数で採択されます。これを受けて、11月13日の参議院法務委員会では、下稲葉耕吉法務大臣が「私自身も、どういうふうな経緯で琉球の琉という字が人名漢字から落ちたか疑問に思う」と答え、「早急に結論を出したい」と約束しました。

平成9年11月18日、那覇家庭裁判所は、子供の名を「琉」とする出生届を受理するよう、那覇市長に命令しました。那覇市側は、この審判に対して即時抗告をおこなわず、12月3日をもって審判が確定しました。同じ平成9年12月3日、下稲葉耕吉法務大臣の名で戸籍法施行規則が改正され、「琉」1字だけが人名用漢字に追加されました。この結果、現在では「瑠」も「琉」も出生届に書いてOKなのです。ちなみに現在、常用漢字の改正が検討されていて、旧字の「瑠」が人名用漢字から常用漢字になる可能性があるようです。その時、新字の「琉」はどうなるんでしょうね。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。

『三省堂国語辞典』のすすめ その96

2009年 12月 2日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

外からの目で、日本語を知る。

外国人学生
【キャンパスには多様な学生が】

 留学生のAさんが、雑誌に〈あなたの理想の相手を診断します!〉とあるのを見とがめました(その記事は『Hot Pepper』2007.6 p.241)。彼女によると、「診断」の使い方がおかしい、これでは「あなたの恋人を診察します」という意味になるというのです。

 思いも寄らない指摘に驚きました。たしかに、『三省堂国語辞典』(旧版)を見ると、「診断」には「診察して病気の状態を判断すること」「欠陥があるかどうかを判断し、必要な処置を決めること」の意味しかないので、冒頭のような例は解釈できません。

「診断」の例(週刊ポスト2009.12.11)
【運勢診断?!】

 気をつけていると、「相性診断」「ネット診断」など、同様の使い方は少なくありません。従来のブランチには収まらないとみて、『三国』の第六版では、「診断」の項目に

 〈3 うらない。「相性(アイショウ)―」〉

 という意味をつけ加えました。要するに「占い」の言い換えとみたわけです。「運勢診断」などという例もあり、運勢はふつう「診断」できるものではないので、これはどうしても新しい意味だと考えざるをえません。

 別の留学生Bさんから、大江健三郎「飼育」の中に「事を運ぶ」とあるのが分からない、と言われたことがあります。

「事を運ぶ」の例
【大江健三郎「飼育」】

 〈僕は〔略〕事を運ぶに際して周到さは持ちつづける専門家のように、眉をひそめて広場を横ぎり子供たちを一瞥もしない。〉(『死者の奢り・飼育』新潮文庫 p.113-114)

 『三国』旧版には、「事を運ぶ」は載っていませんでした。もっとも、「運ぶ」には〈〔ことを〕進める。「交渉(コウショウ)を―」〉とあるので、これを見ればいいとも言えます。でも、「事を運ぶ」で熟したことばなので、見出しに立てたいところです。第六版では次のように記述しました。

 〈事を運ぶ[句]ものごとを順を追って実行する。「てきぱきと―」〉

 辞書は、新語や難解語だけでなく、こういった一見当たり前のことばもすくい取り、きちんと説明しなければなりません。でも、当たり前のことばは、ともすると見過ごしがちです。それだけに、AさんやBさんの指摘は印象深いものでした。

 留学生は日本語を学びにくるのですが、彼らから日本語について学ぶことも多くあります。これは日本語研究に限らず、いや、学問に限らず、何に関しても言えることです。

* * *

◆連載を続けてお読みになる方は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」アーカイブ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」目次へ

◆新連載「国語辞典入門」は⇒「国語辞典入門」アーカイブ

◆新連載「国語辞典入門」をタイトルからお探しになる方は⇒「国語辞典入門」目次へ

◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

* * *

【編集部から】
生活にぴったり寄りそう現代語辞典として定評のある『三省堂国語辞典 第六版』が発売され、「【サンコク】メディアでの紹介」の記事にある通り、各方面で取り上げていただいております。その魅力をもっとお伝えしたい、そういう思いから、編集委員の飯間先生に「『三省堂国語辞典』のすすめ」というテーマで書いていただいております。

« 前のページ次のページ »