2010年 2月 のアーカイブ

日本語社会 のぞきキャラくり 第79回 『関西人』たち(1)

2010年 2月 28日 日曜日 筆者: 定延 利之

『関西人』たち(1)

 発話キャラクタを「品」「格」「性」「年」という4つの観点から述べてきたことに対して(第57回~第72回)、「観点が4つでは足りないのでは?」という、読者がまず感じそうな疑問を取り上げ、詳しく答えている(第73回~)。その過程で、ここしばらく触れているのが『平安貴族』『欧米人』『田舎者』『ネコ』『ぴょーん人』その他の『異人』キャラである(第76回第77回第78回)。本筋から離れることを承知で、もう少しだけ『異人』キャラ、特に『関西人』キャラを取り上げておこう。

 『関西人』がなんで『異人』やねん!というツッコミ、ごもっともである。谷崎潤一郎の『細雪』を例に挙げたこともあるにはあったが(第15回第16回第17回)、この連載で私たちが観察しているのは「日本語社会」とはいいながら、「日本語社会」のごく一部をなしている「共通語社会」に過ぎないということを遅まきながらお断りしてご寛恕を乞うしかない。あの、『江戸っ子』さんも『異人』扱いですから(第78回)、ここはどうかお納め下さい、すんません。

 てなわけで、『関西人』がふつうなのは関西社会での話であって、「共通語社会」では違う。そこでは『関西人』は、強烈な『異人』臭を発しているのである。だからこそ、その『異人』臭を利用したニセ『関西人』も出てくる。たとえば山本周五郎の『眼の中の砂』に出てくる、或る画家である。

 私の知人でT……という洋画家がいます。秋日会の会員で相当知られてもいるし、画はうす汚い妙なものですがよく売れるので有名でした。彼は湘南(しょうなん)地方の生まれにも拘(かかわ)らず巧みに関西弁をつかうのですが、それが「商売上のこつだ」というのでした。「標準語でやると絵なんか売りにくいが、関西弁でやればすらすらとゆくし、必要となれば相当ぼろいこともできる」こう云っていました。
[山本周五郎『眼の中の砂』(『寝ぼけ署長』(1948)より)]

 うわー、この画家やだなー、この画家のしゃべる関西弁もやだなーという思いをとりあえず措いてみると(措いてみなくても)、この洋画家が商談をする局面で発動させている発話キャラクタ『関西人』は、商談を得意とする商人(あきんど)のキャラにほかならないということに気づく。「コミュニケーション行動に臨む際に、そのコミュニケーション行動を得意とするキャラクタが発動される」という「キャラ変わりの原則」は(第11回)、実は遊びの文脈にかぎらず、もっと一般的に観察できる原則である。

 商談が難航してくると「そんな冷たいこと、言わんといて」と突然『関西人』キャラを発動させてくる、私が中近東の某国で遭遇した絨毯売りも(第5回)、これと似たケースと言える。だが、この絨毯売りの場合、商談の中でそこだけ急に関西弁という点もおかしいし、そもそもいかにも中近東なその風貌からして、関西人(というか日本人)になりおおせるはずもなく、『関西人』キャラは破綻(第74回)している。いや、逆にその破綻を狙ったギャグとして客の笑いを誘い、商談を有利に進めようとしたのかもしれない。計画倒産のような、というべきだろうか、あるいは偽装離婚のような、というべきか、キャラクタの破綻狙いというのもなかなか深いものがある。

 しかしながら『関西人』キャラに関する忘れがたい事例といえば、やはり、高橋和巳の『悲の器』に出てくる横井検事だろう。(つづく)

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◇この連載の中国語版と英語版
  中国語版⇒角色大世界――日本
  英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters

【筆者プロフィール】

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

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【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。

地域語の経済と社会 第88回

2010年 2月 27日 土曜日 筆者: 日高 貢一郎

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第88回 高知県四万十市の「あきついお」

 このほど“日本最後の清流”として知られる高知県の四万十川に出かけ、四万十市内にある博物館「あきついお」を訪ねました。

「あきついお」(四万十川学遊館)
【写真1】「あきついお」(四万十川学遊館)

 「あきついお」とは……? ちょっと変わった名前ですが、実は、「あきつ」と「いお」からなり、四万十川流域を中心とした、昆虫のトンボと、川魚とを集めた学習・観光施設です。

 「あきついお(四万十川学遊館)」という名前と表記からもわかりますが、楽しく遊びながらしっかり学んでもらいたいという思いが込められています。

 設立者は「社団法人・トンボと自然を考える会」です。四万十川流域には約90種のトンボと、約200種の魚がいるということですが、「あきついお」には日本はもとより、海外まで含めてトンボの標本1000種、3000点、魚300種、2000点が展示されています。

 トンボのことを、日本では古くは「あきづ」(蜻蛉、秋津)、のちに「あきつ」(中古以降)と言ったことが知られています。

 トンボを意味する方言は、『日本方言大辞典』(徳川宗賢ほか編、小学館、平成元年=これまでに全国各地で発行された方言集や方言辞典、およそ1000冊を集大成し、約20万語もの方言での言い方を収録した、日本で最大の方言辞典)によると、全国でこれまでに知られているだけでも、実に189種類にものぼります。

 この辞典をベースにして、共通語形から引けるようにしたのが『標準語引き 日本方言辞典』(佐藤亮一監修、小学館、平成16年)ですが、同書によると、トンボのことを「あきつ、あけず」などと言う(言った)地域は、主に北の東北地方と、遠く離れた南の九州・沖縄です。「ゐなかには、いにしへの言の残れること多し」(本居宣長『玉勝間』)と言われる、その例のひとつです。

 国立国語研究所編『日本言語地図』(全6巻)にもこの項目があり、その一般向けの簡略版ともいうべき『日本の方言地図』(徳川宗賢、中公新書)にも全国の分布図と解説があります。

 インターネットの「Web水族館 全国水族館ガイド」には「高知県の言葉で「あきつ」はトンボ、「いお」は魚で、「あきついお」の名称となっている」とありますが、『高知県方言辞典』(土居重俊)には、「いお」(=魚)はありますが、「あきつ」は見られません。

 そうなると、館名の「あきついお」は、古語+方言と見るべきでしょうか。

「いおワールド」(鹿児島市)
【写真2】「いおワールド」(鹿児島市)

 なお、同様の命名をしたのが、鹿児島市にある「いおワールド かごしま水族館」です。魚を意味する「いお」と、その多様な世界=「ワールド」を見てもらおうと名づけられたものです。

《参考》高知県四万十市の「あきついお」はhttp://www.gakuyukan.com/index2.html、鹿児島市の「いおワールド」はhttp://www.ioworld.jp/ の、各ホームページを参照。

写真提供:「あきついお」、「いおワールド」

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

日高貢一郎(ひだか・こういちろう)
 大分大学 教育福祉科学部 教授(国語学・方言学) 宮崎県出身。これまであまり他の研究者が取り上げなかったような分野やテーマを開拓したいと、“すき間産業のフロンティア”をめざす。「マスコミにおける方言の実態」(1986)、「宮崎県における方言グッズ」(1991)、「「~されてください」考」(1996)、「方言の有効活用」(1996)、「医療・福祉と方言学」(2002)、「方言によるネーミング」(2005)、「福祉社会と方言の役割」(2007)など。

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【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。

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この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

人名用漢字の新字旧字:「𦁪」と「綾」

2010年 2月 25日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第57回 「𦁪」と「綾」

057aya-new.png昭和32年2月22日、琉球政府は人名用漢字表を告示しました。この人名用漢字表は「𦁪」(糸へんに坴)を含む92字を収録していました。本土復帰前の沖縄では、「𦁪」を子供の名づけに使ってOKだったのです。

その9年前、昭和23年1月1日におこなわれた戸籍法改正は、しかし、沖縄にはその効力が及んでいませんでした。当時、沖縄はアメリカ軍の軍政下にあり、しかもほとんどの市町村で戸籍簿が滅失してしまっていたのです。本土では、子供の名づけに当用漢字しか認めないという漢字制限が始まっていたのですが、沖縄では戸籍制度そのものが崩壊しており、漢字制限どころではなかったのです。昭和26年5月25日に人名用漢字別表が内閣告示され、「綾」を含む92字が人名用漢字になりましたが、その効力も沖縄には及びませんでした。

昭和29年3月1日、琉球政府は戸籍整備法を施行し、失われた沖縄県戸籍の再製に乗り出しました。当時、琉球政府の公文書では、「沖縄県」も「昭和」も一切使用を許されていなかったのですが、再製された戸籍に限っては、本土と同じく元号表記を使用し、「沖縄県」を本籍地としたのです。沖縄にとって、本土と全く同じ形式の戸籍は、本土復帰への大きな一歩でした。

さらに琉球政府は、昭和32年1月1日、戸籍法を施行しました。その第46条には以下の条文がありました。

第四十六条    子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。
2    常用平易な文字の範囲は、規則で定める。

沖縄での出生届の漢字制限は、本土から9年遅れで始まったのです。しかし琉球政府は、当用漢字表すら告示していませんでした。アメリカとの関係を考えると、琉球政府にとって当用漢字表の告示は、まず不可能だったのです。それに代えて琉球政府は、7週間後の2月22日、人名用漢字表を告示しました。人名用漢字表は92字を収録していましたが、本土の人名用漢字別表とは微妙に違っていました。違いの一つは、「綾」の代わりに「𦁪」(糸へんに坴)が収録されていたことです。しかも、琉球政府の人名用漢字表の前文は以下のようになっていました。

「当用漢字表」(1952年告示第63号「文書作成規程」第5条)に掲げる漢字以外に人名に用いてさしつかえない漢字を次の表とおり定める。

実は、文書作成規程(昭和27年12月8日琉球政府告示)第5条には「漢字は、当用漢字表・同音訓表によらなければならない。」とあるだけで、当用漢字表そのものは掲載されていなかったのです。しかし、これが琉球政府としては精一杯でした。

昭和47年5月15日、沖縄は日本に復帰しました。同時に琉球政府の人名用漢字表は無効となり、本土の人名用漢字別表が適用されることになりました。「𦁪」(糸へんに坴)も子供の名づけに使えなくなり、本土と同じく「綾」が出生届に書いてOKとなったのです。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。

国語辞典入門:語釈・説明がおもしろい辞典

2010年 2月 24日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第7回 競作される「おもしろ語釈」

 『新明解国語辞典』(三省堂)を「語釈がおもしろい国語辞典」として楽しんでいた私は、間もなく、「では、ほかの辞書はおもしろくないのか」という疑問に行き当たりました。そこから、ほかの辞書への興味が湧いて、大学生活を送るうちに、辞書の数も増えてきました。1冊に頼る生活から、複数を比較検討する生活へと、質的変化が起こりました。

 楽しめる国語辞典は『新明解』だけでないということは、すぐに分かりました。たとえば、「時間」(または「時」)の項目などは、辞書ごとに個性のある説明がしてあります。

 「時間」とは何か、と問われて、すぐに答えられる人は少ないでしょう。NHKの朝ドラでは、登場人物の青年が〈時間が経つということは、変化するということですわ〉と言っていました(NHK「ウェルかめ」2010.2.5 8:15)。「時間とは変化である」というのは、なかなかいい着眼点だと思います。では、国語辞典ではどうでしょうか。

 まず、『新明解』を引いてみると、「時間」の項目でこう説明しています。

 〈人間の行動を始めとするあらゆる現象がその流れの中で生起し、経験の世界から未経験の世界へと向かって行く中で絶えず過ぎ去っていくととらえられる、二度と元には戻すことができないもの〉(第六版)

 例の名調子です。「時間とは、経験から未経験へ向かう流れだ」と喝破しています。

 次に、『三省堂国語辞典』の「時」の項目ではこうなっています。

 〈すこしも止まることなく過ぎ去り、決して もどることのないもので、直接に知ることはできないが、変化を通して、また時計などを使って知ることができるもの〉(第六版)

 「直接に知ることができず、変化を通して知るものだ」という見方です。これは、上の朝ドラのせりふと通じるものがあります。

 『岩波国語辞典』の「時」はこうです。

 〈過去から現在へ、更に未来へと、とどまることなく移り流れて行くと考えられる現象。具体的には月日の移り行きの形で感ぜられる〉(第七版)

 間接に知られるものだという含みは『三省堂』と同じですが、「月日の推移で知るもの」というところに特徴があります。

国語辞典によって違う把握のしかた

 このように、「時間」というとらえどころのないものを、なんとか明快に定義しようと、それぞれの国語辞典が競っています。いわば「おもしろ語釈」の競作です。

 「おもしろ語釈」がとりわけよく見つかるのは、物の形の説明です。たとえば、「マンボウ」という魚の形はじつにユーモラスですが、これはどう説明してあるでしょうか。

 国語辞典を引き比べると、「卵形」と定義するものが多いようです。もっとも、「卵形」だけでは、ハンプティ・ダンプティみたいな魚かと思われてしまいます。『岩波』では〈体は扁平(へんぺい)な卵形で〉と、平べったいことを明示しています。

 『大辞林』(三省堂)の描写は、かなりくわしいものです。

 〈体は卵形で、著しく側扁し、背びれ・尻びれとひだ状の舵びれが体の後端にあり、胴が途中で切れたような特異な体形をしている〉(第三版)

 注目したいのは、「胴が途中で切れたような」というところです。なるほど、多くの魚が長い胴体を持つ中で、マンボウは、まるで頭の部分だけが泳いでいるようにも見えます。『大辞林』の説明は、この特徴を捉えています。

 『三省堂』も、最近「マンボウ」の項目を載せました。

 〈円盤(エンバン)のような胴(ドウ)をもつ、全長約三メートルの さかな。からだの上下に、大きな ひれが ついている〉(第六版)

 マンボウを「円盤の両側にひれがついたような魚」と単純化しています。大胆とも言えますが、姿が目に浮かびやすい説明ではないかと思います。

 読者の中には、苦労して形を説明するより、マンボウの絵なり写真なりを示せばいいじゃないかと思う人もいるかもしれません。でも、それでは、その対象を「把握」することにはなりません。

 人間は、「時間」とか「マンボウ」とかいうぼんやりした対象を、「これは要するにこういうものだ」とことばに置き換えることで、はじめて把握(認識)することができます。国語辞典の役目のひとつは、その把握のしかたを示すことです。

 国語辞典によって、対象の把握のしかたには個性があります。辞書を引き比べて「おもしろ語釈」を探すうちに、この違いを実感するようになります。

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◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。

深谷圭助先生の辞書引き学習体験会(3月7日)

2010年 2月 23日 火曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部

以下のイベントは終了いたしました。イベントのもようはこちらをご覧ください。
 ⇒報告:深谷先生の辞書引き学習体験会(3月7日)

「辞書引き学習」基本のステップは五つ! 今すぐ始めたい方はこちらをご覧ください。
 ⇒「辞書引き学習」とは(監修:深谷圭助)
 「やってみよう!」 「辞書引き学習」への取り組み―先生方・保護者の方へ―

ご家庭での取り組みの参考にと、深谷先生にインタビューをさせていただきました。以下をご覧ください。
 ⇒インタビュー「辞書引き学習」の深谷圭助先生《前編》
 ⇒インタビュー「辞書引き学習」の深谷圭助先生《後編》

最新のイベント情報は右にあります「おすすめ記事」からご覧ください。今後のイベント情報、また、これまでの報告など関連情報は以下からもご覧いただけます。
 ⇒「辞書引き学習」についての情報

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丸善・新生日本橋店3周年記念
「親子で深谷先生の辞書引き学習を体験しよう」

 すべての漢字にふりがなを付け一年生からでも使える『三省堂 例解小学国語辞典 第四版』。この辞典の推薦者で、「辞書引き学習」の提唱者として著名な深谷圭助先生が、みずから「辞書引き学習」を指導して下さいます。
 この機会に、親子でぜひ、楽しみながら言葉の力をつける「辞書引き学習」をご体験下さい。

日時:2010年3月7日(日)午後2時開場 2時30分~4時30分
場所:TKP日本橋ビジネスセンター会議室 カンファレンスルーム 1C
当日集合場所:TKP日本橋ビジネスセンター 1F 受付前
講師:深谷圭助先生(立命館小学校校長)
対象:小学校1年生から3年生までの児童と親のペア(2名1組)
定員:25組50名様(要予約)
参加費:1組様2,000円(教材費込)
主催:丸善・日本橋店
お申し込み・お問い合わせ:丸善・日本橋店HP

【編集部からのお知らせ】

このウェブサイトにて、深谷先生のインタビューを掲載しています。以下をご覧ください。
 ⇒インタビュー「辞書引き学習」の深谷圭助先生《前編》
 ⇒インタビュー「辞書引き学習」の深谷圭助先生《後編》

編集部で立命館小へうかがいました。以下に訪問記を掲載しています。
 ⇒「辞書引き学習」の立命館小訪問記1
 ⇒「辞書引き学習」の立命館小訪問記2

各地の辞書指導や辞書を使った学習のもようをリポートします。
 ⇒「辞書引き学習」訪問記:千葉・水の江小

最新のイベント情報は右にあります「おすすめ記事」からご覧ください。今後のイベント情報、また、これまでの報告など関連情報は以下からもご覧いただけます。
 ⇒「辞書引き学習」についての情報

『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて(21)

2010年 2月 23日 火曜日 筆者: 赤間 恵都子

(21) 長徳の変~歴史的背景~

 長徳元年3月9日、関白道隆が病により政務を執れなくなった時、内大臣伊周(これちか)に内覧の宣旨が下されました。内覧とは、天皇に奏上すべき公文書に目を通し、政務を代行することで、実質上の摂政関白の職務に当たります。弱冠22歳の伊周が、父の後を継いでそのまま政権獲得かと思われたのですが、道隆の死後、関白職を継いだのは道隆の弟の右大臣道兼でした。

 道兼は、念願だった関白の宣旨を賜って、任官御礼のために意気揚々と内裏に向かいます。ところが、その時すでに、彼は巷で猛威をふるっていた疫病に感染していました。自分でも体調がおかしいと思いながら参内した道兼は、内裏から退出する際には人に支えられなければ歩けない状態だったと『大鏡』には記されています。それから間もなく、道兼は息を引き取りました。関白就任から薨去まで10日余り、世間で七日関白と称されました。

 さて、道兼を襲った長徳元年の疫病は他の公卿たちの命も次々と奪いました。3月末から6月半ばまで、3ヶ月もたたない間に、道隆、道兼の他、大納言朝光(あさみつ)、左大将済時(なりとき)、左大臣源重信(しげのぶ)、中納言源保光(やすみつ)、権大納言道頼らが亡くなりました。官僚たちが次々と抜けていく中、政権の行方は、先に関白を逸した内大臣伊周と権大納言道長のどちらかに絞られていきます。

 長徳元年5月11日、今度は道長が内覧の宣旨を賜り、6月19日に右大臣に昇進します。このころから伊周と道長の軋轢(あつれき)が表面化し始めます。公事の列席上で二人が激昂して争ったり、伊周の弟隆家の従者と道長の従者が七条大路で乱闘したり、それが道長の従者殺害事件にまで発展してしまいます。いつまでも続く険悪な状況に決着を着けたのが、長徳の変でした。

 長徳2年4月24日、内大臣伊周を大宰権帥(だざいのごんのそち)に、中納言隆家を出雲権守(いづものごんのかみ)に任ずるという宣旨が下されたのです。長徳の変のきっかけとなったのは、長徳2年1月、隆家の従者が花山法皇に弓を射かけた出来事です。その原因は、当時、花山院と伊周が交際していた女性が姉妹だったことから生じた誤解でした。平安時代の恋愛は、男性が親と同居する女性の許に通う形式でしたから、姉妹に通うそれぞれの男性が同じ邸で行き合う事も多かったようです。

 いつも伊周とつるんで出歩く行動派の隆家が、兄の代わりに恋敵を脅かしてやろうとしたその相手が花山院だったために、法皇殺害未遂という不敬事件に発展してしまいました。道長にとっては、伊周を失脚させるいい口実が出来たことになります。その後、伊周の祖父の高階成忠が女院詮子を呪詛したこと、伊周自身が行った修法が天皇だけに許される行為だったことが罪科として追加され、ついに伊周と隆家は都から追放されることになったのでした。

 道隆が没してわずか一年後、中関白家はなぜ没落してしまったのでしょうか。『大鏡』は道長が政権を執った理由として、長徳元年の疫病で多くの公卿が亡くなったことに加え、政敵の伊周が政治家としての資質を備えていなかったことを挙げています。
 伊周と隆家は長徳の変の当日、定子と共に二条邸に籠もっていました。中宮の自邸ということで、検非違使(けびいし)たちも手出しできないことを見越していたと思われます。5月1日に二条邸内が捜索された時、伊周は逃亡しており、隆家だけが配流地に出発しました。しかし結局、伊周は帰邸し、4日にようやく出立しています。自らの立場を弁えず、窮地に立つと肉親に頼る伊周の甘え、その大局を見る力のなさが中宮定子の運命を巻き込んで、中関白家没落の事態を招いてしまったのではないでしょうか。

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【著者プロフィール】

赤間 恵都子(あかま・えつこ)
十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「枕草子研究の動向と展望―年時考証研究の視座から―」(『十文字学園女子短期大学研究紀要』2003年12月)、「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)など。

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【編集部から】

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。(隔週掲載)

辞書の定価

2010年 2月 22日 月曜日 筆者: 信岡 資生

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(81)

前回(第77回)取り上げた『大獨日辭典』(昭和8年 大倉書店)は、著者登張竹風先生自ら記すところによれば、5,000枚に及ぶ校正刷りを7、8校して完成には7年かかったそうで、コンピューターはおろかコピー機もファクスもなかった時代のことを思えば、労苦の程が偲ばれる。奥付に「完成記念價拾圓」とある。人事院の資料によると、当時(1926-37)の国家公務員(1種行政職大学卒)の初任給は月額75円であり、また、別の資料によると1929年当時の大学教員の初任給は、私立で普通55円から高いところでも100円であったようだ。これでは大学を出たばかりの教師にとって10円もする辞書はおいそれとは買えない。現在月給20万円そこそこの教師が2~3万円の電子辞書を買うようなものである。恥ずかしい話だが、筆者自身昭和30年春愛媛大学に赴任したときの給料は9,200円だったと記憶している。だから昭和33年6月に戦後はじめての大型独和辞典である『大独和辞典』(相良守峯編 博友社)が2,500円(特価2,200円)で刊行されたとき、私費で購入するのをためらった覚えがある。

昭和8年当時の大型独和辞典には、片山正雄著『雙解獨和大辭典』(昭和2年 南江堂 昭和6年第一次改訂 昭和9年改訂増補版)があって、革表紙で定価8円(特価7円)であった。「雙解」の名にたがわずドイツ語訳もついていたが、活字はドイツ文字(Fraktur)を使用していた。これに対し、登張著『大獨日辭典』ではラテン字体を用いた。

販売事情を考慮したのか、翌昭和9年12月に大倉書店は『大獨日辭典』の普及版を出した。普及版は、もとがB5判で硬くて分厚い表紙だったのを、半分の大きさB6判に縮刷して軟らかい布表紙とし、定価5円30銭、特価5円80銭とした。この普及版も、上記片山著『雙解獨和』も、戦後の昭和20年代に筆者は古本で入手して大いに活用させていただいたものである。三省堂が『コンサイス獨和辭典』を刊行したのは昭和11年で、定価は3円50銭、また『木村・相良獨和辭典』(博文館)が出たのは昭和15年で、定価は6円80銭(特価5円70銭)であった。

大倉書店は明治中期から大正・昭和のはじめにかけて外国語の辞典を刊行した大手の出版社で、夏目漱石の『我輩は猫である』の初版を刊行(明治39年11月)したことでも知られている。竹風先生の御子息登張正實先生は私の旧制高校時代からの恩師であるが、正實先生から直接お聞きしたところによると、大倉書店の創業者大倉孫兵衛は抜け目のない人物で、道で拾った大金入りの財布をネコババしてそれを元手に出版業を始めたとの噂もあるような男、父竹風は金銭才覚に乏しかったから、この社長にいいようにあしらわれ、幾つもの辞書を出版させた割りには自身の懐はさっぱり潤わなかったとの話である。


【筆者プロフィール】
信岡資生(のぶおか・よりお)
成城大学名誉教授
専門は独和・和独辞典史
『クラウン独和辞典 第4版』編修主幹


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

日本語社会 のぞきキャラくり 第78回 異人たち(下)

2010年 2月 21日 日曜日 筆者: 定延 利之

異人たち(下)

 「品」「格」「性」「年」という4つの尺度は、「私たち」の発話キャラクタをとらえる上では重要だが、「『異人』たち」(広義)の発話キャラクタをとらえる上ではそうではない。そもそも「私たち」の発話キャラクタと「『異人』たち」の発話キャラクタは性質が違う。「私たち」の発話キャラクタは、発動が「臨時的」とはかぎらず「本来」的にも発動され得るものであり、「品」「格」「性」「年」の尺度に沿ってびっしり隙間なく並んでいる。他方、「『異人』たち」の発話キャラクタはもっぱら「臨時」的に発動され、ポツンポツンと散発的なあり方をしている、と述べてきた(第76回第77回)。このように発話キャラクタを「私たち」のタイプと「『異人』たち」のタイプに二分することは、ことばの実態ともよく合っている。

 たとえば、『男』と違って『女』が体言の文を好むという現象を振り返ってみよう。そこで観察されたのは、『男』なら「雨だよ」と言うところで、『女』は助動詞「だ」なしで、むきだしの体言「雨」に「よ」を付けて「雨よ」と言う、といったことだった(第66回)。

 だが、実はこの観察を乱す、やっかいな『男』ども、『女』どもがいるのである。

 「あたりまえだよ」と言わず、体言「あたりまえ」に「よ」を直接付けて「あたりめぇよ」と見得を切る『男』。体言「俺」に「よ」を直接付けて「何を隠そう、それがこの俺よ」とうそぶく『男』。体言「こと」「わけ」に「よ」を直接付けて「知れたことよ」「俺のことよ」「いいってことよ」「てなわけよ」などと言う『男』。いったい何者か、だとぉ?

 何言ってやんでぇ。決まってらい。こちとら『江戸っ子』よ。「あたりまえだよ」なんて言うかってんだ。そいつぁ、俺じゃあねぇ。俺の嬶(かか)ぁよ。

 そうだよおまぃさん。そいつぁあたしのことばだよ。ちょっとあんた、文法屋かい? あたしゃこれでも女だよ。寝言言ってると承知しないよ。

 と、このように観察を乱すやっかい者は、『江戸っ子』の男女だけではない。また例を挙げれば、「うれしいわ」と言う『女』のように、文末で「わ」を発する『男』たちもいる。といっても、「いま頃になって根拠書類を出せって言われても、そりゃあ無茶だな。そりゃあ誰だって困るわ」と理屈を語るような、あまり『男』っぽくない『男』たちのことではない。そいつらはいいのだ。あまり『男』っぽくない『男』が時として『女』のような口をきくことは別段不思議ではないのだから。

 問題なのは、「おのれ、目にもの見せてくれるわ」などと憤怒に燃えて「わ」の文を吼える『侍』である。『侍』が怒るとこのように、「文末の「わ」は『女』っぽい。少なくとも『男』っぽくない」という、せっかくの観察が台無しになるのである。困った奴、とはなにごと。おぬしの方こそ、真っ二つにしてくれるわ。

 以上で見てきたように、「発動のされ方」(第76回)、「あり方」(第77回)、「しゃべることば」(今回)という3つの点において、「『異人』たち」の発話キャラクタは、私たちの発話キャラクタと違っている。これらの点からすれば、「『異人』たち」のタイプと「私たち」のタイプという発話キャラクタの2タイプを分けて考えることは、それなりにもっともなことだと言えるだろう。

 私がここしばらく述べようとしてきたのは(第57回~)、「それぞれの発話キャラクタの大体の特徴は、「品」「格」「性」「年」という4つの尺度に基づいて記述することができる」ということである。これは「『異人』たち」のタイプはとりあえず陳列棚にしまって、『私たち』の発話キャラクタに目を凝らした場合の話だという但し書きを、少し詳しく入れさせてもらった。

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◇この連載の中国語版と英語版
  中国語版⇒角色大世界――日本
  英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters

【筆者プロフィール】

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

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【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。

地域語の経済と社会 第87回

2010年 2月 20日 土曜日 筆者: 井上 史雄

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第87回「方言切手と方言詩」
Dialect postage stamps and dialect poem

 2009年にCD付き方言切手が発行されたというニュースがありました。切手といっても「フレーム切手」で、個人でも作れるものです。切手カタログにも載りません。ただ郵便局のホームページに通し番号がついた全リストがあります。方言切手の一覧表を作りました(末尾参照)

 4種類の実物の画像はインターネットのあちこちのサイトで見られますので、リンクをはりました。下線のついた部分をクリックするとそのページに飛びます。

  1. 新潟弁切手第1集  http://www.jp-network.japanpost.jp/notification/pressrelease/2009/document/3001_06_04_609021801.pdf
  2. 新潟弁切手第2集(秋・冬) http://www.jp-network.japanpost.jp/notification/pressrelease/2009/document/3001_06_04_609081901.pdf
  3. 津軽弁切手「津軽弁でしゃべる」CD付きhttp://www.jp-network.japanpost.jp/notification/pressrelease/2009/document/3001_02_04_209102201.pdf
  4. 富山弁切手「富山弁でいかんまいけ!」http://www.jp-network.japanpost.jp/notification/pressrelease/2010/document/3001_07_04_710011401.pdf

 1の新潟弁切手第1集はスタマガネット(株式会社郵趣サービス社 http://www.yushu.co.jp/shop/)の通販で注文しました。2の新潟弁切手第2集と、3の津軽弁切手、4の富山弁切手は、通信販売はしないそうで、それぞれ地元の人に頼みました。料金に比べて高いものを買い、送料を払い、しかも退蔵するわけですから、郵便局株式会社にはかなりの貢献をしたことになります。

 ところで「津軽弁でしゃべる」切手は、あの小さな切手にどんなふうにCDを付けるんだろうと、心配したのですが、切手ケースにCDが1枚付いているものでした。地元出身のタレント伊奈かっペいさんの方言漫談が入っています。

 CDの最後に面白い試みが吹き込んであります。津軽の方言詩は有名ですが、他地方の人には分からないという不利・不平等があります。それを克服するために、津軽弁が分かるかどうかに左右されない方言詩を、作ったそうです。方言による芸術に関心のある人は、ぜひとも聞くべきです。しかし、実はせっかく買って聞いても、無意味です。どこの人にも誰にもまったく意味不明の単語を並べた詩を、唱えているのですから…。

郵便局株式会社 支社企画のフレーム切手 方言編
番号 発行日 名称 発行部数
シート
販売期間
(終了日)
販売地域
299 2009.3.2 新潟弁 2,000部+3,000部
オリジナル
2009.8.31 新潟市内の計115局
535 2009.9.1 新潟弁(秋・冬) 2,500部
オリジナル
2010.3.31 新潟市、五泉市、阿賀野市、新発田市、胎内市、東蒲原郡、北蒲原郡内の計171局
682 2009.11.13 津軽弁でしゃべる 8,000部
オリジナル
2010.2.12 青森県内の全局と仙台中央局
711 2009.12.11 富山弁でいかんまいけ! 1,500部+500部
大型
2010.3.10 富山県内の全212局

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

『社会方言学論考―新方言の基盤』『日本語ウォッチング』井上史雄(いのうえ・ふみお)
明海大学外国語学部教授。博士(文学)。専門は、社会言語学・方言学。研究テーマは、現代の「新方言」、方言イメージ、言語の市場価値など。
履歴・業績 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/inouef/
英語論文 http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/person/inoue_fumio/ 
「新方言」の唱導とその一連の研究に対して、第13回金田一京助博士記念賞を受賞。著書に『日本語ウォッチング』(岩波新書)『変わる方言 動く標準語』(ちくま新書)、『日本語の値段』(大修館)、『言語楽さんぽ』『計量的方言区画』『社会方言学論考―新方言の基盤』(以上、明治書院)、『辞典〈新しい日本語〉』(共著、東洋書林)などがある。

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【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。

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この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

修辞表現:皮肉―『英語談話表現辞典』覚え書き(15)―

2010年 2月 18日 木曜日 筆者: 内田 聖二

今回は修辞表現としての皮肉(irony)をとりあげたいと思います。皮肉の一般的な言語学的定義は、「言っていることと反対のことを意味する表現」ということになるでしょうか。たとえば、授業に遅刻してきた学生に「早いな」と言うような場合です。このとき、重要なことがいくつかあります。まず、反対のことを言っているということが聞き手に明らかでなくてはなりません。つまり、話し手も聞き手もその逆の事実を知っていることが前提になります。また、文字通り「遅いな」と直接的に表現する場合にはないなんらかの表現効果が生まれるということもポイントになります。さらに、皮肉であることを明示するために強勢やイントネーションも文字通りの解釈の場合とは異なることにも注意したいと思います。

事実と反することを言うには否定文を使うのが手っ取り早いやり方で、どんな文も否定表現が可能ですが、以下では、肯定表現でそのような皮肉を表す決まった言い方のいくつかを本辞典の記述から紹介したいと思います。

まず、その典型としてThank you.があります。この表現は言うまでもなく、文字通り「ありがとう」を意味しますが、皮肉を込めることができます。以下は本辞典からの引用です。

2 〈皮肉っぽく〉まったくありがたいことだ:You are saying you’re leaving without saying anything to me. Thank you. 君は僕に何も言わずに出て行こうって言うんだね. 結構なこった.

日本語の「ありがとう」も同じような使い方をします。

同様に、I like that.も文字通りには肯定的な意味になりますが、皮肉表現としてよく使われます。

2 〈他人の好ましくない行為やせりふの直後で憤慨して〉 (さんざん苦労[期待]したのに)そりゃないでしょう:You’re not going to eat the meal I fixed for you? Well, I like that! あなたのために食事を作ったのに, それを食べないって言うの? あんまりじゃない! (◆文頭にwellを冠して調子を整えることが多い)

まさに、‘I don’t like that.’ という状況ですが、その逆の表現になっています。文字通りに日本語にすれば、「そいつはいいや」ぐらいに相当するでしょうか。

肯定的な含みがある語句としての (That’s) great. や Good for you! にも同じような用法があります。

4 〈皮肉として〉ご立派ですこと:If that’s what they want to believe in, great. もしそんなことを彼らがよいと思いたいのなら, まあ, 結構なことですこと

3 〈皮肉として〉よかったな, それはいい:“You’re giving me a headache.” “Good for you!” 「お前は頭痛の種だ」「それはよかった」/ “I’ve got to review for exams.” “Good for you!” 「試験の準備をしなくちゃ」「よかったな」.

いずれも普通使われる肯定的な意味合いとは反対のことを主張しています。

次はmindを用いた表現ですが、mindは「気にする」という否定的な含みを表しますので、否定命令表現が逆に積極的な意味となり、よって皮肉を表すことがあります。

3 〈反語的に〉 〈存在を無視されて〉A〈人〉のことを気をつけてくれよ, 少しは気を遣ってくれよ:“I’m so sorry I forgot to invite you to my wedding reception.” “Don’t mind me! It is not rare you make such an apology.” 「本当にごめん. 結婚式の披露宴に君を招待するのを忘れたんだ」「気をつけてくれよな! いつもそんな言い訳を聞かされてばかりだから」.

ここでは、訳語として話し手が意図する意味を採用していますが、‘Don’t mind me.’ は文字通りには「私のことは気にするな」という意味ですので、そのまま皮肉的に言うと、「私のことなんか(どうせ)気にしなくていいさ」というひねくれた気持ちを表す言い方になるでしょう。


【筆者プロフィール】
内田聖二(うちだ・せいじ)
奈良女子大学教授
専門は英語学、言語学(語用論)
主な業績:『英語基本動詞辞典』(1980年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基本形容詞・副詞辞典』(1989年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基礎語彙の文法』(1993年)英宝社(衣笠忠司、赤野一郎と共編著)
『関連性理論-伝達と認知-』(初版1993年、第2版1999年)研究社(共訳)
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版1994年)小学館(小西友七・安井稔・國廣哲弥・堀内克明編、分担執筆) 
Relevance Theory: Applications and Implications, 1998, John Benjamins.(Robyn Carstonと共編著)
『英語基本名詞辞典』(2001年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『ユースプログレッシブ英和辞典』(2004年)小学館(八木克正編集主幹、編集委員)
『新英語学概論』(2006年)英宝社(八木克正編、共著)
『思考と発話』(2007年)研究社(共訳)
『子どもとことばの出会い』(2008年)研究社(監訳)


【編集部から】
語用論的な情報をふんだんに盛り込んだ、日本発の本格的な発信型会話・談話表現辞典、『英語談話表現辞典』について、編者の内田聖二先生にご紹介いただきます。
書籍購入者は、http://dce.dual-d.netにて本辞典の全データを収録したウェブ版辞典を無料で使用できます。

漢字の現在:中国のお金も「円」い

2010年 2月 18日 木曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第58回 中国のお金も「円」い

 海外へ出張や旅行に出るときなどに、生来のめんどくさがりながら、為替レートを一応何とか覚えようとする。行き先はもちろん東アジアが多いので、中国ならば、人民元で1元は日本円ではだいたい15円、あるいは韓国ならば、1ウォンは円に直すと0.09円、なので100円が……とかいうように。

 この日本、中国、韓国の3か国で流通しているお金の単位は、「円」と「元」と「원(ウォン)」であり、見た目も聞いた音もバラバラである。しかし、実はこれには共通点がある。日本では通常、「エン」「ゲン」「ウォン」といずれも「○ン」と発音する。長さも2拍、1音節にまとまっている。それもそのはずで、元はどれも等しく「圓」と書かれる単位だったのである。

 貨幣単位となると、帳簿から値札から何にでも筆記する必要が生じる。しょっちゅう手書きするには「圓」という字体はあまりにも煩瑣だ。記号化をして、「¥」などとしなければ、とてもでないがそれこそ不経済だ。「$」(ドル この|は||とも)も「£」(ポンド)も、読み取りやすさやスペースの要求に加えて、そうした原因から用いられてきたのであろう。新参者のユーロにだって略記は定められた。中国の「元」に対する「¥」は「yuan」などローマ字による表記の頭文字である。そのため、日本円の「¥」と重複してしまった。日本こそ、「Yen」という綴りがなぜか、という難題に定説を得られないままに、これを「エンマーク」として定着させている。ウォンは、「Won」(won)の「W」を「―」が貫くような記号で、これは分かりやすい。

 そうした記号は、いかにも金額であることを卓立させてくれて読み取りやすく、そしてなによりも書くのに便利である。しかし、それでも漢字できちんと書かなければならない場面は多く残る。

 中国では、漢字について、発音を表す、つまり表音性を最重視する傾向がある。「穀」も同音の「谷」に変えられ、「鬱」などはなんと「郁」へと変わっている。字義から違和感を覚えるのは、日本語で区別を続けているからにすぎない。こうした同音字同士を通用させる方法による代用は、中国では今に始まることではなく、古代の殷王朝から見られる伝統的な傾向の中にあるものであった。「圓」は、簡体字では「圆:」と「貝」の部分だけしか簡易化されていない。これでは不便そうにも見えよう。

 中国では、貨幣単位としての「圓」(yuan2)は、標準的な中国語で同じ発音をもつようになっていた「元」によって代用されることになった。紙幣では、中国人民銀行の「1元」札には「壹圆:壹」と記されている。手元にあるお札では、「拾圆:拾」「贰拾圆:」も同様だ。しかし、貨幣は違っている。漢字では「1元」と、「元」としか書かれていない。「元」にすれば、画数は僅か4画にまで減少できる。

 その際には、「元」がもつ「もと」「はじめ」などの字義は捨象される。筆記経済が同音字による代用を公式に定着させた、といえる。簡体字「圆:」は大して省略されていない。それは、貨幣の単位には、当て字として画数が少ない「元」が選択されたためだったともいえるであろう。

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【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「違う場所での「函」の形」でした。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

国語辞典入門:語釈・説明の違い、特徴 比較

2010年 2月 17日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第6回 国語辞典をもうひとつ買ってみる

 中学の時に『旺文社国語辞典』を買ってから、私の国語辞典生活は、長らくこの1冊に支えられていました。正確には、中学2年で祖父の『広辞苑』(岩波書店)初版を譲り受けたし、部屋に飾ってあった『日本国語大辞典』(小学館)も、いつしか使うようになっていました。でも、大学に入るまで、ふだん使う辞書は『旺文社』1冊きりでした。

 国語辞典を比較して論じる文章を目にすることもあり、辞書ごとに語釈などの特徴が違うのは、なんとなく分かり始めてはいました。特に、井上ひさしさんが『本の枕草紙』(文藝春秋、1982年)で述べている辞書論は、おもしろく読みました。

 井上さんは、『新明解国語辞典』(三省堂)、『広辞苑』、それに『岩波国語辞典』の語釈を比較します。たとえば、「学際」の説明のしかたは、『新明解』は〈解説が自家中毒症状〉、『広辞苑』は〈平明を装っていて、その実、まことに曖昧〉とする一方、『岩波』は〈平易でよくわかり〔略〕「立て付け」のよい解説〉と高く評価します。

 『岩波』の語釈の中でも、井上さんに〈これは凄い辞典だ〉と言わしめたのは、「右」の語釈でした。初版以来、基本的に変わらず、こうなっています。

 〈相対的な位置の一つ。東を向いた時、南の方、またこの辞典を開いて読む時、偶数ページのある側を言う。〉(第七版による)

 読者が今開いているページそのものを例に使うのですから、これほど確かな説明はありません。まさに名語釈です(後に、『三省堂国語辞典』もこの説明を採用しています)。

 ただ、私は、これを読んで『岩波』を買いに走るところまでは行きませんでした。手元の『旺文社』の語釈をいくつか確かめて、べつに悪くない説明だったことに安心し、それきりになりました。やはり、語数の多い辞書が1冊あればいいと思いました。

 こういう辞書観が変わったのは、大学3年の春でした。当時愛読していた情報誌『ぴあ』の読者欄で、たまたま、辞書の語釈を引用したこんな投書を見つけました。

 〈善処――うまく処理すること。〔政治家の用語としては、さし当たってはなんの処置もしないことの表現に用いられる〕…最近何かと話題に出てくるS堂S国語辞典より。〉(『ぴあ』1988.4.29 p.122「はみだしYouとPia」)

辞書の常識をくつがえす辞書

 これは現実の国語辞典でしょうか。おもしろすぎるではありませんか。〈最近何かと話題に出てくる〉と言うからには、ほかにもこんな皮肉の利いた語釈があるというふうに読めます。もしそうなら、辞書の常識をくつがえす辞書だと思いました。

 私はついに書店に走り、〈S堂S国語辞典〉が『新明解国語辞典』であることを突き止めました。後に赤瀬川原平『新解さんの謎』(文藝春秋、1996年)などで取り上げられ、独特の語釈が有名になりましたが、それ以前から一部では人気があったのです。

 『新明解』は、私にとっての2冊目の小型国語辞典として、本棚に収まりました。この時点で、辞書を選ぶ観点として、「収録語数」などのほかに、「語釈」が加わったことになります。もっと言えば、「語釈が笑える」という、いささか興味本位の観点です。

 実際、『新明解』の語釈はユニークでした。たとえば、「読書」を引くと、他の辞書に比べて異様に詳しい説明の後に、さらにつけ足してこう書いてあります。

 〈寝ころがって漫画本を見たり 電車の中で週刊誌を読んだりすることは、勝義の読書には含まれない〉(第六版による)

 総じて、この辞書については、「語釈に主観が入っていておもしろい」という肯定的な意見と、「語釈が主観的で感心しない」という否定的な意見とがあります。でも、そのどちらも的確ではないと、私は思います。

 『新明解』の語釈は、べつに編者が主観を交えて書いているわけではありません。「政治家の言う『善処』は『何もせず』」「寝転んでまんがを読むのは読書でない」などの説明は、日本語を話す人々の間に昔からあった見方です。自分が賛成か反対かはともかく、広くそういう見方があることを踏まえなければ、日本語をうまく使うことはできません。

 「鴨」を引くと〈肉はうまい〉などとあるので、「編者はカモの肉が好きらしい」と評する人もいます。でも、これも、昔からカモの肉がうまいと思われてきただけのことです。「鴨葱」ということばがあるくらいです。決して編者個人の主観ではありません。

 つまり、『新明解』の語釈の特徴は、ことばの用いられてきた文化的背景までを含めて記述するところにあります。そのことに気づくのは後年のことで、当時は単純に「過激でおもしろい辞書」として、私のお気に入りに加わりました。

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◆飯間先生のもう一つの連載は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」目次へ

◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。

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