『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて

(20) 藤原斉信(ただのぶ)と清少納言の交流

2010年2月9日

藤原斉信は、中関白家の政敵となった道長についた人物ですから、定子後宮の女房である作者にとって扱いにくい対象だったに違いありません。そんな彼が『枕草子』に何度も取り上げられる理由は、彼を登場させることで、喪中で色を失った定子周辺に彩りを与えるためだったと前回書きました。斉信の登場場面をもう少し詳しく見ていくと、そこに必ず定子の存在を見つけることができます。作者は斉信を描きながら、女房たちと共に斉信を讃える定子を描いているのです。

作者が女房の役目として、定子サロンを宣伝しようと意図していたことは当然、考えられます。ただ、それとは別に、作者個人の宮廷生活の記念として斉信との交流を記したのではないかとも思います。中関白家にとっては敵方だったとしても、斉信は十分に描き甲斐のある外見と教養を兼ね備えた当代きっての上流貴族です。一方の清少納言は、本来、宮中に出入りすることのない受領階級の娘です。そんな自分が斉信と対等にわたりあっていることを作者が誇らしく思うのも無理はないでしょう。前回扱った「故殿の御服のころ」の段の後半からは、そのような作者の気持ちが垣間見られるように思います。

それは定子が太政官朝所(あいたどころ)で過ごした七夕の折のことでした。斉信と共に源宣方(のぶかた)、源道方(みちかた)などが訪れ、女房たちが応対しているとき、清少納言がいきなり「明日はいかなる事をか」と問いかけました。すると、斉信がすぐさま「人間の四月をこそは」と答えたのです。その場に居合わせた者は誰一人、斉信と清少納言の応酬の意味がわかりません。もちろん読者にもさっぱり分からないことを見越し、作者はその種明かしを始めます。

四月の初め頃、内裏の細殿に女房たちが詰めていたときのことです。殿上人が多数訪れ、少しずつ退出していって、斉信と宣方と蔵人一人だけがその場に居残り、夜明け近くになりました。そろそろ退出しようということで、斉信が「露は別れの涙なるべし」という菅原道真の詩を詠じ、宣方も共に見事な朗詠を披露しました。ところが、その詩が織姫と彦星の別れの朝を詠んだ内容だったため、清少納言に、「いそぎける七夕かな」と皮肉られてしまったのです。せっかく折に合った詩を詠じたと思ったのに季節違いを指摘された斉信はとても悔しがりました。その後、清少納言は七夕の折に、この事をもう一度持ち出してやろうと待ち構えていたのですが、斉信もそれをしっかり記憶していました。そこで、この時、「(七夕の)次の朝、あなたはどんな詩を朗詠しますか」という清少納言の問いかけに対して、斉信が、「(今度は七夕に)『人間の四月』(で始まる四月)の詩を詠じよう」と応じたのでした。

作者は斉信の答えに満足し、その記憶力の良さを讃えます。話はさらに続き、斉信と清少納言が男女の恋愛関係を囲碁の用語で表現する隠語を作り、日頃用いていたことが書かれます。たとえば、親密な関係になったことを、碁で相手に先に何目か置かせることを意味する「手ゆるしてけり」とか、終局に近づいて先手を次々に打つ意味の「結さしつ」という言葉を使って表現するという具合です。

斉信と自分だけに通じる言葉を使っていたことは、定子サロン女房としての枠を越え、上流貴族に存在価値を認められたという清少納言個人の満足感となったことでしょう。では、作者は自己満足のためにこのような章段を記したのでしょうか。否、そんな単純な理由からだけでもないようです。

この章段には、実は大きな問題があります。話の途中で斉信が頭中将から宰相に昇進したことが記されているのですが、その年代がどう考えても歴史的事実と食い違うのです。くわしいことは次回お話ししますが、この章段が作者の個人的な思い出を綴ったような内容になっているのは、定子周辺に起こった重大事件に関わる年代を扱っていたためだと考えます。つまり、本来、『枕草子』のテーマである定子後宮をそのまま描くことが難しい歴史的時期を扱う際に、作者が考え出した工夫だったと見るのです。

筆者プロフィール

赤間恵都子 ( あかま・えつこ)

十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「枕草子研究の動向と展望―年時考証研究の視座から―」(『十文字学園女子短期大学研究紀要』2003年12月)、「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)など。

『枕草子 日記的章段の研究』

編集部から

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。

著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。