« 国語辞典入門:語釈・説明の違い、特徴 比較 - 修辞表現:皮肉―『英語談話表現辞典』覚え書き(15)― »

漢字の現在:中国のお金も「円」い

2010年 2月 18日 木曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第58回 中国のお金も「円」い

 海外へ出張や旅行に出るときなどに、生来のめんどくさがりながら、為替レートを一応何とか覚えようとする。行き先はもちろん東アジアが多いので、中国ならば、人民元で1元は日本円ではだいたい15円、あるいは韓国ならば、1ウォンは円に直すと0.09円、なので100円が……とかいうように。

 この日本、中国、韓国の3か国で流通しているお金の単位は、「円」と「元」と「원(ウォン)」であり、見た目も聞いた音もバラバラである。しかし、実はこれには共通点がある。日本では通常、「エン」「ゲン」「ウォン」といずれも「○ン」と発音する。長さも2拍、1音節にまとまっている。それもそのはずで、元はどれも等しく「圓」と書かれる単位だったのである。

 貨幣単位となると、帳簿から値札から何にでも筆記する必要が生じる。しょっちゅう手書きするには「圓」という字体はあまりにも煩瑣だ。記号化をして、「¥」などとしなければ、とてもでないがそれこそ不経済だ。「$」(ドル この|は||とも)も「£」(ポンド)も、読み取りやすさやスペースの要求に加えて、そうした原因から用いられてきたのであろう。新参者のユーロにだって略記は定められた。中国の「元」に対する「¥」は「yuan」などローマ字による表記の頭文字である。そのため、日本円の「¥」と重複してしまった。日本こそ、「Yen」という綴りがなぜか、という難題に定説を得られないままに、これを「エンマーク」として定着させている。ウォンは、「Won」(won)の「W」を「―」が貫くような記号で、これは分かりやすい。

 そうした記号は、いかにも金額であることを卓立させてくれて読み取りやすく、そしてなによりも書くのに便利である。しかし、それでも漢字できちんと書かなければならない場面は多く残る。

 中国では、漢字について、発音を表す、つまり表音性を最重視する傾向がある。「穀」も同音の「谷」に変えられ、「鬱」などはなんと「郁」へと変わっている。字義から違和感を覚えるのは、日本語で区別を続けているからにすぎない。こうした同音字同士を通用させる方法による代用は、中国では今に始まることではなく、古代の殷王朝から見られる伝統的な傾向の中にあるものであった。「圓」は、簡体字では「圆:」と「貝」の部分だけしか簡易化されていない。これでは不便そうにも見えよう。

 中国では、貨幣単位としての「圓」(yuan2)は、標準的な中国語で同じ発音をもつようになっていた「元」によって代用されることになった。紙幣では、中国人民銀行の「1元」札には「壹圆:壹」と記されている。手元にあるお札では、「拾圆:拾」「贰拾圆:」も同様だ。しかし、貨幣は違っている。漢字では「1元」と、「元」としか書かれていない。「元」にすれば、画数は僅か4画にまで減少できる。

 その際には、「元」がもつ「もと」「はじめ」などの字義は捨象される。筆記経済が同音字による代用を公式に定着させた、といえる。簡体字「圆:」は大して省略されていない。それは、貨幣の単位には、当て字として画数が少ない「元」が選択されたためだったともいえるであろう。

* * *

◆この連載を続けてお読みになる方は⇒「漢字の現在」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「漢字の現在」目次へ

【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞

* * *

【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「違う場所での「函」の形」でした。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

2010年 2月 18日