『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて

(21) 長徳の変~歴史的背景~

2010年2月23日

長徳元年3月9日、関白道隆が病により政務を執れなくなった時、内大臣伊周(これちか)に内覧の宣旨が下されました。内覧とは、天皇に奏上すべき公文書に目を通し、政務を代行することで、実質上の摂政関白の職務に当たります。弱冠22歳の伊周が、父の後を継いでそのまま政権獲得かと思われたのですが、道隆の死後、関白職を継いだのは道隆の弟の右大臣道兼でした。

道兼は、念願だった関白の宣旨を賜って、任官御礼のために意気揚々と内裏に向かいます。ところが、その時すでに、彼は巷で猛威をふるっていた疫病に感染していました。自分でも体調がおかしいと思いながら参内した道兼は、内裏から退出する際には人に支えられなければ歩けない状態だったと『大鏡』には記されています。それから間もなく、道兼は息を引き取りました。関白就任から薨去まで10日余り、世間で七日関白と称されました。

さて、道兼を襲った長徳元年の疫病は他の公卿たちの命も次々と奪いました。3月末から6月半ばまで、3ヶ月もたたない間に、道隆、道兼の他、大納言朝光(あさみつ)、左大将済時(なりとき)、左大臣源重信(しげのぶ)、中納言源保光(やすみつ)、権大納言道頼らが亡くなりました。官僚たちが次々と抜けていく中、政権の行方は、先に関白を逸した内大臣伊周と権大納言道長のどちらかに絞られていきます。

長徳元年5月11日、今度は道長が内覧の宣旨を賜り、6月19日に右大臣に昇進します。このころから伊周と道長の軋轢(あつれき)が表面化し始めます。公事の列席上で二人が激昂して争ったり、伊周の弟隆家の従者と道長の従者が七条大路で乱闘したり、それが道長の従者殺害事件にまで発展してしまいます。いつまでも続く険悪な状況に決着を着けたのが、長徳の変でした。

長徳2年4月24日、内大臣伊周を大宰権帥(だざいのごんのそち)に、中納言隆家を出雲権守(いづものごんのかみ)に任ずるという宣旨が下されたのです。長徳の変のきっかけとなったのは、長徳2年1月、隆家の従者が花山法皇に弓を射かけた出来事です。その原因は、当時、花山院と伊周が交際していた女性が姉妹だったことから生じた誤解でした。平安時代の恋愛は、男性が親と同居する女性の許に通う形式でしたから、姉妹に通うそれぞれの男性が同じ邸で行き合う事も多かったようです。

いつも伊周とつるんで出歩く行動派の隆家が、兄の代わりに恋敵を脅かしてやろうとしたその相手が花山院だったために、法皇殺害未遂という不敬事件に発展してしまいました。道長にとっては、伊周を失脚させるいい口実が出来たことになります。その後、伊周の祖父の高階成忠が女院詮子を呪詛したこと、伊周自身が行った修法が天皇だけに許される行為だったことが罪科として追加され、ついに伊周と隆家は都から追放されることになったのでした。

道隆が没してわずか一年後、中関白家はなぜ没落してしまったのでしょうか。『大鏡』は道長が政権を執った理由として、長徳元年の疫病で多くの公卿が亡くなったことに加え、政敵の伊周が政治家としての資質を備えていなかったことを挙げています。

伊周と隆家は長徳の変の当日、定子と共に二条邸に籠もっていました。中宮の自邸ということで、検非違使(けびいし)たちも手出しできないことを見越していたと思われます。5月1日に二条邸内が捜索された時、伊周は逃亡しており、隆家だけが配流地に出発しました。しかし結局、伊周は帰邸し、4日にようやく出立しています。自らの立場を弁えず、窮地に立つと肉親に頼る伊周の甘え、その大局を見る力のなさが中宮定子の運命を巻き込んで、中関白家没落の事態を招いてしまったのではないでしょうか。

筆者プロフィール

赤間恵都子 ( あかま・えつこ)

十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「枕草子研究の動向と展望―年時考証研究の視座から―」(『十文字学園女子短期大学研究紀要』2003年12月)、「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)など。

『枕草子 日記的章段の研究』

編集部から

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。

著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。