2010年 2月 のアーカイブ

人名用漢字の新字旧字:「玻」は常用平易か(第3回)

2010年 2月 5日 金曜日 筆者: 安岡 孝一

第53回 「玻」は常用平易か(第3回)

(第2回からつづく)

最高裁への許可抗告

一方、最高裁判所への許可抗告は、過去の最高裁判例に対する違反を理由としてのみ、申立が可能です(民事訴訟法第337条)。ただし、過去の最高裁判例がない場合は、他の高裁判例との矛盾を指摘する、という形でも申立が可能です。そこで、「玻南」ちゃんの両親は、「曽」の最高裁判例(最高裁判所第三小法廷平成15年(許)第37号、平成15年12月25日決定)の解釈において、高裁判例の間で矛盾がある、という点を、許可抗告の申立理由としました。そして、「玻」の高裁決定(名古屋高等裁判所平成21年(ラ)第86号、平成21年10月27日決定)と明らかに矛盾する高裁判例として、「穹」を子供の名づけに認めた高裁決定(大阪高等裁判所平成19年(ラ)第486号、平成20年3月18日決定)を見つけました。

「穹」を認めた高裁決定では、おおむね以下の4つの理由から、「穹」が常用平易な文字だと判断しています。「穹」の画数が8画であり、比較的画数が少ないこと。「穹」が、「穴かんむりに弓」という単純かつ一般的な構成要素からなること。「蒼穹」「天穹」など、比較的使用されることの多い熟語に含まれていること。「穹」が、JIS X 0213の第2水準漢字であること。これら4つの理由から、「穹」はその筆記に格別困難が伴うものでもなく、他者に対する説明や他者による理解も容易であり、さらに、コンピュータによる戸籍事務にも何ら支障をきたすことはないので、「穹」を子供の名づけに使ってよい、と大阪高等裁判所は決定したのです。しかも、この高裁決定を受けて、法務省は平成21年4月30日に戸籍法施行規則を改正し、「穹」を人名用漢字に追加していました。

「玻南」ちゃんの両親は、大阪高裁決定の基準にしたがえば「玻」も常用平易だと判断されるはずだ、と考えました。「玻」の画数は9画で、「王へんに皮」で、「玻璃」という熟語に使われていて、JIS第2水準漢字なのですから。しかも、法制審議会人名用漢字部会の平成16年5月28日会議資料によれば、「穹」は漢字出現頻度数調査の結果が38回で要望法務局数3なのに対し、「玻」は出現頻度51回で要望法務局数4でした。つまり、名古屋高等裁判所で「玻」の即時抗告審が争われている間に、「玻」より頻度も要望も少ない「穹」を、法務省は人名用漢字に追加していたわけです。「穹」が常用平易だと判断されて人名用漢字に追加されたのなら、「玻」が常用平易でないという判断は間違っている、と両親は考え、それをもとに最高裁判所への許可抗告を申し立てたのです。

名古屋高裁の抗告許可

「玻南」ちゃんの両親の許可抗告申立に対し、名古屋高等裁判所は平成21年11月25日、抗告を許可しました。特別抗告は、憲法違反の申立があれば、ほぼ自動的に最高裁判所に送られるのに対して、許可抗告は、決定を下した高等裁判所の許可がなければ、最高裁判所には行けないのです。これで、「玻南ちゃん事件」の特別抗告と許可抗告は、最高裁判所での審理に付されることになりました。そして、現時点では審理が続いています。

(第4回「常用漢字表への追加提案」につづく)


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。

間投詞の婉曲表現―『英語談話表現辞典』覚え書き(14)―

2010年 2月 4日 木曜日 筆者: 内田 聖二

前回まで数回にわたって強い感情を表す間投詞について述べてきました。軽々に口に出してはいけない神聖な語が口について出てしまうほどの感情を表現するのにキリスト教関連の語が用いられることも説明しました。ただ、あまり使いすぎるとその効果も薄くなり、特に1960年代にヒッピーが出現した頃からさらに強い感情表現として、shitのような排泄に関係する語、fuckのようなセックスにかかわる語が使われるようになりました。(これらの語は典型的に4文字からなることが多いことから四文字語(four-letter word)といわれ、公然と言ってはならないタブー語となっています。)他方、強い間投詞表現を避ける婉曲表現も特に女性などのあいだで使われるようになっています。今回はそのような語句について記述してみます。

本辞典には収録されていませんが、Godの婉曲語にgosh、gollyなどがあります。goshは女性に用いられることが多く、驚きや感嘆の気持ちを伝えます。以下の用例は三省堂コーパスを改変したものです。

1 〈目の前の光景などに感嘆して〉うわー、すごい:Gosh, look at that mountain! Isn’t it beautiful? うわー、あの山を見てごらん、きれいでしょ。

2 〈思い出したことを改めて感嘆して〉そうなんだ、そうさ:She was wearing a red and white polka dot dress. Gosh, she looked gorgeous! 彼女、赤と白の水玉模様のドレスを着てたんだ。そうなんだ、とても素敵だったんだ。

3 〈疑問文などを受けて〉(ここぞとばかりに)そうなのよ、やっぱり(◆よくぞ聞いてくれたという含みがある):《女優がインタビューを受けて》“Do you do your own shopping?” “Oh gosh, yes! I love shopping of any kind!”「買い物はご自分でされますか」「そうなのよ、するわ。どんな買い物も好きなの」/“Where is your favorite holiday destination?” “Oh gosh, I like Paris!”「休暇で行きたいところはどこですか」「そうやっぱり、パリね」

4 〈今まで気がついていなかった事実を指摘されたり思い出したりして〉まさか、そんな:《相手の年齢を知って》What? You? Fifty? Gosh. You don’t look that old. なんですって。あなたが?50歳?まさか、そんな年齢にみえないわ。

gollyは次のように記述してみました。

1 〈強調して〉まったく、ほんとに:《へまをした人に対して》By golly, he’s a complete idiot.まったく、彼はどうしようもないあんぽんたんなのよ。(◆by Godの婉曲表現)

2 〈忘れていたことに気がついて〉うわっ、やばい:“He’s coming to meet you at the station at twelve o’clock.” “Oh, my golly, it’s almost twelve now!” 「彼は12時に駅でと言ってたろ」「うわっ、もう12時だよ」(◆my Godの婉曲表現)

3 〈問いに答えられなくて〉うわっ、あれっ、どうしよう:“How long have you been here?” “Golly, I don’t know.”「ここに来てどのくらいになる?」「うわっ、どうしよう。覚えていない」

4 〈あきれて〉ほんとうに、どうしよう:《忘れ物をして》You know how forgetful I can be. Golly, I’d forget my head if it wasn’t attached to my body.「私って忘れっぽいのよね。ほんとに、体についていなかったら頭だって忘れてしまうかも」

また、geeはJesus (Christ)の婉曲語としておもにアメリカ英語に多くみられます。geeは本辞典で次のように説明してあります。

1 おや, あらまあ, これは驚いた, ええっ, 本当に!:《時間の経つのも忘れて》 Oh, gee! Four o’clock. Two more hours. あら, 4時だわ! あれからもう2時間もすぎたのね。

2 〈相手の注意を引いて〉ねえ, ちょっと:Gee, honey, are these all our own things? ねえ, これってみんな私たちのもの?

3 〈ためらいながら〉うーん, えーと:You might be able to say, gee, you know, we’re thinking about these types, . . . . 君たちは, その…我々がこのようなタイプのものを考えているということはわかるだろう.

いずれもGodやJesusに比べ、柔らかな響きが感じられると思います。


【筆者プロフィール】
内田聖二(うちだ・せいじ)
奈良女子大学教授
専門は英語学、言語学(語用論)
主な業績:『英語基本動詞辞典』(1980年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基本形容詞・副詞辞典』(1989年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基礎語彙の文法』(1993年)英宝社(衣笠忠司、赤野一郎と共編著)
『関連性理論-伝達と認知-』(初版1993年、第2版1999年)研究社(共訳)
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版1994年)小学館(小西友七・安井稔・國廣哲弥・堀内克明編、分担執筆) 
Relevance Theory: Applications and Implications, 1998, John Benjamins.(Robyn Carstonと共編著)
『英語基本名詞辞典』(2001年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『ユースプログレッシブ英和辞典』(2004年)小学館(八木克正編集主幹、編集委員)
『新英語学概論』(2006年)英宝社(八木克正編、共著)
『思考と発話』(2007年)研究社(共訳)
『子どもとことばの出会い』(2008年)研究社(監訳)


【編集部から】
語用論的な情報をふんだんに盛り込んだ、日本発の本格的な発信型会話・談話表現辞典、『英語談話表現辞典』について、編者の内田聖二先生にご紹介いただきます。
書籍購入者は、http://dce.dual-d.netにて本辞典の全データを収録したウェブ版辞典を無料で使用できます。

漢字の現在:違う場所での「函」の形

2010年 2月 4日 木曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第57回 違う場所での「函」の形

 いつも通り過ぎていた駅がある。沼津、三島と来宮、熱海の間にある「函南」だ。その2字と「かんなみ」という読みを見聞きするに付け、この地名の漢字の表記はどうしてだろう、「なみ」は音読みからかな、訓読みからかな、などとその由来にしばし思いを馳せ、また駅の看板に記された「畑毛温泉」を車窓から撮りながら、「畑」に「毛」が付く理由を想像するくらいだった。

 しかし、北海道で一旦、「函」の字の形を気にしだしてから(第48回第49回)、俄然、この通過駅も気になる存在となった。この区間の正月の東海道本線は、車両が短く、やけに混雑している。降りる人もまばらなその駅に初めて降り立ってみた。

 正月だからなのか人の少ない町をカメラ片手に歩くと、古びた看板から「函」という字が目に入り始める。公的な施設では、手書きの看板でも「函」がほとんどであった。その他の既存のパソコンフォントのたぐいを用いた看板や掲示でも、「函」がほとんどである。意識する場面もあるのであろうが、ほとんどは自然にそうなっているのだろう。

 そもそも「凾」と中身が大幅に変わればともかく、「函」が了型になろうがなるまいが、一般にはほとんど気にされてこなかった。その証拠に、すでに述べたように「函」にさんずいの付された「涵養」の「涵」は、かの『康煕字典』でも「了型」であった(さらに点々の角度もだいぶ異なる)。「凾」はさすが俗字とされるだけのことはあって、書きやすい了型となって辞書に載っている。

(クリックで拡大画像を表示)

 北海道とは、遥かに離れたこの東海の地ではあるが、そこで実際に書かれている字体はやはり揺れていた。とりわけ、「函」と「了型の函」とが併用されている看板が2つあったことが気になった。

 「函」は丸ゴシック体というかナール体のような書体で描かれたデザイン文字、「了型の函」は筆字のようだ。なるほど、ここまでの考察に合う基本的ともいえる現象だ。字体の分岐の原因は、もう繰り返すまでもなく、うかがえるであろう。

 もう一つの看板は、もはや文字が消え失せそうな古びたものであるが、駅前に立っていた。大きい字がやはり丸ゴシック体というかナール体風のレタリングで「函」、小さい字もナール体風であるが、「了型の函」と分かれている。これは、字体が分かれた原因が判然としない。変字(かえじ)法というには表現意図も感じられず、やや大げさであろう。大きい字であり、かつ1回目なのできちんと書こうとし、2回目は小さい字だし、力を抜いて楽に書いたものが、そのままデザイン文字として残ったということだろうか。

 この地では、例えば手紙の住所欄では、どの字体がよく書かれているのだろう。一般的には、めったに使われない「函」の字だが、「函」と「了」型との現れる割合には地域による差があると感じている。学生たちの手書き文字でも地名にこの字を使う地では、「了」型が多い。

 地元の表札を含め、日常の中で書かれ、目にするいくつもの了型の「函」を確かめて、駅舎に戻ろうと坂道を登っていたら、子連れのお母さんが、カメラ片手の見知らぬ余所者に、「こんにちは~」と明るく挨拶をしてくれた。何もなさそうな所、と近隣の人たちからもいわれる場所だ。たしかに観光の目玉になりそうなものも特にないような、自然の中の住宅地である。しかし、人々の暮らしは、その地名の字体を変えるほどに確かに息づいていることを感じるには十分な途中下車となった。

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【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「「点々」のもつ意味」でした。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

国語辞典入門:辞典選びは収録語数が決め手?

2010年 2月 3日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第4回 語数の多い国語辞典がほしい!

 読書量が増えた中学時代の私が、実用辞典に不足を感じるようになった理由としては、仮名遣いの問題などよりも、まずは収録語数の問題を挙げるべきでした。何しろ、本には知らないことば、むずかしいことばが続々と出てくるのですから。

 もっとも、実用辞典には、一般に思われている以上に「むずかしいことば」が多く載っているということは、改めて強調しておきます。

 たとえば、当時愛読していた北杜夫作品には、〈あまつさえ〉〈有体(ありてい)にいって〉〈一体どういう訳の訳柄(わけがら)か〉など、不思議なことばがよく出てきました。これらは、実用辞典の『広辞典』(当時の版)にもちゃんと載っていました。そのころ背伸びをして使いたがった「常套」「塵労」「杜撰」などという熟語も、みな載っていました。

 前にも述べたとおり、実用辞典は、国語のテストに出てきそうな常識的なことばは収録してあります。大学入試の国語にも十分対応できるものです。

 けれども、一方、「むずかしくないことば」はけっこう省いてあります。俗語などを載せないことは述べましたが、もう少しふつうのことばでも載せないものがあります。

 〈〔私は船に飛んでくる鳥などについて〕一々口をだし、船長にとってはまことに小うるさい存在となった。〉(北杜夫『どくとるマンボウ航海記』中公文庫 p.53)

 〈冬であるのと時間が遅いため、〔動物園の〕うそ寒い園内はがらんとして人影はほとんど見当らない。〉(同 p.136)

 「小うるさい」「うそ寒い」は、書き取りのテストには出てきません。したがって(?)、実用辞典にも載っていません。でも、改めて意味を説明せよと言われると、困る人も多いのではないでしょうか。

 こういった繊細で微妙なことばまで広く載せているのは、やはり国語辞典です。語彙力を急速に伸ばしつつあった年ごろの私にとって、国語のテストに出ようが出まいが、どんなことばでもすぐに調べられる辞書があることは、死活的に重要でした。

 私は、とにかく語数の多い国語辞典を探し求めました。『旺文社国語辞典』は、この点でも理想的でした。小型辞書としては当時最大級の7万6000語を収録していたのです。

語数で選ぶのもいいけれど

 国語辞典では、収録語数が多いことは大きなセールスポイントになります。当時の私に限らず、「何万語載っているか」を基準に辞書を選ぶ人は多いはずです。辞書同士の比較に使える具体的な数字が、収録語数ぐらいしかないということもあります。

 一般に、国語辞典は、収録語数によって次の3つに分類されます(異論もあります)。

  • 大型――およそ20万語以上のもの。分厚くて重い、ダンベルの代わりになるような辞書。日本最大の『日本国語大辞典』(小学館)は実に50万語を擁しています。
  • 中型――およそ10万語以上のもの。
  • 小型――それ未満のもの(6万~8万語程度のものが多い)。片手で持ち運びができ、読書や原稿執筆の際、何度も繰り返し引くのに向いています。

 このような数字を見ると、重いのをいとわないならば大型・中型辞書、日常的に使うならば小型辞書で、そのうちできるだけ語数の多いものを選べばいいように思われます。事実、私もそう思って、小型辞書のうちでも語数の多かった(しかも旧仮名遣いを添えていた)『旺文社』を選んだのでした。

 この選び方は、必ずしも悪いとは言えないでしょう。常識的に考えて、収録語数が多ければ、求めることばが載っている確率はそれだけ高くなる理屈です。

 ただし、A辞典がB辞典よりも収録語数が多いからといって、B辞典のことばがすべてA辞典に含まれているわけではないことには注意が必要です。B辞典のほうにしかない「独自項目」は、案外多いのです。

 試しに、小型の『岩波国語辞典』(第七版、6万5000語)の「お」の部を開いて、大型の『広辞苑』(第六版、岩波書店、約24万語)と比べてみます。すると、「追い越し」「生い育つ」「追い抜かす」「追い抜き」「横風」「覆い被せる」……など、『岩波』のほうにしかない独自項目がいくつも出てきます。

 なかでも、「追い抜かす」は、「追い抜く」の意味で使われ始めたことばで、まだ他の辞書には見かけません。『岩波』ならではのきらっと光る項目と言えます。

 中学生の私は、国語辞典ごとのこういった個性を意識することはありませんでした。何はともあれ、8万語に近い語数をもつ国語辞典を得たということで、大満足でした。

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◆飯間先生のもう一つの連載は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」目次へ

◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。

人名用漢字の新字旧字:「玻」は常用平易か(第2回)

2010年 2月 2日 火曜日 筆者: 安岡 孝一

第52回 「玻」は常用平易か(第2回)

(第1回からつづく)

玻南ちゃん事件の即時抗告審

名古屋家庭裁判所の審判に対して、「玻南」ちゃんの両親は、名古屋高等裁判所に即時抗告しました。「玻」は常用平易とは認められない、とする名古屋家庭裁判所の審判は、両親には全く納得のいかないものだったのです。両親は、「玻」を含む児童書や高校教科書を探し出し、ダンボール1箱分の資料を名古屋高等裁判所に提出しました。さらに、複数の携帯電話で「玻」が現れる順序を調べて、人名用漢字のうち旧字にあたる漢字は、そのほとんどが「玻」より変換しにくいことを示しました。「玻」が常用平易であることを、様々な視点から主張したのです。

平成21年10月27日、名古屋高等裁判所は、両親の即時抗告を棄却しました。「玻」を常用平易とは認めなかったのです。常用性を認めなかった理由の一つは、以下のようなものでした。

抗告人らは、「玻」の文字のあらゆる用例を自ら及び周囲の者らの協力によって探し当て、証拠等として提出しているものであり、その努力には並々ならぬものが認められるが、逆に、このような非常な努力なしに「玻」の用例を収集し得ないこと自体が、その常用性の乏しさを示しているともいえる。

この棄却決定に対し、両親は、最高裁判所への特別抗告と許可抗告の両方をおこなうことを決めました。家事審判においては、高等裁判所の決定に不服がある場合、最高裁判所への特別抗告をおこなう方法と、最高裁判所への許可抗告をおこなう方法の2つがあります。「玻南」ちゃんの両親は、その両方をおこなうことにしたのです。

最高裁への特別抗告

実は、高裁決定に不服があるだけでは、最高裁判所への特別抗告はおこなえません。特別抗告は、高裁決定における憲法違反を理由としてのみ、申立が可能なのです(民事訴訟法第336条)。そこで、「玻南」ちゃんの両親は、憲法第14条(法の下の平等)違反および憲法第13条(個人としての尊重)違反を理由として、特別抗告を申し立てました。

これに加え両親は、「児童の権利に関する条約」第7条に対する違反にも言及しています。

第7条   1    児童は、出生の後直ちに登録される。児童は、出生の時から氏名を有する権利及び国籍を取得する権利を有するものとし、また、できる限りその父母を知りかつその父母によって養育される権利を有する。
2    締約国は、特に児童が無国籍となる場合を含めて、国内法及びこの分野における関連する国際文書に基づく自国の義務に従い、1の権利の実現を確保する。

すなわち、戸籍法第50条は常用平易を判断する枠組をきっちりと決め切れておらず、それが結果として「出生の時から氏名を有する権利」を阻害している、というのが、両親の主張なのです。

(第3回「最高裁への許可抗告」につづく)


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。

社会言語学者の雑記帳5 世界はデータでいっぱい

2010年 2月 2日 火曜日 筆者: 松田 謙次郎

世界はデータでいっぱい

 またまたちょっと「社会言語学者になるまで」をお休みして別のオハナシを(;^^)。それは「社会言語学のデータ」というお話です。これまでフィールドワークの話を中心に、自然談話データ、調査票を使ったアンケートデータ、などといった話もしてきましたが、そもそも「社会言語学で使うデータ」とは何なのか。社会言語学者はどこからデータを得ているのか。これを書いてみましょう。

 はい、いきなり結論。それは「何でもアリ」です。自然談話データ、アンケートなどでもなく、ことばであれば事実上どのようなものでも社会言語学のデータになり得ます。それだけ社会言語学とは融通無碍で、自由度が高い学問領域だということです。年2回開催される社会言語学の全国学会である「社会言語科学会」(http://www.jass.ne.jp/)での発表タイトルをざざっと見るだけでも、その多彩さに圧倒されます。いったいこの学会は何なんだヾ(゚Д゚ )、と思うでしょう。でもそれが社会言語学なのです(キッパリ)。

 これまでに使われたデータの中には、ちょっと考えても、ここのエッセイで繰り返し触れてきている各種自然談話のほか、新聞、雑誌などの活字メディア、地名、漫才・落語、(台本を含む)映画、テレビ・ラジオ番組(ドラマ、トークショー(例:「徹子の部屋」)、ニュース、バラエティ番組など)、外国人の話す日本語、手話、公共空間(駅、電車、バス、デパート、街角など)でのアナウンス・書きことば、ネット(チャット、Youtube、ニコニコ動画などの動画を含む)、携帯メール、コーパス、法廷でのやりとり、国会会議録などがあります。なんとこれでもごくごくごくごく一部です。ちなみに公共の場所にある看板や各種表示を手がかりに、地域社会の言語状況を探ろうとする分野は「言語景観学」と呼ばれ、最近盛り上がってます\(^O^)/。

 ね、まさにことばであれば「何でもアリ」でしょ^^ もう何が出てきても驚きません。たとえば「エアコンの取扱説明書」「風邪薬の説明書」「駅のトイレの張り紙」さらに「迷惑メール」でも十分データになりそうです。今この原稿を書いていても、それぞれをデータにしたトピックが浮かんできてしまいます。たとえばトリセツは経年的にどう変わってきているのか、メーカーによる違いはあるのか、助詞、各種活用などのバリエーションはどうなっているのか、なんてことが気になります。そうそう、もうすぐツイッターやmixiの「ボイス」などをデータとして取り上げた論文もどこかに登場するでしょう。

 つまるところ、社会言語学者にとって、世界はデータに満たされていると言えましょう。朝起きてテレビをつければアナウンサーのことばが気にかかり、トイレに入ってふと呟いた自分の独り言について考えてしまう。駅までの道では看板に目が留まり、駅ではもちろんアナウンス、看板、周囲の乗客の話し声などに注目、職場では同僚の話しことば、会議での配付資料(の言語表現)に全神経を集中し。ランチではペットボトルのお茶のラベルをガン見して、午後の職場ではやってくるメールや閲覧するサイト(仕事ですよ、もちろんw)でのバリエーションを探してしまう。仕事帰りにデパートに行こうものなら、店員の話しことばやアナウンスはもちろん、商品名、はては観光で来たと覚しき外国人の買い物姿をそれとなく観察。結局何も買わずに(いつもは買うのよw)帰宅して、夕刊を読みながら新語に気づき、ネットサーフィンをしてまたまた発見をしてようやく寝る。と思ったら、エアコンの「運転を終了します」だの携帯の「充電が終了しました」だのといった機械的呟きに本日最後の社会言語学的考察を加えながら、ようやく眠りに落ちる(-_-)゜zzz

 呆れちゃいますか?でも今日もどこかの社会言語学者がこうした生活を送りながら鋭敏なアンテナを働かせ、これだと思った現象を発見、貪欲にデータを採取し分析を始めているはずです。社会言語学者ならぜーんぜんフツーです。

 もちろんこうしたあり方について、「それは結局面白半分の素人芸で、まともな学者のやる言語学じゃないよっ!」というキビシー声も聞こえてきそうです。私の答えは。「言語について面白いことがわかるのであれば、法的・倫理的問題がない限りデータは何であろうが構わない」です。今までにないソースやメディアから得られたデータは、なにかしら言語について(さらに人間について)新しいことを教えてくれる可能性があります。可能性がある以上、やってみるしかありません。つまらなかったら「ほーら言わんこっちゃない、やーい」ではなく、さっさと次の面白そうなデータを探せば良いんです。さらに言えば、「言語学」なのだから、ことばに関するデータなら何を使っても良いはずです。かつてロマーン・ヤコブソンという有名な言語学者は、「私は言語学者である。ことばに関することで無関係なことはない」と言いました(原文はラテン語)。これは上に書いた社会言語学のデータに関するスピリットと通じるものがあると思います。

 で、最後に一言。誰かなんか面白いデータ知りませんか(笑)。

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【筆者プロフィール】

松田謙次郎(まつだ・けんじろう)
神戸松蔭女子学院大学文学部英語英米文学科、大学院英語学専攻教授。Ph.D.
専攻は社会言語学・変異理論。「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」と称して、自然談話データによる日本語諸方言の言語変化・変異現象研究や、国会会議録をコーパスとして使った研究などを専門とする。
『日本のフィールド言語学――新たな学の創造にむけた富山からの提言』(共著、桂書房、2006)、『応用社会言語学を学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2001)、『生きたことばをつかまえる――言語変異の観察と分析』(共訳、松柏社、2000)、『国会会議録を使った日本語研究』(編、ひつじ書房、2008)などの業績がある。
URL:http://sils.shoin.ac.jp/%7Ekenjiro/

【編集部から】
「社会言語学者の雑記帳」は、「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」者・松田謙次郎先生から キワキワな話をたくさん盛り込んで、身のまわりの言語現象やそれをめぐるあんなことやこんなことを展開していただいております。

ドイツのハーブ―ウイキョウ―

2010年 2月 1日 月曜日 筆者: 石井 正人

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(78)

においがなじめないといえば、Lakritze「カンゾウ(甘草)」と並んで、Fenchel「ウイキョウ(茴香)」がある。

ドイツのスーパーマーケットでは、様々な種類のKräutertee「ハーブティー」が並んでいる。伝統の漢方薬や薬湯というわけだ。Pfefferminze「ペパーミント」やHagebutte「野バラ」やKamille「カミツレ(カモミール)」やEibisch「ハイビスカス」のお茶などは珍しくもないが、さらにこれを様々にブレンドして、「こども茶」だの「腎臓茶」だの「おはよう茶」「おやすみ茶」などと称して、様々に特別な薬効をうたうものがある。ノーベル賞作家Günter Grassグラスの『はてしなき荒野』で主人公の老妻が愛飲しているのがこの「腎臓茶」である。

このようなハーブティー中にFenchelのお茶があって、Teebeutel「ティーバック」の箱の封を切っただけで、咳き込むほどのにおいがする。英語でフェンネル、あるいはキャラウェイと呼ばれているものと同じで、御存知の方もあるだろう。しかしウイキョウやキャラウェイと言われてもピンと来ない向きには、要するにSellerie「セロリ」の種であると言えば、風味に想像がつくだろう。

セロリの強い独特の風味も好き好きだが、あれが種になって凝縮している。セロリはもともとセリ(芹)の仲間だそうで、そう言われればにおいが似ていなくもないが、セリのあえかな風味をあっさりした和食に仕立てたものと比べると、セロリの強烈さは同日の談ではない。因みにドイツで普通に見かけるセロリは、葉や茎ではなく、カボチャほどもあるKnolle「球根」を食べる種類である。日本のものよりにおいがもっときつく、ドイツ人でも食べられない人がいるようだ。

しかしFenchelも、香料としては肉のにおい消しとか、Roggenbrot「ライ麦パン」と相性が良かったり、Sauerkraut「ザウアークラウト(酢漬けキャベツ)」の煮物には薬味として欠かせない。Mohn「ケシの実」やSesam「ゴマ」と同じことで、料理やパンや焼き菓子に少量使う分には、Fenchelもちょっと変わった印象的な香料ですむ。だがお茶だといって煎じるとすごいことになる。「ウイキョウ(茴香)」と言えば日本ではそもそもまた漢方薬だから、そう言われて日本人なら何となく納得する、独特の臭さになるのだ。


【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

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