2010年 3月 のアーカイブ
日本語社会 のぞきキャラくり 第80回 『関西人』たち(2)
2010年 3月 7日 日曜日 筆者: 定延 利之『関西人』たち(2)
『関西人』キャラに関して忘れがたいのは、高橋和巳の『悲の器』に出てくる横井検事だと前回書いた。横井検事って、どんな人? こんな人である。
「わしゃ、昔、アカでなあ」同室にいた関西出身の横井検事は、なぜか一向に昇進もせず、窃盗犯(せっとうはん)やスリの相手ばかりをさせられながら、やけくそに冗談を飛ばし、ろくに訊問もせずに、初犯者はみな不起訴にしていた。
「お前、なんでこんな阿呆(あほ)なことをやったんや。子供が中学へはいるのに、肩掛けカバンもゲートルもない。それで百貨店で盗んだんやと。阿呆か! 百貨店までゆくのに電車にのっていったんやろ。歩いて行ったんか? 電車で行ったと書いたある、ここに。電車賃をつこうてやな、ちょっと倹約したらやな、買えるもんを盗んで、なにが母親の愛情か。ゲートルぐらいなら、毛布の端っちょか、あんたの腰巻きをつぶしてでもできるやないか。そやろ、まあ、今度だけは勘弁したる。二度とこんなことをしたら刑務所ゆきやで。ええな。わかったな」
検事局内でも、横井検事の不起訴処分は一時、問題になったことがある。しかし、彼は会議の席でも、まるだしの大阪弁で滔々(とうとう)と初犯不起訴論をぶっておしとおしてしまった。
[高橋和巳『悲の器』1962]
ところが、である。「確信犯問題研究会が、公安課の鷲尾(わしお)検事を報告担当者として、一左翼青年の転向ないしは偽装転向を、その書簡および、訊問記録、保護観察記録によって分析していた時」だそうだが、こうなるのである。
「論議をもとにもどそうじゃないですか」私の隣の波戸田検事が、胃潰瘍(いかいよう)患者特有の臭い息をはきながら言った。「むしろ、A君が再逮捕ののち、予審判事にその法律論を語ったとすれば、彼が昭和六年になした転向声明は偽装だったということになるはずであり、いまはA君の行状に即して偽装転向の問題が論じられるべきだろう。その方が実りが多いんじゃないかね」
「なんの実り?」無作法にテーブルに片肘(かたひじ)をついていた横井検事が言った。珍しくその口調は関西弁ではなかった。「もともと、わたしは正木検事にさそわれて、この研究会に加わった。毎週の研究会に参加して、真鍋(まなべ)、佐野、三田村をはじめ、さまざまの判例や行状、そして性格分析などをも研究してきた。しかし、わたしは、ひそかに、われわれがいったい何を究(きわ)めようとしているのかを、いつか考えねばならぬときがくるだろうと思っていた。誰かがきりだすだろうと思っていたが、誰も言いださぬ。今日はいい機会だ。わたしが言おう。それはこうだ。われわれは取調べの側にあることによって、逆に問われているのだ。われわれの一人一人が、思想とははたして思惟(しい)する動物である人間にとって何であるのかと。思想とはその存在にとっていったい何であるのかと問われているとはお思いにならないか? われわれは人間が猿であることを証明しようとしているのか。人間が苦悩する人間的存在であることを知りたいのか? それとも、日本の民族の〈血と土〉の特質か」
すでに会場は、むかいあった相手の表情もよみとれぬほどに暗かった。闇(やみ)には外と内の区別はなく、黒板も、黒板のわきになお棒立ちしている鷲尾検事も、いまは一塊の影にすぎなかった。しかし、だれも立ちあがって戸口わきのスイッチをひねろうとはしなかった。横井検事の声はつづく。
「学問と研究の崇高性はいったいどこにあるのか。学問もまた人間が人間であることの誇りと明証の一部門であろうが、にもかかわらず、われわれの研究に崇高性の片鱗(へんりん)でもあっただろうか? ある一個の存在が、膨大(ぼうだい)な、圧倒的な権威の前にさらされ、裸の、二本の足と二本の手と、破れやすい皮膚と体をまもりきれぬ髪だけの存在に還元させられ、最低の、生きてゆく権利をまもるために絶叫する。それは絶叫であって、その声の悲しさだけが真実であり、その内容が A であろうと B であろうと、それは、〈生は生を欲する〉という一つの基本的原理を証明しているだけだ。当然のことだ。それを予審訊問(じんもん)の調書や裁判記録や、感想録や手紙から、この転向は家庭愛によっておこり、あれは拘禁中の反省、あれは性格、これは民族的自覚などと分類し、その確信犯の確信内容はかくかく、この国事犯の動機はかくかくと、そんなことを統計してみていったい何の意味があろうか。死者の血にたかる青蠅(あおばえ)のように、こんなことを分析し論じあって何の意味があろうか。正木検事、あなたはこの研究班の理論家だ。あなたは、もっともこの問題に熱心だ。答えてもらいたい。あなたをして、積極的にこの研究会に参加せしめている、あなたの情熱とはいったい何なのだ。いったい何を知りたいとあなたは思っておられるのか」
[高橋和巳『悲の器』1962]
えと、あの、横井検事のご発言があったところで、えと、まだまだ議論は尽きないみたいですけど、あの、そろそろ晩になりましたし、原稿の字数も、もう既定の倍ぐらい、いっちゃってるんで、続きはまた次回ということで、今回はあのこれで、ひとまず閉じさせていただけます、でしょうか、閉じさせてください。ありがとうございました。(つづく)
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◇この連載の中国語版と英語版
中国語版⇒角色大世界――日本
英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters
【筆者プロフィール】
定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。
地域語の経済と社会 第89回
2010年 3月 6日 土曜日 筆者: 山下 暁美地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第89回「海外の方言事情(台湾語の看板)」
台湾では、1980年頃から原住民の間でもともとの文化を絶やしてはならないという機運が高まりました。それと時を同じくして台湾人も台湾語(閩南語・みんなんご)を復活させようという活動が展開されました。台湾の教育には、北京語が国語として使用されています。北京語が国語だとすると、台湾語は、方言の一種と考えることができます。
楊盈璋(ヤン・インザン)さん(明海大学博士後期課程1年在学)は、台湾の南にある屏東(ピンドン)市出身ですが、北京語の普及政策のため小学生の頃(1972年頃)は、台湾語で話すと罰金箱に1元入れるという制度があったそうです。その罰金で学級の備品をいろいろ購入したそうです。方言札はなかったそうです。楊さん(楊家19代目・先祖は清の時代に中国大陸の福建省から移住したそうです)は、客家(ハッカ)族ですので、家では客家語、近隣の人たちとは台湾語(閩南語)、学校では、北京語(国語)という生活を送りました。客家語も台湾語も文字を持ちません。台湾語には、北京語の漢字を当てました。現在、街角で見受ける看板は、ほとんどが北京語ですが、いくつか台湾語の例を見つけたので紹介します。取材をしたのは、台北から列車で約2時間南へ下った苗栗市(ミャオリー市)です。
最初にとりあげるのは、「旺伯」「古早味」【写真1】です。「(親しみをこめて呼ぶときの)旺おじさん」の店、「昔の味」という意味です。「旺伯」は、北京語では「ワン・ポォ」ですが、台湾語では「オン・ペア」と発音します。「旺」には、「縁起が良い、繁栄」の意味がありますが、年配の男性の名前です。「古早味」は、台湾語で「グー・ザォ・ウェ」ですが、北京語にはこの表現がありません。このお店では、冷たい緑茶や紅茶を売っていて、20元(約60円)で300mlくらいの大きな容器に入ったお茶がテイクアウトで飲めます。
「日昇百貨行」【写真2】の「百貨」は、北京語では、「バイ・ホー」と発音しますが、台湾語では、「パー・フォエ」と言います。台湾に残存する日本語とも考えられます。いろいろな品物を扱う店という意味です。「行」(ハン)は、日本語で「果物屋」などに使う「~屋」を意味します。北京語では、「行號」です。
次の「培元文具行」【写真3】の「行」も「日昇百貨行」の「行」と同じ意味です。文房具店の看板ですが「文具」は、北京語では「ウォン・チュ」、台湾語では「ブング」です。台湾語は、基本的に呉音に由来するので、日本語の発音にたいへん近いのですが、台中、台南に住む方の話では、日本語から取り入れた可能性もあるとのことです。
写真4の看板の最初の漢字は、「しょうが」(生姜)という意味の古い漢字です。台湾語で「キュン・ボア」と言いますが、生姜で煮た鴨の料理です。冬食べると体が温まる台湾独特の冬の料理です。このように台湾語を北京語に当てはめて表記する看板の多くは、台湾ならではの産物であることを強調する効果をねらっています。
今回は、臨時号として海外の方言事情、台湾語を取り上げました。真理大學助理教授の郭碧蘭さんにもご意見をいただきました。
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

山下暁美(やました・あけみ)
明海大学外国語学部・大学院応用言語学研究科教授。博士(学術)。
専門は、日本語教育学・社会言語学。研究テーマは、移民百年を迎えた、ブラジル、アメリカ合衆国などにおける日本語の変化、外国人の日本定住化による共生時代の日本語教育政策。
著書に『書き込み式でよくわかる日本語教育文法講義ノート』(共著、アルク)、『海外の日本語の新しい言語秩序』(単著、三元社)、『スキルアップ文章表現』(共著、おうふう)、『スキルアップ日本語表現』(単著、おうふう)、『解説日本語教育史年表(Excel 年表データ付)』(単著、国書刊行会)、『ふしぎびっくり語源博物館4 歴史・芸能・遊びのことば』(共著、ほるぷ出版)などがある。
【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。
この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
明解PISA大事典:高度ながら知識不問の「PISA型」問題
2010年 3月 5日 金曜日 筆者: 北川 達夫第33回 笑話による問題解決型読解教育
前回はフィンランドの「分離・融合方式」について紹介した。分離段階(小学校5年生くらいまで)においては、相当に仕組まれた素材文を用い、学年相応の知識と経験のみを駆使してクリティカルに読むことが求められる。要するに、自分たちと同じような登場人物が、自分たちも経験したことのあるような問題に遭遇し、自分たちもやりかねない方法で解決する物語を読んで、ああだこうだと意見を言い合うようなやりかたである。いわゆる「PISA型読解力」を容易に習得できる方法ではあるが、「深さ」の感じられる方法ではないため、日本の国語の先生にとっては物足りなく感じられるようである。
とはいえ、やりかたによっては、けっこう手ごたえのある課題を設定することもできる。
一例を挙げよう。小学校3年生用の教科書に掲載されている事例である(1)。
物語「くらのとびら」のあらすじ
おまぬけ村のお父さんとお母さんの話である。お父さんは、野良仕事をしている間に蔵のお金がドロボウに盗まれるのではないかと心配していた。そこで、お母さんに、家事をしながら蔵の扉を見張っているように命じた。お母さんは蔵の扉を見張っていたが、話し相手のお父さんがいないので退屈である。畑に行けばお父さんと話せるのだが、それでは蔵の扉を見張ることができない。そこで、お母さんは蔵の扉を取り外し、それを背負って畑に行くことにした。お父さんはお母さんが畑に来たのでびっくりしたが、お母さんが蔵の扉を見張っていることがわかったので安心した。野良仕事を終え、家に帰った二人はびっくりした。蔵のお金がすっかり盗まれていたからである。
〈問題と解決〉
◎お父さんにとっての問題と解決
お金を盗まれるのではないか⇒お母さんに蔵の扉を見張っていてもらう。
◎お母さんにとっての問題と解決
退屈である。しかし蔵の扉を見張らなければならない⇒蔵の扉を背負って畑に行く。
このように各人が各人の問題を解決しているにもかかわらず、大前提が崩れてしまった、つまり盗まれてはならないお金が盗まれてしまったのである。「おまぬけ村(Hölmölä)」の物語というのは、フィンランドでは定番の民話型笑話であり、だいたいこのパターンで笑いをとることになっている。
この物語について、通常の問題解決型読解の方式(2)で話し合ってもあまり意味はない。「お金を盗まれてはならない」という大前提のもとで、「ほかに解決策はありませんか?」「あなただったらどうしますか?」と考えさせたところで、おまぬけ村の住人のようなアホな解決策をとらなければよいだけだからである。もちろん、小学校3年生が対象の課題なので、一応は確認のために「お金を盗まれないためには、どうすればよかったのですか?」と聞くことにはなっているが……。
このように笑話が素材文の場合は、あくまでも笑話のルールに則って問題解決思考をすることになる。つまり「笑話になるように、ほかの解決策を考えなさい」というのが、この素材文を用いた場合の最終課題である。登場する各人が各人の問題を真面目に解決したにもかかわらず、そのために大前提が崩れるような解決策――お父さんかお母さんの解決策を考えなければならないのである。
さて、この「おまぬけ村」の物語では、ほかにどのような解決策があるだろうか?
(解答例は次回)
* * *
(1) 『フィンランド国語教科書 小学3年生』pp82-83 メルヴィ・バレ他著/北川達夫訳/経済界 2006年
(2) 問題解決型読解については第16回を参照。
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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)、組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。
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【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。
修辞表現:「いやみ」など―『英語談話表現辞典』覚え書き(16)―
2010年 3月 4日 木曜日 筆者: 内田 聖二前回は修辞表現としての皮肉(irony)をとりあげましたが、今回は「いやみ」にかかわる表現を考えてみたいと思います。日本語の「皮肉」はかなり幅広い言語現象を指しますが、前回、一般的な言語学的定義として、「言っていることと反対のことを意味する表現」と皮肉を規定しました。このとらえ方を援用すると「いやみ」もうまく定義することができます。つまり、「真実のことを言って相手に不快感を与える表現」とするのです。前回の例を使うと、授業に遅刻してきた学生に「早いな」と言えば皮肉になりますが、「また遅刻か」と「事実」を言えばいやみになるということです。このような場合も広く「皮肉的」と言えますが、「事実関係」をもとにすると以上のように狭い意味の「皮肉」と「いやみ」を区別することができます。
この意の「いやみ」はその場、その場の事実に即して言うことでそのニュアンスが生じてきますので、定義を直接具現しているような言い方は見あたらないかもしれませんが、ここでは‘I told you so.’という表現を考えてみましょう。忠告や助言などに従わなかった人に対して「言った通りになった」ことを事実として確認することで、「言わんこっちゃない」とか「それ見たことか」といったいやみを伝えることができます。本辞典では次のような記述になっています。
1 〈いらだって〉だから言ったでしょう, それごらん 言わないことじゃない:《子どもと母親の会話》 “Don’t drink too much water. You will upset your tummy.”《翌日》“Mummy, I have a tummy bug!” “I told you so.” 「お水を飲みすぎちゃいけませんよ. おなかが痛くなるから」《翌日》「ママ, おなかが痛いよ!」「ほら, ママが言ったでしょう!」.
3 〈皮肉っぽく〉だから言ったのに, それ見たことか:“Why did she leave me?” “I told you so. You shouldn’t have called her again.” 「どうして彼女に振られたんだろう」「だから言ったでしょう. もう1度しつこく電話したからさ」.
ときには、忠告に従わなかった相手に対して冗談っぽく軽くたしなめる言い方にもなります。
2 〈ユーモアを交えて〉ほら 言ったでしょう:“I missed the train this morning, because I forgot setting the alarm last night.” “See. I told you so.” 「今朝, 電車に乗り遅れちゃった. 昨日の夜目覚まし時計をセットするのを忘れたんだ」「ほーらね, 忘れないように言ったのに」.
また、‘whatever you say’という表現があります。これもいやみの定義と直結しませんが、相手が言ったことを幅広く一般化して「あなたが言うことは何でも」「是認する」ことを意味します。つまり、「あなたが言うことは何でも」「正しい」とか「従う」ということを表します。次例は素直に従う場合です。
1 〈相手の言うことを受け入れて〉君の言う通りにするよ:《ゲームに夢中になっていた2人の会話》 “I think we should stop the game here.” “OK, whatever you say. It’s already midnight now.” 「もうゲームはやめようよ」「わかった, 君の言う通りにするよ. もう夜中だしな」.
さらに、是認の気持ちから、反論してもどうしようもない相手に対するいやみな気持ちや、あきらめ、勝手にしろ、などといった二次的な意味も派生しています。
2 〈相手の発言をしぶしぶ認めて〉わかったわかった, はいはい君の言う通りです:《妻と夫の会話》 “I think you should stop drinking because you have diabetes.” “All right, whatever you say.” 「糖尿病を持っているのだから, お酒をやめるべきだわ」「はいはい, わかりました, 君の言う通りだ」.
3 〈嫌味たらしく〉おっしゃる通りです, わかってるよ:《母親が息子に》 “You must prepare for the coming term test, mustn’t you?” “I know, whatever you say.” 「期末テストの勉強しなくてもいいの?」「はいはい, (言われなくても)わかってるよ」.
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【筆者プロフィール】
内田聖二(うちだ・せいじ)
奈良女子大学教授
専門は英語学、言語学(語用論)
主な業績:『英語基本動詞辞典』(1980年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基本形容詞・副詞辞典』(1989年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基礎語彙の文法』(1993年)英宝社(衣笠忠司、赤野一郎と共編著)
『関連性理論-伝達と認知-』(初版1993年、第2版1999年)研究社(共訳)
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版1994年)小学館(小西友七・安井稔・國廣哲弥・堀内克明編、分担執筆)
Relevance Theory: Applications and Implications, 1998, John Benjamins.(Robyn Carstonと共編著)
『英語基本名詞辞典』(2001年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『ユースプログレッシブ英和辞典』(2004年)小学館(八木克正編集主幹、編集委員)
『新英語学概論』(2006年)英宝社(八木克正編、共著)
『思考と発話』(2007年)研究社(共訳)
『子どもとことばの出会い』(2008年)研究社(監訳)
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【編集部から】
語用論的な情報をふんだんに盛り込んだ、日本発の本格的な発信型会話・談話表現辞典、『英語談話表現辞典』について、編者の内田聖二先生にご紹介いただきます。
書籍購入者は、http://dce.dual-d.netにて本辞典の全データを収録したウェブ版辞典を無料で使用できます。
漢字の現在:香港、台湾のお金も「円」い
2010年 3月 4日 木曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第59回 香港、台湾のお金も「円」い
前回記した中国での「圓」から「元」への転化は、中国の漢字の状況を端的に表している。また、「園」という字は、やはり「元」と字音が通じるものであり、簡体字としては「囗」の中に「元」を収めた「园:
」を採用している(第15回「幼稚園」参照)。字の造り方や字画の省き方に、発音を軸とした一貫性を見出すことができよう。
中国に滞在していると、クシャクシャになった古い人民元のお札や、かなり低額な貨幣も手元に回ってくることがある。それらには、前回記したとおり、「圆:
(圓)」や「元」がこともなげに印刷されたり刻印されたりしている。日本では、お金を改めて凝視することはほとんどないが、中国では、偽札を見抜こうとする努力が日常、お店のカウンターでなされている。しかし、貨幣や紙幣になおも見られるそうした表記の揺れについては気にされることはないようだ。
その語の意味よりも、むしろその語の発音に着目して文字を選び、語を表記することが存外多いのである。書きことばにおいて最も使用頻度数の高い「的」(de)でさえも実は当て字だったものである。こうした点からも、中国語では、表音という機能が漢字の役割として意外に重視されてきた、ということがうかがえる。木簡さらには甲骨文字の文章などでも、想像を超えるほどの、同音・類音字を通用させた仮借(かしゃ)表記がなされているのである。それを、中国での漢字の一つの本質であったとまでみなすのはいきすぎであろうか。
香港ドル(HK$)や台湾ドル(NT$:ニュー台湾ドル)は、政治的、文化的な問題から、繁体字を使用しつづけているために、貨幣単位としては「圓」と表記される。しかし、日常生活の中ではやはり簡易な「元」とも記されている。台湾でも、手書きでは簡体字と共通する略字がしばしば用いられているのが実態である。確かに「臺灣」と書いてばかりもいられないのであろう。しかし国語の試験では、略字を書くと国語の教員に減点をされてしまうとのことだ。
香港では、お札での表記が「圓」から「元」に変わってきたようだ。前回述べた記号化と同様の現象が、中国本土に次いで起こっているのである。いずれの国や地域でも、高頻度で煩雑なものは、神が作りだし王が使ったかの遥かな歴史をもつ文字であっても、社会生活を営む人間の手で、簡便な形に次第に変えられる。そういう過程を経ることで、いっそう多くの人々へと、文字は近づいてきたのである。
中国に返還された現在でも、一国二制度が保たれている香港では、「圓」の代わりに「蚊」 (man マン)と書かれる語も通用している。実際に、これを香港の地で目にしたが、多くの方言文字とともに日常生活の中に、あまりにも溶け込んでいて、当地でそれを見つけても、不思議と違和感はなかった。日本に住む人ならば、貨幣の単位を、虫の「カ」を意味する「蚊」と書くことはなぜか、と感じないだろうか。それが、地元では別におかしいとも思われていないようだ(本字は「文」とのこと)。香港に移り住んで長い方も、「そう言われてみれば、なんでかな」と首をかしげるくらいだった。中国語の一つの方言たる広東語でも、やはりこの漢字では意味よりも音が重視されたようだ。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「中国のお金も「円」い」でした。
この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
国語辞典入門:語釈・説明の違い、詳しい 簡単
2010年 3月 3日 水曜日 筆者: 飯間 浩明第8回 語釈の個性は画風に似ている
国語辞典によって語釈が違うことを実感するにつれ、私は、ちょっとしたことばを調べるにも、複数の辞書を引かなければ満足できなくなりました。
語釈の個性というものは、絵で言えば、ちょうど画風に似ていると思います。同じ農村風景を描いても、ミレーとモネとゴッホとではまるで違います。ミレーの絵しか見ないという人がいないのと同じで、1冊の辞書の語釈で満足するのはもったいない話です。
主観を表現する美術と、客観を目指すべき国語辞典とは比べられないと思う人もいるかもしれません。でも、たとえ客観的に物事を捉えようとする場合でも、その捉え方に個性が表れることは、「時間」「マンボウ」の例で見たとおりです。
あるいはもうひとつ、「苦い」の例を加えてもいいでしょう。「苦い」は、科学的には「舌根の部分が刺激される状態だ」ということです。『集英社国語辞典』の語釈はこれに近く、
〈舌の奥の方で焦げたような味を感じる〉
と記しています。科学的であり、妥当な語釈です。その一方で、この語釈は、日常感覚から離れる面があることも事実です。私たちは、苦みを感じる時、「舌の奥が刺激されている」とは意識しないからです。
『新選国語辞典』(小学館)は、別の面から「苦い」を捉えようとします。
〈熊(くま)の胆(い)や濃すぎる茶などを飲んだ時のような、よくない味を感じる〉
この辞書が試みているのは、例示による説明です。私は「熊の胆」を味わったことはないのですが、「濃すぎる茶」と言われれば分かります。これもまた妥当な説明です。
ほかの国語辞典を見ると、これらの観点をあわせた語釈、別の観点から切りこんだ語釈など、さまざまで、どれが一番いいと決めることはできません。それぞれの語釈の違いは、やはり、画家の作風の違いにたとえるのがふさわしいと思います。
こんなふうに言うと、国語辞典には悪い語釈はないかのようです。もちろん、そんなことはなく、改善すべき語釈はあります。たとえば、「本」を引くと「書籍。書物」とあり、「書籍」「書物」を引くと「書物。本。図書」「本。図書」などと循環する辞書が、私が見ただけでも7、8冊はあります。すぐれた辞書でもこういうことが起こるのです。
「簡単な語釈はダメ」ではない
循環する語釈のほかに、一般の評価が低くなりがちなのは、簡単な語釈です。くわしい語釈と簡単な語釈とがあった場合、多くの人は、くわしい語釈をよしとします。
でも、私はこれについては異論を持ちます。語釈を念入りにするか、単純にまとめるかは、やはり、これも画風の違いのようなものです。
私はよく、語釈の精粗を肖像画と似顔絵の違いにたとえます。肖像画はモデルを丹念に描こうとします。でも、細かく描きこんでも、どこか本物と違う感じがすることがあります。一方、似顔絵は、一筆書きのような線が、かえってモデルの特徴を見事に捉えることがあります。どちらの描き方がいいかではなく、成功しているかどうかが問題です。
『三省堂国語辞典』の「ライター」は、第五版より第六版のほうが簡単になりました。
〈発火石を こすってタバコの火をつける器具〉(第五版)
〈タバコの火をつける器具〉(第六版)
前段が削られています。辞書の語釈はくわしいほうがいいという考えに立てば、『三省堂』の語釈は退歩したことになります。本当にそうでしょうか。
第五版で問題になったのは、「ライターの点火方式は発火石だけでない」ということでした。他の辞書には〈発火石や電池などを用いて……〉ともあります。ただ、現在では電池式はまれで、一般に目にするのは、発火石ライターか電子ライターです。第五版には発火石の説明しかないので、電子ライターの説明を加えれば完璧になるはずです。
ところが、電子ライターは、圧電素子というものをハンマーでたたいて点火するものです(私もライターを分解して確認しました)。これを記述するなら、ライターとは、
「発火石を こすったり、圧電素子という物質をハンマーでたたいたりして、タバコの火をつける器具」
となります。より精密にはなりましたが、定義としてはなんだか散漫になってしまいました。「ライター」を定義するためには、点火方式や燃料の種類は必須ではなかったのです。思いきって省いたほうがいいと考えた結果が、『三省堂』の第六版の語釈です。
ある対象について、百科事典的な知識がほしいのか、それとも、「要するにどういうことか」という核心が知りたいのか、時と場合によって、ふさわしい辞書は異なります。
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筆者プロフィール
飯間浩明(いいま・ひろあき)
早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)
【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。
ドイツのお菓子(6)―ワッフル(1)―
2010年 3月 1日 月曜日 筆者: 石井 正人クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(82)
Waffel「ワッフル」といえばベルギーが有名で、マネケン社によって国産の本格的なベルギー・ワッフルも簡単に手にはいるようになった。ベルギーを旅した人なら、言葉に出来ないほど美味しい、焼きたての熱々のワッフルを道ばたで頬張った感激を忘れがたいという向きも多かろうが、家庭で手作りのベルギー・ワッフルを楽しめる道具も日本で普通に見かけるようになった。
因みにマネケンというオランダ語(フラマン語)は、ドイツ語のMännchen「小男」のことで、ベルギー、特にブリュッセルにおいては、あの名高い「小便小僧」のことを指している。世界三大ガッカリで有名であることはともかく(後の二つはコペンハーゲンの人魚姫とシンガポールのマーライオン)、各国からの観光客が必ず立ち寄って記念写真を撮るブリュッセル名物ではあるので、国産ベルギー・ワッフルの社名に選ばれているのである。
さて実際にはベルギー・ワッフルでさえ、Lüttich (Liège) リエージュ風とBrüssel (Bruxelles) ブリュッセル風とがあるのだそうで、その他に北欧風だとか、アメリカ風だとか、果ては香港風というものまで、多様なヴァリエーションがあるようだ。確かに日本でもマネケン社のベルギー・ワッフル以前から、パンケーキ風の生地でクリームをくるんだタイプとか、ビスケットような固いタイプとか、違う種類のワッフルが存在した。
こうなると、そもそも何を以てワッフルというのか分からなくなってくる。実際にはどうもワッフルのメルクマールは、生地の質やふりかける砂糖や塗るジャムやクリームにではなく、あの独特の格子状の形状にあるようだ。
語源辞典によれば、ワッフルはオランダで生まれた言葉だが、その元になったのは、ドイツ語でならweben「織る、編む」に対応する意味を持つ言葉であった。Gewebe「織物」とかWabe「蜂の巣」という、webenと語源を同じくする概念から考えてみるに、やはりあの格子状の形こそがワッフルの特徴とされていたのだろう。
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【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員
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【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。










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2007年









