2010年 4月 のアーカイブ
深谷圭助先生の辞書引き学習体験会(5月8日)
2010年 4月 8日 木曜日 筆者: ogm以下のイベントは終了いたしました。イベントのもようはこちらをご覧ください。
⇒報告:深谷先生の辞書引き学習体験会(5月8日)
「辞書引き学習」基本のステップは五つ! 今すぐ始めたい方はこちらをご覧ください。
⇒「辞書引き学習」とは(監修:深谷圭助)
「やってみよう!」 「辞書引き学習」への取り組み―先生方・保護者の方へ―
ご家庭での取り組みの参考にと、深谷先生にインタビューをさせていただきました。以下をご覧ください。
⇒インタビュー「辞書引き学習」の深谷圭助先生《前編》
⇒インタビュー「辞書引き学習」の深谷圭助先生《後編》
最新のイベント情報は右にあります「おすすめ記事」からご覧ください。今後のイベント情報、また、これまでの報告など関連情報は以下からもご覧いただけます。
⇒「辞書引き学習」についての情報
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「親子で深谷先生の辞書引き学習を体験しよう」
「辞書引き学習」の開発者として著名な深谷圭助先生が、みずから指導をしてくださいます。ことばの力を楽しく身につけられる話題の学習法を、親子でご体験ください。
日時:2010年5月8日(土) 午後1時30分開場 2時~4時
場所:成城ホール 集会室E
東京都世田谷区成城6-2-1(小田急線「成城学園前駅」下車徒歩4分)
講師:深谷圭助先生(中部大学准教授)
対象:小学校1年生から3年生までの児童と親のペア(2名1組)
定員:25組 50名様(要予約)
参加費:1組様 2,000円(教材費込)
主催:三省堂書店・成城店
東京都世田谷区成城6-5-34 成城コルティ2F 電話 03-5429-2401
お申し込み・お問い合わせ:三省堂書店・成城店
【編集部からのお知らせ】
2009年2月28日に三省堂書店・成城店主催でおこなわれました「辞書引き学習」体験会のもようを以下のページにて、動画で掲載しています。
⇒深谷圭助先生の「辞書引き学習」体験会のご紹介
このウェブサイトにて、深谷先生のインタビューを掲載しています。以下をご覧ください。
⇒インタビュー「辞書引き学習」の深谷圭助先生《前編》
⇒インタビュー「辞書引き学習」の深谷圭助先生《後編》
編集部で立命館小へうかがいました。以下に訪問記を掲載しています。
⇒「辞書引き学習」の立命館小訪問記1
⇒「辞書引き学習」の立命館小訪問記2
各地の辞書指導や辞書を使った学習のもようをリポートします。
⇒「辞書引き学習」訪問記:千葉・水の江小
最新のイベント情報は右にあります「おすすめ記事」からご覧ください。今後のイベント情報、また、これまでの報告など関連情報は以下からもご覧いただけます。
⇒「辞書引き学習」についての情報
人名用漢字の新字旧字:「畄」と「留」と「畱」
2010年 4月 8日 木曜日 筆者: 安岡 孝一第60回 「畄」と「留」と「畱」
昭和17年6月17日に国語審議会が答申した標準漢字表では、「留」の直後にカッコ書きで「畄」が示されていました。つまり「留(畄)」となっていたわけです。簡易字体の「畄」は、カッコ書きにはなっているものの、一般に使用して差し支えない、ということでした。
昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字には、「留」が収録されていました。これに対し、文部省教科書局国語課は8月2日、常用漢字に関する主査委員会において、簡易字体の「畄」を収録するよう提案しました。しかし、主査委員会は8月27日の会議でこれを否決し、「留」のままでいくことを決定しました。旧字の「畱」と比べると、「畄」はあまりにも簡単すぎたのです。この結果、昭和21年11月16日に内閣告示された当用漢字表1850字には、「留」が収録されていて、「畄」や「畱」はどこにもありませんでした。旧字の「畱」はカッコ書きにすらなっていなかったのです。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。「留」は出生届に書いてOKとなったのですが、「畄」や「畱」は出生届に書けなくなってしまったのです。
昭和38年10月11日、国語審議会はこれまでの国語政策についてを報告しました。この報告の中で国語審議会は、当用漢字字体表のさらなる改善に触れていました。「留」の代わりに、簡易字体の「畄」を採用した方が、むしろ漢字を広く生かすことができる、と言うのです。しかしこの問題は、委員の中にも賛否両論があって、なかなか審議が進みませんでした。昭和52年1月21日、国語審議会は新漢字表試案を発表しますが、そこでも「畄」は採用されず「留」のままでした。また、旧字の「畱」もカッコ書きには入っていませんでした。昭和56年10月1日に常用漢字表が内閣告示されましたが、そこでも「留」はそのままで、「畄」や「畱」はどこにもありませんでした。
平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、常用漢字や人名用漢字の異体字であっても、「常用平易」な漢字であれば人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針のもと、人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。しかし、「畱」はJIS X 0213の第4水準漢字だったので、そもそも審議の対象になりませんでした。一方「畄」は、第2水準漢字だったものの、出現頻度数調査の結果がたったの1回だったため、追加対象になりませんでした。
この結果、平成16年9月27日の戸籍法施行規則改正でも、「畄」も「畱」も人名用漢字になれませんでした。それが現在も続いていて、「留」は出生届に書いてOKですが、「畄」や「畱」はダメなのです。
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【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。
国語辞典入門:小学生向け辞書を選ぶ観点(1) 大きさ 重さ 表紙 書体
2010年 4月 7日 水曜日 筆者: 飯間 浩明第13回 デザインがどうかも、ばかにならない
いささか前置きが長くなりました。では、ここで一気に場面を変えて、書店の辞典コーナーに移動しましょう。あなたは、小学生のお子さんとともに、学習国語辞典(学習辞典)を買いに来たところです。書棚を見渡せば、色とりどりの学習辞典が並んでいます。このうちどれを選べばいいか、実際にページを繰りながら考えましょう。
まず目に飛びこんでくるのは、デザインです。内容もさることながら、デザインがどうかということも、辞書を使う意欲を左右します。
たとえば、ドラえもんのことが心底から好きな子なら、『例解学習国語辞典 ドラえもん版』(小学館)を選べば、学習意欲が上がるかもしれません。ドラえもん版とは、表紙にキャラクターの絵がついている版のことです。内容は通常版と同じです。
辞書は、使う本人が気に入ることが一番大事です。「どうしてもドラえもん」と言う子に、ほかの辞書を押しつけるのは考えものです。この場合はこれで購入決定となり、以下の私の説明は不要になります(なお、「楽しく学べる」と称して、マンガ形式の解説を入れる学習辞典が増えていますが、マンガの助けがなければ楽しくならないのか、疑問です)。
もし、子どもが一目で気に入った辞書が特にないなら、次の点の検討に移ります。
大きさ――同じ辞書でも、大型版と小型版と2種類用意されていることがあります。「A辞典の内容は気に入ったが、大きさが気に入らない」というとき、別の大きさの版がないか確かめてください。大型版の長所は、文字が見やすいところ。小型版の長所は、いつも持って歩きやすいというところです。
重さ――見落としがちですが、同じ大きさ、似た厚さの辞書でも、重さが異なることがあります。しじゅう手に取って使うことを考えれば、軽いにこしたことはありません。重さを比べるときには、目をつぶって両手に1冊ずつ辞書を載せ、さらに、何度か左右を入れ替えて載せてみると、よく分かります。
表紙――材質が、紙か、ビニールかということです。私は、ビニールで決まりだと思います。紙の表紙は、何度も引いているうちに折れてしまって、不便です。もっとも、大型版の場合は、紙のほうが造本がしっかりするという長所はあります。
本文は教科書体にしてほしい
次に、表紙を開いて、中を見ましょう。デザインのうちで、内容に深く関わるのは、何といっても、書体に関する部分です。
一般の国語辞典は、本文を明朝体で組んでいますが、学習辞典の多くは、教科書体を採用しています。教科書に使われる、手書きに近づけた書体のことです。文字の形を正しく覚えさせるためには、教科書体で組むことが絶対に必要です。できれば、実用辞典のように、手書きの楷書体を添えれば、なおよいと思います。
ところが、学習辞典の中には、本文が教科書体でないものがあります。広告などでよく目にする、丸ゴシック系などの書体を使っています。これは、どう考えても不適切です。いくら内容がよくても、書体のおかげで台なしです。
あえて、私の好きな辞書を例に挙げます。『下村式 小学国語学習辞典』(偕成社)は、編者・下村昇さんの国語教育に関する識見が反映された、すぐれた辞書です。たとえば、漢字は簡単なパーツに分け、口で唱えて覚えたほうがいいという考えから、筆順欄で漢字を分解して示しています。「層」は「コノソ田日」。「総」は「糸ハム心」といった具合です。
項目の選び方にも、独自色が出ています。「甘い汁を吸う」「生き血を吸う」などということばが立項されていますが、ほかの小学生向けの学習辞典には見当たりません。作り方が、ほかの辞書とはかなり違っていることが分かります。
このように見るべきところの多い辞書でありながら、なぜか、本文が丸ゴシック系で組まれているのです(表記欄だけは教科書体)。せっかくの辞書の価値を減じてしまっています。これはぜひ改善してほしい点です。
では、『下村式』は選ぶべきでないのかというと、そんなことはありません。『下村式』に限らず、どの辞書にも長所と短所があります。1冊の学習辞典だけを見ていては、そのよさも悪さも気づきにくいものです。学校用と家庭用、または、兄弟それぞれ用に別々の辞書を買ったりして、お互いに短所を補い合うようにすればいいのです。
この後も、私は特定の辞書の長所や短所を取り上げることがあるはずですが、そのことによって、その辞書を勧めたり、勧めなかったりするわけではありません。人間と同じで、全能の辞書というものはなく、補い合って読者の役に立つのです。
◆連載を続けてお読みになる方は⇒「国語辞典入門」アーカイブ
◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「国語辞典入門」目次へ
◆飯間先生のもう一つの連載は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」目次へ
◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」
筆者プロフィール
飯間浩明(いいま・ひろあき)
早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)
【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。
『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて(24)
2010年 4月 6日 火曜日 筆者: 赤間 恵都子(24) 清少納言の里居~長期里下がりの理由~
長徳2年という年に中宮定子が経験した様々な悲愴な事件についてお話ししてきました。それは、清少納言が宮仕え生活を始めた正暦年間には、誰も考えもつかなかった事だったと思います。中関白家の栄華を描いてきた『枕草子』に、長徳の変前後の定子の悲劇を直接描写する記述はありません。敬愛する主人の悲劇に直面して、作者はどのように感じ、何を考えていたのでしょうか。
実はこのころ、清少納言の身の上にもこれまでにない事態が発生し、長い間里下がりしていたようなのです。宮仕え生活の中で、清少納言もそれまでに何度か里下がりをしたことはありました。そんな時は、すぐに定子から出仕要請の手紙が届き、大急ぎで定子の許に戻っています。しかし、今回の里居はそう簡単に戻れる状況ではありませんでした。この時の清少納言の里居を扱った章段は次のように始まります。
殿などのおはしまさで後、世の中に事出で来、さわがしうなりて、宮もまゐらせたまはず、小二条殿といふ所におはしますに、何ともなくうたてありしかば、久しう里にゐたり。御前わたりのおぼつかなきにこそ、なほえ絶えてあるまじかりける。
(殿様がお亡くなりになった後、世間で事件が起こり、騒がしくなって、中宮様も宮中に参内なさらず、小二条殿という所にいらっしゃる時に、私は何となくうっとうしい事があって、長い間里に下がっていました。中宮様の周辺がとても心配な時に私が出仕しないなど、あってはならないことだったのですが。)
冒頭に関白道隆薨去後から長徳の変にかけての歴史的背景に言及する章段は、『枕草子』でこの段だけです。さらに興味深いのは、歴史資料に見えないこの時期の定子の居場所が、「小二条殿」と記されていることです。二条邸を焼け出された定子が、記録類に再び居場所を記される長徳3年6月までの約1年間をどこでどのように過ごしていたのか、さまざまに推測されていますが、今のところよく分かりません。ただ、『枕草子』に見える「小二条殿」の記述からは、二条近辺の小さな家に居場所を定めて謹慎生活を送っていた定子の様子が想像されます。そして清少納言は、そんな中宮定子のことを心配しながらも、宮仕えに嫌気がさして里下がりしていたというのです。里居の原因について、作者は次のように語っています。
げにいかならむと思ひまゐらする御けしきにはあらで、候ふ人たちなどの、「左の大殿方の人知る筋にてあり」とて、さしつどひ物など言ふも、下よりまゐる見ては、ふと言ひやみ、はなち出でたるけしきなるが、見ならはずにくければ…
(本当に私のことをどのようにお考えだろうと思い申し上げる中宮様のご様子ではなくて、お仕えする女房たちなどが、「(清少納言は)左大臣殿側の人と知り合いだ」といって、寄り集まって話していて、私が下局から参上するのを見ると、ぴたりと話を止め、仲間外れにしている様子がこれまでになく不快なので…)
長徳2年の不穏期は、中関白家の外部から中傷する者、内部から離反する者などが出て、定子を取り巻く女房たちの雰囲気もピリピリしていたことでしょう。そのような状況の中で、清少納言は疑心暗鬼にとらわれた女房たちから爪弾きにされてしまったのです。定子の気持ちを懸念していることから考えると、清少納言が疑われるような何らかの出来事があったのかもしれません。『枕草子』には藤原道長や道長の従弟にあたる源経房が登場し、親近感を持って描かれていますが、清少納言の彼らに対する何気ない言動が増長され、同僚女房たちの憶測を招いたとも考えられます。
清少納言が定子の御前に参上すると、それまで集まって話をしていた女房たちがピタリと口をつぐんで、知らんふりをする。そんなことが度重なると、どんなに気丈な性格でも、気が重くなっていくのは当然でしょう。女ばかりの集団内で、現代にもよくありそうなイジメですね。清少納言は初宮仕え生活の中で、初めて危機に直面したのです。
◆この連載を続けて読みたい方は
⇒「『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて」アーカイブへ
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【著者プロフィール】
赤間 恵都子(あかま・えつこ)
十文字学園女子大学短期大学部文学科国語国文専攻教授。博士(文学)。
専攻は、『枕草子』を中心とした平安時代の女流文学。研究テーマは、女流作家が輩出した西暦1000年前後の文学作品の主題や歴史的背景をとらえること。
【主要論文】
「『枕草子』の官職呼称をめぐって」(『枕草子の新研究―作品の世界を考える』新典社 2006年 所収)、「枕草子「二月つごもりごろに」の段年時考」(『百舌鳥国文』2007年3月)、「ホトトギスを待つ女―道綱母の和歌へのこだわり―」(『日記文学研究 第三集』2009年 新典社)など。
【編集部から】

このたび刊行いたしました『枕草子日記的章段の研究』は、『枕草子』の「日記的章段」に着目して、史実と対照させ丁寧に分析、そこから清少納言の主体的な執筆意志をとらえるとともに、成立時期を新たに提案した『枕草子』研究者必読の一冊です。著者の赤間恵都子先生に執筆にいたる経緯や、背景となった一条天皇の時代などについて連載していただきます。(隔週掲載)
和独辞典の見出し
2010年 4月 5日 月曜日 筆者: 信岡 資生クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(86)
「独和辞典」に比べると「和独辞典」の数はずいぶん少ない。この関係は「英和」と「和英」、「仏和」と「和仏」についても同じことが言えよう。明治年間(1868-1912)に出た「独和」は25点ほどあるが、「和独」は6点しかないし、昭和年代(1926-1989)でも、「独和」48点以上に対して「和独」は13点でしかない(同書名の増補、改訂版や専門用語辞典を除く)。これは、彼我の間の学術・文化交流の在り方の一面の表れでもあろう。
本邦における「和独辞典」の嚆矢とされているのは、明治10年10月に刊行された『和獨對譯字林』で、最初の「独和辞典」が現れてから5年後のことである。この辞書は、見出し語はヘボン式ローマ字としながら、その排列を日本古来の辞書事典に倣って「いろは」順としたため、ABC文字の「いろは」順排列という、今日から見ればなんともちぐはぐな感じの、利用者にとってたいへん引きにくい辞書となった。私の亡友の数学者杉ノ原保夫君は昭和19年春に陸軍幼年学校に入校したが、入校式で新入生の名前が次ぎ次ぎと呼び挙げられていくのにいつまでたっても自分の名前が呼ばれない、ひょっとして自分の合格は間違いだったのかと不安になったが、ようやく最後に名前を呼ばれてほっとしたと言っていた。陸軍では当時まだ「いろは」順が採られていたので、「す」は最後になるのである。
日本の古い辞書事典の類は見出し語を「いろは」順にしている。大槻文彦博士は明治24年刊行の『言海』の見出し語を伝統的な「いろは」順でなく、あえて五十音順にしたが、その理由を「本書編纂ノ大意」の「十」で、「各語ヲ、字母ノ順ニテ排列シ、又、索引スルニ、西洋ノ「アルハベタ」ハ、字數僅ニ二十餘ナルガ故ニ、其順序ヲ暗記シ易クシテ、某字ハ、某字ノ前ナリ、後ナリ、ト忽ニ想起スル事ヲ得、然ルニ、吾ガいろはノ字數ハ、五十弱ノ多キアルガ故ニ、急ニ索引セムトスルニ當リテ、某字ハ何邊ナラムカ、ト瞑目再三思スレドモ、遽ニ記出セザル事多ク…」としながらも、続けて「五十音ノ順序ハ、字數ハ、いろはト同ジケレドモ、先ヅ、あかさたな、はまやらわ、ノ十音ヲ記シ、此ノ十箇ノ綱ヲ擧グレバ、其下ニ連ルかきくけこ、さしすせそ、等ノ目ヲ提出スル事、甚ダ便捷ニシテ、いろは順ハ、終ニ五十音順ニ若カズ、因テ、今ハ五十音ノ順ニ従ヘリ。」と述べている。しかし、大槻博士本人の手から『言海』を直接進呈された福沢諭吉は、「いろは」順でなく五十音順であることに顔をしかめたそうである(『ちくま学芸文庫 言海』(2004)所載の武藤康史「『言海』解説」による)。
明治以来、「和独」の見出し表記は「かな」でなくローマ字(大部分はヘボン式で、日本式、訓令式は僅か)で、排列はABC順が普通である。この慣例は『郁文堂 和独辞典』(1966)の出現まで踏襲され続けたが、同辞典は「序」で、日本語から他の国語に橋渡しする辞典でローマ字を見出しに用いるのは「その必然性がない」し、「かな」の方が自然であり、便利である、と述べて、「かな」見出し、五十音順排列の最初の「和独辞典」となった。
『クラウン独和辞典』の「和独インデックス」は、「かな」見出し、五十音順排列であることを念のため付言しておく。
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【筆者プロフィール】
信岡資生(のぶおか・よりお)
成城大学名誉教授
専門は独和・和独辞典史
『クラウン独和辞典 第4版』編修主幹
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【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。
An Unofficial Guide for Japanese Characters 04
2010年 4月 4日 日曜日 筆者: SADANOBU Toshiyuki<< An Unofficial Guide for Japanese Characters 03
I really don’t want to picture him in act…
As this post goes up, I’ll be in a certain city in a certain country. I’m somewhat intimidated, as I’ve heard that in that particular country beardless men are treated like children or are seduced by homosexual men. I’m dubious about these rumors, but nonetheless I am growing a beard for the first time in my life. Acquaintances ask “Are you growing a beard Mr. Sadanobu?” whenever I meet them. “No, actually it’s for an overseas trip,” I say, then hurriedly explain the situation. As everyone knows, my character is very serious and “square.” I am incapable of changing myself into a sexy, wild character.
My mutual friends got married, and sometime later announced the birth of their child. Although I was happy for them, it forced me to think about their relationship as “man” and “woman.” Then making babies. Hmm. I really don’t want to picture them in the act.
These frequent, everyday shocks brought about by “some guy I know” cannot be explained by the idea that we “selectively use different styles of speaking for different people.” For example, consider two lovers sweetly cooing to each other:
“Ne-, ohiru nanni shuru–?”(1) (What should we have for lunch?)
“Nn, wakannai deshu–.” (I don’t know.)
Yet, the couple would be mortified if they were somehow overheard by their relatives or acquaintances. Even if they tried to proudly assert, “We always use an appropriate style of speech when dealing with people, and with each other we use a particularly intimate style of speaking,” this would be nothing more than piling shame on top of shame. The problem is not the “selective use of speaking style;” it is a problem of character (“Ugh! That guy turns into a baby when he’s with his girlfriend!”).
Certainly, the idea of “selective use of speaking style” is not universally inapplicable. What about asking the CEO of a client company to do something for you, versus asking your own subordinate? When asking the CEO, you might courteously say to her “I really appreciate your help,” with a bow of the head. In the case of your subordinate, you might slap him on the shoulder and lightly intone, “Please get to it.” Even if you are seen by the subordinate making such a polite request to the CEO, you would not be particularly embarrassed. Likewise, it would be no big deal if the CEO saw you making a brusque request to your subordinate. The same message (“please do it”) is changed in style to fit the relationship you have with the other person.
On the other hand, consider a person who obsequiously begs the CEO, “Thank you so much for all your help in the past! I am most indebted to you regarding the matter we discussed!” bowing low and rubbing his hands together, then stretching out feet on his desk, glowering down, and shouting “You! Quit slacking off!” He would not want either party to see his behavior in front of the other. In this case it is not so much that he “selectively uses speaking styles to fit his relationship with the other person,” but rather that he transforms into “a different person” altogether.
That isn’t to say this change is so fundamental that he literally becomes a “different person.” In Toshio Shimao’s (1917–1986) novel, Kisousha no Yu-utsu, there is a scene in which the wife, who after saying, “It’s my fault. Please don’t go,” while quarreling with her husband, suddenly says in her native Amami islander dialect, “Mama! Take me away!”(2) Coming to her senses, she switches back to standard Japanese saying, “What’s wrong with me?” Her memories of the time during which she spoke in island dialect were discontinuous, disappearing when she resumed speaking in standard Japanese. Unlike this sort of fundamental change (which we can provisionally call a change of “personality”), in the changes we described above both the language and memories are contiguous.
What I am talking about here is not style. It is not expected to change, unlike styles, which can be freely altered to fit the person to which one is speaking. And if they do change, the observer is quickly lead to any number of conclusions about the speaker—“this person has been deceiving me,” “this person crumbles in the face of a strong adversary,” “this person is completely different around her lover” etc.—making both the observed and observer uncomfortable. What I am talking about is not quite as fundamental as personality though. Characters, such as those introduced in my second essay (“the cool person,” “the serious person,” “the vulgar person”), exist on a level “higher than styles, lower than personae.”
* * *
(1) This phrase and the one that follow it are written in the Japanese equivalent of “baby talk.”
(2) It would be difficult or impossible to convey in translation the extent to which this character’s Amami accent diverges from standard Japanese. For those interested, the exact quote is: “Anmai, wandaka, teretitabore.” (Explanation and quotation provided by Prof. Sadanobu.)
author
Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
角色大世界――日本 04
2010年 4月 4日 日曜日 筆者: 定延利之(中文)“咦,他(她)竟然……?!”
这篇文章被刊登的时候,我应该正在某个国家的某个城市出差。听说那里的男性如果没有胡子的话,就会被当成孩子,或是被同性恋的人瞄上等等,我虽然半信半疑,但还是平生第一次留起了胡子。一碰到熟人,他们就说“定延先生留胡子啦!”我也忙说“其实是要去国外出差”来解释事情的原委。正如各位所知道的,我这个人更适合那种死认真的“刻板”形象,所以怎么也不可能改变成性感、带有野性魅力的那种形象。
一些朋友结婚,之后又收到他们成为人之父母的消息。这当然是可喜可贺的事情,但同时也让我在一瞬间感到了自己所不知道的他们作为“男性”和“女性”的一面。他们竟然也要孩子了?!啊~、难以想象,难以想象!
像这样,我们在日常生活中常常会有“咦,他(她)竟然……?!”这样的震惊,用“因对方不同而使用不同的说话方式”来解释是行不通的。例如:
“Ne~、O-hiru-nan-ni-shuru〜?(哎~,中午吃(qi)什么?)”
“Un~、Wakan-nai-deshu〜(嗯,不知(ji)道~)”
等恋人之间象孩子撒娇似的甜密对话,如果偶然被其父母、兄弟、熟人等听到的话,这对恋人一定会感到很不好意思吧。即使分辩说“嗯~,我对大家使用一般的说话方式,对自己的恋人,用特别亲密的说话方式”,用说话方式不同来解释,也只能是让自己更加不好意思。因为我们不会认为这是简简单单的“说话方式的不同”,而会觉得“哇~,这人,在自己的恋人面前竟然变成了‘小孩子’!”,把这当成一个角色形象变化问题。
当然,有些情况用“说话方式的不同”来解释是可以的。例如委托客户方的总经理和委托自己部下办某件事时,说话方式应该是不同的。委托客户方的总经理时可能会说“那件事就都拜托您了”然后礼貌地深鞠一躬;对自己的部下则可能是轻轻拍拍其肩膀说“那件事交给你了”。用礼貌性口吻委托客户方总经理的样子,即使被部下看见也没有什么特别不好意思的。当然用吩咐性口吻让部下办事的样子被客户方的总经理看见也不会有问题。在这里,说话人在“委托谁办某事”时,只是因与对方的人际关系不同而改变了说话方式。
但是,如果对客户方的总经理结结巴巴低声下气地“您好!总经理,总是承蒙您多方关照!嗯,关于那件事~,请您一定一定……多多帮忙多多帮忙(深吸气)咝~”边说边点头哈腰搓着双手;而反过来对自己的部下,则是将腿跷在桌子上二目圆睁大喊大叫地说“嗯~! 你小子,别天天干活心不在焉的!知道吗!”,做这两种截然不同的表现会怎么样呢?大概和客户方总经理说话时,一定不想让自己的部下看见;同样,对部下发威的场面也一定不想让客户方的总经理看见。因为这不仅仅是“因人际关系不同而改变说话方式”的问题了,而是发生了让人觉得“此人非此人”这样一种变化。
但是,这种变化并不是真如字面上所说的当事人从根本上变成了“另一个人”。岛尾敏雄的小说《归巢者的忧郁》里描写了这样一个场面,夫妻吵架时,妻子先用普通话说“Watasi-ga-waru-katta。Ika-nai-de-kudasai(是我不好,请别走)”,`精神恍惚后用让人听不懂的故乡奄美大岛的方言说“Anmai,Wandaka,teretei-tabore(妈妈,请把我带走。)”。等清醒过来后,又用普通话说“Watashi-nani-ka-shite(我怎么了)?”。当她清醒后使用普通话时已不记得那段使用故乡方言时的事情了。这种根本性变化(暂时称为“人格”的变化)与上述的变化不同,因为在上述的变化中语言、记忆都是连续的,并没有出现消失现象。
人际交往中,说话方式可以因说话对象不同而自由改变,但有些东西则是不宜改变的。如果这些东西发生改变并被别人无意看见的话,别人马上就会明白“嘿,这个家伙,在我面前的那副老实样原来是装出来的”、“这个人,原来一遇到强手就弱下来”、“他(她),在恋人面前原来就像小孩子一样”等等,而且无论是看见的人还是被看见的人都会感到发窘。但是,这些东西又和“人格”这种根本性的东西不同。这些东西就是指我在前两次中提到的像“帅气的人”“认真的人”“粗俗的人”等这样的各种角色形象(人物印象)。角色形象(人物印象)其稳定性正是处于“说话方式之上,人格之下”这一水准之间。
author
定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。
日本語社会 のぞきキャラくり 第84回 指定が部分的な発話キャラクタ(中)
2010年 4月 4日 日曜日 筆者: 定延 利之指定が部分的な発話キャラクタ(中)
やっぱり、お天道様と旦那は何でもお見通しだぜ。その通りよ。言おう言おうと思いながらここまで来ちまったが、おれだって隠すつもりはなかったんだ。
発話キャラクタを観察しようってんで、「品」に「格」に「性」に「年」、都合4つの観点を持ち出したのはたしかにこのおれだ。だがよ、この4つの観点はいつもいつも具体的な指定が必要ってわけじゃねえ。「無指定」てぇのもあるんだ。「品」「格」「年」が無指定の『女』にしても、「格」と「年」が無指定の『下品』な『男』にしてもそうだ、つまり4つの観点のうち、指定されるのが一部の観点だけにとどまる発話キャラクタ、てぇのもあるわけさ。
これまで、「品」の『上品』『下品』、「格」の『特上』『目上』『目下』『ごまめ』、「性」の『男』『女』、「年」の『老人』『年輩』『若者』『幼児』てぇ具合に、値に過ぎねえものをわざわざ二重のカギ括弧でくくって、キャラクタみてぇに書いてきたじゃあねえか。これも無指定てぇことがあるからさ。他の観点がみんな無指定なら、1つの観点の値がそのまんま発話キャラクタになっちまう。だから値と発話キャラクタをおんなじに書いてきたのよ。
えっ、それじゃ4つの観点がぜんぶ無指定ならどうなるかって?
へっへっ、旦那もお人が悪いや。おれを試しているのかい? そのことなら、とっくに話したはずだぜ。
おれたちが思う以上にたくさんのことばが、よくよく調べてみりゃあ役割語だってこと、発見の「た」を例にとって話したじゃあないか(第28回)。あの時、おれが最後に何と言ったか、旦那覚えてるかい? 間違っていたら後でいくらでも直すことにして、とりあえず「すべてのことばは役割語だ」って考えてみようぜって、おれはそう言ったんだ。
あれからちょうど1年が経ったわけだが、おれはまだ考えを変えちゃあいねえ。いねえどころか、ますますその気になってきたぜ。
思い出してもみなよ、この1年のことを。一見ちぃとも役割語らしくねえ、どこのどいつだっておんなじように言いそうに思えてた「だ」や「です」が、本当のところどうだったか。
『男』なら「雨よ」「きれい」「大変」なんて言いやしねぇ。「だ」を付けて、「雨だよ」「きれいだ」「大変だ」と言うんだ。これは、「だ」は特に『男』と結びつく役割語の面を持ってるてぇことさ(第66回)。
「です」にしてもそうだぜ。「帰ったです」なんて、動詞に「です」をつなげてしゃべる『幼児』みてぇな奴がいるんだ。つまり「です」にも役割語の面があるてぇことさ(第70回・第71回)。
こういうことは、ぼーっとしててもわかりゃしねえ。「だ」にしろ「です」にしろ、「役割語じゃあねえか?」と疑ってかかって、はじめて見えてくるもんだ。
だからおれの答はこうだ。4つの観点がぜんぶ無指定ってことは、発話キャラクタがねえってことだ。そんなことを考えなきゃならねえ場合があるとすりゃあ、それは、或ることばが、特に誰を思わせることばでもねえ場合だ。つまり、役割語じゃねえ場合だ。そんなことは、あるかもしれねえ。だが、間違っていたら直すことにして、とりあえずは「そんなことはねえ。すべてのことばは役割語だ」って考えてみようじゃあねえか。おれはそう言ってんだよ、旦那。
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◇この連載の中国語版と英語版
中国語版⇒角色大世界――日本
英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters
【筆者プロフィール】
定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL:http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm
【編集部から】
「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。
地域語の経済と社会 第93回
2010年 4月 3日 土曜日 筆者: 日高 貢一郎地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第93回 『大分合同新聞』の「方言連載」
地方新聞は、地域に取材した記事を豊富に掲載し、読者に地元の情報をきめ細かく提供して地域密着を図っています。
この2月1日から、大分県の『大分合同新聞』は、「方言の連載」を始めました。
毎日1語ずつ、朝刊の紙面トップの第1面に、カラーの枠囲みで「教えて! ぶんぶん 大分方言」として出題し、「どのページかな? こたえを探してね」と呼びかけ、別の面に、これも必ずカラーの扱いで「こたえ(意味・用法)」を載せています。
日によって「こたえ」の載っている面は異なりますから、どこに載っているかを探す過程で、できれば他の記事にも目を留めて読んでほしいという、編集者の願い(ねらい?)も伝わってきます。
ごく小さい記事ですが、カラーで枠囲みですから、それだけに目を引き、関心を持たれやすい工夫だといっていいでしょう。
「ぶんぶん」というのは、『大分合同新聞』のイメージキャラクターのミツバチです。
「新聞」の「ぶん」でもあり、大分県の旧国名「豊前・豊後」の「ぶん」でもあり、県内をあちこち飛び回って密(話題や情報)を集めてくるはたらき蜂のように、人と人とをつなぐメディアとして、地域の人たちにとってなくてはならない存在でありたいという思いを込めて命名されたものだということです。
問題の出題者は、毎年10月に豊後高田市で開催されている「大分方言まるだし弁論大会」(この連載の第73回で紹介)の昨年の優勝者・糸永隆章さん(私立高校校長)です。
読者もこの連載を楽しみにしている人が多いようで、早速「読者の声」欄(2月13日朝刊)において、「「方言コーナー」楽しみ」という題で、由布市の73歳の女性からの「方言は親しみ深く、上品な言葉より懐かしさがあり、方言で話していると笑顔も絶えません。大分方言で私も力づけられ、新聞に載る明日の方言は何かなと、楽しみにしています」という投書が紹介されました。
方言の見直しと再確認に、こういった形での連載は、なかなか効果がありそうです。
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)
日高貢一郎(ひだか・こういちろう)
大分大学 教育福祉科学部 教授(国語学・方言学) 宮崎県出身。これまであまり他の研究者が取り上げなかったような分野やテーマを開拓したいと、“すき間産業のフロンティア”をめざす。「マスコミにおける方言の実態」(1986)、「宮崎県における方言グッズ」(1991)、「「~されてください」考」(1996)、「方言の有効活用」(1996)、「医療・福祉と方言学」(2002)、「方言によるネーミング」(2005)、「福祉社会と方言の役割」(2007)など。
【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。
この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
近刊案内(2010年4月)
2010年 4月 1日 木曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部デイリーコンサイス西和・和西辞典
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寺崎英樹・エンリーケ=コントレーラス 編
B7変型判 1,344ページ ¥3,045 ISBN 978-4-385-12275-5
待望のハンディ版スペイン語辞典の見やすい中型版。新語・専門語を含めて、類書中最大の総項目数10万2千5百。
デイリーコンサイス西和・和西辞典 中型版
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寺崎英樹・エンリーケ=コントレーラス 編
B6変型判 1,344ページ ¥3,780 ISBN 978-4-385-12276-2
待望のハンディ版スペイン語辞典の見やすい中型版。新語・専門語を含めて、類書中最大の総項目数10万2千5百。
デイリーコンサイス独和・和独辞典 中型版
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早川東三 編
B6変型判 1,440ページ ¥3,360 ISBN 978-4-385-11996-0
最新のドイツ語正書法を採用した高密度独和・和独辞典の見やすい中型版。小さな紙面に14万3千の項目を収録(独和7万8千、和独6万5千)。
デイリーコンサイス韓日・日韓辞典 中型版
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尹 亭仁 編
B6変型判 1,568ページ ¥3,360 ISBN 978-4-385-12310-3
携帯に便利な実用性抜群の韓国語辞典の見やすい中型版。新語・専門語を含めて総項目数13万。
デイリーコンサイス国語辞典 第5版 中型版

佐竹秀雄・三省堂編修所 編
B6変型判 928ページ ¥2,100 ISBN 978-4-385-14142-8
ハンディ国語辞典のトップセラーの見やすい中型版。現代日本語73,500語収録。
親子ではじめる英会話絵じてん1 らくらくひとこと編 CD付き

三省堂編修所 編/A. G. ウェインライト 監修
AB判 64ページ ¥1,890 ISBN 978-4-385-15885-1
総合的な学習の時間に対応した自習用英会話テキスト。待望のCD付き発売。
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親子ではじめる英会話絵じてん2 ふだんの場面編 CD付き

三省堂編修所 編/A. G. ウェインライト 監修
AB判 64ページ ¥1,890 ISBN 978-4-385-15888-4
総合的な学習の時間に対応した自習用英会話テキスト。待望のCD付き発売。
つなぎ語:相手の発言の是認と否定―『英語談話表現辞典』覚え書き(18)―
2010年 4月 1日 木曜日 筆者: 内田 聖二前回は相手の発言を受けてそこからさらに話を続けていくときに用いられるbutやwellなどを取り上げました。今回は相手の話の内容にもう少し踏み込んだ形で話題をつないでいく語句で、しかも文頭に現れる特徴的なものをいくつか考えてみます。
相手の発言を是認したあと、そのまま終わらずに、理由や説明を付け加えることはよくあります。たとえば、That’s it.は相手の言い分をそのまま認めることを表します。次の第1例はThat’s it.だけで終わっていますが、第2例はそれにかかわる新しい情報を付加しています。次は本辞典からの引用です。
2 〈相手の発言を受けて〉そうなんです, その通り:“You mean he stole all that money?” “That’s it.” 「彼がそのお金を全部盗んだとおっしゃるのですね?」「その通りです」 “My husband snores every night.” “That’s it. So does my husband. I can’t sleep.” 「夫は毎晩いびきをかくのよ」「そうそう, うちもなの. 眠れないわ」.
That’s it.はこれ以上の言い訳などを受け付けないという強い調子を表す、打ち切り表現にも用いられます。
6 〈相手の発言に我慢できなくなって〉もうおしまい:《恋人同士の会話》 “I saw you kissing Cathy yesterday.” “No. You took me for someone else.” “That’s it. I can’t stand it any longer.” 「昨日あなたがキャシーとキスしているところを見たわよ」「違うよ. 君は僕と誰かを見間違えたんだよ」「もうおしまいよ. 我慢できないわ」.
逆に、相手の発言を否定することもよくあります。典型例としてof courseをあげておきます。(用例は三省堂コーパスからです)
“It was not there one hour ago.” “Of course it was. I put it there this morning when you were playing football.”「1時間前にはなかったよ」「そんなはずはない。だって朝君がサッカーをしているときぼくが置いたんだから」
否定文を受けて、of courseを伴った肯定文で相手の言ったことを否定し、その理由を述べています。
また、not likelyは文字通りの意味では「おそらくそんなことはないでしょう」ほどの柔らかい否定ですが、疑問文や要請文などに対してはnoよりも強い拒絶を表すことがあります。
2 〈勧誘・申し出などに対して〉お断りします, 絶対いやです(◆断る理由が続くことが多い) “Are you going to the dance tonight?” “Not likely! It’ll just be another boring party for the old.” 「今晩のダンスパーティに行くの?」「絶対行かない. どうせまたお年寄り向けの退屈なパーティだろうから」 “Would you sit down?” “Not likely. This chair is dangerous.” 「(このイスに)お座りください」「お断りします. 壊れそうなので」.
いずれもnot likelyのあとで断りの理由を述べています。
相手の言い分を条件つきで認める表現にas long asがあります。形式は従属節ですが、条件が守られれば言い分を認めるという含みで用います。
5 〈話し手側の条件だけを提示し, 許可を与えて〉…しさえすればいいよ:《母親が子どもに》 “I want to go out and play with my friends.” “As long as you come in when it starts getting dark.” 「外で友だちと遊びたいんだけれど」「夕方になったら帰ってくるのであればいいわよ」.
さらに、as long asは、同じく条件を守られればという含みで、次のように冗談や皮肉にも用いられます。
6 …ならばそうですね, …ならばどうぞ, …ならね(◆仕方なく同意する含みがある. しばしば冗談や皮肉として用いられる):“Can I come? Me, too. Me, too.” “As long as you don’t talk.” 「私も行っていい? ねえねえ」「しゃべらないでいてくれたらね」.
また、必ずしも文頭に用いられるわけではありませんが、最終判断を相手に任せる言い方としてif you likeがあります。
3 〈申し出・提案などを受けて〉よろしければどうぞ, いいですよ, まあどうぞ:“What would you like to drink?” “I would like some tea, if you like.” 「何か飲み物はいかがですか」「よろしければお茶をいただけますか?」 “Shall we stop working now?” “If you like.” 「そろそろ仕事は終わりにしようか」「(あなたがそうしたければ)いいですよ」 “Perhaps you’d better not come with me.” “Oh, well, if you like.” 「たぶん君は僕と一緒に来ない方がいいよ」「うん, わかった. (君がそう言うなら)いいよ」.
相手に判断を任せるということはていねい表現にもつながります。上の第1例では遠慮した言い方になっています。
—
【筆者プロフィール】
内田聖二(うちだ・せいじ)
奈良女子大学教授
専門は英語学、言語学(語用論)
主な業績:『英語基本動詞辞典』(1980年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基本形容詞・副詞辞典』(1989年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『英語基礎語彙の文法』(1993年)英宝社(衣笠忠司、赤野一郎と共編著)
『関連性理論-伝達と認知-』(初版1993年、第2版1999年)研究社(共訳)
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版1994年)小学館(小西友七・安井稔・國廣哲弥・堀内克明編、分担執筆)
Relevance Theory: Applications and Implications, 1998, John Benjamins.(Robyn Carstonと共編著)
『英語基本名詞辞典』(2001年)研究社(小西友七編、分担執筆及び校閲)
『ユースプログレッシブ英和辞典』(2004年)小学館(八木克正編集主幹、編集委員)
『新英語学概論』(2006年)英宝社(八木克正編、共著)
『思考と発話』(2007年)研究社(共訳)
『子どもとことばの出会い』(2008年)研究社(監訳)
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【編集部から】
語用論的な情報をふんだんに盛り込んだ、日本発の本格的な発信型会話・談話表現辞典、『英語談話表現辞典』について、編者の内田聖二先生にご紹介いただきます。
書籍購入者は、http://dce.dual-d.netにて本辞典の全データを収録したウェブ版辞典を無料で使用できます。
漢字の現在:日本のお金も「円」い
2010年 4月 1日 木曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第61回 日本のお金も「円」い
明治維新を遂げた日本では、政府が旧来の貨幣単位「両」(兩)を、欧米の通貨に合わせて円形にする際に、その名称も変更した。大隈重信がお金を意味する丸を指で描いて説いたことから「圓」が採用されたというのは、当時すでに香港で「圓」が用いられていたことから見ると、俗説であるのかもしれない(中国では、「開元通宝」などにルーツをもつ「元」の流れもあったとも言われている)。ちなみに「銭」は、アメリカのセントに発音も近いので、大隈はそのまま採用したのだともいう。むろん日本の人々も、このように漢字の表音的性質に着目して利用することもあり、中国とは別に行われることだってある。
これで、「圓」はそのままの字体では広く世には受け入れがたくなったのである。そこで、ちょうど存在した「円」という略字が貨幣単位を表記するためにも活用されはじめる。手書きでの頻用を受けて、保守性が強い活字ではあっても、戦前から見出し活字や小さい活字などで「円」という字体が登場する。活字は、手書きよりも遅れて変化が進むものだが、歴史の縮図を作ることがある。手書きで起こった「圓」から「円」へという字体の変化をメディアを替えて短期間で再現したのだ。
こうした状況を受けて、戦前の漢字施策案も、「円」を追認する動きを積極化させた。日本銀行本店の建物を上から見ると「円」のような構造となっているというのは、やはり偶然ではないのかもしれない。このように貨幣単位に「圓」が採用されたことが略字「円」の流通を決定づけた。この略字は定着し、戦後に当用漢字に「新字体」として採用されたのである。無論、それと並行して「圓形」も「円形」、固有名詞の「圓山」も「円山」などと、正式な場面でも書かれる機会が増えていった(例外的に変わらなかったケースもある)。
今日では、たとえば「200円」は次のように書かれることもある。ひらがなにした「200えん」、カタカナにした「200エン」、英語の綴りを採り入れた「200yen」、ローマ字表記にした「200en」、記号を用いた「¥200」、記号の位置が膠着語風に転倒した「200¥」、記号と漢字とが重複した「¥200円」など、さまざまな表記が店先に並ぶ。具体的な金額ということで婉曲にしようという意図も働いているのだろうか。ここまでの多様性は、いかにも日本らしい。
中国では、「円」は日本の貨幣単位専用の日本製漢字(国字)、とさえ思われることが以前からある。「圓」との関連性が、毛筆により崩した字形ではなく活字体で固まってしまった字面からは浮かびにくいのであろう。それは、多くの日本人にとっても同じではなかろうか。漢和辞典を見ても、新字、旧字というレッテルや、せいぜい俗字という一言だけで片付けられ、変化の過程を説明してはくれない。多様性を好む一方で、その根源、経緯や理由をあまり求めようとしないのも、また日本らしいといえるような気もしてくる。
なお、漢字語が色濃く残っているベトナムは、「ドン」(đồng)という貨幣単位を用いており、それは銅貨の「銅」という漢字音である。漢字圏にありながら、「圓」に由来しないという点で、特筆に値する。1ドンは現在、0.005円弱と安い。「銅」という漢越語は、ベトナム語ではたとえば時計という語にも、「銅壺」(ドンホー)と使われている。ベトナムではこうしたなにやら古めかしい漢語による表現が目立つ。ベトナムでは、京(キン)族(越(ベト)族)のほかに、中国と同じくらい多彩な少数民族が生活をしている。その中には、チュノムをさらに応用した文字や、中国の壮(チワン)族の壮文字、広東語の方言文字と共通する文字も見受けられる。もしかしたら、「銅」という表記が今なおどこか南方の地で生きている、ということは、さすがにないのだろうか。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「韓国のお金も「円」い」でした。
この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。








![『新明解国語辞典 第七版[机上版]』7年ぶりに改訂『新明解国語辞典』の机上版。判型は並判より大きいA5判で、さらに文字が大きく見やすい。2色刷。紙面内容は並版と同一。 『新明解国語辞典 第七版[机上版]』](http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp-images/smk_kijo.jpg)
![『新明解国語辞典 第七版[小型版]』7年ぶりに改訂『新明解国語辞典』の小型版。並判より一回り小さいA6変型判で、携帯にも便利。2色刷。紙面内容は並版と同一。 『新明解国語辞典 第七版[小型版]』](http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp-images/smk_kogata.jpg)
![『新明解国語辞典 第七版[革装版]』7年ぶりに改訂『新明解国語辞典』の革装版。丈夫で使うほどに手になじむ。判型は並版・特装版と同じB6判。2色刷。紙面内容は並版と同一。 『新明解国語辞典 第七版[革装版]』](http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp-images/smk_kawaso.jpg)











































































































































2007年









