日本語社会 のぞきキャラくり

第89回 「評価」と「感激」

筆者:
2010年5月9日

「品」の良し悪しを語るという振る舞いは、俗世間の「大人たち」(『年輩』『老人』)の得意技であって、「子供たち」(『幼児』『若者』)にはふさわしくないと前回述べた。「品」を語ることだけでなく、そもそも物事の評価を語ることが、「子供たち」はあまり得意ではないようだ。

日本語社会では、「評価を語る」という振る舞いは基本的に、「格」の高い人のものである。

たとえば上司は「田中君は仕事が速いね」のように、部下(田中)の能力について評価を語ることができる。だが、部下が「部長は仕事が速いですね」などと、上司の能力について評価を語ることは、プラスの評価でも失礼とされる。(新入社員諸君、よぉく覚えておこうね。) 授業の終わりに「センセノ授業、トテモ、ヨカタ」と留学生たちに言われて日本の先生たちが心安まらないのも、「格」が下のはずの生徒に評価を語られてしまっているからである。

これが「部長、仕事速いですねえ!」「センセノ授業、[しみじみと]ヨカタネ~!」のように、「感激」の物言いであれば話は違う。「感激」は「格」が下の者がおこなっても問題はない。いや、「格」が高い『神』やゴルゴ13などは「感激」しないように、むしろ「格」が下の方が得意とさえ言えるかもしれない。これは、「感激」は単なる強いプラスの「評価」ではないということ、「評価」と「感激」は発話行為として別物だということである。

相手の腕をとって背中越しに投げる、その投げ方が厳密に言えば1通りではなく2通りあるとする。この2つの投げ方は単に同じ一つの技のバリエーションなのか、それとも別々の技なのか。これを判断する上で、「得意な選手」「不得意な選手」は一つの手がかりを与えてくれる。一方の投げ方は得意だが、もう一方は不得意という選手が多くいるほど、それら2つは別々の技らしいということになる。「評価」と「感激」を発話行為として別物とするのも、これと同じである。発話キャラクタを考えていくことと、発話行為を考えていくことは不即不離の関係にある。

さて、「「格」が低い者が評価を語れない」ということは、以上のような発話キャラクタだけでなく、表現キャラクタにも見てとれることがある。たとえば、

 「シェフ自慢のデザートに、参加者たちは舌鼓を打っていました」
  「透き通る歌声に、観客たちは目を細めて聞き入っていました」

といった文は特に不自然ではないだろうが、この「参加者たち」「観客たち」をたとえば「児童たち」「小学生たち」のように変えるとどうなるか。

 「シェフ自慢のデザートに、児童たちは舌鼓を打っていました」
  「透き通る歌声に、小学生たちは目を細めて聞き入っていました」

おいおい、君たちはおっさんか、なんて言いたくなる。なんか不自然ですよね。この不自然さを「大人と違って、子供は舌鼓を打ったり、目を細めたりしないから」みたいに、「現実」レベルで説明しようとするのは、さすがに無理でしょう。現実には、大人だっておいしいものを食べて舌を「チャッ」なんて鳴らす人は今どきそんなにいないし、子供だって目ぐらい細めて何かを聞くことがないわけじゃないでしょうから。

ホラ、よくあるじゃないですか。平安時代の調度がどこかで展覧されたりすると「観光客たちは遠い平安時代の生活に思いをはせていました」、古代遺跡が公開されると「訪れた人たちは太古のロマンに酔いしれていました」という具合に、緊急性の低い或る種の報道に出てくる「皆一様に大いに楽しみました」型の文。お約束の綺麗事。ここで問題にしている文って、この手の文ですよね。だからこういう文の自然さ・不自然さに対して必要なのは、「現実」レベルでの説明ではなくて、「大人たちは舌鼓を打ったり、目を細めたりする、ことになっている」「子供たちは、ふつう格が低く、そういうことはしない、ことになっている」という「お約束」レベルでの説明でしょう。で、この「お約束」っていうのは、マスコミによる潤色が施されているとはいえ、基本的には私たちの通念の一部なんですよね。

「舌鼓を打つ」にしても「目を細めて聞き入る」にしても、落ち着いて味わう「評価」的な行動だけど、もっと「感激」っぽい「飛び上がって喜ぶ」なんかだと、もう小学生は全然問題ないですよね。

 「シェフ自慢のデザートに、小学生たちは飛び上がって喜んでいました」

皆で派手に喜んでいれば、本当に飛び上がった奴なんかいなくていいですよね。お約束ですから。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。